1081話直後ドフロ♀妄想「こんな傷だらけの女を抱くほど飢えていねェよ」
ドフラミンゴの言葉に『女』は唇を歪めた。
興醒めしたとでも言いたげな、嘲りすら含んだ、――そういうやり方で以てドフラミンゴを煽ろうとしていることが知れる表情。
「飢えるも何も、こんな辺鄙な島にアテはねェだろ」
『女』は退かない。金の瞳にわざとらしい嘲笑が浮かぶ。ドフラミンゴは舌打ちしたい気分だった。下策も下策。こんな、切羽詰まった態度を表に出すように教えたつもりはない。
「……」
全てを教えるつもりだった。身を守る為の最低限の護身から始まり効率的に他者を傷付ける戦闘技術を。日常の些細な会話術から始まり他者の心身を絡め取る人心掌握術を。……技術を、知識を、生き抜くための方法を、すべて。
何も出来ないガキだった。プライドの高さと己が身の無力さが吊り合っていない子供だった。世界を憎めども世界に奪われるだけの存在だった。
だから、ドフラミンゴの全てを教え授けてやるつもり、『だった』。
過去の話だ。
ドフラミンゴとかつての子供の道はとっくに違えて久しくて。そもそもドフラミンゴが先日まで海底の監獄にブチ込まれていた原因が目の前の相手で。
ああ、でも。
身を潜めた島の海岸に人知れず打ち上げられていた、襤褸切れのような人間と白クマのミンクなんて分かりやすい厄介事を拾ってしまったのは、どうしてだったか――、
「っ、おい」
沈黙に耐えかねたようにローが口を開く。
高い声だ。変声前のボーイソプラノにも似た声音。隆起のない白い喉。血の気の薄い不健康な肌色はやはり病気の子供の姿を思い出す。
「おい、だなんて呼べる立場かよ」
ドフラミンゴは内心でかぶりを振った。脳裏に浮かんだ記憶を振り払うように視線をローの顔から下へと落とす。
女の身体だった。
ふざけた名称の病の後遺症だという女の身体。
全裸の『女』がドフラミンゴの寝台の隅に陣取っている。
衣服の一切を身に付けていないと言っても、この場合は艶めいた印象より飾り気が無いという印象の方が強い。ドフラミンゴの閨に侍った女たちはいずれも珠のように磨き抜かれた肢体の持ち主だった。目の前にいる『女』は違う。化粧っけなどあるはずもなく、血と消毒液の匂いにまみれた『女』。
特徴的なタトゥーよりも身体のあちこちを覆う包帯やガーゼの方がよほど目立つ、ありふれた敗北者。
死にぞこない。
「……っ、」
ドフラミンゴの視線をどう解釈したのか。ローは僅かにたじろいだ。ささやかな乳房が揺れる。失った筋肉の代わりに脂肪が付いたようだが些か心許ない。栄養失調気味とまではいかないが、童顔も合わせてガキのようだとは思う。
「ドフラミンゴ」
名前を呼ばれる。
……思えばドフラミンゴの許にいた頃から、かつての子供は一度だってドフラミンゴを愛称で呼びはしなかった、なんて。
懐古するドフラミンゴをよそにローは拳を握り締めて、
「おれの命はやれない。まだ。おれの命はおれを生かしてくれたあいつらの為のものだ。財産もない。全部沈められた。今の体力じゃオペオペの能力だって実戦レベルで使うには程遠い。……だから、この身体でしか匿われた礼を支払えねェ」
ローの膝小僧がにじり寄る。獣の口内へと自ら進む愚かしさ。ローとて理解はしているだろう。けれど金眼に悲壮感は薄く、覚悟を決めた意思があった。
ああ。
そうか。
「――――」
こいつは、まだ折れていないのか。
ドフラミンゴは目を細める。
いつだってローを取り巻く世界は厳しかったはずだ。後ろ盾の無いオペオペ能力者が『真っ当な』道を歩めたはずがない。
けれども死ぬことを許さぬかのような悪運がいつまで経ってもローを生かし続ける。炎の中で磔にされているのと同義の、嬲り殺しの宿命。
「……そうまでして生きて、どうするつもりだ」
ドフラミンゴは口角を持ち上げる。
「聞くところによれば、あのミンク以外のクルーは随分と絶望的な状況らしいじゃねェか」
嘲笑と共に言葉を放つ。
けれどローは瞳を見開き――笑った。
「お前がそれを言うのか」
その表情が苦笑のようにも、見えて。
直後にそんなはずはないとドフラミンゴは浮かんだ思考を否定する。
幼子の混乱を受け止めるのにも似た穏やかな表情を、あんな、道理の通っていない理屈で以てドフラミンゴを討ちにきた人間が浮かべるはずがない。
現に、
「あいつらは生きているよ。おれはお前とは違うからな」
淡々と。
滔々と。
「おれはお前とは違う。部下の命で以て証明される忠誠なんていらない。生き続けてくれることこそをおれは望む。それはあいつらも分かっている。だから、あいつらは生きている」
紡がれゆく言葉に道理はない。
聞き分けのない、子供の理屈。
「――――へェ」
だからドフラミンゴはまた嗤う。妄言の類いだ。まともに受け取ってやる義理などない。
ただ、確信を持って紡がれる言葉は癪だった。強い信頼を薪にして燃え盛る瞳の熱さが鬱陶しかった。濁りきった冷たい黄金こそがローには相応しいと、今でも思う。
「まァ、いい」
ドフラミンゴは細い手首を掴み、引き寄せる。
ローは抵抗しない。金眼は凪いだままドフラミンゴを映す。不快だった。ローの視線は確かにドフラミンゴを捉えているけれど、ローが真に見ている相手はドフラミンゴではない。身体を差し出されたところでローの心は別にある。
それは今は別室で深い眠りの中にいる白クマのミンクであり、能力者が手を伸ばせぬ海中へと沈んだ己のクルーたち、だ。
だから。
だから、
「いいぜ、ロー。情けをくれてやる」
墜としてやろう。
置いてきた奴らの、どうせ誰一人だって生き残ってはいない現実を突き付けてやって、そういう裏切りによって再び濁った黄金を見ればドフラミンゴの胸で疼く不快感も少しはマシになるだろうから。
だから、今は、生かしてやろう。
「ロー、」
腕の中へと収めた『女』を見下ろす。
鮮やかな黄金の中で夜叉が嗤っている。
ドフラミンゴはローの黒髪を掻き分けた。柔らかな髪質。子供のような細い髪。
ローの後頭部を手で抑える。ドフラミンゴの掌にすっぽりと収まってしまう小さな頭蓋。
ドフラミンゴは形の良い耳朶へと唇を寄せて、囁く。
「とびきり屈辱的に愛してやるよ」