僕とキヨコちゃん
伊地知潔子は弁えている女だった。
三白眼は可愛くないから嫌いだった、瞳が小さく見える。
胸もお尻も無いし、貧相が服を着てもそれなりだ。
染めた事の無い黒髪と、ダサいメガネ。
一度もモテた事なんてない。
潔子なんて古風な名前だから、二十歳を超えても処女だったし、合コンに行った時に男に揶揄われた。
でも確かにそうだったから、ぐうの音も出ない。
潔子はおばあちゃんにもらった名前だから、悲しくなって涙が出た。
名前はその人を表すなら、潔子はどうなんだろうか。
いさぎよく生きなければならないだろう。
それは諦めと同じ意味だと知っていたから、頑張って履いたヒールから女が転げ落ちて行った。
最悪な合コンを体験して、3ヶ月経った。
可愛くないなりに、可愛くして行ったつもりだった。
でも、五条悟と言う男が到着してから数分で変わった。
「名前は?」
スッゴイ、それはもうニューヨークのどデカいパネルにいるモデルかってくらいのイケメンが潔子の前に座った。
家入先輩がセッティングした合コンに呼ばれて、初めての合コンにちょっと浮かれていた気もする。
いやいや、まぁ、分かっていましたけれど…。
目の前の男がテーブルの下で足を組んだ。
長すぎて潔子のヒールにぶつかった。すぐに足を引っ込める。
それだけでもう怖いのに、オーラが異常だった。
女子もあまりのイケメンに手を口元に当てたまま、黙り込んでいる。
当たり過ぎる合コンは、女子がキャーキャー言わないのだと知った。
指先にはピンクゴールドの上品なジェルネイルをしている。綺麗で、可愛い。
芸能人でもここまでの顔は居ない。潔子が見てきた恋愛ドラマのイケメン俳優が思い出せないほどの、顔面国宝だ。
「え…わ。私、ですか?」
「そうだよ」
「いじ、いじち、きよこです…」
本当は家入さんが隣に居るはずなんですが、トイレに行ってしまって…まだ全員集まってません。
キヨコねぇ、と薄くて形の良いピンクの唇が動く。
男の人なのに肌も唇も綺麗だなんて、嘘。
毛穴なんか無いじゃない、なぜかツヤのある美白、何も乗せてない唇がなんでヌーディーピンクに輝いているんでしょうか。
「キヨコって、清いのキヨ?」
「潔い、の潔です…」
顔面国宝の彼の顔が歪んだ。
美しいと、歪んでも様になるなんて、神様、酷いです。
「いさぎよい、か。なるほど、ブスにお似合いだな」
「…ぇ」
「そんなんで男釣れるとでも思ってんの?化粧も似合ってないし、ブスなのに、そんな素材生かした化粧する?服だって、何そのグレーの無地とか…地味なのに地味着てどーすんの?ウケるんですけど」
「潔子って、処女ですって名前じゃん。どーせ、処女なんでしょ?二十歳超えても処女とか痛いね」
両側に座っていた女子、男子が手を口に当てて、黙り込んだ。
ウッソだろ、さすがにそこまで言うか!?これからどうやってフォローしたら良いんだよ!?と言わんばかりの男の顔。
イケメンだとぬか喜びしてたけど、ヤベー男キター!一瞬で冷めた!と青ざめた女の顔。
潔子の顎を掴んで、ジロリと見下ろされ、その指がワンピースの胸元に向かう。
ピッと指で服を引っ掛けて、無い胸を見られた。
全員が黙り込んだまま、無い無い無い!と言う顔をする。
「胸も無いって…キヨコちゃんには何があんの?」
そう言って少し浮かせた腰をもう一度下ろす。
潔子は息をするのを数分忘れていた。
ブス辺りから、していない。
正直、何も考えられない。
とりあえず、席を立って震える声で「お手洗い、行ってきます」と告げて店を出る。
誰も追いかけて来なかったし、途中、家入先輩とぶつかったけれど、気にせず走った。
お気に入りのヒールが悲鳴を上げている。でも止まれない。
止まったら、泣いてるのがバレる。
ブスが泣いたら、もっとブスになる。
伊達に20年以上ブスやってないから分かる。
だから家まで電車に乗らずに走って帰らなきゃならなかった。
「おいコラ、クズ、お前はメンバーに呼んでねーんだが?」
超絶美女の家入さんが怒り顔で戻って来たら、美女の怒り顔クッソ怖いから男子達は死んだ。
「私がトイレ行ってる間に、このお通夜モードは…なんなんだ?え?」
同じく超絶美男が立ち上がると、向かい合って笑い出した。
「イヤ〜、ショーコちゃんが、僕に内緒で面白い事してるなーって思って、邪魔しに来たの」
「伊地知が居ないが?お前のせいだな?」
「キヨコちゃんなら帰ったよ」
「お前…」
女子達が家入さんへ目線を送って、首を振った。もう関わるなと言いたいようだ。
「帰れ」
「はーい!じゃあね〜、ここ、マブい女居ないから帰りま〜す」
一人だけ明るい声でルンルンと帰った途端、その場の全員から『ハァーーーーーーッ』とクソデカいため息が流れた。
「すまんな。事情聴取を始める事になってしまった」
「いや、家入さんは悪くないです。あの…今日はもう普通に飲みましょう」
「俺達も何も言えなくて、すみません…」
「大丈夫、あんなの誰が言ったって…無理だったよ」
「そうそう、それにあんな…イケメンにブスって言われたら、明日からどんな顔して生きたら良いのか分からないわよ」
「私達だって、別に美人でも無いし、でも頑張って顔を誤魔化したって…あんな天然無農薬に言われたら、ぐうの音も出ないじゃない…」
「自分に言われたワケじゃないのに、むちゃくちゃ凹んだ。もう二度と会いたくない」
「正直、潔子ちゃんは普通っていうか…ブスじゃないし、あんな事言われて大丈夫かな」
「大丈夫なワケないじゃない。知らない人にブスって言われるのと、自分より格上に言われるのがムチャクチャ、クルわよ!」
「顔面国宝にしてみたら、全人類ブスでしょ…辛いから、お酒頼んでいい?」
「飲もう、飲もう」
「あ〜あ、もう…やってらんねーぜ」
謎の一致団結モードで酒を頼み始める。
もうこの際男とか女とか関係なく仲良くなれた。
家入は申し訳なくなって、奢る事にした。
クズのせいで、カップルじゃなくて友情が生まれた。
可愛い子は生まれつきなのかしら。
家入先輩みたいな美女も、合コンに来ていた可愛い女の子も、最初から可愛いのかな。
あれからショックで混乱したけれど、あのイケメンの言う事は正しくて全部私の事だった。
可愛いと思ってるワンピースは買わなかった。普通な、嫌われないデザインと色のワンピースで行ったのは本当。
だけど、ちょっと胸元にタックが入っていて、胸が無い事を隠せる。
きっと、中途半端だから、私は可愛くないんだろう。
家に帰ってからブルーレイレコーダーの、恋愛ドラマの続きは全部消した。
雑誌にも載ってる恋も、現実には無い。
ため息しか出ない。
涙も帰り道に落として来たから、もう出ないし、お化粧は落とした。
もうこのワンピースを着て、外を歩けない。
着たら、全部あの五条悟を思い出してしまう。
まだ新しいのに……。
クローゼットを開けると、ズラッと並んだ地味な色。
「……その通りじゃない」
ベージュ、黒、グレー、紺…嫌われない色しか持ってない。
可愛い色も柄も無い。女の子が好きな服は見当たらない。
また泣きそうになる。
私は誰に好かれたかったんだろう?
誰にも嫌われない服を着て、ナチュラルメイクでお化粧はしてますって顔をして歩いて。
そんなの、誰が好きになるんだろう。
誰にも嫌われない代わりに、誰にも好かれないのは当たり前。
潔子って名前は変えられないけど、変えられる所は変えてみよう。
分かってたのに、人に言われて初めて向き合えた。
この日からあの男の事は忘れられなかった。
一人で休日を過ごすのには慣れている。
でも今日はちょっとだけ楽しい。
あれから美容院にも行って髪を切って明るく染めた。
パールで囲んだピンクとゴールドのネイルもすごく可愛くて、キーボードを打っている間も気分が良い。
海外の可愛い花柄のワンピースをネットで買ってしまった。
それが届いて待ちに待った休日。ヒールは色を合わせて、7センチ先に私を乗せる。
三白眼をうまく隠せるよう縁が薄めのピンクブラウンのカラコンで、優しく見えるようにした。
カラコンだけでも結構変わるので、すぐにお化粧が楽しくなった。
ブラウンしか使わなかったアイシャドウに、ピンクやオレンジを加えた。
血色良く見えるよう、チークはローズピンクとリップはヌーディーピンク、薄っすらグレープ色の細かいラメ入りグロスでツヤも乗せた。
アイラインはタレ目気味に柔らかいブラウンを、つけまつ毛はセパレートタイプを目尻だけにしてある。
マツエクと悩んだけど、お化粧落とす時面倒だから今回は見送り。
良い感じのクレンジングが見つかったら、やろうかな。
玄関を出る前に姿見でチェックする。
柔らかく巻いた髪を指で触ってみる。これが崩れないと良いな。
ヘアオイルとツヤが出るワックスが欲しい。
アクセサリーも欲しいな、イヤリングはあまり無いから。
一人で買い物も今日は楽しい。
「可愛い、かも…しれない?」
鏡の中の自分に問いかけても、答えてくれないけれど少し笑えた。
「ねぇ、ひとり?」
驚いて顔を上げると、若いお兄さんが覗き込んで来た。
目が合うとニコッと笑ってくれる。ちょっと、ビックリした。
「え。わたし、ですか?」
「そう、誰かと待ち合わせしてる?」
ブンブンと首を横に振ると、髪の毛がふわふわと揺れる。
「い、いえ!ひとりです!」
「えー?彼氏と待ち合わせしてるのかなーって思ってさ」
「か、彼氏?」
「可愛いから、彼氏いるのかなって。いないの?」
可愛いって言われて、思わず嬉しくなった。単純すぎかもしれない。
でも他人に可愛いって言われた事が、世界に認められたみたいで、浮かれそうになる。
「う、いません。今日はお買い物に来てて…」
「そうなんだ、じゃあ、俺と行こうよ。ね、スタバの新作飲んだ?俺、まだなんだよね〜、奢るからさ、行こう?イチゴ好き?」
「え、わ、私ですか!?間違えてませんか?」
あわあわと慌てる潔子の様子に笑い声を上げて、愉快そうにお兄さんが手を伸ばす。
潔子の手を掴もうとした時、少し遠くから「おはよ〜!キヨコちゃーん」と呼ばれた。
へ?とお兄さんと一緒に振り向くと遠くからでも分かる、デカい銀髪の目立つ男が長い足でズンズン歩いてくる。
忘れもしない、あのイケメン。
潔子の顔は青ざめた、血色メイクも意味がない。
足が震えてヒールがカタカタ音を立てる。
すぐに隣に来てしまった。
見上げる事も出来なくて、下を向いたまま地面を見つめる。
ドンキにいるヤンキーの1000倍怖いオーラに、潔子もお兄さんもたじろいだ。
「お?ナンパ?この地味ブス女をナンパとかウケる!」
肩に手を置かれてビクッと震える。寄せられた五条さんの体が温かい事に驚く。
顔が人形めいているから、生きてる人間に見えなかった。
「酷いな、そんな事言うなよ。可愛いじゃないか」
可愛い!可愛いって言われた、やっぱり聞き間違いじゃない。
二度目でハッキリと分かった、なんだか嬉しい。やっと私も可愛いって認められたんだ。
ジンっと胸が熱くなり、嬉しくて目を閉じた。
「あ?ブスでも僕の女なので、やめてくれる?」
え?????
そう言って抱き寄せられる。五条さんの胸の中で驚いていると、香水のいい匂いがした。
絶対なんか、高そうな香水だ。絶対そうだ、怖い。
でも私も香水欲しい、いいな、探そう。
お兄さんは諦めたのか、どっかへ行ってしまった。
待って、私をひとりにしないで…どうやってこの男から離れたらいいの?
「キヨコちゃーん、久しぶりじゃん?」
「あ、あの…なんで私って分かったんですか?」
そうだ、私、あの時と全然違うのに。遠くからでも私ってなんで分かったんだろう。
背の高い彼を見上げると丸いサングラスをズラして、無邪気に笑う。
イケメンって良いな、ちょっと笑ったくらいでカッコいい顔になる。
「だって、キヨコちゃんはそれ以上でもそれ以下でも無いでしょ?」
「ど、どういうこと…」
「キヨコちゃんは、どんな格好してもキヨコちゃんってワケ」
「それって…可愛くないってことですか?」
「ハァ??そんなこと言ってないじゃん。キヨコちゃん、可愛いよ。今日はナニ?そんな可愛い格好しちゃって、僕とデートに来たんでしょ?違う?」
違いますけど…。
五条さんがニヤッと笑って、サングラスをかけ直す。
五条さんに可愛いって言われた時、嬉しくなっちゃって、すごく悔しい。
私、単純すぎる。
「キヨコちゃん、僕のこと、忘れらんなかったでしょ?」
「そりゃ、あんな事言われたら、忘れらないです!」
ニヤニヤしてもカッコイイなんて、顔面どうなってるんだ。
「僕のこと、好きなんでしょ?」
カッとなって叫んだ。
「違います!!五条さんのことなんか、好きじゃありません!あと、私がダサくてブスで処女なのは名前と関係ありませんっ、潔子は…おばあちゃんが付けてくれた名前です!バカ!!」
思わずずっとずっと考えてたことが、口から出てしまった。
でも、でももう二度と会わないと思うと、スッキリした。
早々と彼から離れて、ヒールを鳴らして歩く。
知らない!もうあんな人知らない!二度と会わない!
キヨコちゃーん、ストロベリーのスタバ飲も〜よ〜と後ろから追いかけて来る声を無視した。