リオヌヴィ「ヌヴィレットさん。俺と駆け落ちしないかい?」
ヌヴィレットさんの執務室でそう言いながら定期報告の書類を手渡しする。
何を突然? という目をするヌヴィレットさん。報告書を慣れた手つきで読み、半分くらいまで進んだところで「そういった冗談は業務時間外でお願いしたい」と返ってきた。
数週間後。
最高審判官と水の下の公爵が行方不明になったという情報がフォンテーヌ中を駆け巡った。
スメールへ向かう船の上。天候は穏やか。時折強く吹く風に同行者が被っている帽子が飛んでいかないようさり気なく抑える。
「大丈夫かい? そうか、ならよかった。港までもうじきらしいし着いたら水でも飲もう」
帽子のつばで表情は見えにくいが、コクンと頷いてくれる仕草が可愛い。
「兄さん、彼女と旅行かい? 若いねぇ」
近くにいた男性が声をかけてくる。
「彼女、じゃなくて人生のパートナーさ。日頃多忙なもんでこういう時くらいのんびりしてこいと同僚から旅行のプレゼントをもらってな。折角だから好意に甘えようかと」
そう言いながら左手を見せる。薬指には真新しいシルバーの指輪が嵌められている。隣にいる同行者の左手薬指にも同じものが嵌められている。
「新婚旅行か。邪魔して悪かったな」
「気にしてないさ。……ああ、そうだな。後ろの方に移動しようか。すまない、ちょいと船尾の方に行ってくる」
立ち上がる同行者が慣れないロングスカートに足を取られないよう腰に手を回して支える。
「船酔いでもしたか?」
同行者の体調を気遣ってか、薬を取り出そうとする男性を空いている手で大丈夫だと断る。
「体調は問題ないよ。ただ、目立つのがあまり得意じゃなくてね。ちょいと人気の少ない後方で水面でも眺めてこようかと」
男性の声はわりと周りにも聞こえていたらしく、新婚というワードに興味を持った人からの好奇の目が集まってしまいいたたまれなくなったのだ。
「……悪いことしたな。スメールに着くまで船旅を楽しんでくれや」
申し訳ないと思ったのか、男性は周りの人に邪魔しちゃ悪いだろ! と周りの人へ絡みに行った。
注目を反らしてくれたことに感謝の礼をして、二人で船尾まで移動する。
近くに人の気配がしなくなると船に乗ってからずっと閉じていた口が動く。
「……婚姻届を提出した記憶も受理した記憶もないのだが」
俺の隣に居たのは重厚さと威厳を兼ね備えた最高審判官の法衣ではなく軽やかな女性の衣服。
最も、後々の予定を考えてシャツとブーツは普段のものを。ロングスカートの下にはスラックスを履いている。
長い髪は緩い三つ編みに。特徴的な青い髪は帽子の中に隠して声を出さなければヌヴィレットさんだとは気づかれない。
ちなみに俺は普段の装いで目立つコートだけ置いてきた。もちろん神の目はコートから外してベストの内側に。
ヌヴィレットさんと違ってあまり公の場で顔がばれていないから『公爵』と呼ばれない限り水の下の統治者だとは気づかれない。
「揃いの指輪を付けて、人生のパートナーだって言えば相手は勝手に良いように解釈するのさ。それに、ヌヴィレットさんの人生のパートナーっていうのは公私どちらも当てはまるだろ?」
「確かに、君とは仕事上でもプライベートでもパートナーと呼べる関係ではある……。が、正しくは恋人であり夫婦とは」
「ヌヴィレットさんは俺と夫婦は嫌かい?」
「嫌かどうかと問われれば、嫌ではない。しかし、君との関係は公にしていないのでそう表現してよいものかと……」
真面目に考え込むヌヴィレットさん。そういう所も好きな所だ。
「まあ、あまり深く考え込まなくていいさ。『今』の俺たちはお忍びで国外旅行を楽しんでいるだけ。そうだろ」
そう。俺とヌヴィレットさんは内緒の国外旅行を始めたばかりだ。フォンテーヌでは俺たちは事故で行方不明の扱いになっている。
「皆に負担をかけてしまい申し訳ない」
「俺とヌヴィレットさんが同時に生死不明の状況を作ることで、悪党の尻尾を掴みだす作戦……信頼のおける部下たちやフリーナ様、旅人だって強力してくれてる。今、俺たちに出来ることは彼らを信じることさ」
「……そうだな。兎に角、スメールの協力者と合流するまで正体に気づかれないようにしなくては」
そう言いながら風に飛ばされないよう帽子のつばを両手で押さえるヌヴィレットさん。
控えに言って可愛い。このコーディネートを用意してくれたナヴィアさんに感謝しなくては。
理由や目的はどうあれ、俺とヌヴィレットさんとの新婚旅行……もとい恋人になって最初で最後になるかもしれない二人だけでの国外。
折角なので思いっきり楽しませてもらおう。