暗い所が苦手なエルケさん「エルケさん! 大丈夫ですか!」
藤鷹翔寛は困惑していた。
今日はエルケと月末の事務的な打ち合わせがあった。昼間に関西の方で仕事があり、その仕事が押した事もありEMMCに到着するのが遅くなった。調整してもらった時間はすでに陽が落ちた後だった。
隙を一切見せない絶対零度の魔王が、事務所の打ち合わせ室の入り口を少し入った所で電気も点けずに膝を着いて口に手をあてて俯いている。足元に散らばる資料のコピー用紙に、エルケが今動けない状況なのだと頭が判断する。
部屋に入りエルケの前に回り込んだ藤鷹は痛む足を気にする事なくエルケと同じ目線になるように屈んでエルケの様子を伺った。さらりと揺れる深海の髪の合間から微かに見える表情は堅く目線が震えているようにも思える。藤鷹と共に居たスタッフが数人エルケに駆け寄りあたふたしていると、エルケがじっとりと汗をかいた手で藤鷹の腕に触れた。
「……翔寛、さん……で、電気を……」
「電気?」
言われるがままに藤鷹はスタッフに扉のすぐ横にあった部屋の電気を点けるように告げ、スタッフが慌てながら電気を点けた。蛍光灯の光が一瞬目に眩しかったがそれもすぐに慣れ、軽く見渡すといつもの打ち合わせ室が変わらぬ表情でそこにあった。
時間にして十数秒、エルケはそのまま俯いていたが、震えていた肩がゆっくりと治ってきた頃に顔を上げた。いつも自分を見る朗らかなエルケの表情に戻ったのを見て、藤鷹は詰まっていた息を吐き出した。
「ありがとう、ございます……すいません」
苦笑いするエルケに藤鷹は以前EMMCに仕事として訪問する際に、マネージャーに言われた事を思い出した。
『事務所の付いている電気は消さないでください』
あの時は復帰当初で変に気を遣われているのか、ぐらいにしか思わなかったがこの状況を見て確信した。
太郎は暗い場所が苦手だ。
打ち合わせ室には先に藤鷹のスタッフが準備のために到着していて、事務所についた自分を玄関まで迎えに来ていた。その時に事情を知らないスタッフが部屋を出る時に電気を消していったのだろう。おそらく無意識だったため、電気のスイッチの横に書かれた「消さない」という注意書きを見落としていたのだろう。そこに運悪くエルケが入ってきてしまったのだ。
思考を巡らせる。エルケはミヤコやミヤビ、シアなどの親しい後輩や、和解してからの藤鷹に外では見せないような様々な面を見せてくれる。それこそ一から十まで。そんなエルケが暗い場所が苦手という弱点を藤鷹に今まで隠していたのにはそれなりの理由があるはずだ。
――ケイ、か
むしろその理由しかないだろう、と藤鷹は合点が行く。スタッフに暫く二人にしてほしいと告げ、扉を閉めそのまま部屋の真ん中にあるソファにエルケを座らせて隣に腰を下ろした。
「見苦しい所をお見せしてしまいましたね」
「なんで言わなかった」
エルケは全て見透かされていると感じたのか、頬を指でかきながら数秒考え、口を開く。
「ケイ……にいさんを、見つけたのが……暗い部屋の入り口、で……」
なるほど、と藤鷹は深い息を吐いた。
二十年以上、押しつぶされそうな想いを抱えていたのは自分だけではなかった。それは分かってはいたが、こうして膝をつくエルケを見るまで実感がなかったのは確かだ。
隣では少し怯えたような目線をエルケが藤鷹に向けていて、目が合うと下に視線をずらしていた。
エルケの肩を抱き、引き寄せる。がしがしと頭をなで、自分の肩に半ば無理やり押し付けた。今はこれぐらいしかできない。いきなり克服しろなどと言えない。その痛みは自分も嫌という程知っている。
藤鷹の腕の中で、安心したような幼い太郎が身体を預けている。もうしばらく、こうしていよう。藤鷹は腕に力を込めながら目を閉じた。