aokbワンドロライ 水も滴る/パロディ/照れ隠し 昔々あるところにカブという名の独りぼっちのオオカミが住んでいました。
グレーの毛並みの耳としっぽを付けた人型をした男は初老を手前にしているにも関わらずにがっしりとした体格をしている。
カブは旅狼で、番を求めて旅に出たは良いけど見つからずに婚期は過ぎてしまい、この場合一般的にはオオカミ族は番恋しさに弱り旅の途中で絶命してしまうことが主なのだが……。
そう、一般的には。
ただ一般的では無かったカブは余裕綽々で住み心地の良い森に拠点を構えて、昔はやんちゃしてはいたが今では年を重ねてとても温厚になって森に馴染んでいた。
「今日もいい天気だね、キバナくん」
「そっすねー……そーいやルリナたちも今日は北の森の方に行くらしいけどカブさんも行く?」
「そうだね……ぼくも行こうかな、」
空を見上げればドラゴン族の若者が悠々と気持ち良さそうに空中散歩をしている、後ろを振り向けば愛らしいウサギやシカの一族も笑って歩いている。
そんな穏やかだが自由な森の中に居るのでカブは寂しくは無いし、中々悪くない人生だと日々を楽しんでいた。
「カブさん、どちらへ?」
「……おや、アオキくん」
ある日、カブの元に黒い羊がやってくるまでは。
いつからかはもうあやふやで、ただ忽然とカブの生活に現れた黒い羊。
その羊はアオキと名乗り、大きな体を持っている癖に気配はあまり感じさせずに。
そうしている内にカブの中にしれっと溶け込んでしまった。
初めてカブとアオキが会った場所は確か森の入り口だったとは思う。
ウサギの子供がイノシシ用の落とし穴にハマってしまったと聞いてカブが助けに行った際にこの黒い羊に出会ったのだった。
頭に大きな角と小さい黒くて垂れ気味の耳、小さな黒いしっぽを垂らした大きな男だ。
ワンワン泣くウサギを無表情で抱き上げている姿は今にも食うつもりかとすら思ったが直ぐにカブにウサギを戻してくれたのでその時はお礼を言って離れたのだが……次の日にはもうカブの住処の前に黒羊がのっそりと立っていた。
その日は朝からそれはそれは土砂降りの大雨だったと言うのに。
アオキに気づいた時の驚きたるやもう。
オオカミの住処に何故羊がやってきたのか。
ただ、物言わずにずっと立っていたのだろうか、雨の中。
「ちょっときみ! そんな雨の中何をしているの!」
ずぶ濡れの黒い羊を見たら居てもたってもいられずにカブは家から飛び出て彼に駆け寄っていた。
大きな大きな黒い羊はオオカミであるカブよりもずっと背が高い。
「……あめ? ああ、」
「ああじゃないよもう! 風邪を引くから入りなさい!」
そこまで言ってカブは自分が肉食獣で相手が草食動物であることに思い当たる。
そうだ、誘ったところで彼は自分に怯えてしまうかもしれない。
カブが逡巡して地面に視線をやって瞳を閉じて思案するが、兎に角この黒い羊を保護したいと言う気持ちだけで言葉の用意もなく勢いだけで口を開く。
「食べたりしないから、」
そんなことを言ったところで安心など出来ないだろうことはわかっていたが、カブが更に中に誘おうと口を開くが目の前からアオキは消えていた。
そんな馬鹿な、確かに一瞬思考は深めたがそんな気配も無くオオカミである自分から逃げられるものだろうか?
しかし視線を上げたカブが見たものはそれ以上に驚くものだった。
「へ?」
アオキが音も無くカブの家へと向かっている後姿だったからだ。
驚いてアオキを目で追うカブを無表情のまま振り返って一言、アオキは無感情な声でしれっと。
「風邪、引いてしまうんでしょう? 早く入りましょう」
「え……えぇ?」
困惑、その二文字だけでその時のカブの感情の全てが表現できる。
アオキがカブの住処の前でまた立ちすくむ、家主を待っているようだ。
そこまで呆然と見守って居たカブだったが、カブを待つアオキに慌てたように小走りで追いかける。
「入って大丈夫だよ」
「お邪魔します」
先程カブが心配したことは全て杞憂だったようで、アオキは躊躇なくカブの住処に潜り込んできた。
いつも過ごしている我が家の見慣れた空間に異質の大きな大きな黒い羊が立っている違和感、しかしカブは不思議な感情に悩まされている。
雨に濡れそぼって髪もだらしなく振り乱しているアオキに何故か色気を感じてしまったのだ。
「あの、」
「あ、うん! 今拭くもの持ってくるよ!」
水も滴るいい男とはこのことかと。
照れてしまったことを押し隠すようにしてカブがそう広くは無い室内なのにパタパタと立ち去る。
カブの反応を見ても特に何も思わなかったが、カブの姿を見てアオキは安心したように無表情のまま相好を崩す。
黒い羊。
それだけで不吉だとアオキは群れを弾かれたし、だからと言って悲観もせずに他の場所で能力を発揮すれば黒い羊であると言うだけで手ひどい扱いを受ける時もあった。
別にそれでもアオキはそれを不幸とは感じなかったし、苦にも思って居なかったので残業が無くて一日の終わりに美味いものが食べれれば満足だと思って居る。
しかし昨日、穴に落ちたウサギの子供を助けた。
それだけで嬉しそうに感謝を述べるオオカミに出会ってからアオキの中で何かが変わってしまって。
きっとウサギの子供が心配で大急ぎでやってきたのだろう、額には玉のような汗水を滴らせて来たオオカミにアオキは柄にもなく照れて言葉を失ってしまったのだ。
鉄面皮に覆われて照れを隠してしまえるのはアオキの強みだが、どうもオオカミを警戒させてしまっていると気づいて直ぐにウサギを手渡せばカブの表情が一気に明るくなる。
嵐の夜から一転して晴天になるような、そんな笑顔を向けられてアオキは気づけばカブの住処までやってきてしまった。
いっそ獲物として食べて貰えたなら良いのに。
アオキの血肉も感情も全てこのオオカミに委ねてしまいたいような。
ただ漏れてしまうため息、アオキ自身すらわからない感情のせめぎ合い。
見ていたい、ずっとずっと。カブが見たい、視界に入れたい、ずっとずっと探している。
それだけで今、アオキはそこに立っていた。カブが出てきてくれないものかと願いながら。
ドアが開かれるのを夢見るように見つめていたら、思いのほかバン!という効果音が似合うような勢いで開いたことにアオキは心を躍らせる。
そうして後は特に何もしなくてもそこに立って居ただけで自分にとって好都合な展開になったのでさっさとその展開に身を任せて今、カブの住処に居るのだ。
こんな好都合で良いのだろうか?
自分の髪から水が滴るのも気にせずにアオキが若干不安を覚えると頭にもふ、とした感触を感じる。
特に不思議に思うことなくカブが自分の頭を拭いてくれていると言うのはわかっていたのでそのまま身を屈めて拭いてもらう。
自分で拭きなさいと言おうとしていたがそんな甘えたような態度をとられればカブもそのまま続行する他なくて照れ笑いをしながらも拭いてやる。
「きみ、草食動物なのにそんなにオオカミ懐っこくて大丈夫?」
「大丈夫なのでは?」
「……ぼくが突然襲い掛かってもきみ、文句は言えないよ?」
「文句を言う気もありませんし」
襲い掛かって食べていただいても構いませんとは言わない。
なんとなくだがカブはそれを言うと悲しむだろうと本能的に感じ取れたから。
アオキにはまだよくわからない感情。
ただ飽き足らずにまだ欲しいような、会えば満たされるかと思いきやまだまだ湧きあがるようなこの物欲しい感情の名前は何か。
もっと見ていたい、目がふたつでは足りない、一瞬も目を離したくないような。
「きみ、あんなところで何をしていたんだい?」
「……何を?」
「あんな大雨の中立ってるなんて不思議に思うだろう?」
「ああ……」
雨が降っているということすらあまり深く考えていなかった。
ただそこに立って居れば全て解決するような気がして立って居ただけ。
気づいたら時間が経って居たし、雨が降っていた、それだけの話だった。
「あなたに会いたいと思って、」
「ぼくに?」
そう、あなたに。
会いたかった、昨日初めて会っただけなのにただただ会いたい。
そんな気持ちに急き立てられてそこに居ただけ。
「ぼくに何か言いたいことでもあったのかい?」
「……言いたいこと、は」
言いたいこと、言いたいこと。
何か。
言いたいことは、たくさんあるはずなのに言葉にならない。
それでも強いて言うとしたら。
言いたいことは、
「アオキです」
「うん?」
「自分はなんの変哲もない羊のアオキと申します」
「あ、ああ! 自己紹介がまだだったね! 恩人さんに失礼だったよ」
ははは、と笑うカブにアオキはたちまち心を奪われる。
わからない、わからない、言葉にもできないこの感情。
それでもただひとつだけわかる事。
「ぼくはカブって言うんだ。見ての通りオオカミ族だよ。よろしくね」
「カブさん、あの」
なんだい?と笑うカブにアオキはやっぱり無表情で。
この無表情の中に実は気色がたくさん詰まっていることは後々のカブにしかわからない。
そしてアオキはまたカブの度肝を抜くことににある。
「つきましては自分を飼ってみませんか?」
なんて、言われてカブの家に居ついてしまったのだ。
大きな大きな羊が自分からオオカミの住処にやってきてしまった。
しかしお人よしのカブは拒否も出来ずに本当にアオキを飼ってしまっている。
「あの。カブさん……どうしました?」
「いや、ちょっと色々と思い出していただけだよ」
「そうですか……それで、どこへ行くんですか?」
いやいや、今キバナくんとの会話聞いていたんだよね、どうせ。
そうは思ったがカブはため息を落として呆れたように答える。
「いや、きみが来たなら今回は遠慮しておくよ。キバナくん、ごめんね」
言えばキバナは残念そうにはしていたが、また集まれば良いので軽い挨拶をして去っていく。
「きみね、これだとぼくだけしか交流持てないでしょ」
「……別にカブさん以外の方と交流を持とうとは思って居ませんから」
「それだと困るでしょ」
「困りません」
なんだか懐かれてしまっている。それだけは鈍いカブにだってわかる。
ただ何故懐かれたのかはわからない、わからないが兎に角懐かれているのだ。
そしてもう一つわかっているのはアオキに懐かれていることがカブは嫌ではない。
「さて、ご飯の準備でもしようか」
「では実を集めてきます」
「そうだね……一緒に行こう」
今日も今日とてアオキはカブに飼われている。
この関係に名前を付けるとしたらそれはなんなのか。
それを考え始めたら浅ましく更に欲しがって求めてしまいそうで。
今はまだこのままで。
オオカミと黒い羊は手を取り合って森の中で暮らしているのだった。