「もう、やめようよ」「おかえりなさい。お義父さん。お夕飯できてますよ」
仕事から帰ってきた水木を出迎えたのは新妻のようなエプロン姿の養い子だった。
「…………ただいま」
幼い見た目に似合わない、なめらかしい微笑みを見せる養い子。もう生まれてから20年は経っているが、未だに彼は10歳程度の姿のままだった。妙に大人びたその眼差しだけが生きた年月を物語る。
「今晩はナスの味噌汁と鮎の塩焼きですよ」
養い子は嬉々としてちゃぶ台に料理を並べる。なんてことない日常的な光景だというのに水木の表情は不安げだった。ふと、料理を並べる養い子の細く華奢な手に目をやると袖口から痛々しい傷跡が見えた。
「…………っ!」
人間でない彼の治癒力は凄まじいため、おそらく切ったばかりだと思われる。
「……おい、鬼太郎。今日は味噌汁に変なもの入れてないだろうな」
ちゃぶ台に料理を並べていた鬼太郎が水木の向かいに座ると、水木がそう切り出した。何かを咎めるような口調で。それと同時に鬼太郎のあどけない顔からあのなめらかしい笑みがふっ……と消え、ひとつしかない瞳に冷たい光が宿る。
「……入れたな? 」
養い子の鋭い視線に一瞬たじろぐも、水木は父親の威厳を持って厳しい声で戒めた。だが、鬼太郎は冷たく暗い視線を水木に向けるだけで何も言わない。
「おい、もうやめないか? 俺はお前が心配してるようなことはしてない。そんな金でお前を養おうとするわけないだろう。それに俺は人間をやめる気なんてない。いい加減わかってくれ。そんな馬鹿げたことのために毎度毎度自分の体を傷つけるのはやめなさい。その体は岩子さんが命をかけてお前にくれたものなんだぞ」
しかし鬼太郎は変わらず恨めしげに水木を見つめ続けるだけだった。もう何を言っても無駄だと思ったのだろう、水木はため息をつくと箸を取り、味噌汁の中を漁り始めた。行儀がよくないことだとはわかっているが、鬼太郎が何を入れたのか確かめなくてはならない。すると箸を入れてすぐ固い感触があった。それを箸で挟み、汁の中から引き上げる。その感触の正体はなんと――――――五寸釘だった。水木は背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。ここ最近料理に体液を入れられることは日常茶飯事になってきたが、こんなものを入れられたのは初めてだったからだ。
「お、おい、どういうつもりだ!! なんなんだこれは!!」
水木は「これは叱らなければ」という父親としての義務感から声を張り上げる。しかし動揺のあまり声も手も震えていた。正直なんて叱ればいいかわからなかった。やってることが自分の常識の範疇を超えすぎていて。これも人間と妖怪の違いなのだろうか。
鬼太郎は水木の動揺など、全く気に止めてない様子で箸で挟まれたその五寸釘をその小さな手に取った。そしてその五寸釘をまじまじと見つめながらまるで天気の話をするように語り出した。
「……ああ。これはあなたに対する天からの忠告なんじゃないですか?」
「忠告だと!?」
「幽霊族の嗅覚を舐めないで下さい。毎日毎日穢らわしい欲望に塗れた卑しい人間の臭いをこれでもかというほど着けて帰ってきて。そんなことで稼いだお金で養ってもらっても全く嬉しくありません。……それに僕の気持ちを知っていてやってることなら悪質すぎやしませんか?」
「……………………」
水木はもう言葉が出ないのか、口を結んで俯いていた。何も答えない水木に業を煮やしたのか、鬼太郎は五寸釘を小さな手に握りしめるとそのままガンとちゃぶ台に突き立てた。ついこないだまで従順で大人しい息子だった鬼太郎の変貌ぶりにたじろぎ、思わず後ずさりしてしまう水木。感情を面に出すことのない冷静で寡黙な少年だったのに。一体何がここまで息子を狂わせるのか。
「早々にそいつらとの関係を断たないとこの恨みの一念がそいつらの心臓に突き刺さるという天の忠告なんですよこれは!! 再三僕も父さんも言ってるじゃないですか、僕らは幽霊族です!!一文無しだって生きていけます!!あなたも僕らと同族になればいい話でしょう? 」
「やめてくれ!! もうそういう話は聞きたくない!! 本当にどうかしてるよお前は!! 」
水木は鬼太郎の言葉を遮るようにそう叫ぶと席を立って寝室へ引っ込んでいってしまった。
「き、鬼太郎…………」
ちゃぶ台の下で不安げにずっと様子を見守っていた実父のか細い声。
「…………一体なんなんだ。僕をなんだと思ってるんだ!!」
鬼太郎はそう叫ぶとちゃぶ台の上の食事を一気にガシャーンとひっくり返した。倅の剣幕にさらに怖気付いてしまい、身体の小さな実父はひぃと声をあげて部屋の隅に退散した。当の倅はしばらくちゃぶ台の前で俯いていたが、ゆらりと立ち上がり、茶箪笥から手のひら大の青い箱を取り出した。1本拝借し、ライターで火を付ける。幼い見た目に似合わない、慣れた手つきだった。
「…………父さん。僕間違ってました。」
小さな唇から紫煙を吐き出しつつ、鬼太郎がボソリと呟く。
「…………?」
倅の言っている意味がつかめない実父。
「回りくどくやりすぎました。食事に体液を入れることなんかよりも手っ取り早い方法がありました。今夜、水木を抱きます。水木には僕の子を産んでもらいますよ」
倅の言葉に肝を冷やした実父は、慌てて制止する。
「い、いかん!そ、それはしてはならぬ!! 人間社会では同意のない性行為は許されぬ!! ましてや水木はお前を息子として愛しておる!! お前にそんなことをされたら…………」
「父さん、なんで僕が人間が作った理に合わせてあげなければならないのですか?」
鬼太郎は実父の言葉を遮るようにピシャリと言った。
「き、鬼太郎…………」
「人間ごっこはもう終わりです。父さん」