湯気の立つ/ゆっくりと/身体の芯から朝、食堂へ向かう途中でバニラのような蜂蜜のような甘い香りがかすかに香った気がした。海賊船にあってそんな香りをさせる男などいるはずもなく唯一の女船員の顔が浮かんだベックマンは自然と周囲に彼女の姿を探していた。
「ベック、何か探してる?新聞なら食堂のテーブルにおいてあったよ」
背後からかけられた声にその香りが一層強くなったのを感じてやはりこの香りの元は彼女だったのだと確信を得る。
「いやもう見つけた」
「そう?ならいいけど」
「あァ、おまえさんをな探してた」
「なんで?」
正対した彼女を外套の中に迎え込むとベックマンはそのまま彼女を隠すように抱き込める。幾分か低い位置にあるその細い首筋に甘えるようにすり寄るとベックマンは呟く。
「あァ。ここか」
その薄い皮膚に吸い寄せられるようにベックマンの唇が触れた。
「んっちょっとこんなところで」
「香りを変えただろ、随分そそられる香りだったもんで。我慢のきかねぇ男で悪ィな」
そう嘯くように言ってこんなところでという先ほどの彼女の声をあっさり無視したべックマンはなおもキスを続けようとする。
「っこら。もうだめだってば」
彼女の声に色が混じり始めたのをききとってベックマンはようやく彼女から離れた。
「だめっていったのに」
「だから先に謝ったろ」
尊大にそんなことを言ってのけるベックマンに対して彼女は顔をしかめ睨みつけたつもりだろうがまるでその効果はない。それさえも可愛いと変換したベックマンが彼女の頬に手を添えて言う。
「今夜は部屋に来てくれるな?」
「書類溜まってなかった?」
「夜までには片付く量だ」
ゆるゆると彼女の頬を撫でていると彼女もまんざらでもなさそうに身をゆだねる。
「なら、行ってあげてもいい……かも」
「ハハ、是非お待ち申し上げておりますってか」
恭しくそういうと彼女の手をとってその甲に口づける。ちゅ、とわざとらしくならしたリップ音に彼女が頬を染める。海賊船にのっておきながらというべきかだからこそというべきか彼女はこういった少しきざったらしいようなよく言えばロマンチックなふるまいにどうも弱いらしかった。彼女の反応に気をよくしてベックマンは彼女を腕の中から解放すると「じゃまた夜にな」と言って食堂へと向かった。
夜、ほこほこと湯気の立つ身体をよくふいて着替えると彼女は自室へ向かった。夕方にお頭の部屋から先週分の書類が山のように出てきたとかでベックマンの仕事が予定していたよりも膨れ上がってしまったらしいと小耳にはさんだ彼女にはまっすぐに彼の部屋へむかってもまだ書類と格闘しているだろうと見当がついていたからだ。
身体の芯からぽかぽかと温まった状態で自室のベッドに腰かけるとどうなるか。答えは明快、眠気が彼女を襲ってきた。いっそこのまま寝てしまおうかと考えてしかしこのままなんのケアもせずに寝るわけにはいかないと眠気を押しのけ最近買ったばかりのボディクリームに手を伸ばした。昼につけた甘めの香水とはまたちがうリラックス効果のありそうなウッディな香りのするクリーム。手のひらにとってするすると塗り広げていく間、今朝のベックマンの言葉を思い出していた。新しい香水への反応あれは気に入ってくれていたよなと。そうして自然と彼女の腕は香水の瓶に伸びていた。
夜も更けてきたころ、さすがにもうベックマンも仕事を終えられただろうかと彼女は副船長室を訪れる。お疲れであろう彼への差し入れになればと湯気の立つマグカップと夕食終りにルゥが用意してくれていた軽食をもって扉をノックする。
「開いてる、入ってくれ」
ベックマンは椅子に上半身を凭れるようにして脱力していた。
「あァおまえか」
「ルゥさん特製のお夜食お持ちしましたよ」
「ありがとうな」
夜食をはぐはぐと2、3口で食べ終えるとマグに入った茶で喉を潤す。手持無沙汰な彼女が食べている様を見ているとふとまなじりを緩めて「見すぎだ」と笑われる。そしてひと心地ついたとみえると彼は椅子から立ち上がって一歩また一歩と彼女に近づいてきてその首筋にすり寄った。
「ん、朝と香りが違うな」
「いまは香水じゃなくてボディクリームの香りだからね、でもベック気に入ってたみたいだし香水もちょっとふってきたんだよ。今度はどこにふったか分かる?」
「確かめさせてくれるってわけか。ならまずは、」
彼女の腕をとり手首に鼻を寄せる。
「ハズレか」
ちゅ、とリップ音をさせて手首から離れると今度は彼女の後ろに回ってうなじをスリとなでる。
「ひあ」
「イイ反応だ、がここもハズレだな。となると」
「わっ」
彼女を抱き上げてベッドへ載せてやるとその無防備な足首をつかむ。足首からすねを伝って膝裏、太ももと口づけながらその香りを探していく。
「ヘェ」
その場所にたどり着く前に察しがついたのがベックマンはニヤリと笑う。「なァ、当てたら褒美でももらえるのか」おもむろにそんなことを言い出したベックマンに彼女はたじろぐ。「な、にがほしいの」ろくなお願いではないと経験則で分かっていても好いた男に柔く体中に口づけられ溶け始めた彼女の思考は誤った答えをだしてしまった。ゆっくりと口にされたベックマンの願いに彼女は頬を染めながらしかしすっかりその気になった身体にはやく触れてほしくてはやく暴いてほしくて「もうなんでもいいから」と口にしてしまう。それを聞き届けたベックマンは彼女の腰をさらしその恥骨に一等丁寧に唇を寄せると「あたり、だな」と獰猛な瞳を隠しもせずに笑うのだった。