「竜三、寄り道するぞ」
唐突にそう告げた仁の見やる方には、一匹の狐がいた。仁を待つように、街道から逸れた大樹の根元ではっはっと舌を出しながら忙しなく小さな足を踏みならしている。
竜三の返事も待たずに止めた馬からさっさと下りると、仁は一目散に狐の方へ行ってしまった。
狐は狐で待ちきれなかったのか、仁がたどり着くより早く狐が背を向けて駆け出した。すかさず仁も足を速めて狐を追う。
置いてけぼりにされた馬の上で、慌てて声を上げる。
「っおい!」
「すぐに戻る!」
仁は振り向きもせずにそう答え、竜三が呆然としている間に狐を追って叢の向こうへと姿を消してしまった。
今更追っても無駄だろう。仁の気まぐれに振り回されるのもいつものことだ。
ため息を吐く竜三の傍らには、同じく置いて行かれてた仁の馬だけが残されていた。
「仕方ねえ、仲良くおれと待つか」
なあ、と声をかけると、仁の馬は仕方ないと不満そうに鼻を鳴らした。竜三の馬も答えるようにぶるると嘶く。
どうも馬たちに馬鹿にされている気がするが、たぶん竜三の僻みだ。もう一度ため息を吐くと、昼寝でもして待つかと馬を下りて狐のいた大樹の木陰に腰を下ろした。
きゅう、と鳴き声が聞こえて目を開ける。顔を覆っていた菅笠を持ち上げるた目の前には、狐が座っていた。ふさふさとした大きな尻尾がぱたんと振られる。
大して時間は経っていないようだが、すっかり寝入ってしまっていたようだ。ふあ、と欠伸をしながら見回すが、仁の姿はない。
「ん? なんだお前だけか。仁はどうした」
仁ならば狐と話せるかもしれんがおれでは無理だろう、と思いつつも他に訪ねる相手もない。しかし意に反して竜三の言が通じたのか、狐はその場でくるりと回って背を向けると竜三を誘うように振り向いてきゅうと鳴いた。
「ついてこい、ってのか?」
問いながら立ち上がった竜三に、狐がそうだと言うように小さく跳ねて駆け出した。まさか仁に何かあったのか。唐突に不安に駆られ、竜三は慌てて狐のあとを追った。
竜三が何とか見失わないぎりぎりの速さで駆けた狐に導かれた先は、岩陰にある稲荷の祠だった。
そういえば仁が狐に案内されて稲荷神に参る、と言っていたか。ならば仁はここに参じたのだろう。駆けるうちにすっかり上がってしまった息を整え、竜三も祠に向かってぱんと柏手を打つ。
仁は何処だ。
そう念じたのが通じたのか、祠の向こう側から声が聞こえた。
「竜三か?」
慌ててぐるりを見回すが、はやり仁の姿は無い。
「仁? 何処にいる」
「待ってろ」
がさりと岩の向こうから音がしたかと思うと、目の前にいきなり仁が空から降ってきた。
「わっ」
驚いて後退り、竜三はぽかんと口を開けて固まった。
着地したまま竜三の前でしゃがんでいる仁の頭には、狐のように大きな三角形の耳らしきものが生えていた。
「おい、なんだそれ」
おずおずと指差すと、大きな耳がぴくぴくと揺れた。
「動くのか」
「おれの耳だからな」
思わず漏れた呟きに、仁が顔をしかめてため息混じりに応える。生えているのならそれもそうか。
納得しかけたところで、仁の傍らで揺れている毛のかたまりに気づいた。ふさふさとしたかたまりが、ゆらゆらと揺れて地面をたしんと叩いた。
まさか。
「尻尾もあるのか?」
「ああ」
仁が頷くと、大きな尻尾がぴんと立てられた。恐る恐る覗き込むと、やはり狐のものにそっくりなそれが、仁の尻のあたりから伸びていた。
もしや狐に化かされているのか。じろじろと仁を見るが、耳と尻尾以外はつい先程まで一緒にいた姿のままだ。
「お前、仁、だよな」
「おれを疑うのか」
「いや、だってよ」
竜三を睨めつけながらようやく仁が立ち上がる。
大きな耳に、大きな尻尾。今の仁は、まるで化け損なった狐のようだ。
「なんでそんなものが生えてんだ」
「おれにも分からぬ」
むすりと顔をしかめた仁の尻で、たしたしと尻尾が不満を訴えるように揺れる。
「狐の案内で稲荷に詣でたのだが、祈っているときに頭と尻に妙な感触がしてな。気づくとこうなっていた。」
仁がふうとため息を吐き、耳がぴこぴこと動いた。
「この姿で人目につくわけにもいかぬから、狐に竜三を連れてきてくれと頼んだのだ」
そう告げる仁に答えるように、いつの間にか竜三の横に座っていた狐がきゅうと鳴いて期待の眼差しを仁に向けた。
かたじけないと礼を言い、膝を折った仁が微笑みながら狐を優しく撫でる。
腹を出して見せた狐はひとしきり仁に撫でられてきゅうきゅうと声を上げて喜び、満足したように尻尾を振って走り去っていった。
「で、どうすんだそれ」
「分からぬ」
狐を見送った仁がしゃがんだまま竜三を見上げた。その頭の上には、へたりと折れた耳が張り付いている。
「稲荷のいたずらだとは思うが」
「いたずら、ねえ」
ああ、と仁が頷く。
「ならいずれ戻るのか」
「戻らんと困る」
唇を尖らせた仁にそれもそうだと思わず笑う。平静なようでやはり己の姿に動揺しているらしい仁に、竜三の方がかえって冷静になってきた。
仁はむっとしたままその場に膝を立てて腰を下ろした。揺れ動く尻尾が仁の苛立ちを表すように、はたはたと地面を叩く。
「神の仕業なら戻るのを待つしかないだろ」
苦笑しながら竜三も仁の前にしゃがみ、こつんと額を合わせて頭を撫でる。
「そう、だが」
「焦るなって、な?」
何年も戻らぬとあっては問題だが、まだせいぜい数刻だ。焦ることはない。
「ああ」
そうだなと素直に頷くと、仁が竜三の手のひらに頭を擦りつけてきた。大きな耳の表面は柔らかい毛に覆われており、なかなか触り心地が良い。
思わず指で摘まむように触れ、狐のような耳を撫で回すと、ぴくりと揺れた耳が竜三の手から逃げるように動いた。
「ん? 痛かったか?」
「いや」
触れられたくなかったのかと手を引くと、仁の伏せられた睫毛が震える。
「そうではない、が」
「が?」
首を傾げる竜三の片手に、押し黙った仁がそっと触れ、指を絡めて握りしめた。どこか縋るように触れてくる手を握り返しながら、もしやと気づいた。
「稲荷に祈ったと言ったな」
「ああ」
「何を願ったんだ?」
祈ったことで狐のような姿になったのであれば、祈りが叶えば戻るのではないか。
そう思っての問いだったが、仁は何故か気まずそうに口を噤んで竜三から目を逸らした。しかし繋がれた手はそのままだ。
「仁?」
そんなに言いづらいことを願ったのだろうか。
仁は首を傾げる竜三から目を泳がせて逡巡していたが、ひとつ息を吐くとようやく口を開いた。
「竜三、に」
繋いでいない方の手で仁の頭を撫で、もう一度額を合わせて間近から仁の目を覗き込む。黒い目が、逃げることなくまっすぐに竜三を映す。
「おれに?」
「おまえに、触れられたい、と」
語尾が消え入るように仁の声が細く小さくなっていく。しかしそれはしっかりと竜三の耳に届いた。
「はあ?」
寄せていた顔を離し、拍子抜けした気分で思わず呆れた声を上げると、仁がむうっと唇を尖らせて頭に触れていた手をぐいと押す。追い払われるように手を引き、はあと間抜けな声を漏らす。
「そんなの、祈らずにおれに言えば良いだろう」
「言えなかったから祈ったのだ」
開き直ったのか、完全に拗ねた様相の仁が吐き捨てるように呟く。
「なんで」
「さあな」
仁はそっけなく答えてつんと顔を逸らしてしまったが、照れているらしく頬がほんのりと赤くなっていた。おまけに膨らんだ尻尾がたしたしと忙しなく揺れ、頭の上で大きな耳までもが踊っている。
つまり、先程仁が触れていた狐のように、仁は竜三に触れられたいのか。
にんまりと笑いながら、腕を伸ばして仁を抱きしめる。
「りゅ、ぞう?」
「何だ、おれに触られたいんだろう?」
戸惑った声を上げる仁の首に片腕を回して引き寄せながら、もう一方の手を尻尾に伸ばす。
「ひゃっ」
仁がびくりと体を跳ねさせ、ひっくり返った声を上げる。掴んだ尻尾は手のなかでびくびくと震えて強張っていた。
「ん? こっちは触らん方が良いか?」
抱き寄せた頭の上でぺったりと完全に寝てしまった耳を見て慌てて尻尾から手を離すと、仁がほっとしたように息を吐いた。竜三の手から逃げた尻尾がくるりと丸まって見えなくなる。
「お、驚いただけだ」
「そうか」
それだけとは思えぬ慌て振りには触れず、頷くに留める。
「じゃ、こっちに触って良いか?」
一応お伺いを立てながら大きな耳を指先でつつくと、ぴぴっと振られて逃げた耳が覚悟を決めたようにゆっくりと立てられた。
「ああ」
竜三の背中にしがみつきながら頷いた仁が肩口に顔を押しつけてくる。ほんとうに触って良いのか怪しい態度に苦笑しながら、できるだけそうっと優しく差し出された大きな耳に触れる。
耳を覆う短い毛はふわふわと柔らかい。大きな耳の内側は毛がなく、白い肌に血の色が透けて薄桃色だ。
へえ、と観察しながらすりすりと指先で撫でていると、仁がくうと喉を鳴らした。ほんとうの狐のようなそれにくすくすと笑う竜三の背中を、仁の手が抗議するようにかりかりとひっかく。尚も撫でていると、仁が今度は唸るような声を漏らした。
「しつこい」
「何だ、触って欲しいんじゃないのか?」
つい揶揄の響きを帯びてしまった竜三の声に、ぴくりと大きな耳が動く。いつの間にかまた尻の先に戻っていた尻尾も不満げにゆらゆらと揺れている。触れる手を止めて見守っていると、仁がおずおずと顔を上げた。
頬はほんのりと赤く染まり、しんなりと寄せられた眉の下にある目はしっとりと潤んでいる。
閨を彷彿とさせる色香に思わずこくりと息を呑むと、仁の顔がすっと近づいてきた。
濡れた柔らかい感触が唇に触れる。驚いて瞬く間にも、けものの挨拶のように仁が舌を伸ばしてぺろりと竜三の唇を舐めていた。
ちらりと竜三の目を覗き込んだ仁の目が、恥じらうように伏せられる。しかし仁の舌は驚いて開いた唇の内側までも舐めようとするかのように遠慮なく伸びてきた。竜三が固まっている間もぺろぺろと口のなかを舐め回し、ちゅうと音を立てて吸いついてくる。
ようやく我に返って仁の舌を諫めるように軽く歯を立てると、ひくりと震えた舌がようやく動きを止めた。今度は竜三が遠慮なく仁の舌をじゅうっと吸い上げ、柔らかく唇を食んだ。
「は、ふあ」
ようやく唇を離す頃にはふたりとも口の周りが唾液でべたべたに濡れていた。大きく息を吐き、仁を見る。
仁はへたりと大きな耳を下げて目に水気を孕ませ、はふはふと濡れた唇を震わせて喘いでいた。は、と息を吐いた口の端から、新たな唾液がとろりと溢れた。つう、と顎に流れていくそれに、思わず己の唇をぺろりと舐める。
「仁」
竜三の声は、興奮に掠れていた。ふらりと彷徨った仁の目が竜三を映す。じいっと見つめる竜三に、仁はただ小さく頷いて目を閉じた。無言の承諾を受けとめ、竜三はもう一度仁の唇に食らいついた。
口を吸いながら仁の体を抱きしめる。背中から腰へと手のひらで撫で下ろし、紐を解いて袴を落とす。しっかりと肉のついた尻を両手で掴み、交互に揉み上げると合わせた唇のなかで仁が呻いた。
「ん、うう」
ひくりと仁の体が小さく震え、力の入った尻肉がきゅっと凹みをつくる。ぱたぱたと尻尾が揺れて竜三の腕を叩く。邪魔されているようで思わず片手で尻尾を掴むと、きゃう、と悲鳴染みた声が仁の喉から漏れた。
唇を離し、仁の顔を覗き込む。開いたままの仁の唇からは忙しない吐息が溢れている。尻尾を握る手にきゅっと力を入れると、びくんと体を震わせた仁の目が大きく見開かれた。
「きゃうん」
狐の鳴き声のようにかわいい声で仁が鳴く。
もしかして、気持ち良いのか。
ごくりと喉を鳴らし、指を毛に埋めてわしわしと梳るように尻尾を撫でる。
「ひゃっ、や、ああう」
抱きしめた腕のなかで、仁の体がびくびくと大きく震えて撓る。尻尾は竜三の手から逃れようと打ち震え、大きな耳は後ろを向いてぺったりと伏せられている。
目の前にある大きな耳に唇を寄せ、がぶりと噛みつく。
「ひ」
途端、仁が息を呑んで体を強張らせた。ひくひくと震えた後、くたりと弛緩して竜三にもたれかかってきた。
耳から唇を離し、口に残った毛をぺっと吐き出す。仁は目を閉じてはあはあと荒い息を吐きながら、唇から舌をだらりと垂らしてぐったりと腕のなかに沈んでいる。
「仁、どうした」
疲れ果てたけもののような仁の有様に首を傾げ、もしかして、と気づいて褌に触れると、褌の前はぐっしょりと濡れていた。
「そんなに良かったのか」
へえ、と呟く竜三をまだ焦点の合わない目で見上げ、仁がこくりと息を呑む。
「りゅ、お」
達した余韻が残っているのか、舌のもつれた仁の声に、にんまりと笑う。
「触ったら戻るんだよな?」
たっぷり触ってやるよ、と嘯く竜三を、仁は期待に濡れた目で見上げていた。
結局仁が音を上げるまで、竜三がふかふかの耳と尻尾、ついでに揉み心地の良い尻を触り倒すと、仁の姿はもとに戻った。
膝の上で静かに眠っている、大きな耳の消えてしまった仁の頭を優しく撫でる。
「素直に言えば、いくらでも触ってやるのによ」
嘆息しながら呟くと、仁が竜三の足に顔を擦りつけて小さく唸った。こうしているとまるで幼い頃に戻ったようだ。
ふと顔を上げて振り向く。
小さな稲荷の祠。
「ありがとうな」
眠る仁を足に乗せたまま礼を言うと、ひゅうと温かな風が吹き抜けた。
待たせている馬に怒られそうだな、と思いながら、竜三も仁を抱えてその場に寝転がった。