失敗「二宮さん」
我ながら甘ったるい声が出たと思う。ベッドに乗り上げて見下ろす二宮さんは、寝起きのせいか二度、三度と瞬きをした。だがすぐに状況を理解したのか、その眉間にきゅっと皺が寄る。
「退け、犬飼」
普通ならこの冷えた声色だけで怯んでしまいそうだが、そこはそれ。付き合いの長さ、そしておれと二宮さんが恋人であるという事実が背中を押す。
「いい加減ダメですか?」
ずいとベッドに体重をかけると、軋んだ音がした。それ以上を咎めるように、二宮さんの手がおれの腕を掴む。
「お前が高校を卒業するまでは抱かない。何度も言わせるな」
二宮さんがため息混じりに告げたのは、付き合ってからしばらくしておれがお伺いを立てた時に聞いたものと変わらない。そうでなければ付き合うのすら大学からにすると言われ、不満を呑み込んだのも少し前のことだ。
その時は大学入学するまでおれを好きでいてくれるのかと別の喜びに浮かれて了承してしまったが、おれだって男子高校生である。自分が抱かれる側であろうと、好きな相手とあわよくばそういうことをしたいと思うのは当然のことだ。
「でも二宮さんもしたいって思ってくれてるんですよね? それなら卒業までなんて、誤差だと思いません?」
ね、と念押しするように言い募ってみるが、二宮さんは首を縦には振らない。
「俺が嫌だと言えば、お前は大人しく寝るのか?」
不機嫌さを隠さない様子だったが、おれはことさら笑みを作って応じる。
「それはもう。でも傷付きはすると思うので、今夜は不貞寝ですね」
途端に苦虫を噛み潰したような顔をするのが、愛おしくて堪らない。
「俺を犯罪者にさせたいのか」
極めつけがこれだ。おれだって流石に本人から正面切って拒絶されれば、少しは考え直す。それが真であれ嘘であれ。けれど二宮さんは、その選択肢を取らなかった。
そんな様子だからおれは二宮さんに迫るのをやめられないし、二宮さんもそれは分かっている。でも全部理解した上でこの人は、おれを抱きたくないとは決して口にしないのだ。そういう二宮さんの甘さが好きで、漬け込みたくなってしまうのに。
「まさか! おれが言わなきゃ誰にもバレませんよ」
言い聞かせるように、おれの腕を掴む二宮さんの手におれの手を重ねた。
「ね、二宮さん」
おれの呼び掛けに、大きなため息が返ってくる。でも振り払われるまではと思って笑みを崩さないでいると、二宮さんがおれの方を見据えた。
「……分かった」
薄く開かれた口からこぼれた言葉の意味をおれが咀嚼する前に、こちらの肩を掴んだ二宮さんの手が世界をひっくり返す。あっ、という暇もなくおれの背中はベッドに沈み、眼前には二宮さんの顔が迫っていた。瞬きする間もなく、ぱくりと二の句は口ごと二宮さんに食べられる。れる、と舌が唇を這うのが分かった瞬間、咄嗟に二宮さんの肩を押した。だが、おれに覆い被さる体はびくともしない。
じゅ、ぐちゅり、と水音が脳に響いた。もぐり込んできた舌が、おれの口内を探るように歯列をなぞる。引っ込めたはずの舌を引き出され、ぬるぬると擦り合わせられるたびに快楽で視界がけぶった。ぼんやりと意識が霞がかったように遠くなり、どろどろと下半身が重くなっていくのが分かる。反射的にこくりとどちらともつかない唾液を嚥下すると、ふっと息だけで二宮さんが笑った。
待ってとも言えずに口付けだけが深まっていく。そしてふいに二宮さんの手がおれの腰を撫でた。それにはっと二宮さんの肩を押すと、最後に軽く舌先を吸われてゆっくりと体ごと離れていく。荒く肩で息を繰り返していると、対して二宮さんはおれを見下ろして肩を竦めた。
「高校を卒業するまで、だ。いいな」
細められた目の奥に、おれに向けられたどろりとした情欲を見とめて、ごくりと息を呑む。
「は、はい」
上擦った声で返事をすると、二宮さんは大きなため息をついてベッドから立ち上がった。それにつられておれも体を起こそうとすると、先に寝てろと睨まれる。
その声に素直に従って、ベッドに身を沈めた。胸に手を当てると、まだ鼓動が早い。次までには万全の状態で臨もうと、脳内にあれやこれやの準備を浮かべながらひとまずは布団をたくし上げた。