反復学習「トーノっ、ちょっといい?」
隊室のドアをくぐると、ワントーン高い声色で神田さんが俺を呼んだ。俺があからさまに顔を顰めると、神田さんの向かいに腰かける王子先輩がからからと笑う。
「……なんすか」
不躾な言い方になるのも無理はない。この人が俺をそうやって呼ぶ時は、大抵ろくな用事じゃないからである。
さあさあこっちにおいでよ、なんて促されて誕生日席のように配置された椅子に座った。室内を見回しても、弓場さんもののさんも帯島もいない。絶望的な状況だ。
「僕とカンダタ、どっちが好き?」
ほら、面倒くさい。いつも通り笑顔の王子先輩と、あまり見せないにこやかさの神田さんと、二つの視線が俺に向く。つまりは二人がかりで揶揄おうというのだ。
「どっちも好きですよ」
テーブルに鞄を置いて腰かける。時計をちらりと見た。ミーティングの時間まであと三十分くらいある。早めに来たのが仇となったか、と口を尖らせた。
「うわ、冷たいな」
神田さんがショックを受けたように、背もたれに寄りかかる。オーバーな反応をよそに、鞄から課題でも出すかと手を突っ込んだ。
「ねえトノくん、先輩としてって意味じゃなかったら?」
王子先輩の追い打ちをかける声は、どこか白々しい。王子先輩には――というか知っている人間はいないのだが――言っていないはずなのだけど。神田さんが言ったのだろうか、と後で聞こうと思考を逸らした。
面倒くさいという感情を思い切り表情に出しながら、ゆるゆると思考を巡らせる。
そんなこと聞かれたって、答えは決まっているのだ。だから頭を回転させるためのお題は、どう答えるのか、である。
「ええ、先輩として以外ってなんですか」
俺も同様にとぼけた返事をあえてした。核心を避けるように、逃げの手を打つ。こんな時ばかり息の合った、眼前に並ぶ揃いのしたり顔が憎らしい。
「そりゃ、色々あるだろ」
色々と、なんてあんたが言うのか。神田さんはふっと笑って、僅かにテーブルに身を乗り出す。
「ねえ、トノ」
ぞわり、と背筋が戦慄いた。俺が息を詰めた瞬間、ドアが開いた。
「失礼します!」
突然の声に、はっとする。見ると部屋に入ってきたのは樫尾で、王子先輩を見て、あっと声を上げた。
「王子先輩! やっぱりここにいたんですね……。もうミーティングの時間ですよ!」
そう言って肩をいからせながら、樫尾が王子先輩に歩み寄る。
「ああごめんごめん、もうこんな時間だったね」
立ち上がった王子先輩は、呆気なくドアへと向かった。退室する間際、首だけ振り返ってひらひらと手を振る。
「また遊びに来るよ」
「お騒がせしてすみません、失礼します」
いつも通りマイペースな王子の言葉に、礼儀正しい樫尾が軽く頭を下げて出て行った。はい、だのなんだの、そんな返事をしたような気がする。
正直助かった、と肩を下ろす。あの先輩を引っ張れるのは流石樫尾というか、同隊ゆえというべきか。
その上、間を置かずに弓場さんやら帯島が来て、どうにか気まずい状況を逃れられたのだ。
「トノ」
全身が鉛のように重い。毎度のことながら、鉛弾で動けなくなった時ってこういう感じなのか、とベッドに沈みながら適当なことを考える。
二人ともイってから少し。体の熱も落ち着いてきたはずだが、息はまだ荒い。天井を仰ぎ、まだ後始末してないんだから寝るな寝るなと眠気を追いやる。
「トノってば」
「ぅあっ」
何度も何度も、それこそ感触を覚えるほど俺に触れた指が、腰を撫でた。
「もう一回しようよ」
そう言った神田さんの手が、俺が止める間もなく散々暴かれた場所へと伸びる。
「や、ですって、もうへとへと……」
このまま後処理をして終わりだと思ったのだ。俺もベッドでくたばっていて、神田さんだって横になっていた。後で洗濯する前提でかけられたタオルケットを手繰り寄せて、あまりにも心許ないが防御とした。
「トーノっ、なあってば」
てっきり剝ぎ取られるかと思ったが、それごと抱きしめられて耳殻に息を吹き込まれる。ぞわぞわと悪寒よりも性質の悪い感覚が、甘く抵抗を奪った。
だから嫌なのだ、この人が機嫌よく名前を呼ぶ時は。歯噛みする俺に、神田さんは知らん顔だ。
断れない、抗えないから。それをこの人もようく知っているから、尚更である。
神田さんに告白されて、俺も好きで、付き合って。それからずっとずっとずっとずっと――、
「んん、ちょっと」
上体を起こした神田さんのもう片方の手が、頬に触れた。ゆるゆると焦らすように与えられる下半身の刺激に、頬を緩慢に撫でる手へと懐くように擦り寄ってしまう。それが了承だと受け取られてしまうことくらい、分かっているのに。
神田さんが、小さく笑う。
「いい子だな」
その声一つで、また次も俺はこの人に抗えない。はあ、と大きくため息をついて、タオルケットを放る。神田さんは満足そうに覆い被さってきた。
もう、好きにして。声にすればみっともない興奮が滲んでしまいそうだったから、口だけを動かした。それでも何となく伝わったのか、頭を撫でられキスをされる。
ふわふわとした気分にさせられるそれは、甘ったるく俺を呼ぶ神田さんの声によく似ていた。