おあいこ 前髪のあわいから指を差し込まれ、毛先を指が撫でる。肉刺の目立つ指はこめかみをなぞって、耳にかかった髪を払った。
「あんだよ、生駒ァ」
たまらず眼鏡越しに生駒を睨みつけ、文句を言う。一旦手は離れたものの、生駒はいつも通りの表情で少し口だけを歪めた。
「いやー、ギャップずるいなあ思うて」
あっけらかんと宣う生駒の言葉に、勿論心当たりはない。弓場は卓上に置かれたマグに指を引っかけて、一口含む。
「何の話だ」
そう弓場が問いかけても生駒は答える気がないのか、鼻歌混じりに白米の上にかけるふりかけを選び始めた。何事にも常に楽しそうなのが生駒の美点だが、食事中は食器の当たる音すらなく、いやに行儀よく美しく食事を行うことを知っている。弓場は低血圧のきらいがあり朝はあまり得意ではないが、こうしてどちらかの家に泊まる次の日の朝は、生駒ほどとは言わないが軽めの朝食くらいは口にするようにしていた。そうすると生駒が分かりやすく嬉しそうにするのを分かっていたし、何より生駒の美しい所作を見るのを弓場はいっとう好んでいた。
ようやっとどの味にするのか決めたのか、ぱちりと生駒が手を合わせる。いただきます、という声につられ、弓場も同じようにならった。
そうして生駒は模範のように箸を持って、一口、二口、と朝食を味わう。弓場とは違って生駒は朝にめっぽう強い。朝食もしっかり食べないと元気が出ないとはいつも言っていることで、弓場の知る限りでは生駒の前にはいくつも皿が並んでいるのが常であった。
弓場は弓場で、平皿に置かれたトーストに手を伸ばす。さくり、と食パンの耳が口の中で崩れ、仄かにバターの味がした。元々生駒は生粋の米党である。それが弓場が生駒の部屋に泊まることが多くなって、パンが買い置きされるようになったのだ。弓場が訪れなければ減ることもない食パン。それを噛みしめながら、生駒に視線を移す。
つい先ほど起きたばかりの弓場とは違って、生駒の前髪はしっかりと上げられていた。寝起きの頭のせいか、特に何も考えずに弓場は口を開く。
「生駒」
淡々と呼ぶと、生駒の視線が卵焼きから弓場へと向いた。口に物が入っているせいか、生駒はゆるりと首を横に傾けて弓場の意思を問う。それには答えずに、弓場は生駒へと空いた手を伸ばした。
ワックスで固められた前髪に、くしゃりと手を置く。生駒は目を見開いたが、顔を背けないのをいいことに頭の形をなぞるように髪をかき混ぜた。
ごくり、と生駒の喉が動いて、じとりと生駒が困ったような視線を向けてくる。
「何しとるん……」
途方に暮れたような声に満足して、そろりと手を離した。流石に寝起きの状態、とまではいかないが間違いなく準備はやり直しだろう。
「仕返しだ。文句あるか?」
そう言って弓場がトーストをかじる作業に戻ると、向かいからため息が聞こえた。
「俺が毎朝どんだけセットに時間使っとると思うてん」
少しだけ眉間に皺を寄せた生駒を、注視する。弓場の目は確かに、乱した髪の隙間から覗く耳の赤さを見とめてしまった。
脳内にフラッシュバックする記憶は、昨夜のものである。とさ、と取り落としたトーストが皿の上に逆戻りした。
「弓場ちゃん?」
のん気な声が、弓場の名前を呼ぶ。今の弓場には、息を詰め感情を押し殺すことしかできそうにない。そっちだって大概だろうが、とはついぞ口にはできなかった。