穴の空いた心臓「お前は空っぽだよな」
「なに、悪口?」
迅はじとりと太刀川を見た。個人ランク戦で散々戦って、小腹が空いたとラウンジに引っ張られて、それに快く付き合った迅に向けるには、あまりな言葉である。
とうの太刀川は、んーと気の抜けた声を漏らし、だらしなくテーブルに頬杖をついていた。どこに出しても恥ずかしい攻撃手一位の完成である。何かの炭酸をおざなりに啜った、太刀川の視線は迅に向いていない。
「がむしゃらだったじゃん、お前。未来のため、未来のためって、馬鹿の一つ覚えみたいにさ」
「そうだったっけ」
思うところがないと言えば嘘になるから、迅はとぼけた返事をする。それを知ってか知らずか、太刀川は迅に目もくれずに言葉を続けた。
「S級になった時なんて、露骨だったろ」
「……あれが最善だったんだよ」
俺のサイドエフェクトがそう言ってたんだよ、と口に馴染んだ文句を付け加えるようとすると、それを遮って太刀川がようやく迅へと顔を向ける。鋭い視線だった。
「そういうこと言ってんじゃねえよ」
行動の是非を問うているのではないなら、それこそ迅に言うことは何もない。肩を竦めて先を促すと、太刀川は剣呑さを緩める。
「昔っから空っぽでさ、我とか芯がないわけじゃねえけどなんつーの……、穴の空いた水槽みたいな?」
「俺に聞かれてもねえ」
珍しく頭を巡らせているらしく、太刀川がううんと首を捻った。学力の面ではからっきしな癖に、こういう時の太刀川が迅は少し恐ろしい。身に覚えのないことでも、胸に穴をあけられて、心臓をナイフでなぞられている気分になるからだ。
まだ太刀川と同じ学舎に通っていた頃なんて、一つ下の迅に勉強を教わっていたというのに。あの頃の髭のないつるりとした顔は、今でも迅にとって懐かしいものである。
「そこがよかったんだよ。どう俺のことでいっぱいにしてやろうって、そればっかり考えてた」
途端放たれた言葉に、脳内の太刀川がぱちんと霧散した。ともすれば熱烈な告白だ、と冷静な頭が告げる。したり顔の太刀川は、迅の様子をにやにやと見つめていた。跳ねる心臓とは裏腹に、思考は熱に浮かされようとも間断なく動く。トリオン体でよかった。内心、迅は嘆息する。
「今の俺はよくないって言いたいの、太刀川さんは」
「はっ、んなわけあるか。……ただなあ」
迅の問いを鼻で笑った太刀川は、少し顔を歪めた。何度も見たそれは、迅がランク戦の誘いを断ったり、太刀川と話している時に未来を見ていたり、そういう時によくする顔である。確か、風刃を使うと告げた時も、最終的にこういう類いの表情をしていた。
「迅。お前さ、いつ穴塞いだんだよ」
太刀川は頬杖を崩して、テーブルに置いた腕に顎を乗せる。行儀悪く背中を丸めて、こんな姿を見られたら忍田辺りには怒られそうなものなのに。
そして口を尖らせて、眉間に皺を刻んでいる。如実に不満を告げるその顔は、完全に拗ねた子供のそれだ。
「何のこと?」
問い詰めるような声色だが、依然として迅には解せぬ話である。そう言って迅がすっかり温くなった飲み物を口に含むと、太刀川が息をついた。
「お前を満たしてやるのは俺がよかった」
また、切っ先が心臓を掠める。速くなる鼓動から意識を逸らしつつ、迅は薄ら笑みを浮かべた。
「はは、太刀川さんだったら俺のこと満足させられるって?」
「思ってるよ。お前は幸せとかさ……、何でもいいけどプラスのものの許容量少ないから」
こん、と太刀川が指先をテーブルの上で跳ねさせる。当然のような口振りに多少迅としても、思うところがないわけではない。
意趣返しの一つくらいしたくなる。先程からちらちらと映って仕方ない意識外のビジョンもそれに薪をくべて、迅は太刀川に挑発的な視線を向けた。
「随分知った風な口聞くんだね」
少し声音を落としたそれに、太刀川は目を細める。
「そりゃ知ってるからな」
だが、それだけだった。明確に矛を差し向けた自覚があるため、がっかりというほどではないものの少々肩透かしを食らった気分だ。
「話が逸れた。で、久しぶりにちゃんと話したらお前、なんか楽しそうにしてんじゃん」
久しぶり、とは黒トリガー騒動の話を指しているのだろうか。太刀川は、また迅をじとりとした視線で刺す。
「そんなにいいもん? 後輩って」
非難の視線を躱し、それは太刀川だって知っているだろうと口角を上げた。
「太刀川さんだって隊作ったばっかりの頃、うきうきだったって聞いたよ」
「あー、それもそうか」
すぐに納得する辺り、この人らしい。隊を作ったと聞いて、少し拗ねたのは心の奥底にしまっておくとしよう。
「妬けるなー」
それでもまだ不満があるらしく、ぶつくさと文句混じりである。
「まあ、今のお前の方がいいけど」
付け加えたようなそれに、意地悪く迅は聞き返した。
「ランク戦できるから?」
すると太刀川がむすっと否定する。
「だから、そうじゃねえって」
太刀川が手をひらひらと振ってみせた。そして口角を、に、と上げる。
「穴空いてないなら、溢れるくらいにはしてやろうって話」
じわりと、太刀川の言葉に心臓が疼くような感覚がした。これが、満ちるということなのだろうか、と迅は煩悶する。慣れないような、懐かしいような感覚だ。
「太刀川さんが色々考えてるってのは分かったけど」
と、迅は一度言葉を切った。喉のすぐそこでぐるぐる回る言葉を、吐き出すか吐き出すまいか逡巡する。
「……ねえ、早くちゃんと俺のこと好きって言ってよ」
まどろっこしい真似しないでさ。
ぱちぱちと、太刀川が瞬きをして、瞠目している。そのさまを直視できなくて、迅は視線をテーブルの端に落とした。
その瞬間、あーくそっ、と太刀川が呻いて、がしがしと乱雑に頭を掻く。
「そういうこと言うんだもんな! 好きだよ、お前が」
太刀川は大きなため息をついて、へらりと相貌を崩して笑った。