遠い日の頬を撫でる ランドセルの、赤、青、黄、黒。たまにピンク、今通り過ぎたのは緑だろうか。交差点の丁度対角。下校なのだろう子供らが、楽しそうにきゃらきゃらと笑う声だけが耳に届く。
「懐かしいな、二宮さんは何色でした?」
犬飼はそれに目を細め、腕の中の重みに尋ねた。ふん、と常ならぬ高音で鼻を鳴らし、少年は手持ち無沙汰そうにシャツの肩口を握っている。
小さな少年は、くりくりとした大きな鳶色の目と、同色の切り揃えた丸い頭がずいぶんと可愛らしい。サスペンダーのようなこの服は、一体誰の趣味だろうと犬飼は思いを馳せる。
見た目の特徴だけを上げるなら、どこか進学校にでも入りたての小学生、という風に見えるだろう。だが、その顔にはあどけなさは欠片もなく、不機嫌そうに眉間へといくつも刻まれた皺や、真一文字に結ばれた口が、それを子供だと断じさせない。
「不機嫌ですね」
半ば笑い混じりに犬飼が言うと、少年はあからさまに顔をしかめた。
「この状況でよく言えるな」
ちくりと刺す言葉も、そんな可愛らしい姿で言われたら威圧感の欠片もない。かちりと信号が変わって、犬飼は二宮を抱え直して歩き出す。
そもそもの発端は、なんてことのない。稀によく起こるトリオン体のバグである。
今日はそもそもが任務の日で、早々に授業を抜ける予定だった。ただ犬飼が進学関係で出す書類の話があり、辻と氷見に遅れる形でボーダーに着いた。
そして隊室にて、見事なまでの仏頂面で二宮の席に座っていたのがこの少年である。流石に驚いたものの、誰よりも調子を狂わされている二宮の様子を見てしまうと、不思議と冷静になるかつ、貴重なものを見たという気持ちになってしまったのだ。
中身はそのまま、既に原因は解明済らしい。後は時間経過によるトリオン切れを待って、エンジニアに確認してもらえばいいという話にまとまっていた。犬飼も似たような経験があったが、それならば記憶がない方が楽だったろうにと難儀な上司に同情せざるを得ない。
歩くたび微かに弾む二宮が、思わずといった様子でぎゅうと犬飼の首に抱きつく。
「ごめんなさい、揺れますね」
苦笑混じりに謝罪を口にすると、丸い瞳が剣呑に犬飼を睨んだ。
「下ろせばいいだろうが」
ううん、と二宮の提案もとい文句に犬飼は渋る。
「そんなに重くないし、こっちの方が早いですよ。ゆっくり歩いてたら、帰るまでに戻っちゃいそう」
流石にそんなことはないのだが、二宮は閉口した。それに小さく息をつく。犬飼が宣った言葉の半分は本当だが、この状況を少しでも楽しみたいというのがもう半分だ。
本部で元に戻るのを待っててもよかったのだが、予定どおりならば明日辺りになる。誰かを監督に伴うなら帰宅してもいいとの許可が出たから、犬飼は自分が引き受けようかと手を上げたのだ。
といっても勿論二宮を犬飼の家につれてかえるわけにはいかず、今日は二宮の家に泊まると連絡は入れてある。二宮自身は当初渋っていたが、提出期限の近いレポートを少しでも進めておきたいらしく、最終的には犬飼の提案を呑んだ。
あとこちらに関しては犬飼の予想だが、単純に同い年の面々に見つかりたくないのもあるのだろう。散々珍しいだのなんだの騒いだ犬飼に加え、氷見や辻にも珍しがられて写真を撮られたりしていた。大方、これが加古や太刀川だったらと想像してしまったのだろう。他の面子であれば心配が先に来そうなものだが、あの二人なら結果は言わずもがなである。
「別にすぐ戻るらしいですし、気にしても仕方なくないです?」
ん、と首を傾げて二宮に視線を合わせると、大きなため息で返された。
「そういうことを言ってるんじゃない」
一蹴されたが、犬飼は呑気に先程の種々様々なランドセルの中から、脳内で二宮に似合いそうな色をピックアップしていく。
「二宮さん、茶色とか藍色とかも似合いそうですけど」
でも明るい色も捨てがたいな、とぶつぶつ続けていると、二宮がもう遠くにいる小学生の集団に目を向けた。
「黒だ。最近はあんなに派手なのか?」
「ねー、すごいですよね。選びたい放題」
女子は赤、男子は黒、だなんて決めつけはもう古いのだろう。ああやって様々な色の渦中にあれば、どんな色を選んでもきっと馴染む。
「お前はどうなんだ」
珍しく二宮に話を振られ、犬飼は瞠目した。だがそれも一瞬のことで、すぐに記憶を掘り起こしていく。
「俺ですか? んー、姉二人が両方赤だったから、俺も赤がいいーってねだったらしいんですよね」
あんまり覚えてないんですけど、と反芻した記憶は、わずかに苦味を持っていた。
「二人もお揃いだって言ってくれて、あと戦隊もののリーダーって大抵赤じゃないですか。最初は嬉しかったんですけどね」
「学校行ったらめっちゃ茶化されたなあ。そもそも髪と目で結構目立ってたんですけどね」
一息で言って、たははと笑みを浮かべる。じっと二宮の視線が射抜くように犬飼を見据えていた。くりくりとした目が可愛らしくて、でも中身はそのままだと思うと少し居たたまれない。
「さ、早く帰りましょ」
わざとらしく話を打ち切って、ここまでと線を引く。穴が開くほど見つめられる中、視線を前へと向けた。
「お前なら」
二宮がぽつりと呟く。普段のテノールとは段違いの、高く頼りない子供の声だ。
ひた、と小さな紅葉のような手が頬に触れる。トリオン体の、子供らしからぬ冷たさが、不自然だった。
「赤でもきっと、似合ったんだろうに」
ぐっと、横目で半ば睨むように腕の中の子供を見ると、なんだとばかりに目を細める。そんな不遜きわまりない所作でも、体が体なばかりに愛しさすら覚えてしまう。そう、この熱も、常ならぬ状況に遭遇しているからである。そうに違いない。
「顔赤いぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか!」