姉弟伝心「あーちゃん、私――さんが好きになったの」
「お姉ちゃん、――先輩のこと好きかも私!」
それは、姉妹間での符牒だった。
密かに囁き合う、女同士の秘密。囁き合う私たちを、いつも澄晴は不思議そうに見つめていた。
少しおっとりとしてるが芯の折れない姉の奏、自覚のあるくらい負けん気の強い私。我が家のトップである母に揉まれて、お互い衝突すれば長引くと私たちは小さい頃から繰り返す喧嘩で理解していた。
だから一つだけ、決まり事を作ったのだ。
始まりはいつだったか、小学生かその前かも定かではない。同じ人を好きになって大喧嘩をしてしまわないように、好きな人ができた時は言うというルール。相手に好きになって欲しくないから、という不文律である。
それはお互いに成長しても続いていたが、行使するのはもっぱら妹の私であった。姉ははいはい、と笑ってこの間一つ年上の彼を捕まえたばかりである。
「ねえ、何の話?」
幼い私たちがひそひそと囁き合う度に、小さな澄晴は聞いてきたものだ。自分も仲間に入れて欲しい、仲間外れは我慢ならない、そんな甘えた仕草で。膨らませた頬に、目を吊り上げて拗ねている。普段であれば友人伝手に聞く生意気な弟なんて、とてもじゃないが縁遠いこの子を仲間外れにすることなど早々ない。それでもこの時ばかりは私は姉と顔を見合わせて言うのだ。
「澄晴には秘密!」
そんな私たちにへそを曲げてぎゃんぎゃんと泣いていた澄晴も、もう高校生である。一丁前にボーダーに入りたいだなんて言い出して随分揉めたものだが、結局本人は意思を貫いて随分と頑張っていたらしい。
「あーあ、それにしても緊張した~。澄くんの隊長さん、しっかりした人なのね」
奏姉が、出していたお菓子を下げながら感心したように呟いた。
「ほーんと、私より年下とか信じらんないわ」
私も使った食器を流しに置きながら、先ほどまで来ていたお客さんを思い出す。
澄晴はボーダーでC級という訓練生から、B級の正隊員になったらしい。そこで澄晴を隊員にしたいということで、隊長の二宮さんが挨拶に来ていたのだ。
「もう、あーちゃんもかなちゃんも何でもかんでも聞き過ぎ! 二宮さん困ってたでしょ」
むすっとした顔で澄晴が口を尖らせる。でも私が持っていた食器を洗いながらであるから、どうも格好がつかない。その二宮さんにかなり懐いているようで、話を聞く両親たちには適宜補足をしつつ、次々と話題を振る私たち二人には随分噛みついてきたものである。
「だってさー、気になるじゃん。あんなイケメンが澄晴の隊長なんて。ねー、奏姉?」
「ふふ、そうねぇ」
笑い合う私たちに、げんなりした顔で澄晴がため息をついた。
「ねえやめてってばー……」
「えー、彼女とかいないの? 今フリー?」
「あーちゃん、程々にね」
奏姉は自分の部屋に戻るようで、ひらひらと手を振った。暗にあんまり揶揄わないようにと言われているのだろうけど、すっかり大人びてしまった澄晴がここまでむきになるのは中々ない。つい構ってしまいたくなるのは姉のさがだろう。
「ね、澄晴。そういう話、隊でしたりしないの」
流しに向かう肩をつん、とつつくと、澄晴が身を捩る。
「しーまーせーん!」
「えーつまんない!真面目なのねぇ」
でも確かに礼儀正しかったし、と私が一人頷くと、洗い物を終えた澄晴が手を拭きながらうんざりと肩を落とした。
「でもああいう感じ見ちゃうと、全然年下もありかもーってなるわー。スタイルもいいし、誠実!」
ああいう彼氏ほしー、と私もキッチンを出ようとすると、服の裾を軽く引かれる。振り返ると、案の定澄晴でじとりと私の方を見つめていた。
「……ねえ、明理さ」
もぞもぞと歯切れ悪く、澄晴が口を開く。
「さっきの本気?」
「隊長さんのこと?」
私が聞き返すと、こくりと澄晴が頷いた。
「まあ、ああいう人と付き合えたらいいかもーとは思ったけど」
首を捻りながら私がそう答えると、ぎゅうっと澄晴が服を掴む力が増す。これ以上は服が伸びるし、お客さんと聞いて引っ張り出したものなのだ。いつもだったらとっくに澄晴の脛でも蹴り飛ばしているところなのに、私はその表情から目が離せない。
「やだ。二宮さんのこと、好きになんないで」
耳の端まで真っ赤にして、澄晴の視線があっちこっちと行ったり来たりする。それに、息を呑んだ。
途端に揶揄う気持ちは萎んでしまい、私は澄晴にそっと呼びかける。
「――澄晴」
そして私は、迷いなく手を澄晴の頭へと伸ばした。
「服、伸びるわ馬鹿」
「痛っ!?」
ぱっと私の服を掴んでいた手が離れ、澄晴が頭を抑える。私が放った手刀によって涙目になった澄晴が私を睨むが、知ったことではない。
「今、服の話してた……!?」
「大事なことでしょ、お気にって言ったじゃん私」
理不尽、と呻く澄晴に、なんだか感慨深い気持ちになる。女の子にそこそこモテているのは知ってたけど、本人はどこか距離を置いているように見えたからだ。
「あんたも、もう子供じゃないのね」
「ほんっと何、もうあーちゃんのこと分かんないよ俺……」
肩を落とす澄晴に、声をかけてやる。
「好きになんないわよ。弟の好きな人、取る訳ないでしょ」
叶うかは私の知ったことではないけれど、それでも邪魔くらいはしないでやろう。そんな私の情けに、ばっと澄晴は真っ赤な顔を上げた。が、構わずくるりと踵を返す。
「好きとか、そこまで言ってないんだけど!?」
大声を背に浴びながらキッチンを出た。はいはい、と今度は私が言う番である。過ぎる少しの寂しさも、いつか祝いの気持ちになればいい。あれでも可愛い弟なので、どうか泣くことがありませんように。
叫ぶ澄晴が母親に怒られるまで、あと五秒。
澄晴が二宮さんと付き合うことになったと話してくるまで、あと三年。
二人が同棲すると報告しに来るまで、あと――――――。