星まつりもうこの村で暮らすつもりなのかもしれない。
先生の知り合いの家にやって来てから数週間が過ぎた。年の近い子ども達が集まって勉強をしている「学校」と呼ばれてる場所へ、先生は教えるために、おれは教わるために通うようになった。勿論、戦士になる修行は学校から帰って来た後でやっている。
“友達”っていうのが出来ると良いですねって先生は言うけど、周りに人間が沢山いるのは慣れなくて。休み時間は、人間の文字で書かれた子ども向けの書物を、ひとり読んで過ごすのが殆どだった。
そんな中、近いうちに“まつり”が行われるという。その準備を学校でもすることになったのだけど、まつりの名前ーー星まつりーーを耳にした途端、おれがプレゼントした勲章を手にした父さんの姿が浮かんで。あの時の悲しい気持ちが身体全体に広がって。
おれは涙が溢れてくるのに耐えながら部屋を飛び出した。背後から驚きの声とおれの名を呼ぶのが聞こえたが振り切って走った。
“家”に戻ったのは空が夕焼け色に染まってからだった。小さな村だから、もう何が起こったか知られているだろうな。気まずい気持ちでドアを開けたら、小さな桃色の塊りが飛びついてきた。
「ゆん、おかりー!」
「……ヒュンケルだ」
「ゆん、あちょぼ〜♪」
こいつは、この家の子どもでマァムという名だ。まだ小さいから上手く喋れなくて、父さんがおれにつけてくれた伝説の剣豪の名前も「ゆん」になってしまう。
最初はムキになってちゃんと言わせようとしたけど、考えてみればおれだって「ガンガディア」ってちゃんと言えなかった頃もあったから、暫くの間は我慢してやろうと思う。
「ヒュンケルお帰りなさい。
修行前に少しでもいいからおやつを食べていってね」
マァムの母親であるレイラさんがお菓子と飲み物をお盆に載せて現れた。学校を飛び出したこと、こんな時間に帰って来たことに触れる気配は無い。
「……先生は?」
「庭で待っているわ。
でも慌てないで大丈夫。お腹に何か入れてからの方がいいからね」
「ゆん、ちゅぎょ?あちょばにゃい?」
さっきまでご機嫌でキラキラしていた琥珀色の瞳。今は涙が光を反射する。
「泣くな、ほら」
おれは手にしていた焼き菓子を半分に割ってマァムに差し出した。
「ちょっとだけ我慢しましょうね、マァム」
不満そうに突き出した口にお菓子を挟んでいる娘を抱き上げ、レイラさんが宥める。
「そうだ!家の中からヒュンケルの修行を見てよっか?」
「いいにょ!?」
小さい子は予測出来ない動きをするため危ないからと、おれの修行中マァムは家から出してもらえなかった。今日はレイラさんも一緒だから家の中から見学する分には安全だろう。
時間も時間だったし、今日の修行はいつもに比べると短く簡単だったけれどマァム的にはとても満足したらしい。
「ちゅごいねーちゅごいねー」
と繰り返しながら素振り(?)の真似をしている。
修行に使った木刀を片付け、外の水場で手を洗ってからアバンに伝えた。
「先生、おれ、まつりの準備したくないです。
準備だけじゃなく、まつりもやりたくない」
「……わかりました。無理することはありません。
学校も少しお休みしましょうか?」
集まって何かをやることや、人が沢山居る場所が苦手なことを察しているのだろう。アバンはアレコレおれから聞き出す事も無く、暫しの沈黙の後そう応えた。続けて
「その間は好きなことをしていてOKですけど、
こういった風習に関する本は読んでおいて下さいね。これも勉強ですよ。
あと当日はちょっとだけ手伝ってもらえませんか?
折角ですから、ここでまつりの気分だけでも味わいましょう」
と、この庭を指さし言う。
それも拒否したかったけど、要求を受け入れてくれた交換条件だ。おれは黙ってうなづいた。
「おまちゅり!?」
「そうですよマァム。ここでも『星まつり』しましょうね」
「ほちって?」
「おひさまが沈んで暗くなると、お空でキラキラ光ってるのが星ですよ」
「キラキラきれーね!」
(こいつ分かってるのか?)と訝しく思いながら、おれはアバンに続いて“家”に入った。
まつりの当日、村は朝から賑やかだった。どんなに勧められても首を縦に振らなかったおれは、この“家”に残ってアバンに朝から勉強を教わり(まつりの今日はさすがに休校だそうだ)、その後は修行で汗を流していた。
「ゆん、いかない?」
と眉尻を下げていたマァムだったが、戻って来る頃にはご機嫌で、まつりの歌まで唄っていた。
どんな様子なのか、何を見てきたのか、一所懸命におれに伝えてくれようとする。だがまだ上手く言えないから、言葉だけでなく全身を使って表現する姿が、内容は全然分からないけど微笑ましくて、おれは思わず「クスッ」と声を出してしまった。
「ゆん!たのち?!」
それまで夢中で説明ダンスを踊ってたのに、突然おれに飛びついてきた。笑って気が抜けてたおれは不意をつかれマァムを抱えたままコテンっと床に転がってしまう。
「わぁ!!
痛いとこ無いか!?」
慌ててこの桃色モンスターの全身を確認する。
「いたないいたない」
とキャッキャッと笑ってる。
「こら、危ないだろ!」
「マァムいたないよ~」
他の大人たちも驚いているのに、こいつは全然分かってない。
「ヒュンケルこそ大丈夫だった?
ごめんなさいね。この子ったら、すっかりはしゃいじゃって……」
困り顔のレイラさんがマァムを抱き上げ、ロカさんに渡した。そしておれの頭や背中、腕を素早く確認すると笑顔に戻った。
「どこも打ったりしてないわね。良かった!
流石ね、咄嗟に受け身をとったのね。
マァムのこと庇ってくれてありがとう」
「……いえ ///」
「いやあ、今のはベリーベリーグッドでしたよヒュンケル!」
アバンに話し掛けられるのは苦手だが、今回だけは正直助かったと思った。
辺りが薄暗くなってきた。少し早めの夕食を済ませ庭に出た。人の声や楽器?の音が遠くから聞こえてくる。
「雲が出てこなくて良かったですね〜」
今日の修行メニューに加わった水くみ。その時に運んだ水でいっぱいにした木の盥の傍におれを誘う。
「地面に寝っ転がって満天の星空を眺めるのもいいですが
こんな風に水面に映る夜空を見るのも風流ですよ。
とある地方の風習なんですけどね」
ウィンクしながら説明してくるのをスルーした。言い訳させてもらえば、それどころじゃなかったからだ。水面に映る景色がおれの記憶を蘇らせる。
まあるく切り取られたような夜空。それはおれが小さい頃から見慣れていたもの。地底魔城の底から火口入口まで続く螺旋階段の背後に広がっていた空だった。
盥の横に跪き無言で水面を見続けた。徐々に色濃く染まっていく。父さんが帰って来るのを待ちきれなかった夜。おれの世話をしてくれてる魔物の目を盗んで出入口まで行き見上げた空と同じ色。おれの家から見た景色。
水面に波紋が次々と広がっていく。それは絶えること無く。
いつもと様子が違うことに気づいたアバンがそっとおれの背を撫でる。他の人の目もあるのに「やめて下さい」と言う余裕が無かった。
とてとてとてと音が近づき、頭を撫でる気配がした。
「ゆん、いたい?いたい?」
頬にも小さな手が添えられた。
「いたないいたない」
痛い?
怪我はしてないよ。
いや、これは怪我なのかもしれない……
外からは見えない傷口から、今も血を流し続けてる。
痛いよ……父さん。