高尾 AM10看護師の場合 十時
「よっ、目覚めた?」
明け方まで戯れたせいか、今日の黒子は目覚めが悪い。そりゃ久しぶりに休みが被ったんだから、仕方ないと言えば仕方ない。オレだって男だし、まだ若いし。
でも、目が半分しか開いてないし、たぶん意識も正直はっきりしてない。なのに、オレと目が合うと無意識なのかわざとなのか、黒子はほんのり笑顔になる。それが、たまらなく嬉しいオレだけの特権。それを知ったのは同棲を始めて二週間目の、夜勤明けで帰った時の事だ。それ以来、オレが先に起きた日やいろんな因果が関係した時に見られるこの現象は、なるべく逃さないようにしてる。そう、いわば人事を尽くすってやつだ。
「……たかおくん。かお、ちかいです」
「なになに、近いと困る?」
「こまります……。がんめんあつ、です」
「あはは、なんだよそれ。どっかのモデルじゃあるまいし。な、とりあえず起きたならコンビニ行かね?」
「コンビニ……? 行きます」
「よっし! んじゃ、服着替えて行こうぜ」
コンビニ、と口にした瞬間意識がはっきりしたのだろう。黒子は起き上がるとクローゼットから服を選び始めた。
外はついさっき降り出した雨のせいで曇っていて、気分は少し憂鬱だ。せっかくの休み。晴れたら出かけようと言ってたんだけどこれじゃ無理だろうな。でも、黒子は意外と家にいるのも好きだから、ありといえばありかもしれない。
「お待たせしました。行きましょう」
「いんや、待ってねーけど……って、黒子お前結構横着だな」
「コンビニ、すぐそこじゃないですか」
そう言って帽子の向きを変える黒子に、オレは笑いが込み上げる。なんせ、今着ている服は上から下まで全部オレのだから。
「なに、その帽子気に入った?」
「そうですね。少し大きいですが嫌いじゃないです」
「素直に好きって言えってば。ほら、行くぞ」
「はい」
コンビニまで歩いて五分。住宅街の中にあるせいか、客はそれほど多くもない。まして、平日の昼、雨ときたらほとんどいないだろう。たとえ寝癖が跳ねていても、前の黒子は気にしてなかっただろうけど、オレが帽子を貸してやったら意外と気に入ったようで、それ以来よく被っている。自分用もあるのに、なぜか被るのはオレの。それがたまらなく嬉しいとか恥ずかしくて言えねえけど、茶化すくらいは許されたい。
「高尾君。傘一つでいいですか」
先に出た黒子の手元には、ビニール傘が一つ。なんで、とか理由を聞かせてもらえない雰囲気に、とりあえず頷いた。
財布、鍵、スマホ。いるものをポケットに入れて、家を出る。エレベーターで一階まで降りて、エントランスから出てみると、家から見た時よりも雨足は強くなっていた。
「雨すごいですね」
「もう一本持ってくる?」
「いえ、濡れたらその時です。さ、行きましょうか」
濡れるのはオレの服なんだけど、とは突っ込まなかった。洗えば元通りだし、気にしてない。でも、なんかこう黒子とオレの境界がなくなってる気がして、嬉しくて、浮き足だったままビニール傘を広げた黒子に近寄り、さりげなく手を添える。こういう時、身長差があまり無い方が楽だと知ったのは、黒子と付き合うようになってからだ。
「コンビニ、何か欲しいもんでもあんの?」
「いえ、特に」
「え? てっきり黒子も欲しいのあると思って浮かれてるんだと思ったんだけど」
「高尾君がボクについてきて欲しいんだなと思いまして。だから、起きるまで待ってたんじゃないんですか?」
じっとオレを射抜く瞳に、思わず立ち止まる。柄をもつ指に力が入り、外だというのに黒子を抱きしめたくなった。
「……たぶん、そうかも」
「今日まで高尾君連勤で夜勤もあってやっとの休みなのに、まぁ、盛り上がったのもあると思うんですけど」
「返す言葉もありません」
「ボクは……その、嬉しかったですよ? 幸せだなって。だから、そのお返しといいますか……。少しでも、キミが癒せるのなら、と」
珍しく歯切れの悪い黒子は、よく見たらほんのりと顔が赤くなっていた。その顔見たオレは、いてもたってもいられなくて、ビニール傘だというのに信号待ちで止まった瞬間キスをした。
ほんの一瞬。だけど、黒子は眉根を寄せて怒ったような、呆れたような顔をした。
「こういうのは、家でしてください。めっ、です」
「ごめんなさいくろこせんせ。怒らないで?」
「はぁ……仕方ありません。バニラシェイクで手を打ちましょう」
黒子が指した先に見えるのは、コンビニの横に出来たマジバだった。
「お持ち帰り?」
「どちらでも構いません。ただ、ボクとキミの格好がお揃いなので、まぁ、家の近所だと面倒ですよね」
「はいはい。お持ち帰りな。コンビニで昨日無くなったやつ買ってマジバ行ったら帰って二度寝だな」
オレのコンビニで買うものをバラしてやると、黒子はキャップの鍔を握り直し、顔をそむけてしまった。