いつもと違うクリスマス冬休みに入る少し前、学校の中庭にはうっすらと雪が残り、吐く息は白く、空はどこまでも高かった。
寮の仲間たちはそれぞれ荷物をまとめ、久しぶりの帰省に向けて浮き足立っていた。
スティーブも例に漏れず、バッキーと一緒にブルックリンの実家に帰る予定だった。
ふたりが並んで歩くその足取りは軽く、どこか懐かしさを帯びていた。
駅のホームで電車を待ちながら、スティーブはふと、ポケットの中で手を握りしめる。
思い切って、何気ないように装って口を開いた。
「なあ、バッキー。クリスマスって、どう過ごすんだ?」
バッキーは少し考えて、視線を線路に落とした。
「特に何も。親戚の家に顔出すけど……まあ、いつも通りって感じ。別に楽しいもんでもないしな」
少し間があった後、ぽつりと続けた。
「両親いないしさ。親戚んとこ行っても、気使うだけで疲れるだけなんだよ。クリスマスも適当に“友達と会う”って言って、出てこようかと思ってた」
その言葉を聞いて、スティーブの胸にちくりとした痛みが走る。
そして、言葉を選ぶように、けれど真っ直ぐに気持ちをぶつけた。
「……じゃあ、僕ん家で食事会でもしないか?」
バッキーが驚いたように顔を向けた。
「いや、迷惑だろ……おばさんもいるだろうし。せっかくの家族の時間に俺がいたら――」
「そんなの、今更すぎるだろ」
スティーブは少しだけ声を強めた。
「僕はバッキーと過ごしたいんだ」
どストレートな言葉だった。
一瞬、風の音すら遠のいた気がした。
バッキーは視線を逸らし、眉をひそめたまま小さく息を吐いた。
「……そこまで言うなら、仕方ないな。邪魔させてもらうよ」
「やった!」
スティーブが笑う。その顔があまりにも嬉しそうで、バッキーもつい、肩をすくめながら口元をゆるめた。
「……なんだよ、それ。子供みたいな顔して」
「嬉しいんだよ。ずっと、こうできたらって思ってたからさ」
帰省する電車の中、ふたりはいつになくよく喋った。
小さな頃からの思い出、最近のクラスの話、クリスマスの夜に何を作ろうか、そんなことまで――。
そしてバッキーはこのとき、まだ知らなかった。
彼の気持ちを込めた“贈り物”であることも。
――ほんの少しずつ、けれど確かに。
ふたりの間にある距離は、年の瀬の風に背中を押されるように、縮まっていこうとしていた。
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夜の空気は、ぴんと張りつめているのに、どこか心地よい。
家の灯りが遠ざかっていくたび、ふたりの影が雪の上に長く伸びる。バッキーは手をポケットに突っ込んだまま、隣を歩くスティーブをちらりと見た。
「スティーブ、今日はありがとうな……というか、本当に良かったのか?あんな家族の集まりに俺なんかが混ざってさ」
「何言ってんだよ。おふくろも、すごく嬉しそうだっただろ?」
「ま、それはそうだけど……」
照れくさそうにバッキーがうつむく。その頬がうっすら赤いのは、寒さのせいだけじゃないとスティーブは知っていた。
「……あのさ、バッキー」
ふとスティーブが立ち止まる。
バッキーが振り返ると、どこか気まずそうな表情をして、小さな紙袋を差し出してきた。
「クリスマスだし……俺からも、何か渡したくてさ」
「え?……お、おう」
思わず手を伸ばしたバッキーが袋を開けると、中には丁寧に包まれたレザーのキーチェーン。
革の質感がよくて、触れた瞬間、しっとりと手に馴染む。よく見ると、 端に小さく《B》の刻印があった。
「……お前、コレ、わざわざ?」
「君の鍵、いつもむき出しだったろ。ちょっと気になってさ。……あと、ちょっとくらい君らしいのがいいかなって」
言葉が喉につかえて、バッキーはただ小さくうなずいた。
「スティーブ、サンキュ。……大事にするよ」
今度は、スティーブ宅に来た時からずっと持っていた紙袋をバッキーが差し出す。
「俺からも、これ。……本当はお前の家で渡すつもりだったんだが、渡すタイミングがなくて今になった、すまん。……最近のお前、寒そうだし、また風邪でも引かれると困るから。別に大したもんじゃないけど……」
中に入っていたのは、落ち着いたブルーのマフラー。端には、赤いラインが一本だけ、さりげなく入っている。
「……ここ最近、いろいろ気を使ってくれてただろ?まあ、その、礼ってことで」
スティーブはしばらく言葉をなくして、それからぎゅっとマフラーを抱きしめるように持った。
「ありがとう、バック。……めちゃくちゃ、嬉しい」
ぎこちなく笑い合ったあと、ふたりはまたゆっくりと歩き出す。
ふたたび歩き出したあと、少しの間を置いて、バッキーがぽつりと呟いた。
「そういやさ。お前、寮で読んでた雑誌に載ってた映画、まだ気になってたりするか?」
「……え? うん、まあ。気になるっていうか、観たいけど……」
「じゃあ、観に行くか。また」
何気ないトーンだったけど、スティーブは思わず足を止めそうになった。
バッキーは、前を向いたまま続ける。
「俺、前に付き合わせたしな。たまにはお前の番でもいいだろ。年明けたら……まだやってるらしいし」
――普通の会話のように聞こえたそのひと言が、スティーブの胸の奥にまっすぐ飛び込んできた。
(僕からじゃなくて、バッキーから……)
何でもないふうに見せかけて、それは確かな希望だった。
「うん、行こう。すっごく楽しみ」
つい声が弾んでしまって、バッキーに横目でからかわれたけど、それでもスティーブは口元のゆるみを隠せなかった。
別れてから、スティーブのあの笑顔が頭から離れない。
「じゃあ、また学校で。映画、楽しみにしてる」――そう言って手を振ったスティーブの姿が、目に焼きついている。
歩き慣れた帰り道、ふと足取りが軽くなっていることに気づく。
実家に帰ってきたばかりなのに、もう学校が恋しいなんて、自分でも意外だった。
寮生活は騒がしくて、気を抜けば誰かにお節介を焼かれる。
だけど、その賑やかさの中心にスティーブがいると思うと、不思議と落ち着く自分がいた。
「映画の約束しただけで、こんなにも戻るのが待ち遠しくなるなんてな…」
小さく呟いた言葉は、白い吐息に溶けて消える。
アイツが転校してきたあの日から、確かに何かが変わった気がした。
なんてことのない日常が、少しずつ彩りを増している。
その理由に、まだ名前はつけられない。
けれど確かに、今の自分は――あの頃より、ずっと満たされている。
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