『愚人どもの恋罪』--「恋は闇」-- There is always some madness in love. But there is also always some reason in madness.
──恋愛感情の中には、いつも若干の狂気が潜んでいる。とは言っても、狂気の中にもまた、いつも若干の理性が潜んでいるものである。【ニーチェ】
卍卍卍
俺は生まれてこの方、「勝つ」ことが一番で、「強く」なることがすべてだと思って生きてきた。
喧嘩の弱いヤツや、自分の身も自分で守れないようなヤツは俺にとっては関心の外、ダチと呼べるヤツらも軒並み腕っ節に自信のあるヤツらばかりだった。
「勝つことってそんなに大事なことじゃないと思うぜ、マイキー」
くわえ煙草姿でいつもバイクをいじっていた年の離れた親代わりの兄貴は、喧嘩しては勝ったことを自慢する俺にいつもそう言った。
腕っ節が強いヤツが幅を利かせる不良の世界に身を置くはずなのに、兄貴は十も歳の離れた俺にさえ負けるほど喧嘩が弱かった。
それでも兄貴は何故か初代黒龍総長として名を馳せ、解散後も兄貴の存在は不良の中では伝説となり、兄貴は常に仲間たちに囲まれていた。
そんな兄貴は、俺にこの言葉の意味を教えてくれることなく、突然この世を去った。
卍卍卍
──「無敵のマイキー」
その名が知れ渡るにつれて、「万次郎」であることよりも常に先陣を切り、負け知らずである「マイキー」でいることが求められているのだと感じるようになっていった。
東卍結成メンバーも気心の知れたダチのはずなのに、そいつらから「総長」と呼ばれる度に、俺だけがみんなの輪から切り離されたようで、弱音を吐くことも許されないような気がして、一緒にいればいるほど胸の中に居着く「孤独」が根を張っていく感覚に襲われた。
「無敵のマイキー」、「東京卍會初代総長」という肩書きが、俺がずっと求めてきた「強さ」を象徴し誇らしい一方で、いつしか自分が「何者になりたいのか」、「何が欲しくてこんなことをしているのか」分からなくなっていった。
卍卍卍
ケンチンから最近東卍を名乗る連中の喧嘩賭博が頻繁していることを聞いた。
ケンチンは東卍の副総長でありながら、本来俺がやるべきことも気分屋な俺に代わって黙ってこなしてくれていた。
喧嘩の仲裁や面倒ごとは俺に報告はしてくれているが、基本俺が現場に出向いて介入することはなく、ケンチンが気付かない間に片付けてくれている。
だからいつもの俺であればケンチンに全てを任せて、このままよく買うおっちゃんのたい焼き屋に行くのが通常運転なのだ。
ただ、その日の俺はなぜかその喧嘩賭博のことが気になった。
それが今思えば予兆なのか、いつもの気まぐれが発動してのことなのかは分からないが。
「一緒についてく」と言った俺にケンチンは、「明日雨どころか鉄球でも降ってくんじゃねぇか」珍しいこともあんだな、と軽く笑みを浮かべそう言った。
ケンチンと一緒に喧嘩賭博の会場となっている広場へ向かうと、観客たちの目線の先いた今日のファイターは、一方は喧嘩慣れしてそうな野郎で、もう一方は髪を金髪に染め、ボンタンを履いた不良っぽい印象ではあるが、見るからに喧嘩の弱そうなヤツだった。
ケンチン曰く、喧嘩慣れしてそうな方はキヨマサとかいうこの喧嘩賭博の主催者であり、パー率いる参番隊の人間らしい。
俺はそいつの顔を見た覚えもないので、適当に「ふーん」と相槌を打つと、「まぁマイキーは興味ねーヤツのこと、視界にも入れねぇもんな」とケンチンは半ば呆れた様子でため息混じりに言った。
誰の目から見てもこの喧嘩の勝敗は明らかで、見方を変えれば力の強いヤツが力でその場を黙らせる「悪趣味な見世物小屋」のだった。
不良の世界では自分の力を誇示するための喧嘩は日常茶飯事で、どちらかと言えば実力もない人間が考え無しに喧嘩を買うことに対する風当たりの方がキツい。
(あー、自分の実力も身の丈も知らねぇヤツが簡単に喧嘩ふっかけるなんてやるもんじゃねぇよ。勝つ算段もねぇだろうし、せいぜい持ってあと三分ってとこか。)
キヨマサの対戦相手を見て心の中でそんな言葉をこぼした俺は、行きしなに買ったどら焼きも底をつきそうだったため、あとはケンチンに任せて帰ろうとした。
──「引けねぇんだよ!!!!」
──「引けねぇ理由があるんだよ!!」
────突然だった。
そこにいた全員がその声に圧倒された。
俺にはそいつの熱の籠った決意表明のように聞こえた。
先程まで負け一直線だったはずの見るからに弱っちそうなのがこの場の空気を一瞬にして変えた。
「絶っっっ対ぇ負けねぇ」と言ったそいつは、ただの自分の実力を測り間違えた負け犬の佇まいではなかった。
そいつの横顔から伺える眼には光が宿り、その光は先程までの敗色が濃かった状況に反して力強く輝き、中途半端な覚悟しか持ち合わせていないキヨマサみたいなヤツが挑んでいい相手ではないと思わされるほどに纏う空気の格が違っていた。
俺はカメラがフラッシュを焚く瞬間を見た時のような、そいつの眼に宿る強烈な光が瞼を閉じても残像となって脳裏に焼き付いた。
「ねぇケンチン、あいつ誰?」
「あー、知らねぇ顔だな」
ケンチンもそいつのことを知らないようだった。
どこの誰なのか、あの眼に宿す強烈な光はどこからやってくるのか、俺は気になって仕方がなかった。
タイマンのはずがバットを持ってくるよう言いだしたキヨマサに、キヨマサへ声援を送っていた連中も流石に興醒めしたところで、ケンチンと俺は喧嘩賭博の場内へと足を踏み入れた。
この時俺は、兄貴と交わした懐かしいやり取りを思い出していた。
──きっとこいつになら兄貴の言っていた言葉の意味が分かるはずだ。
根拠はないけれど、俺はそう確信して、よそ見することなくそいつのいるところへと向かって歩いた。
「オマエ、名前は?」
「は…花垣武道」
「…そっか…タケミっちか」
これが俺とタケミっちとの出会い、思えばこれが俺の初恋だった。
卍卍卍
タケミっちはなぜかオレのことを放っておけないようで、何かと気にかけてくれているように見えた。
それは媚びを売るとかごまをするといった類ではなく、親が子どもに向ける慈愛の眼差しに近いもののようだった。
俺よりも年下で喧嘩も弱い上に普段は頼りないのに、どんなに劣勢でも絶対に負けないと訴えるあの瞳を持つタケミっちがいるならきっと大丈夫だと思えて心強かった。
俺は力も喧嘩も強いし、馴れ合うことは嫌いだけど、タケミっちからそういうふうに思われることは俺にとって心地良く、一緒にいると何故かガキの頃から手離せないでいるタオルケットの匂いを思い出した。
──ただ、タケミっちはある時を境に変わった。
いや、タケミっちが変わったのではなく、正確にはタケミっちを取り巻く環境が変わったのだ。
血のハロウィンと呼ばれる東卍と芭流覇羅の抗争以降、タケミっちは同い年でお互いを相棒と呼び合う千冬と連むことが増えた。
千冬は場地を尊敬し常に一緒にいたため、場地亡き後、東卍を辞めると言い出した。
俺は千冬と話し合って、最期に場地が東卍のことを託したタケミっちを一番隊隊長に据え置くことで場地の意志を継ぎたいという千冬の意思を尊重し、タケミっちを一番隊隊長に指名した。
千冬と出会うまで、タケミっちは東卍内で特定の人間と連むことはなく、俺と一緒にいる時間も長かった。
しかし、千冬と出会ってからはどこに行くにも千冬と一緒で、タケミっちの眼差しと関心は俺よりも千冬に向けられることが日に日に増えていった。
タケミっちにとって千冬が特別な存在なんだと決定づけたのは、天竺との関東事変後だった。
その日、俺はたまたまタケミっちと千冬が河原に向かって歩いているところを見かけた。
──嫌な予感がする。
俺の勘は昔から当たることが多い。
特に悪いことが起こる前触れに関しては精度抜群だった。
俺は二人にバレないよう、こっそり後をつけることにした。
河原に着くやいなや、タケミっちはイザナやエマが死んだこと、稀咲ともっと腹を割って話しておけば結果が変わっていたのかもしれないと涙ながらに千冬に打ち明けた。
自分のとった行動は本当に正しかったのか正直自信がないと落ち込むタケミっちを見て、俺にはこぼしたことのないような弱音を千冬にだったら打ち明けられるんだなと胸に小さな棘が刺さった。
相棒と呼び合う間柄であればきっとお互いのことを理解し合って、誰にも見られたくない弱い部分も見せ合うことが出来るのだろう。
頭ではそうだと分かっていても、「なぜ俺には言ってくれないの」、「タケミっちを一番最初に見つけたのは俺だ」とお門違いだと分かりつつも、俺はこの状況に嫉妬した。
千冬がタケミっちに優しい言葉をかけて献身的に慰めていると、タケミっちが突然、
「オレ、千冬のことが好きなんだ」と、
「千冬を困らせたいわけじゃないけど、このまま思いを告げずに死ぬかもしれないと想像したら言わずにはいられなかった。後悔したくなかったんだ」
と言った。
──ああ、やっぱり。
やっぱり俺の勘は当たる。
その言葉が俺に向けられたものであれば、これほど嬉しいことはないのに。
きっと俺だったら嬉しさからその場で飛び跳ねて、その勢いでタケミっちに抱きつき、タケミっちはあまりに俺が強く抱き締めるもんだから「マイキーくん、骨が折れそうッス」と半泣きになって、俺はそんなタケミっちも可愛いと思うんだ。
俺はずっとタケミっちのことを見ていたから千冬のことを好きなことは薄々気がついていた。
そして千冬も、タケミっちに対して同じ気持ちを抱き、二人は相思相愛だということも。
ただ、俺はその現実を見ようとしなかった。
俺は、タケミっちが告白している相手は千冬だという現実に、真一郎も場地もエマも失って、今度はタケミっちも俺の元から離れていくんだと頭の中が真っ白になるのと同時にだんだんと意識が得体の知れない真っ黒い闇のようなものに飲み込まれていく感覚に襲われた。
物事には始まりがあれば必ず終わりがあるというのが世の理だ。
中学を卒業すれば義務教育が終わり、社会に出るヤツもいれば進学するヤツもいてそれぞれの進むべきステージが分かれていく。
数年後も今と同じメンバーで、今のように喧嘩に明け暮れ、昼夜関係なくバイクを乗り回すことは流石に無理だろう。
一人、また一人と東卍を去っていくヤツらの背中を見送れるほどに俺は強い人間ではない。
タケミっちも今、幸せへと続く道を俺ではないヤツと一緒に歩き始めようとしている。
──タケミっちの思う「幸せ」の中に俺は「いない」。
俺のいないタケミっちの「幸せ」を心から祝福するなんてこと、俺には無理だった。
いつかは東卍を解散しようと思ってはいたものの、予定していたタイミングよりもかなり早い段階で行うことを決めた。
卍卍卍
東卍解散をみんなに知らせる前に、自分の気持ちにケリをつけるため、千冬に告白の返事を聞きに直接会いに行った。
正直、タケミっちのことは簡単には諦められない。
千冬の口から二人が恋人関係になったという報告を聞けば、嫌でも現実に目を向けなくてはならないという荒療治的な意味も兼ねていた。
千冬は、俺が会いに来たことがかなり意外だったらしく、始終気まずそうにしていた。
いつも集会をしている武蔵神社に着いた時、俺から意を決して千冬にあの日の告白について尋ねた。
途端、千冬は頭上から氷水でも浴びせられたかのように見る見るうちに顔色が真っ青へと変わり、あきらかに様子がおかしかった。
俺はてっきり二人が交際した報告を聞かされると思っていたのに、少し沈黙が流れた後に千冬は、あろうことか告白の返事をどうすべきか俺に尋ねてきた。
俺は思ってもいなかった千冬の言動に、全く意図が掴めなかった。
俺がタケミっちに抱いている感情を知っていて、あえて鎌を掛けているのかと一瞬過ったものの、何事も真正面からぶつかって行く場地の姿に憧れを抱く千冬が、こんな相手の裏をかくような姑息なマネをするとは思えなかった。
二人が相思相愛だということは一目瞭然で、まさか千冬が自分の気持ちを自覚していないとは流石の俺も思いもしなかった。
千冬がタケミっちへの気持ちを自覚していないことを知った時、俺の中で蠢く真っ黒い何者かが嬉しそうに俺の元へと近づきそっと耳元で
「お前次第だ。これをチャンスと取るかは」
と囁いた。
「俺が言ったことをどう捉るかは千冬次第だしな」、「そもそも俺が二人は相思相愛だと思っていただけで実際違うかも」、「千冬はタケミっちのことを俺に聞いてくるくらいだからそんなに好きじゃないんじゃないか」、と誰にも何も言われていないのにこれから俺が千冬に言う言葉への言い訳ばかりが浮かんできた。
勇気をだして相談してきたであろう千冬に俺は思ってもいない酷い言葉をさも正論のように吐き捨てた。
俺の言葉を聞いた千冬は俺の言葉を肯定しながらも、どことなく沈んだ様子に見えた。
千冬から直接報告があった訳ではないが、その後千冬がタケミっちからの告白を断ったことは分かった。
傍から見れば今まで通りの二人に見えるかもしれないが、俺からすれば二人の間に心の距離が生まれ、自分たちの関係に対する名前を見失っていることが見て取れた。
俺があの時、千冬にタケミっちの告白に対して前向きな言葉を伝えていれば、この二人は薄く張り付いた笑顔ではなく、心から笑い合える関係性にあったのだろうか。
卍卍卍
二〇〇六年三月十五日
東卍解散後、八戒の提案で東卍の幹部たちで武蔵神社の境内にタイムカプセルを埋めることになった。
十二年後再びここにいる全員が集まり、開けることを約束して。
でも十二年後の三月十五日、きっと俺はその輪の中にいないだろう。
俺はタケミっちをバブで送った後、一人神社に戻りタケミっちのタイムカプセルだけを掘り起こしてその中に一本のビデオテープを入れた。
──これは俺にとっての賭けだ。
十二年後、タイムカプセルを開けたタケミっちが、このビデオテープを見て俺が黒い衝動を抱かえていること、さらに抑制力であった兄貴やエマ、場地がいない中俺が一人この衝動に苦しんでいることを知ったらきっとタケミっちは俺のことを助けようとするだろう。
「マイキーくんはオレにしか救えない」
そうタケミっちに思わせられた時、この賭けは俺の勝ちだ。
そのためには、十二年後の世界で俺以外の全員には幸せになってもらい、逆に俺はとことん闇に落ちている必要があった。
──十二年という月日は俺にとって永遠を感じさせるほどに長く、起伏のない死と同じ意味を持つものだった。
俺はこの十二年で光の当たる真っ当な道では生きていけないようなことを繰り返し、人の命を奪うことへの躊躇いや罪悪感を抱くことを忘れた「怪物」になった。
「なった」というのには語弊がある。
元々「そうだった」ものがより「顕著」になったというのが正確だろう。
俺が身を置くのは、人としての道理を外れた者ばかりが終の住処として選ぶ反社組織「梵天」。
叶うか分からないタケミっちとの再会だけを心の支えにここまで生きてきたけれど、目を瞑ると意識は底のないぬかるんだ沼に少しづつ沈み、身動きの取れない感覚に襲われて眠ることすら叶わなくなっていた。
皮肉なことに眠れないこの感覚だけが、俺がまだ「人」であることを感じさせる瞬間でもあった。
あの日、喧嘩賭博で見たあの瞳をしたヒーローに手を差し伸べて貰えるには、あとどれだけ俺は泥濘に身を沈め、そこから必死に顔を出して息をし続けなければいけないのだろうか。
命を繋げるための呼吸をすることが苦痛でたまらない。
そんな日々に限界を感じた時、ついに俺が心から待ち望んでいた日はやってきた。
十二年振りに見たタケミっちの瞳はあの日、喧嘩賭博で見た時と同様、光に満ちていて、闇の世界に身を落とした俺には縁のない太陽を思わせるほどに眩しく、その眩しさは痛みを覚えるほどだった。
ずっと恋焦がれていた穢れなき正義を体現するかのようなその瞳に映る自分は、きっと見るに耐えれないほど醜い姿をしているのだろう。
俺のことをその瞳を通して見ないで欲しい一心で、気付いた時には俺はタケミっちを撃っていた。
タケミっちを撃った瞬間に俺が抱いた感情は、タケミっちが死んでしまうかもしれないという罪悪感や喪失感、焦燥感ではなく、安堵にも似た感情だった。
きっとタケミっちは、この先真っ当でありふれた幸せの中で生きていくのだと思う。
タケミっちは俺たちのために戦ってきてくれたのだから幸せを掴むべきだとかつての仲間たちは皆、口を揃えてそう言うだろう。
でも俺は、タケミっちが幸せな日々を過ごす中で、タケミっちの中で俺が日に日に風化して「過去の人」となっていくことが耐えられなかった。
───これじゃあ、足りない。
今ここでタケミっちを攫ってどこかへ囲うことは出来ても、タケミっちをそこから逃がすことのない足枷が俺にはないことに気が付いた。
タケミっちが俺のそばにずっと居てくれなきゃ俺のこの十二年間の意味がなくなる。
そこで俺は突発的ではあるが、一か八かビルの屋上から飛び降りることにした。
最悪ここで死んでも、このどうしようもなく苦しいだけの「生」を終えることは出来る。
俺のやってきたことは罪を償う、償わないのレベルをとうに超えていてどちらにせよタケミっちの生きる世界で共に生きていくことなど許されないことは勝手気ままな俺にでも分かる。
───これは、諦めの悪い俺の賭けだ。
以前、タケミっちからタイムリーパーだと打ち明けられた時、トリガーは初恋の相手である橘日向の弟だと聞いていた。
両者共通して、後悔やこの状況を変えたいという強い気持ち生じた時にタイムリープが起きるんじゃないかとその話を聞いた時、俺は仮定した。
タケミっちがタイムリーパーなのであれば──。
俺のことを「救いたい」と、俺のこの現状を変えたいと思ってくれるのならば──。
タイムリープが起きてこの最悪な「今」を変えることが出来るんじゃないか──。
一抹の希望を抱きながら、俺はビルの屋上から飛び降りた。
タケミっちは俺に深手を負わされ瀕死状態にあるはずなのに、ビルから飛び降りた俺に文字通り「必死」になって手を差し伸べ、「一人で背負い込むな」「絶ッ対ェ助けてやる」と昔と変わらぬ口振りで助けを求めるよう促した。
そして──・・・・・
────タイムリープは成功した。
今回のタイムリープが今までのものと違ったのは、トリガーである俺自身もタケミっちと同様にタイムリープしているという点だろう。
タイムリープ先は、東卍解散二年後のオレが関東卍會の総長で、梵と六破羅単代の三つ巴時代だった。
タケミっちに対して最後の賭けに出ようとしたその時、──ケンチンが殺された。
幼少期からずっと一緒にいてくれた友達であり、俺の良心、ずっと俺の支柱でいてくれたケンチンがこの世を去った。
ケンチンは十年後の未来で生きていたはずなのに、俺がタイムリープした代償で死んだんだと考えると俺は正気を保てなくなった。
ケンチンの弔い合戦の中、六破羅単代のサウスを目の前にして、オレの視界が黒く塗り潰されたところまでは覚えている。
次に意識を取り戻したのは、なぜか血だらけのタケミっちを組み敷いて、タケミっちが苦しそうな様子でオレの名を呼んだ時だった。
卍卍卍
タケミっちは俺から腕を折られてもサウスの前から退くことはなく、ずっとオレに殴られながらも自我を失ったオレを呼び戻そうとするかのように必死になって名前を呼んでいたと聞いた。
そんなタケミっちは俺のせいでかなりの重症を負い、タケミっちの見舞いに訪れた九井から病院を出た際に千冬とすれ違ったということも聞いた。
──俺は、どうしようなく弱い。
大切なものを見誤っていつも傷つけてばかりで、一度ならず二度もタケミっちの命を奪おうとした。
そんなことをしておいて身を引く覚悟もなく、タケミっちのことが好きで、縋りたくて、厚かましく俺のことを「救ってくれ」と未だに心から願っているのだ。
三天戦争から一ヶ月後、タケミっちは決着をつけに一人、関東卍會のアジトにいる俺の元へとやってきた。
生死の境を彷徨うまでの大怪我を負わせた罪は大きい。
殴られるだけじゃ精算できないことは分かりつつも、タケミっちが満足するまで俺は両頬だけでなく体を差し殴られるつもりでいた。
しかし、タケミっちは一向に俺を殴る気配もなく、ケンチンに俺のことを託されたこと、十年後の幸せな未来に俺だけがいなかったこと、自分が未来に帰ったあとのことをたった十五歳だった俺に全て背負い込ませてしまったことへの罪悪感と後悔、みんなのことを守ってくれたことへの感謝と謝罪を涙ぐみながら話した。
話を聞き終わり、そんな言葉を貰えるような立場にない俺は、受け流すように「そっか」と一言返した。
「なんで君はいつも辛い時ほど笑うんだよ!!助けが必要な時は「助けて」って泣いていいんだ!!オレが君を覆い隠そうとする闇から絶っ対ェ助けるから。そのためだったら「何だって」する。その覚悟で今オレはここにいるんだ。だからもう一人で背負い込もうとなんてするな!万次郎!!!」
涙やら鼻水やらで顔面をぐちゃぐちゃにさせながらそう訴えるタケミっちの瞳にはあの日と同じ光が煌々と宿されていた。
何故そこまで他人のために必死になって泣くことができるのか、俺には分からない。
タケミっちいう男は元来そういうヤツで、だからこそ多くの仲間に慕われ、そんなタケミっちだから俺は惹かれた。
「タケミっちさぁ、「何でもする」って言葉、本気?」
きっとタケミっちの答えは決まっている。
俺は分かっていて、あえて訊いた。
これから俺がタケミっちに言うことは誰がどう見ても最低で、未来永劫絶対に許されないことだと分かっているから。
狡い俺は「あの時確認をした」という後の言い訳が欲しかった。
タケミっちがどう答えようが俺のすることは決まっていて全く意味をなさない、ただ自分が嫌われたくないという「保身」と「建前」のために。
「勿論です。本気です、オレ」
俺の予想通りタケミっちはこちらを真っ直ぐ見据えたまま、俺の言葉を受け止めてくれた。
俺はここ何年も自分の内に流れる血液に温度なんてものを感じたことなどなかったのに、これから自分が発する言葉を心の中で独りごちただけで、心臓が大きく躍動し、身体の末端にまで血液が送り出されていくのを感じた。
やっとの思いで、ずっと胸の内にあるだけだった俺の十二年越しの願いが遂に叶えられるのだと、興奮と緊張で口の中の唾液は枯れ、吸う息がどことなく熱を持っていた。
「じゃあ、タケミっちはこの先ずっと俺だけを見て、その「眼」に他の俺以外のものを映さないと誓って。じゃあさ、もう誰のことも傷付けないし、タケミっちの言うイイミライにするって約束するから。」
何でもないことを言っているかのように、出来るだけ軽口を叩いているように装ったものの、タケミっちから目を逸らしている上、自分の口から発せられる言葉の端々は自分でも分かるほどに震えていた。
「分かりました」
タケミっちは静かに、力強くただ一言そういった。
タケミっちからの返事を聞けた瞬間に俺は全身の力が抜け、長かった俺の賭けが勝利に終わったことへの喜びを噛み締めた。
俺はその日のうちにタケミっちの体を自分のものにすべく激しく抱いた。
まさか俺の言った言葉が「そういった」行為を含んでいたと露にも思ってもいなかったタケミっちは信じられないといった様子で、「こんなこと止めましょう」だとか「嫌だ」と拒否の色を露にした。
「俺を守ってくれてた兄貴や場地、エマ、ケンチンを失ってタケミっちにまで突き放されたら今度こそ俺は衝動に飲まれて見境なく誰かを傷つけちまう。…お前の相棒も例外にはならねぇだろうなぁ」
と俺があえて千冬をチラつかせた物言いをすると、「ヒュッ」と短く息を飲み顔面蒼白になったタケミっちは、大人しく俺の言う通りに体を明け渡してくれた。
タケミっちに生える「無償の愛」という名の両翼は、時にはその翼を広げて自分が怪我を負うことも厭わず守ってくれたり、いざと言う時に駆けつけてくれる心強い存在である反面、助けを求める声が聞こえた途端、自分の元を離れ遠くへ飛んでいってしまう、俺とってはとても憎らしいものだった。
俺は「無償の愛」ではなく、「俺だけのタケミっち」が欲しかった。
その目的を果たすため、俺は両翼を捥ぎ、代わりに足枷をつけることで二度とタケミっちがどこにも飛べないよう閉じ込めた。
次の日、タケミっちの家に出向いた俺は、昨日もかなり無理をさせたにも関わらず、体を重ねることを強いた。
タケミっちは俺に揺さぶられる度に、ピントの合わない瞳に涙を溜めては、喘いでいるのか痛みで叫んでいるのか区別出来ない声で俺の名を呼び続けた。
下の階からインターホンを鳴らす音が聞こえ、「もしかすると仕事に行っていた母親が戻ってきたかもしれないので、ちょっと見てきます」とタケミっちは、無理矢理俺によって開かれた体に鞭打って、ふらつきながら床に投げ捨てられたままの冷えた制服を身に纏い急ぎ足で一階へと降りていった。
様子が気になった俺は、忍び足で階段を数段だけ降りて、タケミっちからちょうど死角になるところからじっと耳をそばだて会話を聞いた。
するとタケミっちの声で「ごめん今、人来てるから」と聞こえたかと思うと、タケミっちの母親の声ではない、俺が一番聞きたくなかった声がした。
タケミっちを俺のものにした日、「学校以外で俺以外のヤツと話したり、会うようなことをしないで欲しい」と伝えたところ、タケミっちも「分かりました」と頷いてくれた。
──なのになぜここに、千冬がいるのか。
俺は、一方的ではあるが約束を破られた上に相手が千冬であることへの怒りで頭に血が上ると同時に、わざわざ千冬がタケミっちの元を訪れたということは、タケミっちへの恋心を自覚したんじゃないかと狼狽えた。
先程までなんとも思っていなかった足元のフローリングからじわじわと体温を奪うような凍りつく寒さに襲われた。
内容を聞かずとも二人の雰囲気から千冬がタケミっちに告白しに来たことは嫌でも分かる。
ようやくタケミっちと一緒になれると思っていたのに、このままではまた一人になってしまう。
一人は、孤独は、──もう、嫌だ。
二人の会話を聞く気にもなれず、茫然自失の中、俺は部屋に戻り、タケミっちのベットの中でまるで雷を怖がる子どものように布団を頭まですっぽりと被り、一分一秒でも早くタケミっちが自分の元に戻ってきてくれることを願った。
体感的には何時間も経っているように思えたが、時計を見るとタケミっちが下に降りてから十分も経っていなかった。
「遅くなってすみません」と戻ってきたタケミっちの声が聞こえ、俺は捨てられていなかった、大丈夫だと泣きそうになった。
戻ってきたタケミっちに俺は、あえて誰が訪ねてきたのか、何を話していたのかを訊くことはせず、ただタケミっちを強く強く抱き締めた。
次の日、タケミっちの部屋の窓から外を眺めていると、こちらに向かって歩いてきている千冬の姿が見えた。
「タケミっち、ちょっと来て」
俺はタケミっちの部屋を出て、階段を降りて外へと出た。
タケミっちも俺のあとを追いかけてきた。
昨日、俺はタケミっちと別れた後、きっとまた来るであろう千冬のことを考えていた。
俺が突然外に出て行ったことにタケミっちは理解できていない様子だった。
「マイキーくん、どうしたんスか?」
そう尋ねたタケミっちの腰を掴んで自分の方へと強く引き寄せ、その反動でぐっと互いの顔が近づいた時、噛み付くようにタケミっちの唇を奪った。
薄目を開けると、ここ数日何度もしているのに一向に息継ぎが上手くできないタケミっちは、顔を真っ赤にして涙を流し、苦しそうな面持ちだった。
俺は今、この口付けを止めるわけにはいかなかった。
──なぜなら千冬が今、俺たちを見ているからだ。
千冬は俺たちを見つめながら、「何で」と言った。
もしかすると千冬自身も発したことに気がついていないかもしない
それほどまでにか細く、今にも消え入りそうな声だったが、俺にははっきりと聞こえた。
千冬の言った「何で」は、俺が同性愛者に対して偏見を持った人間なのに男相手にキスをしていること、さらにその相手がタケミっちだということに対してだろう。
俺は固まっている千冬からわざと見えるようタケミっちの制服のシャツの下に昨日今日とつけた夥しい数の所有印を見せつけて止めを刺した。
こいつは俺のものなんだと、だから諦めてこれ以上関わるなと。
殊更残酷で卑怯な手を用いて。
卍卍卍
千冬は優柔不断なところはあれど、場地と一緒でこれと決めたらそこに向かってまっすぐ進む、信念の強い男だ。
タケミっちが千冬を守るために犠牲となって俺の言いなりになっている現状を知れば、間違いなく激昂し、タケミっちを助けに来る。
タケミっちは今でも変わることなくずっと千冬のことが好きだということは知っている。
俺は「それ」を利用して、タケミっちに歪な関係を無理強いしているのだから。
タケミっちが俺といる理由は、千冬を傷つけて欲しくないからであって、千冬のことを忘れて俺のことを心から愛してくれる日はこの先一生来ることはない。
俺はタケミっちの、誰も傷ついて欲しくないというお人好しとも言える普遍的な優しさ故の「信念」と、大切な人たちを失って空っぽな俺に対する「憐れみ」を足枷にし、タケミっちが心から望む「愛する者との未来」を奪ったのだから。
だから愛して欲しいと願う資格が俺にはないことは分かっている。
愛がなくともタケミっちが俺の傍にいてさえくれればいいと思っていた。
──そう思っていたはずなのに、毎日タケミっちに会える今よりも、一緒にいなかったあの十二年の方がタケミっちを近くに感じられていたように思うのは何故だろう。
一緒にいれさえすれば満たさ
れると思っていたのに、一緒にいればいるほど寂寥感は増すばかりで、その度に躍起になってはタケミっちの体を求めて、タケミっちが意識をなくすまで酷く抱いてしまう。
今、この状況に後悔しているかと問われれば、正直なところ分からない。
でも一つ確かなことがある。
兄貴が生前、喧嘩で勝てたことを自慢げに言う俺によく言っていたあの言葉、──勝つことよりも俺にとって大切なものが分かった今、──俺はその前では無力だということだ。
タケミっちを初めて見つけた時、きっとこいつになら兄貴の言葉の意味が分かるのだろうと思った。
でもそうではなかった。
タケミっちの存在自体が俺にとって兄貴の「言葉そのもの」だったのだ。
力の強さでしか物事を測れなかった俺が、初めて知った愛という形を持たない不確かなもの。
それを信じるには、あまりにも臆病で、愚かな俺は自分の元から離れないよう相手の幸せを奪うことを選んだ。
あの日、あの場所で見たタケミっちのあの瞳が俺にとって全ての始まりだったが、タケミっちにとっては俺に見つかったことが全ての終わりだと言えるだろう。
本来であれば結ばれていたであろう運命の赤い糸を、俺という身勝手な怪物に目をつけられたばかりに力任せに引きちぎられ、あろうことかその怪物の餌食にされたのだから。
おとぎ話では、怪物は王子に見事成敗されて、王子が怪物の手から姫を救いだすことで話が締めくくられる。
いつか千冬という王子がタケミっちを救うべく現れ、怪物である俺は倒され、二人は今度こそ手を取り合って幸せな道へと突き進んでいくのがきっと道理だ。
俺はいつその日が来るのかと恐怖に押しつぶされそうになる中、性懲りも無くまだ他の方法でタケミっちのことを繋いでおけないかと思っている。
時折、俺の中で蠢く真っ黒い何者かが俺に向かってこう言う。
「お前が欲しかったものは手に入ったのか」と。
あんなに恋焦がれていたはずのタケミっちの眼を、俺はタケミっちを捕らえた日から見ることが出来ないでいる。
見た時にもしも「諦めない」という強い思いの込もったあの眼があると思うと怖いのだ。
タケミっちは何に対して「諦めない」という闘志をまだ燃やしているのか。
自分の置かれているこの惨めな状況になのか、それとも愛する者との幸せになのか、それとも──。
恋に溺れた愚かなる怪物の背負うべき代償は、自らの狡猾さ故の飢えと乾きに苦しむ中、叶うことのない愛を乞い続けることだろう。
愚者どもの恋罪──完