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    支部にあげた「恋の話」(霊幻さんは芹沢と律どっちを選ぶのか?っていう話)
    プロット立てないで何も考えずに文章書いたらどうなるのか? っていう実験を芹沢一人称でやってみたら、導入で二万字行ったので驚愕したよね……
    このノリでやってたら永遠に終わらなかった。危なかった。

    勿体ないのでここに供養させてください。内容は支部に上げたものに近いので真新しいところは少ないです。導入なので中途半端に終わります!

    恋の話(リライト前) 影山君から家を出る、って聞いたとき俺は単純にすごいなあと思った。将来を定めた決然とした姿は、中学生当時の影山君とはまるで違っていた。あの頃から自分の考えをしっかり持った子供ではあったが、霊幻さんに選択肢をゆだねる頼りなさは年相応だった。いつの間にか成長していた姿を目の当たりにして、年月の重みをぐっと感じた。
    「芹沢さん、霊幻さんを頼みますね」
     はにかみながら俺にそう言った影山君もあの頃とはかけ離れて大人びていた。わかりました、と神妙に答えながら俺はふと霊幻さんのことを考えた。師匠と弟子、という単純な言葉では測れない絆みたいなものを日ごろから強く感じてはいるが、だとするとこの状況は彼にとってどうなのだろうか。まるで子供が巣立ったあとの母親のように、抜け殻になってしまうのではないだろうか? 俺だって影山君の姿に寂しさを感じなくはないのだから、霊幻さんならことさらだろう。
     だからせめて俺がしっかりして、霊幻さんを支えなくてはいけない。相談所の看板をビルの下から眺めながら決意を新たにする。今日はすっきりとした快晴だ。もうここにお世話になってからかなりの年月が経つが、これを機に初心に帰るのもいいかもしれない。燦燦と降り注ぐ太陽の光に背を押されるように階段を上り相談所のドアを開ける。「おはようございます」ときっぱりと口にしてデスクに向かっている霊幻さんの姿を見つめる。
     すると、逆光に一人の人影が見えた。長身の華奢な身体。俺の姿を認めるなり、一礼した。
    「芹沢さんお久しぶりです」
    「ああ、律くんか」
    「兄が来れなくなったのでこれからは時折こちらで手伝わせていただくことになりますが、よろしくお願いします」
    「い、いや、こちらこそ」  
     黒い大きな瞳に見つめられて、なぜだか俺はどぎまぎしてしまう。なんというか、影山律くんは美少年、という言葉がぴったりないでたちなのだ。もう高校三年生になるから少年という言葉は相応しくないかもしれないが、整った顔立ちもバランスのいい身体のつくりも、なんだか雑誌から出てきたモデルみたいだった。 
    「というわけだ芹沢。テルにもちょいちょい顔出してもらうことになるから、結構賑やかになるぞ、うちも」
    「はい。よかったですね、霊幻さん」
    「おう」
     じゃあさっそく今日の仕事内容の確認から入るか。そんな風に律くんを促した霊幻さんは、ぱっと見は普段通りだった。俺はすこしホッとする。内心はやはり影山君の不在を寂しがっているかもしれないが、外から見ただけじゃそんなのは分からない。さすがだなあ霊幻さんは、という何度抱いたかわからない感想を凝りもせずに踏襲しながら俺は自分のデスクに座る。ノートパソコンを起動させ、ついでに学校の課題も取り出して机上にならべながら、そっと二人の姿を盗み見た。
     クリアファイルから取り出した資料を読み込んで簡潔に会話していく姿は、まるでオフィスドラマのワンシーンみたいだった。ブラインドの隙間からのひかりがちょっとした照明効果になっていて、なぜだかとてもまばゆい。そもそも霊幻さん、という人もそれなりにビジュアルがいいのだ。単純に背がでかいだけの俺と違って絞られた身体はいつもスーツがばっちりと決まっている。本人もそれなりに意識しているらしくここのホームページは霊幻さんの写真がかなりのウェイトを占めていた。「所長の顔が見えないと依頼する方も怖いだろうしな」と霊幻さんは言っていたが、それだけじゃないのは妙に決めた姿の写真がふんだんに使われていることからもアリアリだった。
     俺はふと、二人の姿をカメラに収めてアップしようか、なんてことを考えて慌ててとどめる。さすがにまずい。霊幻さんは喜ぶかもしれないが律くんはそういうのは嫌いそうなタイプだ。けれど正直、広告塔にするには霊幻さんよりよほど……とも思うが、これも失礼だと慌てて心の内で取り消す。しかしなぜだかうちはイケメンに縁が深いようだ。テルくんも律くんに劣らない相当なビジュアルだし。
     なんだか肩身が狭い。いや、べつにこの仕事は顔でやるわけじゃないからいいんだけど。いやそうでもないか。客商売は身なりが重要だ、って霊幻さん口を酸っぱくするくらいに言ってたしな。そう考えると微妙に落ち込んでくる。さっきは影山君みたいにきっぱりと決意を固めたはずなのに、ダメだなあ俺って。
    「よーし、じゃあ律くん午後からの件はよろしくな。それまでは適当に資料整理してくれ」
    「まったく人使い荒いですね、相変わらず」
    「まあまあまあ。お前が能力高いから俺は頼んでるんだぜ?」
     へらへらと笑いながら律くんに仕事を押し付ける姿も普段通りだったが、今までの思考の流れもあって妙にへこんでしまう。いや、霊幻さんにそういうつもりがないのは分かってるけど。現に律くんは一ミリも嬉しそうな顔をしないどころか逆に怪訝な表情を投げかけてるし。けれどすぐに依頼されるままにパソコンを開いてファイルにアクセスしていく。律くんという人は、名前の通り律儀な人間なんだろう。
    「ところでさ、モブは元気か?」
     再び霊幻さんが口を開いたのは、お昼になるちょっと前、といった頃合いだった。一通りの作業を終えた肩をぐるぐる回しながら律くんに視線を投げかける。「元気だと思いますよ?」律くんは顔も上げず言葉だけを返した。何の感情も読み取れない、平坦な声音だった。
    「だと思う、って。お前連絡取ってないのか?」
    「って、霊幻さんまだ兄さん引っ越したばかりですよ。まぁ簡単な報告は来ますけど、メッセージのやり取りくらいで」
    「えー? 影山律にしてはずいぶん放任主義じゃねえ? お前そんな奴だったっけ?」
     あくまでも平静に答えを返す律くんに、霊幻さんはあっさりと追及した。確かにそれは俺も思ったことだ。律くんというのはいわゆるブラコンだったように記憶している。まあ、こんな言葉を使うのもどうか、というところはあるのだが。
     けれどこの律くんの変化っていうやつも、月日の流れなのかもしれない。影山君が霊幻さんの元から巣立ったように、律くんのお兄さんに対する感情も変化したのだろう。確かに、俺だって昔あれだけ崇拝した社長への感情を穏やかなものにすることが出来たのだ、律くんもきっとそうなんだろう。
    「僕は変わりませんよ。ただ、あれこれ世話を焼き過ぎるのも兄のためにならないと思うから、そっとしてるだけです」
     ようやく顔を上げて、まるでたしなめるように霊幻さんに返した言葉も、やはり大人びていた。いや、昔から年齢からかけ離れた精神を持つ少年だったが、ここにきて兄への感情すら整理されたとなってはまさに完全無欠な人間じゃないか。すごいなあ。顔も良くて頭も良くて周りの人間に気配りもできて、ってこんな出来た人間がいていいのか。しかも超能力も使える。いやこの力ってやつは使えるのがいいかどうかは微妙なところがあるけど、律くんにとってはステータスにオプションが付いたような感じだろう。
    「まぁお前の言うことわかるけどさ、けど心配じゃん? ちゃんとメシ食ってんのか、とか思うじゃん?」
    「あなたは兄を見くびりすぎです。もう大学生なんですし。まあ霊幻さんがお寂しいのは分かりますが……」
     うわあずばっと切り込んだな律くん。俺の口からはとても言えないセリフだ。慌てて霊幻さんの様子を伺う。核心を突かれて動揺してたらかわいそうだと思ったのだが、しかし慌てた様子もなく律くんに辛辣なまなざしを向けたのみだった。
    「お前は俺を見くびりすぎだろ。俺はべつにアイツがいなくたってやって行けるし? なぁ芹沢」
    「は、はい」
     突然振られて思わず声が裏返ってしまう。いや別に今会話に参加したくないんだけど。迂闊なことを言いそうで怖いし。
    「あー、芹沢。お前も俺が寂しがってるとか思ってる?」
     あ、まずい。辛辣なまなざしがこっちまで飛び火してきた。ここでイエス、って言ったらどうなるんだろうか。まさか怒られるってことはないとは思うが、それなりに不興は買うだろう。ついぐるぐる悩んでしまうと、まるで助け船を出すように律くんが口を開いた。
    「霊幻さん、芹沢さん困らせてどうするんですか。あなたが寂しがりってことはみんな知ってますから」
    「そんなことねぇって」
    「否定しても無駄だと思うんですが。まぁ、僕も来ますしテルさんも来てくれるだろうから、元気出してください。ただ僕に兄の代わりは到底つとまるとは思いませんが」
     律くんはそうまとめて、にっこりと笑った。


    「じゃあ律、ちょっとだけ留守番頼むな」
    「はい」
     お昼休みに入った。お弁当持参で来た律くんに相談所の留守番を任せ、俺と霊幻さんは外に出た。くっきりとした青空は朝のままに、太陽の姿だけが高くなって燦燦と降り注いでくる。まぶしさに目を細めながら俺たちは行きつけの蕎麦屋へと歩を進めた。昔からの習性でなんとなしに周囲に気を配りながら霊幻さんを誘導する。その流れで確かめた表情は、少しだけ気だるげだった。
    「参るよなあ、律のやつ。言いたいことだけ言いやがってさ」
    「まあまあ、心配してくれてるんですよ。優しいじゃないですか」
    「どーだか。アイツはほんとに俺に対してはなあ」
     はあ、と霊幻さんは大きくため息をついた。確かに律くんは昔から霊幻さんには辛辣だ。いや、昔よりはだいぶ緩和されたと思うのだが、それでも霊幻さんのなかでは思うところがあるってことか。
     しかし俺から見ると、霊幻さんと律くんは波長が合っているようにしか見えない。二人ともめちゃくちゃ頭の回転が速いし、口も回るのだ。俺や影山君に説明するときの十分の一くらいの量で相互理解が進んでいくから、会話してて気持ちがいいんじゃないかって思うのだがそうでもないのか。人間って難しい。
     蕎麦屋に入ってもなんだか霊幻さんはぼうっとしていた。注文したたぬきそばが目の前に置かれるなり唐辛子を明らかに掛け過ぎていたし、最近辛い物にハマってるんだよな、といらん言い訳もしていた。
    「でも霊幻さん。寂しくても当たり前だと思いますよ。現に俺もちょっと心に穴が開いたような感じしますし。俺にとっての影山君っていうのも、かけがえのない存在だったからなあ」
     だからフォローした、ってわけじゃないけど、俺も俺なりに正直な気持ちを述べた。
     さっきから水ばかり飲んで舌先のしびれと格闘していた霊幻さんが、急に真剣な表情になる。少しだけ空に向けて視線を泳がせたあと、「やっぱお前も大人目線になっちまうのか」と口にした。
    「そうですね。影山君とはある意味同級生みたいな関係でもありましたけど、実際ははるかに年齢が離れてますしね。友人ではあったけど親戚の子供みたいな感覚もあって」
    「だよなあ。なんかモブのおかげで親戚の子供がすっかり増えちまったよな。まあありがたいっちゃありがたいんだけど」
     霊幻さんは笑った。そういうまなざしで見てしまうからかもしれないが、それはどうしたって寂しそうな笑顔にしか見えなかった。

     相談所に戻ると、留守番を頼まれていた律くんが携帯をいじっていた。いくら類まれなるイケメンとはいえ、こういった所作をしている姿は年相応の高校生だ。「時間まで一休みするからあとでな」と霊幻さんはマッサージ室に消える。「商売道具を仮眠用のベッドに使うのってどうかと思うんですが」と律くんがボソッと口にし俺も同意する。けれどそれだけだ。お互いにへらっと笑った後に「お茶入れますね」と律くんがすっと立ち上がった。
     ここは不思議な職場だった。いわゆる社会人の年齢なのは俺と霊幻さんだけで、あとはみんな学生たちで回っている。ようやくバイトを頼むのが不自然でない年齢にはなったが、影山君に至っては小学生のころから手伝ってたという話だ。この律くんだって似たようなものだ。超能力に開花した中学一年生のころから本格的に戦って、霊幻さんを助けてきたのだ。
    「芹沢さん、お菓子頂いちゃいます?」
     律くんがテーブルの上にそっとお茶を置くなり、俺に問いかけてきた。俺は答える代わりに指先をかざして戸棚を開ける。そこには記憶していた通り、お客様からの手土産である温泉饅頭の箱が封もあけずに保管されていた。
    「こういうとき力使う人なんですね、芹沢さんは」
    「まーね。なんとなく後ろめたいからかな」
     実際賞味期限が近いから食べきってしまう方がいいとは思うのだが、霊幻さんが開封の儀を楽しみにしていることを思うと心が少し痛む。だからせめて律くんの手を煩わせずにと思いさっと取り寄せてべりべりと破ったのだが、その中身をあっさりと食す姿は現代っ子だななんて思う。
    「和菓子、好きなんだ」
    「そうでもなかったんですけど、ここでいただいてるうちに好きになったっていうか」
    「なるほどねー。俺もそうだな。昔は甘ったるくてとても食えなかったんだけど、霊幻さんがあまりにも美味しそうに食べてるの見てるうちにつられたっていうかさ」
     俺も律くんに倣って饅頭を丸ごと口に放り込む。こしあんと薄皮との甘さのハーモニーが過剰だとは思うが、緑茶で流し込むとなんだかすごくバランスがいいのだ。あまりお行儀のいい味わい方だとは思えないが、ここは許してもらおう。律くんは律くんでお茶も飲まずにぽいぽい消化しているから、きっと俺よりもずっと甘党の才能があるのだろう。
    「律くんは大学決めてるの?」
     俺は霊幻さんがいないうちにと、律くんに問いかけた。ちょっとデリカシーのない質問かもしれないが、どうしたって進路は気になるのだ。もし県外に出るとしたら、霊幻さんはまた寂しがるかもしれない。こればかりは仕方ない話だが、せめて俺の方だけでも心の準備をしておこうと思って。
    「まあ、大体は。受かればの話ですけど」
    「律くんならまず間違いないんじゃない?」
    「絶対、ってことはないですからね。けれど僕、大学にそんなにこだわりがないんですよね」
     律くんは淡々と語った。兄が家を出たから自分は残ろうと思っているということ。なるべく家から近い大学をと探しているうちに、親からもう少し真剣に考えろとダメ出しされたこと。勉強は好きだけど、いわゆるいい大学に行って少しでもいいところに就職したい、という野望はほとんど湧いてこないということ。でもこれって学生だから社会を甘く見てるってことですかね、とためらいがちに話す姿は、なぜだかすごく達観していた。
    「まあねえ。俺の場合社会に出たのが遅すぎて選択肢がなかった、っていうのが正しいけど、もし普通に大学とか出れてたとしても、やりたい仕事を探してたかなあ」
    「僕の場合、そのやりたいことっていうのが薄いんですよね」
    「それってなんでも出来たからじゃない?」
    「そうですね……こんなこと口にしたら嫌味でしかないけど、実際にそうかもしれません」
     律くんは照れたように笑う。けれど俺は嫌味だとは思わなかった。俺が超能力に価値を感じていないように、律くんにとって勉強ができるということは当たり前のことなんだろう。当然のこと、というのはそれがどんなに貴重なことでもつい看過してしまう。それは人間ならでの傲慢さかもしれないし、いわゆる多様性ってやつの証明かもしれない。
    「芹沢さんはもし違う人生を選べるなら、何がしたいですか?」
    「んー、いきなり聞かれると出てこないもんだね。ただ、ものを考えたりするのは好きだから小説家みたいな職業には憧れていたけど、そもそもなれるならなってるしなあ」
     実のところ引きこもり時代に自分でも可能な仕事を一通り探ってはいたのだが、何もかも実を結ばなかったのだ。小説家とか漫画家も子供時代からの延長で憧れてはいたし、ゲームクリエイターなんかもそうだ。けれどやはり人生は甘くなかった。結局自分の能力を生かす職業に就いた、というのがじつに大人らしい平凡な結論ではあった。
    「僕も数学の研究者とか一瞬憧れましたけど、あれも天才が山ほどいて全然太刀打ちできないんですよね」
    「俺が言うのもなんだけど、律くんは人前に出る仕事の方がいいんじゃないかなあ。せっかくビジュアルもいいんだし、研究者として引きこもるのはもったいないよ」
    「はは……芹沢さんありがとうございます」
     律くんはバツが悪そうに笑った。多分これも、本人の中では価値を感じないオプション、ってやつだったのだろう。

     一通りの会話が一段落したせいか、俺たちにちょっとした沈黙が訪れた。昼休みの時間は終わりに近づいていたが、予約も入っていないから霊幻さんを起こすべきかどうか迷う。律くんは頼まずとも湯呑を下げてテーブルを綺麗に拭いている。こうしたひとつひとつの所作が実に出来上がっているのは、確か昔からであった。
     何でもできる人生、というのはどんなものなのだろうか。自分にはまるで想像がつかない。いや、かつては超能力が使えないことにコンプレックスを抱いていた、という噂は聞いたことがあるが、それすらも克服してしまったのだ。俺だって引きこもっていた昔を思えば今は夢のように輝いている毎日とは言えるが、律くんは生まれたときから輝かしい毎日だったんじゃないか。しかしそのことに嫉妬とか羨望とか言った感情はまるで湧き起らず、まるで違う世界の人間を見るような好奇心だけがここにあった。
    「律くんさ、霊幻さんのことどう思う?」
     俺は俺なりに考えて、婉曲的な問いかけをすることにした。洗い物を終えて戻ってきた律くんの足が、急にそこでとどまる。「俺から見るとなんでも要領よくこなせてすごい人なんだけど、律くんからするとどうなのかなあって」
    「あ、ああ、そういう話ですか。確かにあの人は能力高いと思います。特に弁舌に関してはご本人が思うように類まれなる才能をお持ちなのではないでしょうか?」
    「そういうのって本人にとってはどうなのかな? 霊幻さんの口先があってここが成り立ってるっていうのは分かるし俺もそれにかなり助けられてるけど、霊幻さん自身はどうなんだろう」
     しかしうまくいかなかった。律くんのことを探るつもりが結局霊幻さんの話になってしまった。しかしこれもずっと感じていたことであった。言葉を自由に使いこなして周囲を動かしていく霊幻さん自身は、果たして幸せなのだろうか。超能力を使っても単純に幸せにはなれないように、霊幻さんもそうなんじゃないか。いま影山君の不在に寂しさを隠せない姿を見て取っているから余計に、俺はそんなことを思っていたのだ。
    「芹沢さんって本当に霊幻さんを大切に思ってるんですね」
     律くんのまなざしが開かれる。珍しい感じの、驚きを隠せない表情だった。
    「まあ、ずっと感謝してるしね。せめて自分なりには力になりたいと思ってるから」
    「芹沢さんはずいぶん役に立ってると思うのですが。けれどそうですね……あの人がどう思ってるかに関しては、ちょっと僕からは測りかねますね」
    「律くんでも分からないんだ」
    「芹沢さんは僕を買いかぶりすぎです。テレパシーもなしに、人の心なんかわかるはずはないじゃないですか」
     律くんは曖昧に笑った。

     結局そこで霊幻さんが起きてきたから、僕と律くんの会話はお開きになった。俺は机に戻って参考書を広げながら、ふと感じてしまった違和感について思いを巡らせていた。律くんのあのいい方に、まるで何等かを隠すような印象を受けたのだ。踏み込んではいけない場所に入ろうとした俺を引き留めるかのように。
     確かに俺は少々、デリカシーに欠けるきらいがある。この欠点に関しては自覚がないのだが、長年の引きこもり生活のせいでいまだに人との適切な距離感というのがつかみ切れていないせいだと思う。言ってはいけないことを口にして相手を黙らせてしまったり、逆に口を閉ざして相手を辟易させてしまったり。いわゆる「空気が読めない」の一言で片づけられてしまう特性は、不本意ながらまだ持ち合わせているらしい。
     けれど空気は読めなくても心は読みたいと思うし、それが近しい人間ならなおさらだった。特に霊幻さんという人は本音をさらけ出すことを極端に嫌う性質だから、俺みたいな馬鹿正直な人間からすると引きずり出してやりたい、という誘惑が渦巻いてくるのだ。涼しげな表情を壊してさらけ出す感情を見定めてみたい。そんな年端もいかない子供じみた思いは俺自身も持て余している。
     だけど律くんは俺と違って霊幻さんの方に属する人種だから、何も言わずとも理解していると思っていた。少なくとも自分よりはずっと相互理解が高いはずだ。してみるとここはやはり踏み込まれたくはないということか。これはきっと律くん自身に関してもそうなんだろう。
     人としての能力の高さ、というのはある意味自分自身を守る鎧みたいなのかもしれない。刃を立てられたら即座に跳ね返そうとするように、本能的に危機を察知して有耶無耶にしてしまう。霊幻さんもそうだし律くんもそうだ。暇を持て余した二人の会話が始まったが、表層だけを滑っていく言葉を耳にしながら、俺はさらにその確信を強めた。


     この日の仕事自体はつつがなく終わった。これ自体は平和でとてもいいことだ、商売上がったりとは言えるが。「よーし、お前ら帰っていいぞ」って言葉を機に俺は机の上を整理して帰宅に備える。律くんはもう既に上着を着て玄関のドアで一礼していた。姿が消えるとなんだか爽やかな空気さえも持っていってしまったようで俺はつい「なんだか律くんがいなくなるとわびしく感じますね」なんて口にしていた。
    「おーい芹沢。お前今日はやたら感傷的になってねえか?」
    「あ、はい、すみません! 本日はお疲れ様でした!」
     霊幻さんの怪訝な眼差しを背に俺は相談所を後にした。確かに俺のほうも感傷がすぎてるのは間違いない。これでは霊幻さんに悪い影響を与えてしまう。いかんいかん、明日からは頑張ろう、とまるでニートみたいなことを思いながら階段を降りる。すると帰ったはずの律くんがビルの壁に立って、こちらを伺うように覗き見てきた。
    「あ、どうしたの?」
    「いえ、芹沢さんに聞きたいことが……。少し時間もらえますか?」
     おずおずと、けれど意志の強い視線で俺を見据えながら声をかけてきた律くんに瞬間心がざわつく。わざわざ俺を呼び止めてまで聞きたいこととはなんだろうか。
    「うん、今日は学校じゃないから大丈夫だよ。いつもの喫茶店でいいかな」
    「はい」
     おとなしく頷く律くんの姿からは何も読み取れなかった。俺はテレパシストの真似事をあっさりと放棄し、ゆっくりと歩き始めた。

     いつもの喫茶店、とはうちが良く使う店で、入り口のドアを開けるなりカランコロンとベルが鳴るようなタイプのレトロなお店だ。店内は案外広く、サイフォンが置かれているカウンター席以外にもソファーが十近く設置されている。客の入りはまばらで、今日はぱらぱらと二、三人しか見当たらない。丁度いいな、と思いながら俺は適当な場所に腰掛けて律くんを促す。すっかり弾力のなくなったソファーがかえって腰を深く沈めてくれるのを心地よく感じながら運ばれてきた水に口をつけた。
    「芹沢さん、本当にすごく落ち着きましたよね」
     やがて、注文したアイスコーヒーを一口すすった後律くんは口を開いた。「僕からこういうことをおこがましいんですが、まるで別人みたいです」
    「あぁ……そうだよなあ。あの時は律くんにもひどい思いさせちゃったしなぁ」
    「いえ、そういう話じゃなくて! 霊幻さんのところで働き始めたときと全く別人みたいだなっていう話です」
    「分かってるよ。ありがとう律くん。でも爪にいたときの俺もまぎれもなく俺だからね」
     多分これは本題と違うことなんだろうな、と思いながら俺は昔のことをぽつぽつと語った。あの時は自分の人生のことしか考えられなかった。救い出してくれた社長が俺の世界のすべてで、忠義を尽くすためならこの身をなげうったっていいとまで思っていた。思想が間違っていることには気が付いていたけど見て見ぬふりをしていた。結果あんな大惨事が巻き起こされてたくさんの人に迷惑をかけてしまったことは俺にとっても一生の罪みたいなものだ。ここと向き合ってくことがこれからの俺の人生なのかなとはぼんやりと思っている。と。
    「なるほど、責任感ってやつですか。なんとなく僕にも分かります。道を踏み外したときは償いをしないといけないっていうことですよね」
    「まあそうだね。俺の場合償いで済まされるレベルじゃないかもしれないけど、他にできることもないしね。って、なんだか暗い話になってごめん」
    「いえいえ、芹沢さんのそういう誠実なところ、とてもいいと思います」
     律くんはきれいに微笑んだ。これもドラマのワンシーンみたいで、なんだかそわそわしてくる。霊幻さんとここに来るときは奥のテーブルに設置されているインベーダーゲームに興じながら会話を進めたりするから雲泥の差だ。しかし兄の影山君もこういう礼儀正しさは持ち合わせていたな、と思い出して微笑ましくなる。影山家はきっと、きちんとしたご家庭なのだろう。となるとうちみたいな世間的には外れた家業を手伝っている、というのはかなりイレギュラーなことなんだろう。超能力が使えるという特殊な状況下に置かれていることをもってしても。霊幻さんのことを疎ましく思っていたというのも実に頷ける話だ。
    「ところで話というのは霊幻さんのことなんですが」そしてようやく、律くんの口から本題が飛び出した。「兄がいなくなってから変わったことなどなかったですか?」これもまた決然とした口調だった。影山君が進路を決めたときのように。俺はやっぱり兄弟なんだなあとまたしても同じ感想を抱いた。
    「自分も気を付けて見てるつもりなんだけど、今のところは特に変わりないかな。ただこういうのは分かんないよね。少し時間が経ってから寂しさがこみ上げてくるってのもあるだろうし」
    「そうですよね。あの人にとって兄の存在はかけがえのないものだっただろうし。僕にできることは兄の近況を伝えることくらいですが、果たしてそれがいい事かどうか」
     律くんは少し首をかしげてため息をついた。俺は慌てて聞き返す。
    「え、それってどういう話? 影山君のことなら霊幻さん知っておきたいんじゃないの?」
    「そうでしょうね。けど、もう既に兄も大人ですし、これを機に適切な距離感を持って接してくれるといいのですが」
     なるほど。律くんの言うことはごもっともだ。しかしこれは第三者がどうこうできる話ではない。
    「どうだろうなあ。俺としては律くんの言いたいことはわかるけど、そういう感情って容易くコントロールできないものだしね」
     俺が社長を崇拝していたように、霊幻さんも影山くんになんらかの特別な感情を持っているようには見えた。それがどういう特別かはわからないけど、容易に踏み込んではいけない聖域に俺には思えたのだ。宗教を信ずる人間が神を信じるように、と言ったら大袈裟かもしれないが、少し近いところがあるのではないか。
    「芹沢さんみたいに冷静な方でもそう言うふうに思うんですね」
    「俺は全然冷静じゃないよ。人生における経験値が足りなすぎるしね。ただ、大切なものを守るためには冷静さを失ってはいけないと心得てるけど」
    「大切なもの、ですか。それが芹沢さんにとっては霊幻さん、ってことですか?」
    「まあそうなるのかなあ。自分の周りの人間はみんな大切に思ってるけど、霊幻さんに関しては特に使命を感じるっていうか。雇ってくれた恩義もあるけど、なんか危なっかしくてほっとけないんだよね」
     霊幻さんという人は不思議な人だ。
     安全の尊さを説いておいて自らが危機に飛び込んだりする。守銭奴的な言動をしておいて依頼料を固辞したりする。霊幻さんの中では理屈が通っている行動なのだろうが、側から見ると矛盾に満ちている。そもそも手段のための目的っていうやつがよく見えないのだ。
     仕事一つにしたってそうだ。給料を貰うためとかやり甲斐とか楽しさとか、そういう明確な何かを持って働くのが普通だと思う。俺みたいに責任をまっとうしたいっていうのも目的だ。影山くんが家を出たことも。夢を見つけてそこに邁進するために彼の日々があるのだろう。
     けれど霊幻さんは、本人も言っていたが流されるままにここまで来てしまったらしく、だったらせめて毎日を面白おかしく生きてもいいんじゃないかと思うのだがときおり命を張ったりする。そばにいる人間からすると、ほんとにやめてほしい。もっと自分を大切にしてほしい。けれどこういうのも第三者からするとどうにもならない。結局はお互いが別の人間だからだ。
    「確かにそうですね。僕から見てもそう思います。色々大変だと思いますが、霊幻さんをよろしくお願いします。これは兄に代わってのお願いですが」
     律くんが深く頭を下げた。俺は神妙な表情を作って「分かりました」と答える。ああこのやり取りも影山君の時と一緒だったなとまたしても思いながら。

     話はおそらく終わったのであろう。律くんからなんとなしに固い空気がほどかれた気がする。俺はぬるくなったコーヒーをすすった後、思い切って切り出してみる。
    「そういえばさ、律くんはもう霊幻さんのこと否定的には見てないの?」
     俺の問いに一瞬瞳が見開かれたが、すぐに微苦笑に変わる。「もう僕も大人ですので。昔みたいになんでも否定したりはしませんよ。少なくとも兄に危害を加えることはあり得ないでしょうし」
    「そうかあ」
    「まあ、あの人の言葉は基本的に疑ってかかっていますが。ただ、人を陥れたりするような人ではないと思いますよ。利用はするかもしれませんが。芹沢さん、どうかお気をつけて」
    「いや、俺は利用されるの嫌いじゃないんだよね。そもそもそのためにここにいるってこともあるし。だから大丈夫だよ、律くん」
     俺の言葉に律くんの眼があえなく緩んだ。まるで子供を見つめるときのような、慈愛に満ちたまなざしだった。

     律くんとは喫茶店を出るなり別れた。一人で調味の繫華街を歩きながらぼんやりと考える。霊幻さんはわりに幸せだと思う。こんなにたくさんの人に心配されている。だからやっぱりもっと自分を大切にしてほしい、と思うのだがどうしてうまくいかないのだろうか。
     少し前までは、こんなこともあって飲みに誘ったりもした。けれどお互いにアルコールは苦手だから素面での会話にはなる。霊幻さんはどうしたって本心を言わない。俺の方ももっと自分を大切にしてください、なんて突然口にするほどには素直な性格はしていない。そもそも言ったところではぐらかされるだけだろうし、やんわりと笑って「芹沢くんはそういうこと言うんだ」なんて揶揄われるだろうし。しかも男二人で飲んでいると、妙にわびしくなったりもする。俺はそうでもないんだけど、霊幻さんにその兆候があった。「なんかさ、四十五十になっても俺こんな感じなのかなあ」なんて一人ごちたときはどうしようかと思った。ああこれはきっとシンプルな話なんだなとは思ったが、俺には何も言えなかった。
     霊幻さんに恋人とか奥さんとか、特別な人が出来ればいいんだ。子供が出来たりするとより一層いいんだと思う。守るべきものが出来たら、こういった危なっかしさが消えるんだろう。一緒にいて暫く経ってようやく気が付いたシンプルな結論ではあったが、俺には何のアドバイスもできない。俺はいまだに恋というものを知らなかった。人をそういう意味で好きになる、っていうのがいまいちピンとこない。
     だけど昔みたいに状況的に不可能なわけじゃなかった。学校に行くようになったことで異性と接する機会も格段に増えたし、仕事を介しても全くなくはない。こんな俺でも、好意を寄せられるということはたまにはあって、わりに明確にアプローチされたりしたこともあった。「今度遊びに行きませんか?」と誘われて断る理由もなしに一日付き合うと、「また誘ってもいいですか?」とその一日が続いていく。
     最初のころは俺を好きになる人なんてそうそういないと思っていたから、これはいわゆる錯覚なのかと決めつけていた。ただ友達として仲良くしたいだけなのだろうと。でもその女の子から「一度も誘ってくれないんだね」って寂しそうに言われたとき、これは錯覚じゃなかったんだとようやく気が付いた。「ごめんね」って口にしたとたんに「こういう時に謝るのは最悪だよ」と捨て台詞まで吐かれたから、やっぱりあれは明確なアプローチだったのだ。
     他にも飲み会の時に物理的に接近されたりとか。まあこれは酔っていたせいかもしれないけど、少なくとも俺をそういう目で見ていたことは間違いないんだろう。だけどそんなあれこれは俺に何の感動も与えず、ただ戸惑いだけをもたらしてきたのだ。べつに女に興味がないわけじゃない。けれどやっぱり好きな人じゃないと嫌だ。好きのあれこれが分かっていないくせにおかしな話だと自分でも思うが、ただ女性だっていうだけで付き合ったりあれこれをしたりするっていうのは、俺には到底無理な話だった。
     だからもしかしたら一生このままで終わるのかもしれない。霊幻さんじゃないけど、四十五十になってもこんな感じの自分は容易に想像がつく。確かにちょっと寂しい人生かもしれない。けれどもう昔みたいに独りぼっちではないのだし、そうなったところで不幸だとは全く思わない。
     ただやっぱり恋というものはしてみたいし、たとえ報われなくても人をそういう風に好きになってみたい。けれもこれだってそんな単純な話ではない。心っていうのは厄介で面倒なものなのだ。
     だから霊幻さんに女性を紹介すれば万事解決、みたいなそんな単純な話ではないのだろう。話した感じだと恋愛に関してはものすごく腰が引けていたから、俺よりよっぽど難しいのかもしれない。霊幻さん、ありのままでもいいと思うんだけどなあ。本当の自分を見せたら振られるって言ってたけど、とりつくろわなきゃいいだけの話だし。まあそれが出来ないのが霊幻さんらしいところだけど。
     そんな風に脈絡もなくあれこれを考えているうちにいつの間にか自宅近くのコンビニまで来ていた。小腹が空いていたので揚げ物の類やらおにぎりやらを購入し、真っすぐに家に帰る。
     築年数俺以上の年季の入ったアパートが俺の住処だった。正直相談所のみの収入では生活が心もとないのだが、これ以上母ちゃんに迷惑をかけるのも忍びなく、ちょっと前に家を出たのだ。幸いにして爪時代の貯金がそこそこあった。あとはもう少し相談所が軌道に乗れば俺一人なんとか生きていけるだろう。オートロックはおろかベランダもほとんどない部屋だけがあるシンプルなつくりではあったが、生活していく分にはまるで困らなかった。
     確か霊幻さんも似たような生活だった。前に酔って眠ってしまった彼を送っていったとき家にまで上がらせてもらったのだが、簡素に片付いてはいたものの広さ自体は今の俺の家とさほど変わりない。多分欲が薄い人なんだと思う。それっていいことに聞こえるかもしれないがそうでもない。もう少し欲でぎらついたところがあったら、もっとうまく世の中を渡って行けたはずだ。あれだけの能力高いひとなんだし。
     しかし所長と副所長がそろいもそろってアパート暮らしってどうなんだ。ブラック企業もいいとこじゃないか。俺はテレビをつけ、買ってきた唐揚げをもぐもぐ食しながらなんだかおかしくなってくる。いや俺はいいんだ、長年の引きこもりっていうハンデがあるからこんなものだろう。しかもべつに贅沢とか興味ないし。してみると俺も霊幻さんと同じ人種ってことか。そうだろうな。でないとこんなに仲良く二人で相談所を回してこれなかっただろう。
     いや俺らだけじゃない、律くんだってその兆候がある。あれだけ勉強ができるんだから最高峰の大学目指して世の中を変えるような仕事にだって携われそうなものなのに。家族思いが過ぎるし人に対する優しさが過ぎる。若いんだしもっと自分の夢を追いかけていけばいいのに。賢い故かもしれないが自分を枠内に収めてしまっている気がする。すごくもったいないことだと思う。
     だけどそう思うのは俺が客観的に見ているからだけで、律くんとしては幸せな人生かもしれない。きっとそのうち彼女とかできて……いやもういてもおかしくないか。その女性を大切にしていずれ結婚して、幸せな家庭を築いて、っていうのが目に浮かぶようだ。そうなったらやっぱり霊幻さん寂しがるんだろうか。寂しいだろうな。影山君もいずれ結婚とかするだろうから、俺たちは延々とみんなの結婚を祝福する立場ってことか。うーん、ちょっと寂しい人生かもなあ。やっぱり俺も霊幻さんも彼女を作るべきなのかもしれない。ここだけの話、ずっと独身のままだったら将来的に霊幻さんとルームシェアするのもありかもなあ、って思っていたのだが、とりあえずその安易な考えは捨てることにしよう。

     俺は霊幻さんにメッセージを送る。「今暇ですか?」と。すぐに返ってくる。「どうした? 飲みにでも行きたいのか?」と。このレスポンスの速さにすでに独り身ならではのわびしさが匂ってくるが、そこには触れずに俺はまたメッセージを送った。
    「飲みもいいんですけど、俺たちはもっと真剣に自分の人生に向き合わなくてはいけないような気がしまして」
    「なんだよ急に」
    「影山君がいなくなって寂しいじゃないですか。きっと律くんが自立したりしても同じことを思うと思うんですよね。だから俺たちが変わらなきゃいけないんじゃないか、って」
     言葉って不思議だ。こんなセリフとうてい素面では言えたもんじゃないけど、携帯でのメッセージなら簡単に送れてしまう。文面に青臭さと気恥ずかしさはどうしても募ってくるが。しかも霊幻さんからの返信がすぐに返ってこないからよけいにこそばゆいが、仕方ない。こんなメッセージに対応するのもむず痒い、っていうのはよく分かる。
    「具体的に何がしたいんだよ、芹沢」しばし時間があってそれだけが返ってきた。
    「いや、それは霊幻さんに考えてもらおうかと」
    「なんだお前、やる気ないんじゃないか。らしいっちゃらしいけどな。現状に満足してるんだろ?」
    「はい、霊幻さんのおかげで。でもだからこそ決意っていうのが必要かと」
    「まー言いたいことはなんとなくわかるけどな。けどマッチングアプリ始めたいとか相席居酒屋に行きたいとかいう話だったら、俺は即却下するからな」
     すごい。何も言ってないのに核心だけが返信として返ってくる。まあ全否定だけど。そして立て続けにポップアップされる。
    「俺はな、別にそういうのだけが人生だと思ってないんだよな。確かに寂しいって気持ちがないって言ったら噓になるけどさ、生きてるだけで尊いっていうのもあるだろ? お前がどう思ってるかはわかんねえけどさ、俺はこの生活がずっと続いたところで後悔するってことはないかな」
     実に霊幻さんらしい文面だった。俺はなんて返そうかしばし悩んだが結局なにも浮かばず、「わかりました、俺はもう少し考えてみます」とだけを送った。


     この人のこういう思想はたぶん正しい。いわゆる「足るを知る」ってやつだ。中国の昔の偉い人の言葉。欲を捨てて現状に満足せよっていう意味だったと記憶している。人間の欲望にはきりがないからそう考えた方が幸せになれるっていう教えだ。これ自体は俺も、すごく頷けるところがある。
     けれど欲がない、いわゆる修行僧みたいな人生って果たしてどうなんだろうか。霊幻さん自身はそこまでは突き詰めていないだろうけど、わりと近づいて行っている感触はある。やはり生死の境目を見続けたせいだろうか、なんとなしに人生を俯瞰した気になって目の前のことから目をそらしているってのはあると思う。もっと俗っぽく生きてもいいんじゃないか。いわゆる霊幻さんの美学ってやつには反するかもしれないけど、もう少し、自分の欲望ってやつに目を向けてほしい。
     けれど俺だってマッチングアプリ的なやつは興味ないし女性と話すのも面倒だとか思ってしまうから到底人のことは言えないのだが。そしてこれは人と話したことはないのだが、性欲に関しては抑え込む習性がついてる。超能力の暴走を止めるようにあっちの方も懸命にシャットダウンさせてきたから、実際の女性にアレコレっていうのがないのだ。どうしてかって? これは察してほしい。一言でいうとうまくコントロールできないから、って話なのだが。まあ引きこもり時代みたいに若くはないからある程度は開放しても大丈夫かもしれないが、それは実際に好きな相手が出来てから考えればいいんじゃないかって思ってる。いや三十五にもなる俺がこんなことを言っても普通に考えたら笑われるだけの話だろうけど。
     だけどもし、このまま何も起こらずに時が過ぎて、一生を恋もせず……いわゆる童貞のままに終えて俺は後悔しないんだろうか? セックスというものはおそらくいいものなんだろう。映像やら伝聞やらの知識しかないが、人と肌を合わせて抱き合ってということを考えただけでなんだか幸せになれそうな気がする。直接的な快楽に関しては一人でもなんとかなるからそこまでの欲求は感じないのだが、触れ合いたい、っていう気持ちは嫌というほどわかる。
     すごいよなあ。世の中の人はみんな好きな相手を見つけてセックスしてるっていうことなんだよな。なんて、いかにも童貞丸出しの思考を繰り返しながら俺は畳の上に転がる。俺の今一番の夢って言ったらやっぱり恋をすることなのかな。一度もしたことがないからそう思うんだろうけど。霊幻さんもいろいろあったんだろうな。聞くのは憚られるから聞いたことはないけど。
    「あーあ。結局全然だめじゃん俺」
     色々を考えてみても何の解決にもならない。そもそも霊幻さんの寂しさを解決するにはっていう話がどうして俺の性事情の話になったんだ。いや、繋がってないとは言わないが短絡的ではある。俺はまた反省を繰り返しながら、まったく内容も追えなかったテレビを消して風呂をためるべく立ち上がった。


     恋がしたい。
     もし俺がこう言ったらみんなどんな反応をするのだろうか。
     影山君なら「そのうちいい人が現れると思います」と言うだろうし、律くんなら「芹沢さんならいつでもできるんじゃないでしょうか?」とか言いそうだ。テルくんやショウくんに言ったら実際に女性を紹介されてしまうかもしれない。二十近く年上の俺が一番恋愛を怖がっているっていうんだからやっぱり笑える話だ。
     けれど霊幻さんは「恋愛だけが人生じゃない」っていうスタンスだから一番重症だと思う。やっぱり良くない。よし、俺もたまにはびしっと言おう。いわゆる「自分なりに考えた成果」というものを霊幻さんにぶつけて一緒に考えてもらおう。俺たちはもっと人と関わっていくべきだと。表層をなぞるだけではなくもっと深いところまで関わって、そこから人生を見出していくべきだと。

     べつに何かが始まったわけじゃないが、考えがまとまるとすっきりしてその日はよく眠れた。朝起きて吸い込んだ空気すらも清々しく感じ、なんとなしにいい出会いっていうものがありそうな気すらしてくる。いや、実際になくても仕方ないとは思っているがこれは気持ちの持ちようなのだ。心なしか鏡に映る自分の顔すら普段よりきりっとしている気がする。まあ律くんはおろか霊幻さんのビジュアルにも遠く及ばないけど。でも俺はここに関しては気にしていない。これは本心だ。

     家を出ていつものように相談所に向かう。確認した携帯にはいまだ連絡は入っていないから、予定通りの一日ってことか。ビルの階段を上がり、相談所入口のすりガラスのドアにたどり着く。もうすでに霊幻さんは出勤済みらしく蛍光灯の明かりが白く滲んでいた。俺はすうっと息を吸ってドアを開けようとした。その時だった。
    「霊幻さん、いい加減に真剣に考えてはくれないんですか?」
     律くんの声が、廊下まで鮮明に響いてきたのだった。

     いつになく真剣な口調に、なぜだか胸騒ぎがして単純にドアを開けることが出来なかった。俺は少し迷ったが、能力を使ってドアの間にほんの少しだけの隙間を確保してそっと耳を傾ける。次に聞こえたのは霊幻さんのため息だった。「もう芹沢も来る時間だからその辺にしとけ」とそっけなく言葉が続く。何の話だ? 想像を凝らしてみてもまるで見当がつかない。
    「その辺、って。あなたはいつだって僕をはぐらかすだけじゃないですか」
    「はぐらかしてねえだろ? いつも簡潔に回答を返してるつもりだが」
    「そんな本心でもなんでもない答え、返事でもなんでもないでしょう」
     まるで口論でもしているかのようによどみなく続く会話は、まるで要領を得なかった。当たり前だ、二人の会話には主語が抜けているのだから。律くんが何等かを訴えて、霊幻さんは返事をしたと言い張る。律くんが訴えたことは何なんだ。俺は懸命に気配を押し殺しながら考える。見た目も心もさらりとした水のように澄み切っているかのように見える律くんが、霊幻さんに望むこととは。
    「ほんと言うねえ律くんは。いやぁうらやましいわ高校生の自信」
    「茶化さないでください。そもそもあなたが毎日寂しそうな顔をさらしてるくせに放っておけるわけはないじゃないですか?」
     律くんの口調が強くなる。俺は思わず大きく息を吸い込みそうになり慌てて押さえた。いくら鈍い俺にだって分かる律くんの本心。言葉自体は昨日俺が言っていたことと変わりないものの、まるでその意図が違っていることは明白だった。
     そうだよなあ。考えてみればつじつまが合う。律くんが霊幻さんを率直に心配していること、昨日あえて俺を呼び止めてきたこと。ちょっとおかしいとは思ったんだ、影山君至上主義の律くんにしては霊幻さんの立場でものを考えすぎてるって。それに昔ほど影山君にべったりっていう感じでもなくなっていたし、なんて思うと、実にしっくりくる。そして俺を呼び止めてきたことに関しては、俺の本心を見据えておきたかったっていうところか。自分がそうなったように、霊幻さんに対して特別な感情を持ってるんじゃないか、という懸念を抱いて。
    「おい、律。ちょっと待て、顔怖いんですけど……?」
    「僕はもともとこういう顔ですが。もし怖いとしたら、あなたが僕のことを怖がっているだけじゃないですか?」
     心臓が跳ねる。いわゆる愛の告白の現場に遭遇したせいかもしれないし、それが自分の良く知っている人間だからかもしれない。けれどこのどきどきした鼓動は、まるで自分事のようにうるさく鳴り喚いた。これはなんだろう。恋が伝播したってことなのか。いわゆる律くんの本気にあてられて、俺はシンクロしてしまったのか?
    「霊幻さん、僕の力は兄に及ぶべくもないけど、気持ちだけは誰にも負けませんから」
     まるで宣戦布告のような言葉には、言外に俺のことも含まれてるんだろう。確かに俺の霊幻さんに対する感情は、ただの部下にしては逸脱してるところがある。律くんがおかしく思っても仕方ないかもしれない。今一番大切な人間は誰だ、って言われたら俺は間違いなく霊幻さんを挙げるから。
     けれどこの気持ちはそういう好きじゃないし、恋、っていう感情からはかけ離れているものだ……おそらく。現に昨日だってそういう流れでメッセージのやり取りをしたし? 霊幻さんに恋人が出来て結婚して幸せになればいいって思っていたし? ……ってなんで過去形なんだ俺。
     多分これは突発的な状況に落とされて混乱しているだけだ。けれど実際に霊幻さんの言葉がなくなり、沈黙が流れ出した瞬間、俺はそ知らぬふりをして目の前のドアを開けてた。二人の視線が一気に自分に注がれる。俺は何気ない顔をして「おはようございます。あ、律くん今日もよろしくね」なんて口にして自分の席に座っていた。
     案外俺という人間は、ポーカーフェイスが得意なのだ。
     そしてこの二人もそうで、場は一気に砕けた雰囲気に移り変わり「今日はそんな仕事ねーけど頼むな」なんて霊幻さんも口にしている。律くんの「分かりました」という声こそ硬かったものの涼しげな顔はさっきまでの熱烈な言葉とはまるでかけ離れていた。三人が三人とも大人の処世術ってやつを駆使して、この場を切り抜けたのだ。
     そして俺はいつものように参考書に目を向けながら必死に考える。自分自身の気持ちについて。まるで邪魔をするかのようにドアを開けたのは、俺自身も霊幻さんのことが好きなのか? いや、これこそ短絡的すぎるんじゃないか? 恋がしたいから目の前の上司を好きになりました、だなんていくらなんでも面倒くさがりが過ぎるだろう。
     けれどさっき、律くんに霊幻さんが篭絡されてほしくなかったし、されるところは見たくなかった。ここが不思議だった。俺自身は律くんにいい印象を持っているのに、それなのに。だけどもし霊幻さんが「仕方ねえな、律」なんて言ってその手を取ったら、俺はやっぱり悲しい。この気持ちは何だろう。あまり考えたくないところではあったが、正体を突き止めないとそれこそ前に進めそうにない。
     ただ分かったことは、霊幻さんにとっても俺の存在が特別になってるんじゃないか、って思ってたことだ。仕事をともにする時間も長いしプライベートもかなり付き合ってる。ある意味夫婦なんかよりよっぽど一緒にいる時間が長いだろうから、お互いにかけがえのない存在になってるだろう、と思い込んでいたのは事実だ。
     だからこれはきっと、影山君が自立して霊幻さんが寂しくなったのと一緒で、霊幻さんが律くんといざ幸せになろうとしたら寂しくなっただけの話か? いや、それにしては俺は律くんの一言一句に反応し過ぎてた。共感すらも覚えていたのだ。
     律くんの懸念はほんとうだったのか。俺自身も気づいていない気持ちに気が付いていたっていうのか。けれど未だにどっちなのかはわからない。これが恋とか愛というジャンルに含まれる感情なのかは……なんて言ったって経験がないのだし。
     ならやっぱ結局はこれについて考えなくてはいけないのか、すげー気乗りしないけど。俺は霊幻さんとセックスできるのだろうか? いやいきなりって話だししかもパワーワードすぎて自分に引くけど。しかもこれもいざトライしてみないとわからない話だし。ただ、全否定、っていうことにはならないのだから、俺はやっぱりそれなりに霊幻さんを好きではあるらしい。
     一緒に飲みに行って眠ってしまった霊幻さんの肩を揺さぶったとき。連れて帰って寝かせてあげたとき。そこそこの接触にはなってしまったが、まるで嫌ではなかった。べつに好きな相手ではなくても、体が触れ合うのはいいもんだななんてこっそり思っていた。霊幻さんの身体は当たり前だけどほんのり暖かくて、なんだか幸せな気持ちになったのだ。
     だけど確かに、実際にアプローチしてきた女の子にはそうは思わなかったから、やっぱり気持ちが入っていたのだろう。霊幻さんが男だということであり得ないと思い込んでいたから、まったく考えもしなかったが。でもそう認めてしまうと、なんだか指先が霊幻さんに触れたがっているような気がしてくるから不思議だった。部下として誠実に尽くして同僚として一緒に時間を過ごしつつも、そこから一歩踏み出してもいい、って思っていたのか。

     そこまで考え、俺は大きく息をついた。ざわざわと不穏に動き出す心をなだめながら。
     
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    Replies from the creator

    umi_scr

    DONE付き合って別れてまたすぐにくっつく芹霊のしょーもない話。
    性描写はないので年齢制限入れませんがわりに不穏です……。
    芹沢さんが女と付き合ったり倫理観がアレだったりするので何でも許せる方向けです。
    どうかご注意ください。

    バレンタインな話にするつもりがほぼ無関係などうしようもない話になりました。自分の性癖に忠実にごりごり書きました。こんなめでたい日にほんとすみません!
    別れても好きな人 何かの間違いで部下と付き合って別れて、もう半年になる。付き合った期間はもっと短く、たった四か月だった。けれど密度は数年にわたるお付き合いって程に濃ゆくて、しかしそれは別れたことの原因でもあった。

    「好きです……好き、みたいです……多分好きなんだと思うんです」
     始まりは飲みに行った帰り道だった。ずいぶん歯切れの悪い告白で、けれど「好き」という言葉を連呼しただけっていうのが実に芹沢らしいなと思いながら、俺はなぜかその告白を受け入れてしまったのだ。

    「ちょっと待て、あの夜は俺は酔っていたんだ……つうかお前酔って告白なんてベタなことやめろよ、ノーカンだからなノーカン」
    「霊幻さん往生際悪くないですか? 覚えていない、ってことはないんですよね? へにゃって笑って、『俺も好きだよ』って言ってくれたことを」
    6982

    umi_scr

    MOURNING支部にあげた「恋の話」(霊幻さんは芹沢と律どっちを選ぶのか?っていう話)
    プロット立てないで何も考えずに文章書いたらどうなるのか? っていう実験を芹沢一人称でやってみたら、導入で二万字行ったので驚愕したよね……
    このノリでやってたら永遠に終わらなかった。危なかった。

    勿体ないのでここに供養させてください。内容は支部に上げたものに近いので真新しいところは少ないです。導入なので中途半端に終わります!
    恋の話(リライト前) 影山君から家を出る、って聞いたとき俺は単純にすごいなあと思った。将来を定めた決然とした姿は、中学生当時の影山君とはまるで違っていた。あの頃から自分の考えをしっかり持った子供ではあったが、霊幻さんに選択肢をゆだねる頼りなさは年相応だった。いつの間にか成長していた姿を目の当たりにして、年月の重みをぐっと感じた。
    「芹沢さん、霊幻さんを頼みますね」
     はにかみながら俺にそう言った影山君もあの頃とはかけ離れて大人びていた。わかりました、と神妙に答えながら俺はふと霊幻さんのことを考えた。師匠と弟子、という単純な言葉では測れない絆みたいなものを日ごろから強く感じてはいるが、だとするとこの状況は彼にとってどうなのだろうか。まるで子供が巣立ったあとの母親のように、抜け殻になってしまうのではないだろうか? 俺だって影山君の姿に寂しさを感じなくはないのだから、霊幻さんならことさらだろう。
    21020

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