ランウェイで踊る パッと照明がランウェイを照らす。ここは他でもない自分のためのステージで、自分と、それから自分が身骨を注いだ作品を魅せる、そういう場所だ。
しかし、晴天の霹靂、そこに不躾な侵入者があった。ラベンダーアッシュの髪をふわふわと揺らした侵入者はランウェイの先にいた滝夜叉丸の手を取って腰を捕まえた。まるで、今からワルツでも踊るみたいだった。
「喜八郎!」
会場から焦りを含んだ怒鳴り声がして、ハッとするには薄い反応で、その侵入者は「おやまぁ」と呟いてぱっと手を離した。急なことで頭が回っておらず、体を支えられないままその真ん中でべしゃり、と転んだが、引き起こした本人はケロッとランウェイを降りてしまった。
慌てて立ち上がり、澄ましてみたが、周りも呆気にとられている。平常心、平常心と言い聞かせながら引き返し、優雅な振る舞いを心がけていても、僅かに指先と脚が震えていた。
「滝夜叉丸!大丈夫!?」
舞台袖にはいると、ヘアメイクで協力してくれていたタカ丸が飛んできて、安心したのかその場にへにゃへにゃと崩れ落ちる。
「あの男……私にミューズ、と」
あの音楽が流れる会場の中で、抱きとめられた滝夜叉丸にだけ聞こえていた呟きだった。自らが美しいという自覚はあるが、周りは自身の美貌に圧倒されているようで滅多にそう言われることは無かった。だから、うっかり頬が熱を持ってしまっている。
『僕のミューズ』
落ち着いた、静かな声。メイクをしていて良かった、照明に照らされていなくて良かった、舞台袖でよかった。まるで乙女のように頬を抑える滝夜叉丸を通行の邪魔にならないようにタカ丸は肩を掴んで隅に寄せた。
「あれ、たしか彫刻科の……」
「喜八郎、と」
あれは彫刻科でありとあらゆる賞を取り、天才などと持て囃されているにも関わらず、そんなこと気にもとめずに大学の構内に作品を作りまくるという変人伝説をもつ同級生だ。その造形に執着する狂人から「ミューズ」と呼ばれた自分の容姿端麗さを恐ろしく思う。
そんなことを座り込みながらつらつらと話し出した滝夜叉丸にタカ丸さんは呆れたように笑って返事をした。
この出来事はすぐに「滝夜叉丸ランウェイめちゃくちゃ事件パート2」として大学内で広まっていた。
少し時を戻すと、滝夜叉丸は大学の学園祭であるファッションショーの準備に奔走していた。
2年生ともなると初々しく、不格好でも一所懸命であれば評価されていた頃とは違い、何らかの個性や工夫、実力でものを言わせなければならない。また、外部の人からも見られているのであれば尚のことである。
服飾デザイン学科の中で座学、実技の成績だけで判断すると一番である平滝夜叉丸といえばデザイン学部の中でもその名声が知れ渡っているし、滝夜叉丸自身もこの美貌をもってしては仕方のないことだと思っていた。実際はそういう理由ではないにせよ。
「滝夜叉丸は今年も自分でランウェイに立つカンジ?」
美容文化学科の斉藤タカ丸は年齢こそ2つ上だが、同級生であり、入学したてのファッションショーでヘアメイクなどを担当してもらってからの付き合いだった。彼も実技は学科内でトップクラスであり、どうやら憧れの的らしいが飄々とした態度で滝夜叉丸を最優先にして手伝ってくれていた。本人曰く「何か落ち着くから」らしいが周りは滝夜叉丸のやかましさも知っている為そのことに首を傾げていた。
閑話休題。タカ丸は滝夜叉丸が用意している服のデザインを眺めながら彼に尋ねた。それに対して滝夜叉丸は胸を張って威風堂々と「はい!」と返事をした。
「他にモデルはもう頼まないの?」
「私の服はやはり私が一番似合いますから!」
「三木ヱ門とかは?展示だけだから当日は空いてるみたいだったけど。」
「…あいつはチビですから」
「そんな変わらないでしょ」
ぐぐぐ、と悔しそうにしている滝夜叉丸をみてタカ丸ははぁ、とため息をついてから笑った。三木ヱ門は確かに、華やかな容姿をしており、滝夜叉丸のゴテゴテとした派手な服にも負けない顔立ちをしている。しかし、それで以前モデルを頼んだ際に着せたものがドレスであった為、それ以来断固として断られているのである。
「ランウェイで恥をかくのはお前だけで良かっただろ!」
と、持たせたうさぎのぬいぐるみを床に叩きつけられたのは記憶に新しい。しかし、やつはなんだかんだやり遂げてもいたし、滝夜叉丸はそれ以降たまに「あのモデルの女の子は誰だったのか」と聞かれることがあったが、三木ヱ門の個人的な付き合いに毛ほども興味がなかった為「フランスに留学した」と雑な嘘をついたりした。
「……別に僕は滝夜叉丸が滝夜叉丸の服を着てもいいと思うけどさ」
そう言いながらクロッキー帳を眺めていたタカ丸は顔を上げてじっと滝夜叉丸を見つめた。
「どうする?髪伸びたよね。顎の辺りに切りそろえようか?」
「うーん、ボブの私も美しいですが、もういいかなと思って降りまして…次は伸ばしてみても良いかなと」
「うん、それも似合うと思うし…肩より少し下だから今回は結んだりしてヘアアレンジもかなり幅が広がると思うよ。」
「本当ですか!?楽しみだなぁ」
ニコニコと滝夜叉丸がはしゃいでいた。タカ丸に対する気遣いなどでも何でもなく、単純に自分の容姿の様々なパターンが見れるのが楽しみだった。それから喧々諤々し、ランウェイに立ったビジュアルは二人で完成させたと言っても過言ではなかった。
さて、その当のファッションショーは成功とは言えなかった。なぜなら、「侵入者」があったからである。周りからは同情の声もあったし、舞台袖では久しぶりにタカ丸によって作り上げられた綺麗なポニーテールが動揺で揺れていたが、滝夜叉丸はそれほど悪い気分だというわけでもなかった。
何故なら、自分の美しさが圧倒的だという証明になったからである。1年生の頃の出来事や、日々学びで切磋琢磨していると、この滝夜叉丸でさえも少し、ほんの僅かに自分の才能を疑いそうになる。ましてや、1年生の頃はある出来事をきっかけにスランプとやらにぶち当たりかけたこともあったりしていて、だんだんと調子を取り戻しかけた頃に、造形の天才でもある綾部喜八郎から「ミューズ」という最高の称号を貰えたのは心底嬉しかった。
「タカ丸さん、やはりこの服を纏う私は美しいですか?美しすぎますよね?一年間も同じ学び舎にいたというのにこのタイミングだったのは、ひとえに私と私の才能から生まれたこの服があまりにも素晴らしい調和を織り成していたからに他ならないと思いますよね?」
「うんうん、滝夜叉丸にぴったりだと思うよ。ところで何故こんなところで待ってるの?」
「いや、なんか三木ヱ門の知人が私に用があると言って連絡がありまして……」
「すみませーん」
学食とは思えないテンションで滝夜叉丸がひとり劇場を繰り広げてはいたが、昼もすぎて人がまばらにしか居ない時間であるため適当に泳がせていたが、なんの用かははっきりと聞いておらず何となく確認の言葉を投げかけた。
ちょうどそのタイミングで、背後から間延びした声がかけられた。
「あっ…綾部喜八郎!」
「おやまぁ、僕の名前知ってるんだ。この間はどうもすみませんでした。コチラカシオリデス。」
ぽやっとした様子で現れた男は、まるでそう言えといわれたと言わんばかりに感情のこもらない片言の言葉で紙袋を差し出した。流石の滝夜叉丸も驚きながらそれを「ああ、どうも」と受け取っていた。
「いや〜前はファッションショーをめちゃくちゃにしちゃったみたいで、どうもすみません。」
「いやいや、こちらこそ、私が美しすぎてしまったのも良くなかったので。」
「あっ、そう?なんか一緒にいた先輩に謝りにいけって言われたから三木ヱ門に頼んで今日来たんだけど。」
「そうなのか?私はあまり気にしてないが。」
「あれぇ?そういうかんじ?」
あれよあれよと砕けた口調になって席に着いた二人に呆気にとられたのはタカ丸の方だった。しかし滝夜叉丸は「おっここのどら焼き美味しいんだよな。タカ丸さんもどうぞ。」なんて言いながら箱から取り出してタカ丸と喜八郎の前に置いた。喜八郎もさも当たり前みたいにどら焼きの袋をあけて「いただきまーす」なんて言い出している。
「あ、そうだ、滝夜叉丸サン」
「ん?滝夜叉丸でいいぞ」
「そう?滝夜叉丸、お願いがあるんだけど」
「お願い?どうしたんだ?」
謝りに来たんじゃないの?やらこの感じでお願いごとを?なんて考える人はこの場にはおらず、タカ丸も考えることを放棄して「どら焼き美味しい〜」なんて言っている。
食べ終わった袋を丁寧にたたみだした滝夜叉丸をじっとみながら、喜八郎は言った。
「滝夜叉丸、僕のモデルになってよ」