ランウェイで踊る④「今日は帰った方がいいかもねぇ」
タカ丸が喜八郎にそう言った。滝夜叉丸は三木ヱ門と出ていったきり戻っては来ていないが、タカ丸が暗に帰ることを促しているのは察することが出来た。タカ丸さんは帰らないんですか、とは何となく聞くことは出来なくて、そればっかりは付き合いの長さである為仕方がないとは思う。
そのまま大人しく部屋から出ると、廊下の先に人影があった。滝夜叉丸もそうだが、三木ヱ門もなんだか目立つため、二人がいると遠くからでも分かるもんだな、なんて考えながらぼんやりとそこを眺めていた。
遠くだから、何を話しているかなんて分からない。けれど俯いていた三木ヱ門の頭に手を置いた滝夜叉丸を見て「そういうやつなんだよなぁ」と思った。
三木ヱ門と滝夜叉丸がなんだか不思議な関係性だ、というのを知ったのは最近のことだった。というより、滝夜叉丸を知ったのが最近だっただけなのだが。
元々仙蔵からの紹介で、三木ヱ門とは何となく知り合いで、まあ、友人と呼んでも問題ではないぐらいの間柄ではあった。そのため彼が相当癖のある性格だというのは理解していたが、滝夜叉丸を紹介する、となった際は仙蔵でも分かるほど嫌そうな顔をしていた。しかし、嫌いという訳では無いらしい、というのも同時に理解していた。
(ままならないな)
モデルになって欲しいだけなのに、こうもこだわってしまう自分のらしく無さにも、少しだけ疲れてきた。
「どうだった?」
「どうだったって?」
「今日も滝夜叉丸の所に行っていたんじゃないのか?」
「ああ、それですか」
サークルの部室に入ると、机に向かっていた仙蔵が顔を上げて喜八郎ににやにやと尋ねてきた。何故よりによって、今日は二人きりなんだとか、この人はいちいち面倒な態度なんだとか、様々な不満が込み上げてくる。その時、返事を待っていた仙蔵があはは、と声を出して笑った。
「どうした喜八郎、お前、今日は不機嫌か?」
「別にぃ」
ぶすっとした顔のまま、手招きをした仙蔵のそばに腰掛けた。すると彼は頭を撫でようとしてきて、更に腹が立って喜八郎はその手を払いのけた。
「やっぱり不機嫌だ」
「誰だっていきなり頭を撫でられたらこうなるでしょう」
「いいや、違うね、お前は機嫌がいいとそのまま放置するタイプだ。」
そんな事ない、と言い返そうとしたが、口を開けた時にそんなことはあるかも、と思い出して口を閉じた。それがおかしかったらしく仙蔵は更に笑っていた。
「何だ?滝夜叉丸のことか?」
「滝夜叉丸滝夜叉丸って、やめてくださいよ」
この人は、あのファッションショーの日からずっとそうだ。自分が誤解させてしまうような行動をとったのは理解してる。でも、まるで喜八郎が滝夜叉丸に恋をしているみたいなことを、他でもない仙蔵が思うのが嫌だった。
「他でもないあなたが、言わないで。」
喜八郎はなんだか全てが嫌になって、机に突っ伏した。仙蔵が撫でようとした手を引っ込めた様子を背中から感じた。撫でられるのが嫌だという訳では無いのに、それでも今だけは何となく全てが嫌だった。
長い髪が綺麗だなと思った。最初に印象に残ったのはその後ろ姿で、さっぱりとしてしまった今とは違って仙蔵の背中には高い位置にポニーテールがあった。それを何となく、じっと見つめてしまっていた。さらさらと流れる髪を夢で幾度となく見たことがある気がするし、「さらさらのストレートヘアが好きなのか?」と聞かれたら考えたことも無かったけれど、世間ではそれを好きだと行ったりするのかもしれないな、ぐらいに思っていた。
「君、うちのサークルに入らないか?」
そんな新入生喜八郎の視線に気がついた仙蔵がつかつかと歩いてきてチラシを手渡してきた。まあ、いいかな、なんて雑な気持ちで入ったのがこの縁の始まりだった。
仙蔵の見た目が世間からはクールビューティーやらなんやらと持て囃されていることは知っているし、整ってはいると思う。ただ、関わってみると結構構いたがり、構われたがりな気質もあり、少し面倒くさいなと思うこともあった。
「すまんな、綾部」
「…いえ」
そういう時に、決まって現れて、仙蔵を引き剥がしていくのが建築学科の潮江文次郎だった。仙蔵と同期で、更に大学以前に彼らはもっと長い付き合いなのだと教えられたことがあった。「そうなんですね」と返事をしながら、仙蔵を連れて行ってしまうその大きな背中に、嬉しそうにする仙蔵の様子に、モヤモヤとした陰りを感じた時に、「これが所謂恋ってやつなのか」と思った。
(僕は1人なのに。)
自分でも自己中心的な考えなのは分かっている。仙蔵は先輩だし、彼には彼のコミュニティや世界があることも理解している。でも、何となく、自分にはまだ仙蔵だけでしかない領域に、彼は自分以外にも抱えていて、優先順位だって自分は一番ではない。それを目の当たりにする度に自分ではコントロール出来ない不快な気持ちがふつふつとわいていた。
「え?今なんて?」
「だから、文次郎は留学に行った。」
ある日、部室に入ると仙蔵の髪がばっさりと切られていた。どうして、と尋ねても「別に気分だ」と答えるだけだったが、その後に告げられたことで自分の中の辻褄が合ったような気がしていた。
そこからは完璧な仙蔵の綻びを見ることがあった。短くなった後頭部の髪が少しだけはねていたり、ほんの少しだけ忘れ物が増えたり、不健康なほどでは無いが少し以前より痩せたりしていた。きっと、普通は気づかない程度なのかもしれないけれど、喜八郎にとって文次郎に苛立ちを募らせるには十分な理由だった。
だから、仙蔵ができるだけ寂しさを感じないようにそばに居ようと思ったし、彼に恋をするまで自分がそのように献身的な人間であるなんて思いもしなかった。こうも感情を上手く扱うことが出来ないことも、知らなかった。
(ああ、そういえばその頃、誰かに八つ当たりをしてしまって後悔をした気がする。)
文次郎にも事情や将来があるのは分かる。でも喜八郎にとっては大切な先輩が置いていかれて、挙句大好きな長い髪がばっさりと切り落とされてしまった為に、自分が酷く狼狽えて苛立ちを抱えていて誰かにそれをぶつけてしまった。自分らしくないと自責の念にかられてその後しばらくアトリエにこもって作品に没頭しているうちに、何となく周りの出来事が分からなくなっていて、短いタイムスリップやら、浦島太郎のような気持ちを味わったりした。
あの時八つ当たりをしてしまった人を、あの後に見つける事は出来なかった。というのも、ろくに振り向きもしなかったせいで顔なんて覚えていなかったから。でも、あの時切られてしまった仙蔵のように、綺麗な長いポニーテールだったことだけを覚えている。仙蔵の髪より少し赤みがかっていて、それだけはなんだかはっきりと覚えている。
それからはた、と思い出した。あの色を、最近見た気がする。記憶より短いけれど、タカ丸は最近縛れる長さになった、みたいなことを話していた覚えがある。
まて、もしかして、あれは。
「あっ……!」
思わず顔と声を上げると、そばに居た仙蔵が肩を震わせた。彼は呆れたように「いきなり大きな声をだすな」と注意をしたが、そう言われた本人が口を抑えて目を見開いているのを見て、仙蔵も驚いてしまった。
「あの……先輩、僕」
「いいから落ち着け」
「滝夜叉丸を、知っていたのかも」
前に、会ったことがある。酷いことをしてしまったかも。謝らないと。それから、本当に僕のミューズかもしれない、夢で、何回も見たのはあいつだったのかもしれない。
自分でも全部めちゃくちゃなのは分かっている。でも、実際頭の中も、気持ちも、めちゃくちゃになっていて、仙蔵はそんな初めて見る喜八郎の様子に戸惑いつつも嬉しくなっていた。綺麗なもの、をまるで空っぽの気持ちで作っていた少年が、綺麗に思う自分、に向き合った瞬間を見たと感じていた。
「先輩、あの」
これだけは嘘じゃないから、言っておきたかった。それもなかったことには自分だってしたくなかった。
「僕、立花先輩が好きだったんです。」
「…そうか」
「本当です。本当に大好きだったんですよ。」
「そうか、ありがとう。」
それから、ごめん。仙蔵ははっきりと返事をした。その瞬間、なんだか意地のようなものが解ける感覚があって、目から水滴がひと粒だけ零れた。
「私が、きちんと向き合ってやれなかったから、お前は進めなかったんだな。」
優しく伸ばされた手を、もう拒むことはしなかった。本当に好きだった。そう言えた。まるで昇華するみたいに、綺麗に、痛みが無くなった。
(滝夜叉丸に会わなきゃ。ちゃんと、話をしたい。)
モデル、よりも先にするべきことがあると思った。本当にそれだけ。まだ、好きとかではない。でも、そう思っても、仙蔵は物言いたげにこちらを見ていた。
「違いますから」
「何も言ってないだろう」
「滝夜叉丸が好きな訳じゃないです。だってあいつはあなたと全然違いますから。」
「まあ、そうだな」
「だって、先輩は、僕だけに優しいじゃないですか。あいつは違う。だから、好きじゃないです。」
タカ丸に自分がもらったお菓子を差し出したり、三木ヱ門をなぐさめたり、それだけじゃない。先輩には礼儀ただしく、後輩には親切だ。彼の口うるささに、隠れてしまってはいるけれど。
(あいつは僕だけを特別にはしてくれない。)