ランウェイで踊る② ぱっとランウェイの上で、照らされた人は、サラサラと高く結んだ髪を揺らしていた。尖った鼻先、大きな目はつり上がっていて、意志を感じる眉毛は凛々しい。ライトが当たった虹彩の色は薄かった。紫が緑に反射するような玉虫色のブラウスだって彼によく似合っていたし、その体つきは細いだけではなく均衡がよくとれていた。
何が言いたいかというと、その造形があまりにも素晴らしいと思った。だからこそ、自分の作品でそれを表したいと考えてしまったのだ。
ぱちん、と音を立ててパズルがはまったみたいな感覚があったし、まるで500年前からこのかたちを探していたような運命的な感覚があって、それを芸術世界では耳にタコが出来る程聞いた。それと、どこかで刷り込まれていたような言葉。
「僕のミューズ」
まるで二人揃って社交ダンスみたいな格好でランウェイの上で固まっていた。こういう時に衝動で動いてしまうのは悪い癖だな、なんて頭の端っこで考えていた。
行く気なんてなかったし、人混みなんて一番嫌いだった。学園祭などと言われても自らの作品は展示するだけだし、今日も今日とて作品作りをしよう、と考えていたというのに、喜八郎が主のようにいるアトリエの扉を開いて良く通る声がした。
「喜八郎、学園祭にいくぞ!」
「おやまぁ、立花先輩じゃないですか。」
嫌です、そんなことを言うな、と定型文のようなやり取りをした後に喜八郎は僅かな抵抗としてつなぎのままアトリエを出た。ポケットが大きく、財布とスマホだけならカバンを持たずに動き回れるところも気に入っていたし、いつもの事として仙蔵も気にも止めていなかった。何より、結局自分はこの人について行ってしまうしなぁ、と目の前でサラサラと揺れる短い髪を見ながら思っていた。
(学園祭を、二人で回るなんて、役得だし)
喜八郎が入学し、同じ造形学部であり日本画学科の立花仙蔵と出会った時、「石膏みたいな肌だな」なんて思った。ノリで入った作法サークルの先輩でもあったし、後輩をやたら構いたがる仙蔵の気質もあって親しくなるのはそう時間がかからなかった。喜八郎が、仙蔵に恋をするのも。
大学に入るまで「恋ってなに?必要なこと?」と思うほどピンと来ていない感覚だった。おそらく有難く思うべきことに、喜八郎はまあまあモテはしたのだが、断るって面倒くさいなと思う程度には良い印象が無いものではあった。
けれど、まるで猫でも可愛がるように仙蔵がパッと表情を明るくして近寄って、ふわふわの頭を撫でくりまわされることが嫌とも思わないどころか心地よかったし、彫刻の次ぐらいに、仙蔵のことを考える時間が増えた。
(あ、僕、立花先輩が好きなんだ。)
そう思うのはあっという間だった。自分がそんなに短い時間で面倒だと思っていた気持ちを抱くほどちょろいとは思っていなくて、それ自体も驚きではあった。
(仕方ない、だって立花先輩、僕にだけとてめた優しいんだもの)
そう、仙蔵は優しかった。でも、それはあくまで「自分の後輩」に対する優しさだという事も知っている。なぜなら彼は喜八郎にはしないわがままを言える人がいて、その人がそばに居なくなってから、喜八郎が大好きだった長く綺麗で細い髪をばっさり切ってしまったから。
(でも、今そばにいるのは僕で、わがままに付き合っているのも僕だから。)
そう、頭に思い浮かんだ海外に言ってしまった老け顔の先輩に心の中で舌を出したけれど、結局仙蔵は自分を好きにならないことを知っているから、その人に勝つことは無いのだ。
いざ、仙蔵が連れ出したのは学園祭で行われているファッションショーだった。モデルに、との声掛けもあったようなのだが、制作の都合がつかず断ると、せめて見るだけでもとチケットを貰ったらしい。「うちの大学のファッションショーはそれだけでもなかなか有名でチケットは完売なんだ」と嬉しそうに手を引く仙蔵を眺めながら、本来はもう一枚は別の誰かさんが座ったりしていたんだろうな、と考えたりした。もうそういう片思いも半年以上も過ぎていて、今更苦しんだりはしないけれど。
だから、心底興味なんて無かった。服は着られればいいし、見た目より機能性が大事だ。ただ、有難いことに機能性でシンプルなものを着た所で元来の見目の良さが際立つのが綾部喜八郎という男だったが。
そのため、ファッションショーなんて一番縁がないもので、確かに芸術的で学びにはなるとは思うが、だったら他の展示を見に行きたいな、なんて思いながら座っているだけだったけれど、その途中まさか雷に打たれたような衝撃を味わうとは思ってもみなかった。
「喜八郎…お前な……」
「反省してまーす」
はっと正気に戻ってランウェイから降りてきた喜八郎を引っ捕まえた仙蔵は慌てて会場を飛び出した。というのに喜八郎は飄々と思ってもいなさそうな謝罪をして、仙蔵はわっ!と泣く真似をしながら顔を覆った。長い説教が始まるかも、と喜八郎が顔を歪めた時、仙蔵の指の間から盛れたのは小言ではなくクスクスという小さな笑い声だった。
「喜八郎…お前…お前は本当に」
「何です?笑ってます?もしかして酔ってます?」
「いやいや、お前は、もしかしてだが、滝夜叉丸の事が気に入ったのか?」
「誰です?それ」
覆っていた手から顔を覗かせた仙蔵は、怒りなどではなく、ニヤニヤと心底楽しそうな表情をしていて、説教よりも面倒なことを考えていると察してしまった。しかも、あろうことか何か変な勘違いをされている、と思い、思わず苛立ちを隠さず返事をした。
「滝夜叉丸だよ。お前がさっき捕まえた、滝夜叉丸。」
「へー、あの人、有名なんですか?」
「有名なんですか、ってお前、滝夜叉丸だぞ?」
「知りませんよ」
知らない人の名前を連呼した挙句、絶句してるような表情の仙蔵に向かってムッとした顔を向けると、彼はやっと頭痛がすると言いたげに頭を抑えて首を振った。それにも余計に腹が立って、喜八郎は怒った声色のまま仙蔵に楯突いた。
「大体、何が言いたいんです?確かに僕は彼を造形として美しいと思ったし、彫刻のモデルになって欲しいとは今も考えていますよ。でもそれだけです。僕は動物や花にだって思った事があるし、前なんて穴に刺さったスコップに心を奪われたこともあります。だから、それだけです。」
そう、美しいと思っただけ、芸術になって欲しいと感じていただけ。だから、仙蔵にだけはそういうことを思って欲しくなかった。自分の、先輩だから。
(本当は僕の気持ちを知っているくせに)
じっと怒りと、懇願の気持ちを込めて仙蔵を見つめていた。すると、しばらく睨み合っていた彼のほうからふいっと顔を逸らされてしまった。
「とにかく、今日のことは良くなかったから、滝夜叉丸には謝りにいきなさい。」
ぐうっと思わず喉の奥から声が出た。逃げ場のない正論である。自分だって、自分の作品を展示してある場所でそれを踏みにじるみたいにされたら不快な気持ちにだってなる。
服飾デザイン学科の平滝夜叉丸……忘れないようにと頭の中で繰り返す。瞼をとじると、その裏には造形だけははっきりと思い浮かぶ。精悍な顔立ちに細いだけではなく筋肉がついたバランスの良い体つき。腰は締まっていて、背中は綺麗な逆三角形だ。足首や手首は細くて、動く手足の動きは嫋やかで優雅だった。
まるで精巧な細工で動くオルゴール人形みたいだった。髪の長さは高く縛られてゆらゆらと短く動いていた。
(ん?)
少しの違和感、もう少し髪は長くなかったか?なんて思ってしまった。滝夜叉丸なんて、知らないのに。
うん、と考え込んでいると、仙蔵がスマホから顔を上げて喜八郎に画面を見せた。
「田村が知り合いらしい」
え、三木ヱ門知ってたんだ。と思わず声に出す。互いに友人は多くは無いタチなのでそこに繋がりがあることが意外だった。
「あのなぁ、お前は世界が狭すぎる。いい機会だから友人を作れ。」
「えぇ、失礼な。居ますよ、藤内とか。」
「それは後輩だろう。」
まあ、しなければならないことだな、なんて納得はしながら、喜八郎は謝意よりもすっかり、「どうやってモデルになってもらおうかな」なんて考えていた。