イミテーション・パンドラピトス⑤【第四幕】
朴を心配しつつも、連れて行かれた先は豪奢ながらも清廉潔白さが押し出された一室。来客用の応接室だろうか。
……白一色で統一されて清潔感があるのに、なぜこうも落ち着かないのだろう。
理由はすぐにわかった。この部屋は白過ぎるのだ。他の色を徹底的に排除した結果、普通の部屋なのに医療施設のようになってるちぐはぐさが要因の一つ。
二つ目はこの部屋の雰囲気。清らか過ぎる水は逆に魚が住めないように、この部屋は息苦しい。早く出たい、と思ったのは無理ないだろう。
そして何より、部屋の中で給仕している使用人たち。人間なのに、まるで自由意思の無い人形のような……魂の無い脱け殻が、命令に従って動いているようにしか見えないのだ。
「軽食をご用意しました。どうぞ、お召し上がりください」
目の前のテーブルに置かれたのは、温かい食事と香りの良いお茶。ハーブティーか何かだろうか。カルデアで召喚された欧州の王侯貴族系のサーヴァントが、度々開催しているお茶会にも引けを取らない。貴人に出すようなものだ。
それにさえも嫌な予感がする。だが、監視されている。立香が食事に手を付けるのを確認するのが目的のようだ。世間知らずの小娘であるなら気付かなかっただろうが、彼女は人が思うより遥かに過酷な旅路を経てここまで来たのだ。謀略と悪意に気付かないほど愚かではない。
「さすがは歴戦のマスターですね。この部屋に初手で違和感を覚えるかどうかで、だいぶ違いますから。私の助力は必要無いようで、安心しました」
肩にいたロキが、他人に聞こえない程度の声量でボソリと告げる。
……どうやら、この部屋を恐れて早く出たいと思ったのは正解らしい。
問題は、何を思って誰が立香をこの部屋に呼んだのだということ。
椅子に座って考え事をしていたら、どうやら立香をここに呼んだらしい上役が来たようだ。どこか聖職者を思わせる、裾の長い服に身を包んだ男性が現れた。
使用人たちが全員退出し、立香はその男の出方を探る。
「申し訳ありません。知らなかったとは言え、手荒な真似をしたことを心から謝罪いたします。はじめまして、ようこそカルデアからの来訪者」
……拍子抜けしそうになった。こういう場合、立て板に水と言ったような高圧的な態度で来ると思っていたから。想像していたのとは真逆で、こちらの非を素直に認めてさらりと謝罪され、面食らってしまった。
だが、油断してはいけないと気を取り直す。
今までの非礼を詫びながら、エレミヤと名乗った男は話を切り出した。
「……以上です。2年前に行われた魔神封殺作戦から現在に至るまでの経緯を、かいつまんでお話させていただきました」
エレミヤは終始穏やかに、現在の地球上の状況を語る。朴たち一般隊員にも伏せられている事実を交えながら、全て説明された立香。
「いえ、お恥ずかしい。正式な團員ではなく候補生の身分ではあったと言え、身内から世界の敵を出してしまうとは……」
魔王……奥村燐は、かつて正十字騎士團に所属して訓練を受けていた祓魔師候補生だった。
だが彼は実は魔神サタンが人間の女性に産ませた落胤であり、魔神と内通していた人類の裏切り者。それに気付けなかったせいで、2年前の魔神封殺作戦では多くの犠牲者を出してしまったのだそう。その際に彼は自身の祓魔塾での同期を全員惨殺し、実の弟にまで手をかけている。まさに『悪魔の所業』だ、とエレミヤは感情を無理に抑えているような震える声で呟く。
そして今、彼は魔神より王権を与えられた存在、すなわち“魔王”として人類を滅亡の淵に追いやろうとしているのだと。
実際、既に人類はジリ貧の状態。2年前の作戦で騎士團が上位の実力者をほとんど亡くしたのが致命的だった。
表面上はなんとか保っているように見せかけているが、いつ崩壊してもおかしくない。騎士團という組織も、そしてこの世界も。
「魔王の凶行を止め、世界を救うためにもどうか力を貸していただきたい」
情報は全て事細かに開示し、カルデアに助力を願うエレミヤ。
だが、この男──この上なく怪しい。
立香はなぜか、妖精國でオベロンと初めて出会ったときのことを思い出した。
一見すれば非常に理知的な人格者に見えるが、その言葉の端々から滲み出ているのだ。自分たちの都合の良いように印象操作を行い、立香の思考を反魔王派に誘導しようとする思惑が。
というか、このエレミヤという男。ブリテン島の終末装置として暗躍していた頃の彼やスプリガンと同系列の気配がプンプンする。絶対に信用するな、と直感が警報を鳴らしていた。これは第六感とか女の勘とか、そういうのではなく積み重なった経験則から弾き出した判断だ。
なので、思いきって切り出してみた。
「……その、奥村という人は。たくさんの人に好かれて、頼りにされている人気者だったんですね。そんな人がどうして、身内や友達を平気で裏切れるのかな……」
「いえ? 人間を装っていても、結局は悪魔でしたから。自分の力の制御がおぼつかず、感情任せに暴れては、他人に怪我をさせて疎まれていたそうですよ」
「え、そうなんですか? なら、けっこう悪い人たちとも繋がりがありそう……不良とか、そういうグループのリーダーだったんですか?」
「まさか。言ったでしょう、人間に擬態していても、しょせんは悪魔だと。そういった粗暴な者たちの輪にも入れず、孤立していたとか」
「じゃあ、その……魔王が惨殺したのは、祓魔塾に入ってから初めてできた友達だったってことですよね? もしかしたらその人たちは、彼に脅されていたんですか?」
「いいえ。むしろ大変仲が良く、唯一無二と言って良いほどの深い信頼関係にあったと聞いております」
「……そう、ですか。なら、なおさら変です。そんなに大切な友達やたった一人の家族を、どうして自分の手で惨殺したんですか?」
言外に「お前が言ってることは矛盾してるぞ」とちらつかせながら、立香はエレミヤの様子を伺う。もう既に彼女の中にはエレミヤの発言を信じてやろうという気は微塵も無い。
その一挙一動を静かに観察しながら、立香はエレミヤが腹の内に隠した真の目的を探ろうと踏み込んだ。
「そうですね。確かに、以前の彼を知る者からすれば、決してありえない言動ばかりでしょう」
だがエレミヤも引かない。アルカイックな表情を決して崩さず、さらに言葉を重ねてきた。
「“魔王”……奥村燐。彼がおかしくなったのは、あの男が現れてからです。もしかしたら彼は、あの軍師に操られているのかもしれません」
神妙な表情でエレミヤが語りだすのは、騎士團でもごく一部の者にしか知らされていない、極秘事項。
──魔王軍には、軍師がいる。
それも諸葛孔明もかくやと言うほどの、たいそう優秀な男が。
人間でありながら、魔王の片腕とも呼べるほどの高い指揮能力を持ち合わせる参謀。彼さえいなければ、魔王軍がこれほどのさばることもなかっただろうと言われるほどの男だそうだ。
魔王も彼に深い信頼を寄せ、その手腕を高く買っている。現在、世界中で行われている魔王軍と思わしき悪魔たちの襲撃は、ほとんどその軍師により立案されたもの見られていた。
「これが、なんとか撮影に成功したその軍師の姿です。あまり表には出て来ないので入手には苦労しました。今のところ素性は不明。ですが、目撃者の証言によると魔王からは『テウル』と呼ばれていたそうです」
「────」
と言いながらエレミヤが差し出してきた写真の人物を見て、息が止まりそうになった。
「……え…………?」
それほど綺麗に写っているわけではないし、左半分だけしか顔がわからないが……しかし、その顔は立香にとって、決して忘れられない人物の面影があった。
魔王軍の軍師は、時間神殿にて消滅した魔術王……あの優しい医者の元となった、かの王の面影を感じさせる青年の姿をしていたのだ。これにはさすがに、息が止まるほどの衝撃を受けてしまった。どう見ても他人の空似とは思えない。それくらい似ていたのだ。
「もしや、お知り合いでしょうか。であるならば、なおのこと我々に協力していただきたい。せめてこの軍師が何者なのか。その正体だけでも暴ければ、後は我々正十字騎士團が全力を持って対処します。その後は、この世界を守った英雄となる貴女が、元の世界に戻れるように、誠心誠意尽くさせていただきます」
そんな立香の一瞬の動揺を見逃さなかったのか、ここぞとばかりに畳み掛けるエレミヤ。
しかし、その僅かな間で冷静さを取り戻した立香は。
「……ごめんなさい。やっぱり、騎士團に協力はできません」
エレミヤは自身の思惑とは正反対の答えを出され、軽く目を見開く。まさか断られるなんて思っていなかったのだ。
「そうですか……貴女にとっても良い話だと思ったのですが、理由を聞いても?」
「あなたたちが信用できないからですよ」
テーブルの下で、ぐっと両手を握りしめる。
立香はエレミヤの一挙一動をじっと見守った。観察し、判断し、そしてどうするか選べ。それが今の自分にできる唯一の抵抗だ。
一見すると穏やかなままのようだが、どこか不気味さを覚える笑みのまま。エレミヤは「仕方がない」と言わんばかりに苦笑する。
「では、せめて軽食とお茶を召し上がってからにしましょう。その後にお見送りいたします」
「……そうですか」
あと、もう少し。
頬に伝う冷や汗を悟られないようにしないと。緊張に震える手足を叱責して、その黄昏の瞳に強い光を宿して。
立香は口の端を吊り上げながら、怪しく笑う。
「──でもこれ、毒入りですよね?」
瞬間、部屋の空気が変わった。
「帰ります。お邪魔しました」
「お待ちを。貴女は騎士團にとって不都合な事実を知ってしまった。そんな貴女が、この場から無事に逃げおおせると本気で思っているのですか」
「思っていますよ。なので……この辺でお暇させていただきまーす」
バキッと、彼女の手首から音が鳴る。
ブレスレット型の魔封枷が粉砕され、破片がパラパラと床に散らばった。
彼女をたかが小娘と侮った結果だ。残念ながら、ここにいるのはエレミヤが思っていたような「少し変わった召喚術を使うだけの、ただの女子高生」ではない。七つの特異点を越え、七つの異聞帯を切除した歴戦のマスターでもあるのだ。
「来い! ランサー!!」
そんな女に対し、行動を起こしてから対処するなど愚行にも程がある。
立香を捕縛しようと戦闘員が部屋に押し入ったその瞬間、彼らに大津波が襲いかかった。
水圧により破壊された窓から真っ先に脱出し、立香は咄嗟に掴んだロキと共に地面に着地。そしてそのまま走り去って行った。
「な……な、なんてことをするのですか、アナタって人は! 室内でいきなり津波なんて起こしますか、普通!?」
「いやぁ、爆破や炎上だと死傷者が出そうなので。それにワンフロア丸ごと吹っ飛ばすより、建物内全部を水浸しにした方が被害が大きいし、復旧にも時間がかかるかなって!」
「そんな理由で!?」
「あとあれ、海水なので金属類は早めにメンテしないと錆びますし。水圧で壁に叩き付けられたのと酸欠で、大体の戦闘員は失神したと思いますし。あと、無線とか設備とか機械類も全部水没しておじゃんだと思うので!」
「なるほど。合理的な判断だったというわけですか。本当に、どんな世界のどんな可能性でも、藤丸立香という存在はぁっ!」
びしょ濡れになったロキが抗議の声を上げるのを尻目に、立香はとにかく走った。なお、毛で判らなかったがロキは案外細い。カラスはみんなそうなのだろうか、と変な事を考えた。だが今はそれどころではないと振り払い、立香はロキに向かって矢継ぎ早に要求を伝える。
「まずは朴さんを救出するために、さっきの牢屋のところに戻ります! 地面をぶち抜いて最短距離を走りたいので、座標の割り出しをよろしくお願いします!」
「はあ……まったく、あえて困難な道に行くとは……まあ、どんな世界のどんなカタチであっても“藤丸立香”には変わり無いのですね。判りました☆」
ロキが示した座標に問答無用で穴を空け、一気に下っていく。
「それにしても、よくぞあの男の罠を看破しましたね。さすがは歴戦のマスターと言ったところでしょうか」
「あ、すみません。あれはハッタリです」
身も蓋もなく即答されて、ロキは愕然となった。
「……え"」
「何か怪しいなーって思ったので、鎌かけてみただけですよ?」
「そ、そうですか……」
気のせいだろうか。もしもロキが人型をしていたら、口元をひきつらせて苦笑いしていそうな声だった。
「色々言いたいことはありますが……今回に限っては大正解です。いかに毒耐性の強いアナタであっても、あれを口にしていれば一発アウトでした。毒よりもなおタチの悪い物が、これでもかと混入していたので」
「マジですか」
「マジです。お茶と言っていましたが、あれはアルムマヘルの黒い炎を濃縮した劇薬。あんなものを一口でも体内に入れてしまえば、いかに我の強い変じ……失礼☆ たとえどれほど強靭な精神の持ち主であっても、自我を破壊されて彼らの操り人形にされていたでしょう」
「あっっっぶな!? 何てモンを飲ませようとしてるんですか、あの人!」
やはりエレミヤを怪しいと思ったのは間違いではなかった。オベロンの一件で免疫を付けていたのが功を奏したらしい。騙されずに済んで安堵した。まあ、太公望のときは取り越し苦労で終わったのだが。
「あれ……そういえば……わたしに毒耐性があるって話しましたっけ?」
「……まあ。とある情報筋から、とでも」
「とある情報筋……?」
どうも失言だったらしい。歯切れの悪い返事だった。
その『とある情報筋』とやらが気になったが、今は時間がない。ロキが示した座標を直接ぶち抜いて地下まで下り、立香はなんとか朴の元に辿り着いた。