仇敵に言われるよりよっぽど嫌だ正十字騎士團日本支部──光の王ルシフェルの宣戦布告から16時間後……
「この結界って、支部長一人で組み立てた訳じゃないですよね」
破壊工作によって木っ端微塵に破壊された正十字学園町の結界を張り直すメフィストの近くで、作業を手伝っていた部下が声をかける。
学園町に張られた結界はほとんどメフィストが組み立てているが、それでも細部まで完全に気を配るのは不可能に近い。そのため、この部下に対して組み上がっていく結界に細かい調整を加える作業を行うように命じていたのだ。
「なんですか、藪から棒に。まさか飽きてきたとか言うつもりではないですよね。この程度、普段[[rb:手術>オペ]]で何時間も立ったまま作業をする貴方にとっては苦ではないでしょう?」
唐突に口を挟んだ部下に対し、メフィストは片方の眉を跳ね上げて気怠げな表情を作り込む。明らかに機嫌が傾き始めていますとばかりの声音を聞けば、大体の人間は慌てて話題を引っ込めて作業に専念するだろう。しかしメフィストの部下は上司のそれが演技だと理解しているので涼しい顔で続けた。
「ええ、まあ……別に集中が切れたわけじゃないですよ。ただちょっと気になりまして」
などと口にしながら、二人とも作業の手は決して止めない。作業中の会話など、多次元的な視点で物事を見る“時の力”持ちの二人にとっては何ら苦になるものではないのだ。
「ほう。気になることとは?」
「構造読んでみて始めて気付いたんですが、細かい所に支部長以外の存在の手が加わっていたような痕跡があるんですよ。ってことは、前にもオレと同じ立ち位置で支部長の結界張りの作業を手伝った誰かがいたのかと思いまして」
「貴方、いつの間にそんなことが判るようになったのですか」
「けっこう前からですよ。不変の性質を与えられた時の眷属であれども、半分は人間ですので。意外と変化はしているようです」
形の良い唇からうっすらと牙を覗かせて、部下の男は一人静かに微笑む。ヒトではない何かが人間のフリをして紛れ込むなど、祓魔の世界ではわりとよくある話である。
「まあ、昔は今よりも色々と[[rb:作法>マナー]]が厳しくてですねぇ。今もそうですけど。特に活動拠点が欧州だった頃はとにかく、どこの晩餐会に潜り込むにしても夫婦同伴が絶対条件だったわけですよ」
別に独身だと言えば良いだけだと思うが、あまり人間社会で目立ちすぎるのも良くはない。お節介がいらぬ気を回して興味も無い女を斡旋してくる面倒事を回避するためにも、妻の役として側に置く女はメフィストにとって必要だった。
「そんなときに横に置くのにちょうど良い女性が私の眷属の中にいましてね。こちらの事情を知っている上に余計な詮索をせず、自分の役割に沿った言動を心がける聡明さを持つ彼女はそれなりに良いパートナーではありましたよ」
メフィストにとっての幸運は、丁度彼にとっての条件に合致する女が身近に、それもある程度自分の自由にできる眷属の中にいたというところだろう。
「[[rb:私>時]]の眷属でもありましたからねぇ、彼女。いっときは私の秘書のような立場で仕事を手伝ってもらったこともありますし。ええ、そう。ちょうど今の貴方のようにね」
「ああ……なるほど。つまりこの結界を最初に組み立てたときに……」
「そうですね☆ 手が足りないのでダメ元で頼んできたら、普通に来て普通に手伝い、そのままさっさと帰っていきました」
あまりにもアッサリとした態度であった。少しくらい、夫役になっていた男に対して何かあっても良いのではないかと思うほどに。メフィストも何か思い出したのか、背を向けて表情を見せなくとも苦虫を噛み潰したような感情が乗っていると全身で訴えかけている。
「一応、フリとは言え夫婦のように振る舞っていたのでは。支部長はその女性に思い入れとか無いんですか」
「…………苦手なんですよ、彼女。我が眷属ながら何を考えているのか判らない上に何がツボに入るのか判らないので」
「え」
まさかの返答であった。そんな発言をするとは思わず、きょとんと目を瞬かせてメフィストの部下は上司の言葉の意味を考えてしまった。
「貴方、アモンはご存知ですか」
「ああ……あの火の眷属の……」
「前に[[rb:イブリース>愚妹]]を怒らせて縛り首にされる所にうっかり通りかかってしまいましてね……それも、彼女と一緒に歩いている最中に」
その後の展開を薄々察した部下は止めに入ろうか迷った。メフィストの語っている女の正体にいい加減気付いたからだ。
しかし自分からふっかけたこともあってか、止めるに止められない間にメフィストは続けてしまった。
「まあ、その後の展開は予想の通りです。あの悪魔、首に縄をかけられながら我々の方を指さして『王と眷属だって愛し合う男女の仲になれるのだから、自分たちだってそうなれるはずだ』とかのたまったわけですよ」
「うわ、命知らず」
「鏡に向かって言っているんですか」
この男も上司であるメフィストに対して時々命知らずな口答えをしてくるのだが、それを棚上げしてアモンを嘲笑う始末である。
「で、貴方の眷属はどのように返したのですか。まさか、肯定でも?」
「そんなまさか。彼女、顔色ひとつ変えずに扇で口元を覆いながら、こうおっしゃいましたよ」
『あらやだ……わたくし、そのように分を弁えていない女に見えているのかしら。わたくしは太陽にはなれませんで、殿方の三歩後ろに控えて歩く程度しかできませんの。火の眷属の皆様方はいつもお元気で羨ましい限りですわ』
その女がのたまったとかいう発言を聞いた後、部下の男は当然言葉通りの意味では無いと悟って思案する。当時の状況を鑑みた上で口の中で転がして。そうして出してきた結論を静かに吐き出した。
「……それ、遠回しに『色狂いのフンコロガシと同列扱いされるとか屈辱にも程がある』って言ってません?」
「言ってますね」
「あと、三歩後ろに控えて歩くって……あの[[rb:女>ひと]]にとっては『いざとなったら前にいる男を武器兼盾代わりに振り回します』って宣言してますよね」
「してましたね」
遠い目をしながら肯定する上司の哀愁漂う背中をちらりと横目で見て、部下の男も乾いた笑い声を漏らす。
「あの時ばかりはどの口がと思いましたよ。彼女、持っていた松明で自分の数倍ありそうな大型の悪魔を撲殺した実績がありますし」
「ははっ、頼もしい眷属がいて良かったじゃないですか」
からりと笑って流そうとしたが、しかし不意に恐ろしい想像が男の脳裏を過ぎる。
メフィストの部下は、少しだけ考えて再び口を開いた。
「……念の為に聞いておくんですけど」
「はぁい、なんです?」
「うちの母親に遺伝子を提供したのは自分だとか言うつもりは無いですよね」
「はあ。そうですね。[[rb:時の王サマエルは>・・・・・・・・]]違いますね」
今まで[[rb:上司>時の王]]が話していた“眷属の女”が自分の母親を指しているのに気付いていた部下の男は、メフィストからの含みのある回答に眉を顰めて溜息を吐く。
「…………」
「おや、なにか言いたげな表情だ」
「含みのある発言やめろよ……」
心底嫌そうな表情を向けていた。真面目くさった声のトーンもそうだが、わざわざ作業の手を留めて振り返り、メフィストの方向を見ながら話しているところからも、とにかく嫌だったことが伝わってくる。
そんな部下の姿にニタニタとチェシャ猫のような底意地の悪い笑みを顔面いっぱいに貼り付けて、メフィストは今が好機とばかりにつっつきにかかる。
嫌がらせとしていじり回せるネタを提供してくれた部下の隙を見逃すメフィストではないのだ。
「おやおや……おやおやおやおやぁ? あなた、上司から言われるのはそんなに嫌なのですか?」
「いや、普通に嫌ですよ。半世紀近く勤めてきた職場の上司から突然『[[rb:I'm your father>私はお前の父だ]]……』とか告白されるとか。悪夢は寝ている間だけで十分です」
「まだ見るのですか? 悪夢」
「……最近はあまり」
苦い思い出に母親と瓜二つの秀麗な面持ちを顰めて、部下の男は眉間に寄ってしまった皺をほぐすように指先を当てた。
はあ、と溜息。肺の中に残った空気を全て追い出してから、男は気を取り直して話を続ける。
「そんなことより。貴方よくあんなおっかない女を横に置いて夫婦の真似事なんてできましたよね……あの[[rb:女>ひと]]、男嫌いじゃありませんでしたっけ」
「そうですねぇ。あくまで彼女にとってもビジネスのようなスタンスでしたからね」
あの母親がどれほど恐ろしい女なのかなど、息子である男自身が一番よく知っている。
無垢な少女のように振る舞ったかと思えば残忍な魔女のように気まぐれに甚振り、しかし老女のような聡明さを発揮して導いてきた。一番恐ろしいのはその全てが本当の彼女という点。全て同一人物で同一人格、要するに三面性が存在するというわけだが。
なので、いっときでも上司と共に夫婦として振る舞えていたのが信じられないのだ。気付いているかは不明だが、苦虫を噛み潰したようなメフィストの表情を見る限りでは本人にも思うところがあったようなので、余計に。
「まあ……蜘蛛とか[[rb:蟷螂>カマキリ]]とかの雌は交尾後に雄を食い殺すらしいんで、そういうことだと思っておきます」
「ええ、そうですね☆ それが良いでしょう」
しかしこれ以上の詮索はあまり良くはないだろうと思い、早々に話を切り上げる判断を行なった。
なにせ魔女とはとんでもない地獄耳。いつどこで何を聞かれているか判らないし、そうなったときに次の帰省で何が起きるかなど想像に難くない。
止めていた作業の手を再開しながら、男は次の帰省で詰められた際の言い訳を考えつつひとり溜息を吐いた。
終
2025/09/27
【補足】
時の眷属の女
・時の眷属の上級悪魔
・今はオークニーに居を移している
・フェレス卿的には別れた元妻のような感覚
・表情があまり読めない(ベールで顔を隠しているのもある)
・息子曰く「おっかない女」
・かつては三面性のある女神として崇められていた
・理想的な淑女の皮を被った我の強い自由人
・フェレス卿曰く「何を考えているのかさっぱり判らん」
メフィストの部下さん
・時の眷属の巨人(上記の女の息子)
・半世紀近く前から騎士團に所属
・医師免許持ち
・騎士團に入る前に色々あって悪夢をよく見る
・産まれた時期はメフィストが騎士團に協力し始めた頃
・黒妖犬二匹を従えている(名前はスコルとハティ)