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    Bee_purple_

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    最序盤で力尽きた五条夢です。五条夢になるはずでしたが展開が進む前に私の心が折れました。長すぎ。キャラの口調や世界観の認識など何も整理できないままここまで書いてしまったのは後悔・・・。
    オリキャラ8割でお届けしているので地雷な方はほんとにおすすめしません。夢でも読めるよというだけです。五条子供の頃しか出とらんやないか・・・。なにこれ???

    禪院の徒花『禪院に非ずんば術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず』


    これは呪術師の御三家の1つ、禪院家を最も端的に表した言葉だとされている。呪力を持たない者は、その家においては人としての扱いを受けない。生まれた時から落伍者という烙印を押され、死ぬまで卑下されて生きる。


    これは禪院家においてその『落ちこぼれ』にもなれなかった、1人の女の物語である。



    うつらうつらと眠りという名の海で船を漕いでいた女は、ふと目を覚ました。どうやら居眠りをしていたようだと、意識にだるく縋り付いてくる眠気がそう教えていた。
    今は何時だろうか。彼女は時刻を知る術を知らない。起床時と飯時など、決まった時間に女中が訪ねてくることで、女は時間を把握していた。では空の移ろいを見ればいいとも思うが、生憎その部屋には窓がなかった。窓だけではなく、年頃の女であればあろうはずの調度品がその空間からは欠けていた。四畳半ほどの座敷に、慰み程度の手机がひとつ。中は全体的にぼろっちく、じめじめと湿り気を帯びて長時間過ごす気には到底なれない。向かって右側に、手元をわずかに照らすばかりの古ぼけた和紙が張られた手燭が置かれている。それしか明かりの類はないものだから、いつでもその部屋は夜中のように暗い。
    周りを見渡した者はきっと驚くに違いない。それは一種異様な光景だった。女の周囲を、ぐるりと高さ50cmほどの本の壁が取り囲んでいた。しまう棚など存在しないので、全てがざっくばらんに床に打ち捨てられている。その中身は多種多様。文学、法学、経済学、政治学、社会学、数学、科学・・・。ありとあらゆる専門書がうずたかく積まれて、この部屋の主に読まれる時を待っている。彼女も既読と未読の区別がつかないので、本たちは整理もつかずじまいであった。女は手元を見る。
    『近代美術史の巨匠たちに見るレアリズム』
    どうやらこれを読んでいるうちに、眠ってしまったらしい。数ページ慰み程度にめくった後、はあとため息を零して蝋燭の火を消した。火が消えると、奈落の底のような暗闇が広がる。自分の手元すら見えぬ中で、ごそごそと女は床に丸まった。わずかに2枚ばかり敷かれた座布団が彼女の寝具だった。目を閉じて、再び睡眠の波に身を任せる。


    このごく狭い空間が、彼女の家だった。



    1967年。日本が経済的に勢いづく時代、白石菊乃は東北のとある寒村に生まれた。農業を営む両親のもとに子宝として与えられた彼女は、兄弟たちと共に野を駆け自然と戯れ、潮騒を聞き、山間に沈む夕日と輝きの奔流のような星空を見て育った。農業を生業とするだけあって食には困らなかったし、菊乃はしごく健康的な子供として一家を支えていた。
    しかし菊乃にはほかの兄弟にはないものを持っていた。呪力である。
    人の負の感情から生まれ落ちるそれは、片田舎の村においても無論存在していた。閉鎖的な社会独特の、好奇心、嫉妬、怨嗟といったものは呪霊が誕生する絶好の土壌であった。旧くから伝承されてきたような妖怪など、彼らを見ればかわいい方だろう。実際菊乃はそう感じた。しかし彼女にそれらを知る機会は与えられなかったので、その名を知らぬまま、自分にだけ見える『何か』としてそれらと付き合ってきた。始めは自分の頭がおかしくなったのかと思った。異形の化け物が目の前にいるというのに、周囲は皆普段通りの生活を送っている。素知らぬ顔をして笑っている。恐ろしさに泣いてしまったことも数え切れない。しかし呪霊たちに食われていく人間を彼女は目の当たりにし、それが行方不明として片付けられた時菊乃は自分の目を信じる他なくなった。それ以来不思議と呪霊の存在を割り切って生きられるようになった。それとて、目の前を通過する時には身の毛がよだつような恐怖で足は竦むし身体は震える。しかし、菊乃は呪霊の存在を周りへ打ち明けようとはしなかった。田舎というものはマジョリティが絶対であり、それに馴染めない者は容赦なく爪弾きにされ、外部へと追い出された。目に見えない何かが見えるなど、長年村で育った彼女に言い出せるはずもない。呪霊よりも、村八分にされることの方が圧倒的に恐怖の対象として勝っていた。


    こうして菊乃は呪霊が見えることを人に言い出せぬまま、成人を迎えた。同世代の女が次々と結婚していく中、彼女にその兆しはまるで見えなかった。見目が決して悪かったわけではない。証拠に、幾人もの男に愛を囁かれれば、見合いだって希望されて行ったこともある。だが菊乃はどうしても、これという男に出会えない。選り好みが激しいわけでもないのだが、自分の心に嘘をついてまで好きではない人と結婚できるほど彼女は器用ではなかった。結婚という行為は、相手を法的に拘束し、時間や空間を誰よりも深く共有するものだ。変なものが見える自分が、誰かと結婚して上手くいくいくはずがないと諦めていた。

    この当時、菊乃は自分と同じ才能を持つ人間と出会う。幼い頃に父の転勤に伴って京都へ引っ越していた有希子という友人が久しぶりにこちらへ戻ってきたのだ。彼女は長かった髪を肩の長さまで切りそろえ、黒のスーツを颯爽と着こなした綺麗な女性へと変貌を遂げていた。生まれ故郷へ戻ってきたにしては緊張感の拭えない有希子を菊乃は不思議に思った。私服くらい自由に着ればいいものを、なぜ堅苦しくスーツで押し通しているのか。その理由は彼女と2人きりになった際に明らかとなった。

    『菊乃ってもしかして、【見える】人?』

    その一言で、今まで彼女が守ってきた世界に亀裂が入った。自分しかいないと思っていた世界に、入ってくる人間が現れた。そのことは彼女に大きな安堵感をもたらした。自分はおかしくなどなかった、正しかったのだと文句なしにやっと己を肯定できたことで菊乃はようやく心の重荷を下ろすことができたのだった。
    『窓』として働く彼女は、菊乃に様々なことを教えた。呪霊の存在、呪力、それを扱い呪いを祓う呪術師。呪術の聖地、京都で生きてきた有希子の言葉は何よりも強い説得力をもって菊乃に迫った。思ったより自分のいる世界は広く、解像度が高い。そう気づいた彼女は、目から鱗が落ちるような思いだった。有希子は帰省していたのではなく、仕事をこなしに来ていたのだ。彼女の職務は呪霊を視認し、危険性を見極めて上へ報告すること。今回の彼女の目的は、この村にある地蔵にあった。『おかないさま』と名付けられたそれは、お供えをして両手を合わせることで願いが叶うものとされていた。当然、願いは純粋なものばかりではない。様々な祈りが、混じり、溶け合い、混沌を呈することでそれは呪霊に変化した。今でこそ呪いの蓄積しやすい場所については予め等級の高い呪物が置かれるなど予防策もそれなりに講じられているが、当時は未だ辺境の何処ともしれぬ村に呪術の権威が及ぶはずもなく、発生した呪いについては放置されるままとなっていた。その分呪霊による被害は現代よりも多かったのだ。確かに、菊乃が子供の頃と比較すると行方不明が発生する頻度は非術師にも不自然と思われる程には増えていた。その被害が今回呪術界の知られるところとなり、状況調査のために有希子が派遣されてきたのだという。

    『有希子は呪いを祓えるの?』
    『私は祓えない。あくまで【見ることができる】だけだから。見ることと祓うことは天と地ほどに要求される才能が違うのよ』
    有希子は先行して状況を調査するだけでもし危険性があると判断される場合、実際に呪霊を祓うのは呪術師だと彼女は説明した。
    『呪術師ってそんなにすごいの?』
    大福を齧りながら菊乃は聞いた。有希子はちらりと横目で彼女を見やり、真剣な面持ちで頷いた。
    『すごいよ。呪霊が見えるのと呪力が扱えるのとじゃ全然訳が違うんだから。呪術師を養成する高校だって、1学年数人しかいないし』
    普通の高校を想定していた菊乃は驚いた。専門学校のように、いくつかのクラスに編成され、必須科目を学びながら呪力の授業も受けるものと思っていたからだ。しかしその学校は寮制で、学生の頃から任務を請け負って最悪の場合死んでしまうこともあるという。呪力を扱えるのは一種の『才能』、さらにその中で生き残れるのはほんとの僅かと言っていいらしい。

    『どうもここは呪術師を呼んだ方がよさそうだね。大分呪霊が巣食ってる』
    本日3個目の大福に手を伸ばした菊乃を引きがちに見ながら有希子は言った。
    『危ないの?』
    『けっこう。村から人払いして除霊を行う必要があるわ』
    そうして彼女は立ち上がり、どこかへ電話をかけ始めた。耳慣れない単語が頭上を掠めていく。そんな有希子を菊乃は4割の好奇心と6割の不安とで眺めた。彼女の世界がまた、壊れるような予感がしていた。



    有希子の要請で現れたのは男2人組だった。灰とも白ともつかぬ髪色の男と艶やかな黒髪をもつ男。どちらも映画から抜け出してきたかのような美男子で菊乃は妙な胸騒ぎを覚える。有希子はなぜか憤慨して白髪の方に詰め寄っていた。
    『部外者が除霊に参加することは禁じられています!』
    『ええ?俺の友人だよ?』
    桜に攫われてしまいそうなほど繊細な顔立ちの男は人を食ったような笑顔を浮かべていた。白い髪に、白い肌に、色素が抜け落ちた瞳。一見すると外人のようにも見えるのだが、細部まで観察するとそれがきちんと日本的な顔立ちだと分かる。鶯色の和装がよく似合っていた。
    対象的に黒の髪に同色の瞳を持つ男は有希子の勢いに押されたようだった。こちらはどこか異国情緒を感じさせる美貌である。濡れ羽色の肩まで切りそろえられた髪といい、価値の高そうな耳飾りといい貴公子然とした佇まいは育ちの良さを感じさせた。どちらにせよ、女に不足を感じたことのない人生を送ってきたに違いない。
    『ほら、やっぱりだめだったじゃないか』
    『だめじゃないよ。俺の友人なんだから』
    『いくら御三家の方のご友人でも高専に認められていない限り、除霊は認められないかと』
    『こっちの呪術師よりもよっぽど出来がいいよ、こいつは』
    『そういう問題じゃありません』
    ピシャリと有希子は白い男をはねつけた。彼女と浬は高専の同級生ということで砕けた仲のようだ。え〜〜と唇を尖らせる白い男に、黒い方が笑いかけた。
    『今回は浬が悪いよ。僕は見てるから1人で祓っておいで』
    かいりと呼ばれた男はつまんねーの、とぼやいてくるりと背中を向けた。かと思うと、勢いよくぐるんとまたこちらに振り返った。
    『君、だれ?』
    浬の視線の先にいたのは菊乃だった。会話の輪から外れてぼんやりと彼らの話を聞いていた菊乃は突然3人分の視線に晒されて動転する。なんと返したものかと逡巡していると、有希子から助け舟が出された。
    『この村に住んでる私の友達。呪霊が見える子よ』
    『なんだ、君だって部外者を入れてるじゃないか』
    『村の様子を探るのに菊乃ほど適した人はいないからです!ここの呪霊をずっと見てるんだし』
    『ふーん?・・・ことに君、ここの呪霊をどう見る?』
    急にずい、と顔を近づけられて菊乃の緊張はさらに増した。神が利き手で丁寧に丁寧に描いたであろうその美貌は近くで見ると輝かんばかりである。形の良い骨格、アーモンド型の目、そこには白玉のような瞳が嵌め込まれている。色素の薄い唇はほどよく肉感的で桃のような印象を受けた。浬の誘うような視線に吸い込まれて、菊乃は熱に浮かされたようになってしまう。と、浬の頭を黒い男がはたいた。
    『こら、またそうやって自分の顔をいいように使って』
    『使っても減らんし』
    『使われる側の立場にもなりなよ。全く・・・。ごめんね?からかってしまって。もう30も近いってのに子供なんだからさ』
    『俺よりも年下のくせに生意気言うな』
    『はいはい、すみませんでした。・・・僕の名前はダリウス。こいつの友達だよ』
    『ダリウス・・・』
    思ってもみない名前が彼の口から出てきたので菊乃は仰天した。顔立ちは西洋よりも東洋のそれであったし、日本語を流暢に話す彼の名とは思えなかった。むしろ白い方の名前だと言われればしっくりくるであろう。見た目も名前もあべこべな2人である。
    『変かな?』
    『ううん、素敵です』
    ダリウスの物腰柔らかな雰囲気は、浬の圧力がかかるようなそれと対象的で、彼女を安心させた。黒玉のような瞳は優しく煌めいて彼女を見つめていた。この人はいい人だ。直感でそう信じた菊乃はすぐに肯定の言葉を紡いだ。きっぱりと言い切った彼女にダリウスは目を瞬かせた。ありがとう、と低く柔らかみのある声と手が頭上から降ってきた。手はそのまま、頭に載せられる。
    『けっ、お前だって人のこと言えないだろ』
    『何が?』
    『うわ、無自覚かよこいつ』
    『私も初対面でそれはちょっと・・・』
    有希子まで浬に同調するものだからダリウスは困った。
    『ごめん、嫌だった?』
    『いいえ、大丈夫ですよ』
    にこと笑って返すと彼は安心したようだった。どうも彼は日頃より人との距離感が掴めずに困っているらしい。
    『そうだ、呪霊。お前どう思う?』
    浬に尋ねられて、菊乃はこれまでの記憶を照らし合わせて考える。
    『・・・私にとっては恐怖以上の何物でもないです。比較対象なんて知らないから強いかどうかは分かりません。でもそいつが人を喰っているのは確かで、村の人々はそれを避けようとしてさらにおかなえさまにお願いをするんです』
    『負のループだな』
    浬の言葉に菊乃は頷いた。おかなえさまから発生した呪霊は人々の様々な願いの集合体だ。それが悪さをした時、原因が日頃祈りを捧げている地蔵であるとは夢にも思うまい。神隠しのような事件を恐れて村人はさらに地蔵にお願いをする。『自分の子が見つかりますように』、『犯人が捕まりますように』、そして『こいつもいなくなればいいのに』。呪霊が悪さをするほど、人々の願いは比例して強くなる。菊乃の大切な家族だって、忽然と消えてしまうかもしれない。そうした思いをする人を減らすために祓えるのなら、少しでも早く祓ってほしい。

    懸命な菊乃の思いが彼に届いたのか、彼はふっと真顔に戻って腰の辺りに手を掛けた。そこで初めて、彼が日本刀を持っていることに気づく。ふわりと彼の周囲が陽炎のような何かに包まれたのが分かった。それはドライアイスのように冷たくて、熱い。その気魄に一歩、退いてしまう。
    『祓う。村人の避難はもう済んでるんだな?』
    『勿論です』
    『ダリウス。お前も有希子と行け。ここは俺だけで足りる』
    『分かったよ』
    『おい、村人』
    『・・・菊乃です』
    『じゃあ、菊乃。すぐに戻ってくるからそんな顔するな。・・・なんてったって俺、強いからね』


    『闇よりいでて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』
    有希子がそう唱えると、天から突然闇が湧き出てドーム状に広範囲を覆っていく。
    『あれは?』
    『帳。一般人から浬を隠して、呪霊を露にするための結界よ』
    一般人に呪術の存在や痕跡を知られないために、除霊は帳の中で行われるのだという。遠くの浬が抜刀するために構えの姿勢に入ったのが見えた。そんな菊乃の目の前で、帳は下りきった。



    浬はすぐ帰ってくるという言葉通り、程なくして戻ってきた。肩を回して気だるそうにする彼の元へ菊乃は駆け寄った。
    『お、おかえりなさい』
    『ん』
    見たところ大きな傷はなさそうだった。彼女は安堵して大きく息を吐き出した。が、再びひゅっ、と息を呑んだ。
    『お着物が!』
    誰が見ても分かる高級に仕立てられたそれに紫の液体が斑に付着して衣類としての一生が終わってしまったことを彼女は察した。
    『これ?問題ないよ。作業着みたいなもんだから。普段着は別にあるし』
    さらっと言ってのけた彼が菊乃にはまるで天上人に見えた。実際、雲の上のような家柄の出身なのだろう。そうでなければ恐ろしく値が張りそうなこれを作業着呼ばわりすることはない。それでも呪霊の体液が付着していていい心地はしないだろう。彼女は手ぬぐいを出して汚れを拭ってやった。そんな菊乃を彼は物珍しそうに見やる。
    『心配されるのなんて久々だなあ』
    『そうですか?』
    お強いから・・・?と付け足すと浬は満足気に笑った。
    『まあな』
    『嬉しいって正直に言いなよ』
    そう横から口を出したダリウスに彼は左足で蹴った。
    『うっさい!』
    『浬、くっちゃべってる暇があるなら状況報告して』
    『ん・・・?ああそうか、等級としては準1級〜1級ってのが妥当だろうな。村の人口がもっと多かったり、あと数ヶ月放置していたら1級以上になってたはずだ』
    浬の報告を有希子は仔細に記録した。これを上へ上げるまでが彼女の仕事だ。
    『その等級って何を現してるの?』
    菊乃の質問に答えてくれたのはダリウスだった。
    「呪霊や呪術師、呪具や呪物・・・呪力がこめられた武器や物のことだね、これらに対してつけられる強さのレベルみたいなものだよ」
    『強さの、レベル・・・』
    『4級から特級まであって、4級が最低、特級が最高。呪具や呪物は特級もあるけど、呪霊や呪術師は滅多にいないね』
    『・・・ま、見込みのあるやつが出てきたけどな』
    ぽつりと浬は呟いて1人先へと歩き出した。その背中を見ながら、ダリウスは菊乃の耳元に口を寄せる。
    『心配云々の話、実力ってのもそうなんだけど、あれはあれで家が複雑みたいで。ああいう外見のせいか幼少期から親に構われずに育ったから』
    『そうなんですか・・・』
    血統の確かな家では特異な見目をしたものは凶の具現化として扱われる。彼の家では殊にそういった風潮が強かったようだ。そういったものとは無関係で育ってきた菊乃にとってあまり理解できる話ではなかったし、理解しようとも思わなかった。浬という人間は、自分の村を救ってくれた呪術師に過ぎない。彼女にとってはそれだけでよかった。


    浬とダリウスは村に1晩泊まった翌日に有希子と共に京都へ帰っていった。これが、菊乃が人生で初めて呪術の存在を知った瞬間だった。


    それ以降、村から人が消えることはパタリと止んだ。浬たちは置き土産と称して相当等級があるであろう呪物をおかなえさまの置かれた真下の地面に埋めていった。これで人々の願いがまた積もったとしても呪霊が生まれる可能性は低くなるだろう。菊乃も呪霊の存在を知ってから一気に吹っ切れて、ストレスなく日々を過ごせていた。
    呪術を初めて知った日から3年の月日が流れた。初めての試練は菊乃が23歳の時に訪れた。
    冬場、一段と冷え込む1月に彼女は友人たちと東京観光へ出かけていた。田舎者として都会への憧れは人並みにあった菊乃は人の多い空気に触れ、天空まで伸びているのではと思われるほど高いビル群を見上げて首を痛めた。小洒落たレストランやクラブにも行き、『明るい夜』を言葉通り体験したのである。
    両手にいっぱいのお土産を抱えて最寄りの駅へ降りた彼女に、1人の女が狼狽した様子で近づいた。
    『長田さん、どうかされましたか』
    彼女は近所に住む知己の1人だった。額にハンカチを当てながら彼女はしきりに目をうろつかせながら言った。

    『あなたのお家・・・家事で燃えちゃったのよ。それで・・・、それで・・・ご家族も・・・』

    菊乃の実家が火事に遭った。冬場のストーブの火が近くの衣類に燃え移り、それがやがて家中に広まっていったらしい。彼女の家は黒い怪物と化していた。木造の骨組みがあちこちひしゃげて、中が剥き出しになっていた。家の中のものは残らず火に飲み込まれて、どれが何であったのか検討もつかない。物が燃えた後の特有の匂いが充満して息が詰まる。菊乃は言葉もなく立ち尽くした。これまでの彼女の人生が詰まった場所が、一夜にして灰燼になってしまった。家族は真夜中の出来事だった故、逃げ遅れて火に焼かれたのだという。全員物言わぬ姿になり彼女を出迎えた。遺体の惨状から、菊乃はそれを見るのを諦めた。あまりに突然であったのでこれは何かの悪い夢ではないかと何度も頬を抓った。まだ旅行が続いていて、目を覚ませばまだ新幹線の中で、帰れば家族でお土産の取り合いになるのではないかと。されど現実は冷酷に彼女を突き飛ばし、菊乃は一夜にして何もかも失ってしまった。喪主として執り行った葬儀は親戚が手伝ってくれたおかげでなんとか終えられたものの、その後の予定については何も決められなかった。家族を失ったショックで先のことを考える気力など全く残っていない。ひとまず親戚の家に身を寄せて、これからを考えることに決めた。
    両親はわずかながら口座に金を遺していてくれた。それで食い繋ぐことはできたがさりとてそうもばかりしていられない。新しい職に就かなければ生活を続けていくことは叶わない。元より農業の手伝いをしていた彼女は雇い手を探そうと思えばいくらでもできたはずだ。しかしその選択肢はフェードアウトしつつあり、新たに1つの可能性がじわりじわりと現実味をもって輝きを増してくる。それは呪術の聖地、京都へ行くことだった。




    京都駅前で菊乃を待っていた女は、姿を見つけるなりこちらへ走ってきた。数年ぶりに見る由希子は相変わらず上下スーツと変わらなかったが、白いコートにパールのイヤリングとネックレスが彼女に柔らかな美しさを添えていた。京都にも雪が連日降り続いて手はかじかむものの、新天地の空気を吸い込んだ菊乃の気分は清々しい。2人は駅前のカフェに入り、ブラックコーヒーとカフェオレを頼んだ。
    『久しぶり』
    『びっくりしたよ、3年ぶりくらい?』
    『そうだね、急に連絡しちゃってごめん』
    『いいのよ、・・・ご家族のこと、本当になんて言ったらいいか・・・』
    菊乃は首を振る。過去を悼んでも悲しむことはすまいと立ち直ってから約半月が経っていた。思ったよりもすっきりとした彼女の表情を見て由希子は心中で安堵した。この子は折れない芯の強さがある。それが今回、彼女を救ったのだろう。
    菊乃はシュガーを人並み以上に入れたカフェオレを一口含んでから、噛み締めるように言った。
    『・・・私、京都で働こうと思う』
    『ここで・・・!?』
    『うん』
    『どうしてまた・・・』
    『あそこを出たかったのが1番。あそこにいると私の老化が早まる気がしたから、それは避けたかったの。新しく心機一転して、どこかに引っ越そうと思った。京都なのは、他の場所よりも呪霊が身近な場所かなって・・・、そう感じただけ』
    『菊乃は呪霊に関する仕事がしたいの?』
    『ううん、そういうわけじゃないんだけど。でもここは向こうとは違って呪霊の存在を知ってる人が多いでしょ。それだけでも、京都に住む利点はあると思うの』
    呪術高専京都校や御三家など、京都を活動拠点とする組織は多い。その事実は菊乃の安心材料として有効に働いた。少しはマシなマイノリティになれるだろうと信じたいのだ。
    由希子は頷いた。しかしその表情は少し曇っている。
    『でも・・・家とかどうするの?さすがにバイト代だけだと生活はできないんじゃないかな、特にこの辺は』
    『いや、それなんだよね。地価見てひっくり返りそうになった。まず収入がないと相談とかも受け付けてもらえなそうだし』
    『・・・菊乃は、呪いに触れずに過ごしたい?』
    『それは無理じゃない?今だってちゃんと見えるし』
    『そうじゃなくて。こっちの世界に踏み込んでみたい、ってこと』
    菊乃は目を丸くした。なるほど、呪いを視認できるのは才能だ。そう言ったのは由希子その人である。つまり彼女は呪術界に興味はないかと、そう問うているのだ。
    『それでも構わない』
    きっぱり言い切ると由希子は目を彷徨わせた後に、歯切れ悪く話し出した。
    『紹介できるところが、ないではない。・・・けど、おすすめはできない』
    『どうして?』
    『菊乃、呪術界は思っているよりも残酷で、陰湿で、悪徳なものよ。政治界がかわいらしく思えるくらい。上層部は己の保守ばかり考えて腐りきってる。それを垣間見る可能性があっても、あなたは同じことを言える?』
    『残酷、陰湿、悪徳ね。・・・私のいた場所はかつて同じような場所だったわ。由希子も覚えてるでしょ。どんな卑劣な手段を使おうと村社会を守るためなら平気でやってのけるような連中ばかり。そういったのには飽き飽きするくらい慣れてる』
    由希子は菊乃の目に覚悟が深く根を下ろしていることを知った。それでも彼女は躊躇った。彼女の幸せを捨てさせることにはならないだろうか。普通の生活を送っていた方が、呪術界の中身を知らない方が楽に生きられるのではないだろうか。
    『・・・由希子は優しいね』
    菊乃は笑った。早朝の森のように清澄な美しさの中にひっさりと咲く優しさが彼女の1番の魅力に違いない。左手の薬指には指輪が嵌っていた。結婚を通してより思いやりや配慮といった要素が強まったのだろう。菊乃を見る瞳は母のようでもある。変わった由希子を見ると、寂しくもあり、嬉しくもあり、そして自分も変わりたいと思った。これまでの自分をリセットして、やり直してみたい。それが今の菊乃を形作っている全てであった。それが伝わったのか、由希子は脱力して息を吐いた。
    『御三家が1つ、禪院家の下働き。・・・正直、御三家の中では1番クズな連中が集まってるわ。強さのためなら何でもする。【禪院に非ずんば術師に非ず、術師に非ずんば人に非ず】かの家を表す有名な言葉よ。どこよりも術師としての格を重んじ、それを誇りとする集団。そこで掃除や洗濯、料理・・・そういった身の回りの世話をするの。それなら、紹介できる』
    『御三家・・・っていうと、あと2つあるんだよね』
    『ええそう、加茂家は術師の血筋を重んじる家系よ。1番らしいといえばらしいかも。もう1つは五条家。・・・菊乃、前に村に呪霊を祓いに来た奴を覚えてる?』
    菊乃は数年経った今でもあの時のことを鮮明に思い返せる。術師との、初めての出会い。それは脳裏にシールを貼ったように離れることはなく、彼女を京都へ向かわせた一因でもある。記憶の中から黒い帳の向こうへ消えた白い人影を頭に浮かべた。
    『・・・白い人?』
    『そう、あいつは五条浬っていって五条家の嫡男の1人。ほんとは紹介するならそこがいいと思ってたんだけど、誰かしら家人から口添えをもらわないと厳しい。その点、あいつは五条家における権限がほとんどないんだ』
    『そんな。どうして?』
    『浬は見ての通り見た目があんなでしょ。あれは五条家の数十年かに1人生まれるか生まれないかという特異体質なの。【白狐】といってね。家に災いをもたらす凶兆とされてる』
    『あんなにきれいなのに・・・』
    『それ浬に言ってあげて、きっと喜ぶと思う。まあそんなだから家からは除け者として扱われてたもので発言権も皆無なのよ』
    『嫡男なのに、発言権がないのね』
    『家督を継いだのは長男の方よ。そこにも1人、男子が生まれてね。これがすごい才能をもって生まれたもんだから家中大騒ぎ』
    『才能?』
    『そう、詳しいことは分からないけど五条家の術式と珍しい眼を併せ持った数百年ぶりの逸材なんですって。呪術界のパワーバランスを変えると言われてる』
    『へえ〜〜』
    『分かってないわね?これほんとにすごいことなんだから。・・・で?話が逸れたわね。禪院に行く気、ある?』
    改めて問われたものの、菊乃の答えは既に決まっている。どんなに欲に塗れた場所であろうと、野に咲く雑草のように力強く生き抜いてやろうと思った。彼女は1度だけ、強く頷いた。



    『菊乃さん、離れの掃除をお願いしたいのだけど』
    『はい、ただいま!』
    着物の袖を端折った菊乃は呼ばれるなり水の入った桶をもって駆け出した。時は4月、屋敷よりも広い庭はよく手入れされて季節の花々が美しさを競い合うように咲いている。中でも外周をぐるりと囲むように植えられた桜が殊にきれいで、薄桃色の花弁の絨毯がその真下に出来上がっていた。
    菊乃が禪院家で働くようになってから3ヶ月あまりが経った。初めは着物こそ着こなせなかったものの、今では1人で着付けを行い、屋敷中を掃除係として駆け回っている。下働きにも格付けのようなものがあるらしく、掃除・洗濯は最下位で、調理はそれなりに経験を積んだ女たちが作る。さらにその上に、お付きや女中と呼ばれるような家人とじかに接するような役職がくるのだとか。彼女は素人であったので庭や屋敷の清掃を仰せつかっている。毎日のようにどこかしらを清めているわけだが、それでも足りないくらいこの家の敷地は広かった。何でも物理的な汚れも呪いを誘発するのだそうで、そういったものを寄せ付けないためにも常に綺麗にしておく必要があるのだとか。
    まだ家人との直接の接触はなく、由希子の言った『クズっぷり』を垣間見る機会がないことが菊乃の幸運かもしれない。彼らは恭しくもてなされており、家の清掃が入る部分にも下々の者が連携して立ち入れを禁止するという徹底ぶりだった。ゆえにその姿を拝んだことはただの1度もなかった。
    春の京都は暖かいものの、まだ水はひやりと冷たい。それに雑巾を浸して固く絞る。別の者が箒を使って掃いた箇所を隅々まで拭いていく。埃の一つ残さぬように、きっちりと。
    『菊乃ー、乾拭き始めていい?』
    『もうちょっと待ってくれない、小百合?まだ始めたばっかりなんだから』
    『菊乃が遅いのよ』
    うるさーい、と間延びした返事を返して菊乃は作業を続けた。小百合は同時期にここへやって来た下働き仲間だった。知り合いの縁故を頼ってここに来たのだという。ちなみに彼女は呪いを見ることはできない非術師だった。むしろ下々の者で呪力を持つ者は珍しく、菊乃もそういった人間には数人しか出会えていない。彼女も含めて全員が呪術師には程遠い呪力量であったが。
    待ちきれないのか小百合はすぐに菊乃の後を掃除し始める。
    『早くしないと追いついちゃうからね!』
    『もう、ちゃんとやんないと大梅様に怒られちゃうでしょ』
    大梅様というのは下働きを取り仕切る年嵩の女である。梅子という本名に、皆が敬意を表した結果大梅という通り名がついた。長年ここで働いてきた経験と知識によって彼女たちを支える、温かくも厳しい人柄を持つ。小鳥が戯れるような騒がしさで掃除をしていると、その大梅の声が戸を隔てて飛んできた。
    『菊乃、小百合、何をしているのですか!今日のお掃除はまだまだあるんだからはやくおし!』
    2人は顔を見合わせた後、同時に舌を出した。その後声を押し殺すようにしてくすくすと笑い合う。思っていたよりもここでの生活は穏やかで、呪いの存在をうっかり忘れてしまうくらいにはこの家の日常に慣れてしまっていたのだ。



    ある日菊乃は掃除道具の片付けを命じられて敷地のほぼ外すれすれに位置する納屋へ出向いた。日も長い夏の暮れ、蝉が物悲しげに歌っていた。京都は冬も寒ければ、夏も暑い。向こうだと夏は涼しくて良かったのにな、と独りごちる。けれど太陽の沈む時間になっても汗の滲む気温が続くこの時期もまた、彼女の愛すところだった。他の者は夕食の支度やら他の仕事が忙しかったのか、一緒に道具を運んでくれる人手はない。往復を繰り返しながら全てを収納した菊乃は全身から蒸し風呂に入ったかのような感覚を覚えて顔を顰めた。
    『あっつい、早くお風呂に入りたいわ』
    手で扇ぐものの、全く効果がない。もう、とため息をついて屋敷へ帰ろうとすると、ふと脇に並んだ樹に目がいく。間隔を等しく植えられた木々は今や濃い緑の葉をつけて風に揺れている。その中で、1箇所だけ樹の間隔が他と異なる部分を発見した。それは少しだけ広く、そしてその幅が奥まで続いているようだった。
    『・・・なんなの・・・?』
    菊乃は何度もこの納屋へ来たことがあるというのに、今までこのような小道を見たことがなかった。目につくくらいなのだから、普段から知らぬはずはない。そっと近づき奥を覗いてみる。まだ空にはオレンジの残滓が残っているというのに、奥は重く冷たい闇が広がっているようだった。その温度差に彼女は背筋が粟立つ。確実にここは【行ってはならない場所】だ。本能がそう告げている。それなのに、菊乃の足は意思に反して前へ進もうとしていた。進む足を止められないまま、ゆっくりとゆっくりと、怪我人が歩くような速度で彼女は奥へと歩いていく。時折後ろを振り返りながら、光の存在を確かめながら奥へ向かう。
    数分歩くと、開けた場所に出た。ごくごく小さな公園程度のスペースのど真ん中に白い土蔵があった。
    『なにこれ・・・』
    こんな建物あったかしらと菊乃は首を傾げる。これと似たような倉庫は敷地内の至る場所にあるけれど、ここまで白さが美しく保たれたものは初めて見る。外壁の漆喰は朽ちる気配を知らず、建設当初のままだ。彼女はおずおずと土蔵に近づいた。扉は木製で重厚な造りだった。しかし鍵穴1つ見つからないのはどうしてだろう。さぞかしお高いものが眠っているに違いなかろうに。乱れる呼吸を必死に落ち着けて、彼女は手を伸ばした。そろそろと扉に手が近づき―――触れた。
    『・・・きゃあっ』
    触れた瞬間、ばちいんと静電気の数倍重たいような痺れが手に走る。迸った雷光と感覚にびっくりした彼女は腰を抜かして立てなくなってしまった。そこで彼女は初めて浬と出会った時の記憶を思い出す。あの時彼の身体から発されていた陽炎と同じものをこの建物から感じるのだ。土蔵を包んでいたのは夥しい呪力だった。中に何があるのか知らないが、それはきっと規格外の等級を持つものと予想された。
    しばらく動けないでいると、背後から男たちの騒がしい声が近づいてきた。軽装の和装をした、若い男衆。家人に付き従っている者だと菊乃はすぐに察した。彼女の存在に気づいた男たちは一様に目を丸くした。どうやら女がここにいることが彼らの気を引いているらしい。
    『・・・なぜここに女が?』
    『おい小娘、なぜここへ入った、いやどうやって』
    『お前は直次様に問題ないと知らせてこい』
    ここは女人禁制の場所なのですか。そう問うと、男たちは顔を見合わせたのち、ゲラゲラと笑いだした。
    『そんなわけないだろ。ここに入れるまともな呪力を持った女はこの家にはいない。そういうこった』
    『ここじゃ男が絶対だからな。しかしお前どうやってここへ入った。まさか自力でなんて言うまいな』
    『禪院の家人を色香で惑わしたか』
    男の1人がそう言うと、ドッと笑い声が上がる。菊乃の片眉が吊り上がった。この者たちは彼女を女という記号でしか捉えていない。その中にある【菊乃】は全く無視されてしまっている。腹の底にわだかまる不快感を抑えて彼女は主張した。
    『惑わしてなんておりません。第一、私がお家の方々にお目にかかれる機会はありませんから。それに私は何もせずここに辿り着きました』
    『嘘をつけ!それではひとりでに道が開いたとでも言うつもりか!』
    菊乃は頷いた。
    『そんなはずはない。ここは一定の呪力を持たぬ者しか入れぬ仕組みだ。お前のような下等の者が本来立ち入れる場所ではない』
    『私は何もやっていません!』
    『誰を誑かした?早く言えば言うほど罪は軽くなるぞ』
    罪?菊乃は慄然とした。男たちの高圧的かつ下品な物言いは彼女の神経を逆撫でした。なるほど、禪院家の者がこの男たちと大して変わらぬ性根を持つというのなら由希子の話も頷ける。こちらの意見を聞く耳も持ってくれないというわけか。終わらない問答に苛ついて声を荒げようとした矢先、違う声が割り込んできた。

    『・・・誰が【誑かされた】だと?』

    この声の主は禪院家の者だと、菊乃は瞬時に理解した。部下を率いて立つその姿はまさしく権力者といった風情だった。歳は菊乃と大して変わらない。一等上物の袴を身につけ、腰には刀を挿していた。涼やかな目元が印象的で、黒い瞳には横柄さと御三家の1人としてのプライドが込められていた。彼女を問い詰めていた3人の男は急に現れた主人に狼狽したのか後ずさりして地に片膝をついた。
    『な、直次様』
    『我らだけで片付けると申し上げましたのに』
    『まさか直々においでくださるとは』
    直次と呼ばれた男は片眉を上げたのみで言葉で反応せず限りない嘲りと侮蔑を込めて男たちを見下ろした。
    『聞いてもないことを答えるな。誰がこんな小娘に誑かされたって?』
    『め、滅相もございません』
    『あんなに苦労して部隊構成を再編成したってのに残念でならんよ。まだ摘み取ってない悪い芽があったみたいだ』
    そう言うなり直次は剣を軽く振る。次の瞬間、地面には3人分の生首が転がっていた。その動作は瞬きの間に行われたようで、目で追えている者はいなかったように思われる。
    『術式も持たぬ雑魚が』
    付着した血を落とすように軽く刀を振り、鞘に収める。彼は地を這うような低い声で呟いて嫌厭の表情を浮かべた。
    ボールのような生首は菊乃の足元までころころと転がり止まる。切り落とされた生首の断面がこちらを向いて、その惨状に彼女は小さな悲鳴を漏らし目を背けた。
    3人を斬った男はその声で初めて菊乃の存在に気がついたようだった。彼女は直次へ向けて這いつくばった。とにかく禪院の家人と出会った時はそうしておくようにと教えられていたからだった。

    『こんな場所に女狐が潜んでいたか。お前、何奴だ』
    『このお屋敷で働かせて頂いている菊乃と申します』
    『名などどうでもいい。なぜこの地へ入った?』
    『勝手にこの地へ踏み込んだことは私の好奇心ゆえです。その点に関しては申し開きの余地はございません。しかしこの道は私が来た時は既に開けておりました。それは確かです』
    『見たところお前にも些少だが呪力があるようだが?』
    菊乃は思いっきり首を振った。
    『呪いは見えますが行使などできません』
    『確かにそのようだ。・・・して娘、この蔵には何者かが触れた形跡があるが?』
    『そ、・・・それは私です。きれいな保存状態でしたので興味が湧いて、つい・・・。でも弾き飛ばされて』
    『弾き飛ばされたァ?』
    直次はまじまじと菊乃を見やる。実はこの蔵、特級呪具や武具ばかり集められた禪院家の秘密倉庫だった。呪力によって守られており、準1級以上の呪力を持つ家の者でなければ解除できないようになっている。その上、土蔵には最高の防御装置を取り付けており外せるのは家の1級術師のみ。並の人間が触れば込められた呪力に当てられて焼け死んでしまう。だというのにこの娘、素手で触って死ななかったとはどういう了見なのか。
    装置を見るも不可解な点はない。その呪力量を落とさずに役割を果たし続けている。だのにこれは一体どういうことなのか。ただの偶然なのか?それとも。
    いや構うまい。この娘がほんのわずかばかりの呪力を持っていることは違いないがそれでどうこうできるとは思えない。それに装置はきちんと娘を弾いたのだ。仕事をしたのであれば、問題はない。なんにせよこの事が露見すれば倉庫の警備が甘かったと責を担わされるのは自分だ。下手に騒がずに口封じだけしてしまえばよい。
    再び鞘を抜いた直次に菊乃は殺される、と思った。しかし逃げようがない。彼女は懇願した。
    『こ、殺さないで』
    『人の口に戸は立てられないという。お前も知っているだろう?これを知った以上、帰す訳にはいかない』
    『誰にも言いません!言ったって私の利益にはなりません。私が望むのはここで働かせて頂くことです』
    直次は頭を振って無慈悲にも首に刀を当てる。冷たい、死の感覚だった。ぷつりと皮が切れて血が一筋たらりと垂れていく。もうだめだ、こんなところに入りさえしなければと菊乃は己の好奇心を呪った。誰にも会えないまま、家族の元に送られることになるとは。
    ぎゅっと目をつぶって迫り来る死を待っていたが、いくら待てどもそれはやって来ない。恐る恐る目を開けると、目の前に直次の顔があった。刀は既にどけられていた。
    『な、なんですか・・・!』
    『よく見るとなかなか良い見目じゃないか。確かに下働きとはいえ殺すのは惜しいかもしれん』
    『・・・・・・』
    『俺の伽でもするか?』
    『はあ!?』
    突拍子もない提案に菊乃の声は裏返った。冷徹な目に少しずつ好色が宿っていくのがわかる。どうやら彼女の外見は彼のお眼鏡に適ったらしい。
    『誰があんたなんかに!』
    『いいのかな?お前は命を保留されている身だぞ?今に首を失くすかもしれん』
    『いいわよ!殺しなさいよ!あなたの伽をさせられるくらいなら死んでやるわ!』
    合意のない行為は精神を殺す。精神を殺せば肉体もいずれ滅びる。それならば今死んでも同じだ。菊乃は自立した1人の女であり、生き方を自分で決めることに価値を置いている。それを手放して生きるくらいならいっそ消えた方がいい。清々しいばかりの決死の思いをぶつけられた直次は面食らった。女子は自分に傅くものとばかり思っていたのがどうやら気骨のある者もいるらしい。
    『この俺を見上げて反撥するその姿、無礼極まりないとの自覚あってのことか』
    『当たり前よ。それを厭わしく思うのなら殺しなさい』
    菊乃の瞳に業火が燃え盛るようだった。その意気を本物と認めた彼は一瞬虚を突かれ、次に満足げに笑った。
    『菊乃、と言ったな?俺はお前が気に入ったぞ。青天のような瞳、いつか曇らせてみたいものだ』
    『あなたのような人に、私は迷わされることはありません』
    取り付く島もない彼女の言葉をどのように捉えたのか直次はさらに笑った。周囲の風景がゆらりと揺れて消える。気づけば納屋の前に2人はいた。この空間を解放できる彼の呪力は確かに生半ではないようだ。
    『言うまでもないがこの事は他言無用だ。分かっているな?』
    背を向けてさっさと歩き出す菊乃の背中へ直次が語りかけた。当たり前でしょ。彼女は1度だけ振り返りそう視線で物語るとすたすたと帰って行った。これが彼女が禪院家の者と接した最初であった。



    この先のことを読者の皆が想像される場合、菊乃は直次と結ばれると考える者もいるだろう。が、事実はそうではない。彼がいくら求婚しても彼女はいっこうに靡かず、その想いが成就することはなかった。菊乃はこの1年後に外で出会った若者と結婚し、子供を産み落とす。しかし彼女は母親として自分の子と対面することはついぞ叶わなかった。






    どんどんどん。不躾に部屋を叩く音で、女は目を覚ました。手燭の火を消して眠りに入ってから、体内時計を信じるならおよそ数時間程度経っているはずだ。まだ寝たい、と訴えかける肉体を無視して彼女はむくりと身体を起こした。
    「出ろ。ご当主様がお呼びだ」
    この部屋には扉がない。その声は空間全体を包み込むように響いている。ああ、またか。女は無感動にそう思った。月が高く昇る真夜中に無遠慮に呼び出されることには慣れていた。月に2度、多ければ週に1度、彼らは彼女を呼ぶ。
    立ち上がって部屋の壁に手を触れると溶けるようにそれが消える。この部屋は実体を持っていなかったのだ。目の前には四方を壁に包まれた圧迫感のある空間。全ての壁に日本刀や槍がかかっている。ひとつの壁に数本ずつ。そのどれもが尋常でない量の呪力を発している。並の呪霊の大群ならば一振りで吹き飛ばせるだろう。棚には所狭しと大小様々な箱が並べられており、そこには暗器や防具、部品の類が入っている。どこからともなく現れた彼女の前に立った男は、無言で外へと顎をしゃくった。

    外へ出て男が合図をすると背後の空間が閉じた。ここは呪力によって隠された空間だった。限られた者しかここを開くことはできない。
    広い敷地の中を女は歩いた。手に持つ行燈の光が地面に落ちてゆらゆらと揺れる。砂利道を抜けると、庭に出た。庭園と呼んでも差し支えないほどの面積があるそこは四季折々花が咲き乱れて見る人を飽きさせない。この庭を見る者は4度感嘆すると言われていた。春夏秋冬それぞれで表情を変える為だ。初秋の今は池の周りに曼珠沙華が狂ったように咲いており、闇の中に映える紅が妖しげな美しさを醸し出している。色を変え始めた葉がひらひらと舞い落ちる池の水面は月光を映して白く染まっていた。風が女の長髪を揺らす。美しく結われてはないものの、素材の良さが伺える黒髪だった。


    つくづく、つまらぬ庭だ。年中人の手、価値観によって姿を変えるそれは自然の在り方を歪める行為にしか彼女には思われない。きっと遠くに見える山々の元では木々たちは思い思いに枝を伸ばし、その懐には花が力強く咲いているのだろう。川が滔々と流れ岩を削り、やがて茫洋たる海へと流れ出ていく。海は空の写し鏡だという。手鏡程度の池ではそれを知ることは叶わないだろう。女は外をまるきり見たことがなかった。彼女の知る自然は家の敷地内に収まる範疇のみ。しかしこれだけが全てではない。彼女は知っていた。数多くの書物を通して、これは人間のために作られた【作品】であって自然そのものではないことを。そして自分もまた、特定の何かのために生き方を歪められたものであると。
    母もまた、この庭を見ながら過ごしたのだという。母は、自分と同じような感想を抱いたのだろうか。それを知りうる機会を彼女は与えられなかった。母同様に、彼女も娘として対面することは叶わなかったからだ。彼女はその生命を私に預けて散ってしまった。以来、女は孤独だった。


    屋敷に上がり、和式の迷路のような中を女は答えを知る者の速度で進んだ。実際、行き慣れた道だった。目を瞑ってでも余裕で辿り着くことができるだろう。廊下には誰もいない。わずかにぽつぽつと灯る明かりが足元を頼りなく照らすだけだ。女は誰にも知られない存在だった。故に呼び出されるのは皆が寝静まった真夜中だ。定規のように真っ直ぐ伸びた廊下を二、三曲がると障子が続く間があった。そのひとつに手を掛け、彼女はゆっくりと横へ引いた。すう、と木々が静かに擦れる音がして障子が開く。中は三十数畳の縦に長い大広間だった。前は少し段差があり、この部屋の主が座していた。その周りにちらほらと人影が見える。その数およそ5人。禪院家の家人全員と比べるとあまりに少なかった。各々違う表情を浮かべている。1番上に座する当主は寝る前の習慣とばかりにリラックスしており、その右手にいる若い男は女の姿を見て嗜虐心を煽られたのか口元を歪ませた。能面のように無表情な者もいれば、初めての場でどこか緊張した面持ちの者もいる。それぞれがそれぞれの思惑を持って彼女を見た。しかしそれらは彼女に何の感情も与えない。異常が定期的に繰り返される故、日常へと変化しつつあり子供のように怯えていたのも今では平常心を保てるようになっていた。


    彼らは1人の男を取り囲んでいた。スーツ姿の、この場にそぐわぬ出で立ち。小物や生地の仕立てが上等なものであり、男の経済力が伺われた。歳は五十を過ぎたあたりだろうか。なぜか深く眠りこけており、目を覚ます気配は全くない。
    女が姿を現すと部屋中の目が彼女へ向いた。彼女は主の前に滑り出て、額を畳につけて挨拶をする。
    「遅くなり申し訳ございません、直毘人様」
    直毘人は炯々と目を光らせた壮年の男だった。隆々とした筋肉をつけた上半身を裸に晒している。彼こそが、現禪院家の当主、禪院直毘人だった。当主であることの誇りは保ちつつも、今は犬に餌をやる飼い主のような、そんな顔をしている。彼はちらりと女を一瞥し、目の前に転がる男を指さした。
    「今日はコイツだ。田島グループの取締役。呪いなどないなどと豪語する虫ケラよ。その腐った思考を直すと共に資金提供をしてもらえ」
    「具体的にどの程度ですか」
    「そうさな、月に1000万も貢いでもらえばよかろうて」
    女は頷いた。自分のすべきことはもう分かっている。

    「絶情呪法―――、【有情諾々】」

    全身から黄金の煌めきが溢れて、それは1つの生き物のようにうねり男を取り巻いた。目を瞑ると、暗闇の中でディーラーがこちらにカードを配る時のようにいくつかの画像が並べられる。ひとつは今日の朝食。水分の失われた米に浅漬けの切れ端が少々。2つ目は昨夜読み終えた経済学の文面。ケインズ経済学の理論について書かれたものだ。3つ目は『近代美術史の巨匠たちに見るレアリズム』。
    彼女は3つ目を選択する。すると他のふたつがぱっと消え、左端にあったそれが真ん中へ移動し奥に吸われるようにして消えた。

    (呪いの存在を信じて。そして月に1000万円を禪院家に出資すること)

    彼女がそう念じると、黄金の呪力は金粉を撒き散らすように消えていった。と同時に彼女の術式の対象となった男は目を覚ました。緩く頭を振って、よろめくように身体を起こす。女を連れてきた男が目で合図を送る。役目は終わったということだろう。直毘人へ向かって一礼し、静かに大広間を出ていった。


    「お目覚めかな?」
    「・・・?済まないが・・・」
    「名前かね。ワシは禪院直毘人よ。お主と水の入らぬ話をしていたところだ」
    「どこまで話していたかな・・・?」
    記憶が朦朧としているらしい。どこか舌足らずで呆けたような顔をしている。当主はにっこりと笑った。
    「田島殿、御社の京都支店で発生した呪霊被害を食い止めるために縁あった我々にお声がけ頂いたのではなかったかな?」
    「あ、あぁ、そうでしたな、呪いの被害。・・・月1000万でよろしかったかな」
    直毘人の笑みがさらに深まった。
    「左様です。これからも貴殿とはこの関係を失わずにいたいものです・・・」



    女は再び男に連れられてあの空間まで戻った。木々の間に1箇所だけ幅が広くなったそこを歩いていく。土蔵の中に入ると、勝手に空間が閉じて黒い影が菊乃を取り巻き、それがだんだん部屋の形を象っていく。壁、手机、塗装の剥げた燭台。床から浮かび上がるように書物たちが現れ、最後に蝋燭の火が弱々しく付いた。熟睡する直前に睡眠から放り出された彼女は妙に目が冴えて眠気はどこかへ消えてしまった。もぞもぞと床に座ろうとしてはたと気づく。
    「・・・座布団・・・」
    影により再建された部屋は完璧ではなかった。どうやら唯一この部屋における寝具を忘れてしまったらしい。困ったな、と彼女は思う。せっかく座布団のある生活に味を占めてきたというのに振り出しに戻ってしまった。硬い床での生活は年頃の女には厳しいものだ。夏場はともかく、秋の暮れから冬にかけては素足では到底歩けないほどの冷たさになる。元より虜囚のような生活を続けていた彼女にとってはさほど難しいことではなかったがごくごく一般の家庭で生きる女はさぞかし地獄のような思いするに違いない。
    重くもないため息をついて、机に向かう。置かれていたのは1冊の本。
    『近代美術史の巨匠たちに見るレアリズム』
    「・・・?」
    女は人形のように首をことり、と傾げた。手に取り、中身も捲るも読んだ記憶は全くない。ここにあったということは読もうと思って山から取ったか、あるいは途中まで読んでいてその記憶が『消えた』かのどちらかだろう。いつも愛用している栞はこの時彼女の襟元に挟まれていた。

    「・・・とりあえず読んどこ・・・」




    田島が禪院の者に連れられて消える間一堂は静寂を保っていた。 直毘人が側仕えに合図をし、酒を持ってこさせた。なみなみと注がれた杯を手に取り、無言で乾杯の意を示す。用意されたのは紀州の名の知れた酒だった。甘くて深みのある酒精は男たちの喉を潤した。唇についたそれを舐めとった直毘人は男の消えた方を眺めやる。その瞳には言うまでもないほどの軽侮の念が見て取れた。
    「ふん、呪力も持たぬ非術師がこの禪院に楯突くだと?笑わせるわ」
    「しかし彼奴、来た時とはまるで別人のようでしたね」
    控えていた男がぽつりと言った。今しがた起きた出来事に今ひとつ現実味が伴わないでいる。
    田島行俊は日本の物流の一角を担う田島グループの取締役であった。京都支社で次々と起こる人間の消失事件について禪院に初め相談したのは彼の部下の一ノ瀬という男だった。しかし上司の行俊がこれまた頑なな現実主義の男でやれ呪いだ霊だといった話には全く興味がない。むしろ排斥する傾向すらあった。そのため一ノ瀬は困っていたのである。それを高専に話が行く前にと彼を捕まえることに成功したというわけである。
    日頃表社会では決して目にすることのない呪術師のエリート集団、御三家が1つ禪院家。日陰の存在といえども、いや日陰の存在なればこそ一般企業にも根を深く張りただならぬ付き合いがある。田島グループもまた、その1つだった。
    薬で眠らされる前の見るに耐えない姿とその後の従順なそを比較して男は首を傾げる。
    「直昌、そういや『これ』を見るのは初めてか」
    「・・・左様です」
    28にしてようやくこの一座に加わることができ、真夜中の集会に呼び出されたかと思えばこれだ。不自然と思うのも無理はない。大人になりきらない娘が出てきて何やらおかしな術式を使ったかと思えば、その手で引きちぎらんばかりであった契約書に難なく署名したのである。
    「あの娘は一体何者なのですか」
    直昌は浮かんだ疑問をそのまま口にした。直毘人の口角がわずかに上がったかと思うと酒に揺れる声で笑う。笑い声に応えるように、燭台の蛇の舌のような火が空間をちろりと舐め上げた。

    「あれは『禪院の徒花』よ。ここの皆はそう呼んでおる」




    「・・・伊織様、伊織様」
    外から柔らかく響いてくる声で女は目を覚ました。机に突っ伏したまま寝ていたからか身体の節々が痛い。硬くなったそれを解すために大きく伸びをする。夜のそれとは違う、真綿のように空間を包む温かな女の声だった。
    「せり?」
    「左様でごさいます。朝食をお持ち致しました」
    思えば昨日の夕食は汁物一杯だけだったので空腹なことに伊織は気づいた。壁に手を触れると昨夜と同じくさあ、と空間が溶けてなくなった。目の前にいるのは1人の女だった。女としての盛りを過ぎた年頃で、古ぼけた着物を身に付けていた。しかし目に宿る溌剌とした光や元より童顔なこともあり、ともすると伊織の姉のようにも見える。
    「昨夜はさぞご空腹だったことでしょう。力が及ばず大変申し訳ございませんでした」
    「いいのよせり。気にしないで。せりの本業は私のお世話ではないし」
    「当主様から伊織様のお世話は私にと仰せつかっております。だのに生活物資の類をご用意なさらないとは・・・」
    伊織は首を振った。
    「下手に周囲に勘づかれたくないんじゃないかしら。・・・私は大丈夫よ」
    「何が大丈夫なものですか、このような場所におひとりで!・・・まずは朝食を召し上がってくださいな」
    せりこと芹沢はそう言って盆を差し出した。それはまさに余り物の寄せ集めと言ってよかった。乾いた米に具の少ない味噌汁、だし巻き玉子の切れ端。これでもまだ卵があるだけ良い方だ。この女中が不自然に思われまいと気を遣いながら毎食余り物を集めてくるのである。
    「わあ、卵だわ。久しぶりね」
    切れ端というよりももはや錦糸のようなそれを見て伊織は喜んだ。さらに、と平たい皿が差し出される。そこには一匹の焼き魚が乗っかっていた。
    「これ・・・!」
    「鮎の塩焼きです。美味しそうでございましょう?」
    「ええ・・・!でもこれどうしたの?せりの分ではないわよね」
    彼女は笑った。
    「ええ、どうかお気遣いなく。ただ、私が猫を飼っているとでも思っているのか仲の良い者が度々与えてくるのです。内緒だからね、と」
    「あら、とんだ猫もいたものだわ」
    2人は顔を見合わせて吹き出した。伊織はどうやら猫だと思われているらしい。土蔵の中は湿っぽかったが、彼女たちの笑い声は場を明るくした。
    鮎は適度な塩加減で油が乗っていてとても美味である。噛み締めながら食べるその姿を見て、伊織の世話人は母のような気分になるとともに年頃の娘に当然のように与えられる日常を享受できない彼女を哀れに思った。



    伊織には両親の記憶がない。物心つく前後という以前の話で彼女は生まれてこのかた親を見たこともなければ話したこともない。母は彼女を産む代償に己の生命を差し出し、父はどこへ消えたのか皆目見当がつかなかった。どちらの親族も彼女を迎えに来ることはなく母が働いていた禪院により引き取られたことで天涯孤独にだけはならずに済んだ。
    下働きの子供もまた当然のように下働きとなる。が、彼女の場合は事情が異なる。御三家が伊織を引き取った理由、それは彼女の持つ術式にあった。
    母である菊乃が出産する直前、禪院家ではこのようなお告げが出た。
    『今年の10月に生まれる子供が持つ術式は禪院に繁栄をもたらすだろう』
    これは無論、禪院に関係する者の中で、という意味である。そして10月に子を産む予定のある者は菊乃しかおらず、自動的に彼女の子供が禪院の幸運の使者として招き入れられたというわけである。しかし実際に本人がどのような術式を持つかはまあまあ成長してからでなくては分からない。そのためその正体が分かるまでは彼女は母と同じ道を辿り、共働きの1人として育てられた。紅葉のような小さな手を真冬の水に浸して洗濯を行い、雑巾掛けをし、屋敷内を掃き清めた。もっとも伊織にとってはこの人生が続いたほうが余程幸せであったに違いない。しかし運命はそれを許さなかった。彼女が8歳になった時の出来事である。育ち盛りで栄養を欲する子供であっても、ここではあまりまともな食事は与えられない。温かい汁物にありつけた日には心の底から喜んだものである。当時、禪院家において伊織のような境遇の子供は珍しくなく、本家が血をもって続いていくのと同じように側仕えも親族関係の者を補充することでその体制を保っていた。ある日伊織とさほど歳が変わらないであろうと思われる男児が夕食の煮魚を一匹盗み食いしたことがあった。家人への絶対の服従と忠誠とを誓う禪院家においては許されざる行為であり、料理長はそれはもう烈火の如く激怒しその犯人を探した。何せこれが家の者に知られれば監督不十分で罰せられるのは彼であり、禪院の罰は他家のそれよりも陰湿で凄惨を窮めるので何としてでも回避したかったのである。男児を犯人と断定した料理長はその身体を引っ掴みんで地面に転がし腹を蹴った。男児が泣いて許しを乞うてもその勢いは止まず増すばかりである。それを物置の影から偶然覗き見た伊織は恐怖で震えた。確かに盗み食いはよくない。しかしそれは十分な食事を与えられないことにも原因があるわけで、彼だけが責められる謂れもない。何より善悪の区別がついているはずの大人が弱い子供を一方的に嬲るその絵面が彼女には恐ろしかった。男児の声がだんだん意味を成さないものへと変化し、か細くなって消えていく。それは命の灯火が消えるに等しかった。いくらあんまり酷すぎると幼い彼女は激情に駆られて料理長の前に立ちはだかった。
    『なんだァ・・・?』
    『もうやめてよ!死んじゃう!』
    『・・・お前もコイツの仲間か?』
    『ちがう。でもこんなにすることないじゃない!』
    『こんな下っ端のガキが1人死んだところで誰も迷惑を被りゃしねえ。でも俺は違う。俺はこの禪院の料理長だ!それを空腹だかなんだか知らねえが侮辱しやがって・・・!』
    伊織は唇を固く結んだ。生まれて初めての激昂が身体を駆け巡り、肉体を支配する。内からマグマのように噴き出るそれに突き動かされるように彼女は叫んだ。同時に身体からゆらゆらと黄金のオーラが立ち昇る。

    『【もうやめて!!その子にさわらないでどっかいって!!】』

    その瞬間、逆上して鬼のような形相をしていた男の表情が弛緩し、眼が遠くを見つめるようにトロンとした。呆けたように突っ立っていたかと思うと、急に眉を八の字に下げて足元に蹲る子供を凝視しなぜこんなところに子供がと首を傾げた。状況が分からずに戸惑っているらしい。伊織は警戒心を解かないまま男を睨みつける。彼女は今人生で初めて呪術を行使したのだが実感は伴わず、大きな巨人がいつまたこちらに暴力を振るってくるかと身構えていたのだ。しかし男はくるりと背を向けたかと思うとそのまま屋敷へ戻っていってしまった。取り残された伊織は訳が分からなかったが、それよりもまずは男児の手当が優先だ。彼女は急いで大人を呼び、男児の治癒をしてもらった。


    伊織は知らぬことであったが、彼女にはいつも影から監視がついていた。福を招来する存在、その力をいつ行使するかは誰にも考えが及ばないため様子を見張るよう当主から言いつけられていたのである。当日その役目に与っていた若い男はこの出来事をすぐに報告した。伊織の呪いの発現を知った直毘人は酒を片手に呵々大笑した。
    「色がここらでは見ないものでしたが・・・。あれは確かに呪力で違いないかと」
    「そしてアレが叫んだ瞬間、料理長の動きが止まったと?」
    「止まったというよりも、興味をなくした様子で帰っていきました」
    男はちらりと縁側の外を見ながら言った。外では料理長が近くの池に顔を突っ込まれて生死の間を彷徨っているところだった。罰なだけで殺しはしないが、あと一歩というところに男は立たされている。直毘人はこの狂乱を酒の肴にしていたがそれにも飽きた。片手で料理長たちを下がらせると目前で礼をする若者へ彼は向き直った。
    「よい、わかった。このことは他言無用である」
    「心得ております」
    男が退出すると直毘人はもう1つ酒杯を取り出し、己のものと一緒に酒を足す。ひと口舐めてから障子の外へ向けて話しかける。
    「こそこそしとらんで入らんかい」
    影の一部が切り取られたように動いた。それは人の形をなし、障子を割って入ってくる。直毘人よりも若い、四十程度の男だった。若い頃はさぞ色男だったのであろうと思わせる風貌だが、風化のせいか余程の辛酸を舐めてきたのかやつれた印象が目立つ。酒杯が置かれていることに気づくとその前に座り、杯を手に取る。掲げるだけの乾杯をして中身にわずかばかり口をつける。
    「何をしみったれた顔をしておる。お前の娘が初めて術式を行使したのだぞ。喜べばよかろうに」
    「・・・私は義理の父に過ぎません」
    「ならばこう言い直そう。【菊乃の娘】が呪力を発現させた。それも術式の行使と共に」
    「・・・・・・」
    「好いた女とどこの馬の骨とも知れん男の間に生まれた子なぞに興味はないと?」
    「決してそのようなわけでは・・・」
    「興味ではなく恨みか?あの下働きの生命を奪ったのはあの子供だと考えることもできる」
    それまで寸分たりとも変えなかった男の表情がわずかに青ざめて、視線をより深く落とした。直毘人は意を得たりと笑う。
    「図星か。しかし愛した者の子ゆえ恨みきれずに板挟みになっとるわけだな?なんとも哀れな男ではないか、ええ?直次」
    袴の裾を握る力が強くなるばかりで、直次は何も返さない。いじりがいのないつまらぬ人間になったと直毘人は嘆息した。あの女が死んだ直後はこれほど愉快な面構えはないと楽しませてくれたものだが。
    「さぞあの娘は優秀な呪術師になろうよ。禪院の血を引いとらんのが惜しくてならんわ」
    「・・・では、アレは禪院として扱わないのですか」
    「扱わん。その血を引かない以上、この家の者として認める訳にはいかん。あれには日陰にて生きてもらう」
    男の青ざめたそれが表層にはっきりと浮かび上がった。禪院において日陰で生きることは、すなわち普通の人としての一生を終えることを意味する。
    「当主、それはあまりにも」
    「酷な仕打ちではないかとな?あの娘の術式は精神操作である可能性が高い。有効範囲は調べてみないことには分からんが、もしこれが真であればますます大っぴらにはできん。あの娘は禪院に繁栄をもたらす。あの予言を忘れておるまいな?予言通りの未来を実現させるにはあの娘を人として扱ってはならん」
    「・・・では、では1つだけご温情賜りたいことが」
    「なんだ?聞くだけは聞いてやる」
    「アレに世話をする者を1人お付けください。飯を持っていったり、その他の身の回りの世話をさせる者を」
    「あの娘に付き人だと?」
    「影が在るためには光が必要です。光なくして影はありえない。その2つを仲介する者がいるでしょう」
    「元より光を知らなければ光に焦がれることもなかろう」
    「あの娘は花のようなものです。影では生きていけない。光が差し込んでこそ、その真価を発揮するのではありませんか」
    「・・・戯言と一蹴することもできるが、そなたの日頃の禪院への働きに報いて許そう。して、誰を仲介人としてあの娘の傍に置く?」
    「1人、推薦させて頂きたい者が・・・」



    こうして直次の嘆願によって伊織の傍にはかつて菊乃と仲の良い下働き仲間であった芹沢小百合がつくことになった。そして伊織は武器倉庫へと身を移された。そこは存在自体が呪力で隠されて異界化しており限られた者でなければ入れない仕様になっていた。
    彼女が己の存在意義を知ったのはこの時だ。光源の量を限りなく絞られた土蔵の中で伊織は初めて自らの主人と合間見えた。直毘人の後ろには刀を持つ男たちが控えている。幼い伊織には彼らが黒の巨人の軍隊のように見えて、その威圧するような雰囲気に怯えた。きっと何かやらかして自分の生命を刈り取りに来たのだろう。
    直毘人は禪院の縁起物である小さな娘をじ、と見下ろした。この娘の中にどれ程の可能性が秘められているのだろうか。日陰に置いて一生を過ごさせるだけの価値があるのか。まだ彼には分からない。ただ、あの預言者の言葉は必ず当たる。それを信じて彼は一人の女の一生を散らそうとしているのだ。
    「お前が菊乃の娘か」
    「・・・おかあさんのことをしってるんですか・・・?」
    「お前の母のことであれば隣の者がよく存じておる。聞かせてもらうがよいわ」
    ちまっとした背丈の伊織は、隣に立つ女を見上げた。優しい顔立ちをした若い女だった。そう、ちょうど菊乃が生きていたならこれくらいの年齢であろう。その姿に彼女は知らない母を重ねて、泣くまいと目をぱちぱちとさせた。そのいじらしい様子に心打たれたのか女は屈んで伊織と目線を合わせた。手のひらがふわりと頭に載せられる。
    「まさか・・・まさかあなたが菊乃の忘れ形見とはね。何度も見かけたことはあったけれどあの子の娘だったなんて・・・」
    優しい手つきが少し強ばって、小百合は直毘人を見上げた。女に見上げられた彼は眉をピクリと動かした。どうも気に入らないらしい。
    「菊乃の娘は死んだというのは嘘だったのですね」
    「お前のような者が引き取りに来るのを避けたかったからだ。孤児として誰も怪しまない形で受け入れる必要があった。それまでのことよ」
    「この子をこのような所へ入れてどうするおつもりですか」
    「それはこちらの話だ。お前はただその娘に与えるべきものを与えておれば良い。あればの話じゃがな」
    「・・・どういうことです」
    「この娘はいないものとして扱う。幽霊に出す飯はあるまい?」
    「まさか、衣食住を保証しないのですか・・・!」
    「住はほれ、十分なものを用意してやったろう。呪力で隠された禪院の秘密倉庫じゃぞ?むしろ感謝して欲しいくらいじゃて」
    わなわなと震える小百合を尻目に、直毘人は伊織へ話しかけた。
    「お前は呪力を持っている。呪いのことはこの女に聞け。少しは理解出来るはずだ。さらにお前はそれを稀有な術式をもって行使できる。呪術師としては優れた素養を持っておるわ」
    カカカ、と彼は鴉のように笑った。
    「その力をこの家に使え。お前は禪院の繁栄のために生まれたのだ。光栄に思って、せいぜい尽くすことじゃな」
    笑い声を絶やさぬまま禪院の当主は土蔵を出ていきかけて、ふと立ち止まりこちらを振り返った。
    「釘を刺しておくが、くれぐれも術式を使って外へ逃げようなどとは考えるな。お前の呪力を検知した途端、周りを囲む特級呪具に四肢を貫かれてしまうでなァ。まあ、ここで一生暮らすよりはまともな道かもしれんが」
    大笑いしながら直毘人は消えた。後に護衛が続き、静寂が訪れる。
    幼い伊織には直毘人の言うことが半分以上分からなかった。呪いのことも、己の出自も、これからどうなってしまえのかも。それでも、これまでの生活すら当たり前でなくなってしまうのだということだけは理解していた。




    こうして彼女は以後の14年間、ほぼ虜囚のような扱いを受けて生きてきた。直毘人の言葉は冗談などではなく、その日から陽の光を一切浴びられない生活が続いた。土蔵の中の影で作られた空間に死体のように横たわり、壁を眺めて過ごす内に伊織の心は段々と虚のようになってきた。
    禪院は彼女の術式を知るために真夜中に呼び出しては、見知らぬ人間に対して術式の行使をさせた。呪力の発現の仕方、操り方などを何も教えられない伊織はただ感覚で行うしかない。ただ自分にこのような仕打ちをする禪院を憎らしく思うと、不思議と呪力が扱いやすくなった。呪いの本質的な構造を伊織は第六感で覚えていたのだった。
    禪院は度重なる実験や伊織の報告から術式に対して以下のような結論を出した。直毘人の予想通り、彼女の術式は精神操作系であると判明した。しかしそれは記憶の改竄によって行われるのであり、その結果精神が操られているように見えるのだ。術式による記憶の修正の精密さは見事なもので、修正した箇所の前後までも都合の良いように記憶を繋ぎ合わせている。むろん、術式をかけられたことも忘れてしまうため伊織の術式にかかった者は皆一様にぽかんとした顔をして辺りを見回すのだった。今朝食べた朝食から就寝時間、昨日何をしていたかを実験対象となった者は忘れ、やがてそれは『何かをしろ』という命令に従うまでになったのである。あくまで記憶の改竄なので『〜をしろ』というのではなく、『〜することになっている』と念じることで人はその通りの動きをするのだった。ある者は掃除を始め、ある者は服を脱ぎ始め、ある者たちは突如喧嘩をし始めた。

    これは人間に限った話ではなく、無機物にまで及んだ。花を枯らした時、それを見ていた周囲はおお、と戸惑いと恐れの入り交じった声をあげた。そして思った。人を殺すことも可能なのではないか?
    それは伊織が10歳の話である。花を散らせと命じられて呪力を行使しようとした伊織はこれまでとは異なる点に気がついた。
    「・・・ご当主さま」
    数年あまりでも子供の成長は著しく、背丈は伸び、顔つきも幼さがわずかに抜けている。しかし年頃の子供には見られない諦念が眼に染み付いていた。外見が変わらない大人という印象を彼女を初めて見る者は持つに違いない。
    「発言を許す」
    「以前にはなかったものが見えます」
    「というと?」
    「・・・目を閉じると3つの写真のようなものがあります。1つは、・・・今日の朝食。2つ目は・・・空です。夕暮れの。3つ目は、昨夜見た夢の内容だと思います」
    「どういうことだ?」
    「分かりません。でも、1つ選択できるようです」
    「ふむ。では昨日の朝食は何だったか言え」
    「・・・ご飯とお味噌汁の残りものです」
    「今時猫の方がマシな食事を与えられておるな」
    その原因を作った当の人間は素知らぬ顔で笑った。周囲もそれに倣う。伊織の頬がわずかに紅潮した。
    「では朝食を選べ。何が起きる?」
    「選びました。・・・何も起こりませんが・・・」
    「ご当主様!」
    緊迫した声が右方から飛んだ。見ると彼女の目の前にあった花―――水仙からみるみるうちに水気が抜けたかと思うと茶色く変色して枯れた。
    「ふむ・・・。お前は今花を枯らすように術式を使ったわけだな?」
    「その通りでございます」
    「・・・今日の朝食は何だったか答えてみろ」
    直毘人の質問に伊織は訳が分からないと首を傾げる。そんなおかしな質問をここでする意味があるのか?しかし当主の言葉は絶対だ。彼女は口を開いた。決まっている、今日の朝食は―――。
    そこまで思い至って伊織ははたと気づく。朝食の記憶が何もない。自分がいつ、なにを食したのかが全く分からない。食べたかどうかさえ怪しい。目覚めた直後までは鮮明に思い出せるのに、そこから先の記憶の糸はプツリと途切れている。彼女の顔色が青ざめたのを見て直毘人は得心がいったように頷いた。
    「なるほど。そう便利なばかりではないわけか」
    「・・・どういうこと、でしょうか」
    「質問はワシが許可した場合のみと言ったはずだが?」
    「・・・・・・」
    「しかしこれに関しては術師抜きで話ができん。故に教えてやるわ。貴様の術式は対象の記憶を変える代償として自身の記憶を要求するものだ。要は『縛り』というわけじゃな、ええ?」
    「・・・術式を使う度に私は何かを忘れる、ということですか・・・?」
    「今後試してみんことには分からん。が、その可能性が非常に高いと言わざるを得ん」
    伊織は奈落の底に放り込まれたような気持ちになった。私は、元々何も持たない私は、さらにそこから記憶を抜かれてしまうのか。いずれそばに居てくれる小百合の存在も、彼女から伝え聞いた母親のことも、やがて自分のことさえも忘れてしまうというのだろうか。そうして禪院に尽くしていれば、私はいずれ中身が虚の人形と化してしまうだろう。10歳の子供ながらに伊織は自身の喪失に怯え、涙をぽろりと零した。
    「・・・ほう、まだ泣くだけの感情があったか」
    食事も衣服もろくに与えず冷遇を続けてきたが、それではまだこの娘は折れないらしい。日頃他人の意思により呪力を行使させられ、影で作られた『在る』だけの部屋で何もすることをせず1日を過ごし、時間の感覚も分からない。常人ならとっくに狂っていてもおかしくない環境下だが、この女はどうも違うらしい。
    いや、今こうして伊織が正気を保っていられるのはあれがいるからか。直毘人は彼女の付き人を思い浮かべた。あの芹沢という女はよくこの娘に尽くしているようだ。ない場所から食事をかき集めては、薄い座布団を寝具として彼女に与えている。何よりも芹沢の人柄、包容力、そういったものにあの娘は己の母を重ねているのではあるまいか。
    くっくっ、と直毘人は喉の奥で笑った。直次の進言がなければ伊織はもっと早くに潰れていたかもしれない。それを防いだのがあの男だと思うと愉快なものが腹の底から込み上げて来るのだった。

    わずかな光明を与えた花はこの先無惨にも散ってしまうのか、それとも。



    それから伊織の術式には必ず彼女の記憶の喪失が必要となった。禪院からの要求もエスカレートしてくる。術式の詳細が明らかになってから既に彼女は幾度も禪院の為に多くの人間の記憶を潰し、塗り替え、隠蔽することでその力を家に貢いでいた。しかし伊織は一方で恐れていた。今はまだ、『失くしてもいい』記憶で何とかなっているが、いつか『失くしたくない』記憶を術式に使わなければならなくなったら。私はその時、禪院のために己が記憶を捧げることができるのか。
    そこで彼女は閃いた。それならば、忘れるための記憶を作ってしまえばよいと。数年経ったある日、伊織は夕食を持ってきた小百合へこう申し出た。相変わらずあるのかないの分からない貧相な食事である。栄養が不足しているのか、彼女の身体は輪をかけて細かった。しかし彼女はお盆の上に乗ったそれを見てありがとう、と礼を言った。伊織は毎食どんな食事をもってこようと、食事がなかった時でもいつでも小百合に感謝の念を忘れない。小さな頃から社会との関わりを絶っても、伊織は気遣いを忘れない優しさを持ち続けていた。
    「本が読みたいの」
    「本、でございますか?」
    娯楽の類は一切この娘には禁じられている。年頃の娘にあまりにも酷ではないかと小百合は憤るものの、所詮下働き程度の身分であった彼女が当主に直訴できるはずもなく、口惜しい日々を過ごしてきたのである。伊織は頷いた。
    「読めるならなんでもいいの。お願い」
    「伊織・・・、本は直毘人様から与えるのを禁じられているの。どうして本が読みたいの?」
    質問していて我ながら情けない質問だと小百合は思う。本を読みたいと願う理由に正当や否かなんて関係はないのだから。伊織は口角を上げてわずかに微笑んだ。
    「『失くすため』の記憶を作るの」
    「失くすため・・・?」
    「だいたい私が忘れるのはここ何日かの記憶。だから本を読んでいればその記憶が出てくるわ。それを忘れても、私は自分の記憶を失わずにいられる」
    健気に笑う彼女に小百合は胸が締め付けられた。盆を下ろし、床に座った彼女を包み込むように抱きしめる。床の冷たさと細枝のような身体が小百合の悲しみを深くへ落とし込む。
    「伊織、忘れてもいい記憶なんてないのよ。それは全てあなただけのもので、この家に使う正当性なんてどこにもない。何を食べたか、何を見たか、何を聞いたか。これは絶対に忘れていいものじゃないのよ。これからの伊織を作る大切な記憶なんだから」
    「でも・・・」
    「分かってる。分かってるわ。でも言っておきたかったの。何をするにせよ、それはあなたの人生の一部なんだってこと。忘れないで・・・」
    人とはこんなに温かなものだったか。この家の人間は冷たくて、無機質で、自分を邪険に扱う。その度にこちらも感情の受け皿を小さくし、傷つかないように努めてきた。いつしかそれが当たり前のようになって、やがて己すら省みないようになった。悪い事だとは思わない。そうしなければ、この環境では生きていけなかったから。それでも、そんな私を優しく諭してくれる人がいる。こんな私を陽のもとへ導いてくれる。それだけで伊織は十分だった。
    頬に落ちた水滴が滑るのを感じて、彼女はぎゅっと全てから逃れるように目を瞑った。




    禪院には初め渋い顔をされたが、なんとか本を与えてもらえた伊織は夢中になって中身を読んだ。しかし元より碌な勉強をしてこなかった伊織に専門書の類はあまりに早すぎた。故に初めは小百合が子供向けの小説と辞典を与えて語彙の吸収に努めた。
    娯楽を知らぬ彼女に、書物はこれ以上ない喜びを教えた。魔法使いが大冒険するファンタジーやヒーローが活躍し世界を救うヒーローもの、さらには寿命の恋人と過ごす短い最後を描いたラブストーリーまで物語は多種多様で彼女にこれまで知らなかった世界を与えた。
    そして物語に慣れてきたところで大学生が読むような専門書を紐解き始めた。分からないところは小百合が持ってきてくれた教科書で補い、彼女は自分なりの勉強法を確立する。伊織は非常に聡明であり、どのように学べば効率よく知識を吸収できるかを考えそれを行動に移すことで多岐に渡る学問を修めるに至った。世界の成り立ちや法がどのようにこの国で機能するか、さらには経済が動く仕組みまでこの世界を構成する要素をあらゆる面から学んだ。さらに音楽や美術なども学べる範囲で専門書を漁った。というのも音楽に際しては実際に曲を聞かずには理解できない部分もあり、文字の上でしか遊べない彼女には難しかったのだ。
    術式の代償への対策として始めたこれはいつしか伊織の全てになっていた。失うよりも多くの知識を入れることで彼女は頑迷なところのない、利発な少女へと成長した。記憶は自分だけのもので、それを奪われることに慣れてはいけないという小百合の教えを胸に何年もの間本に囲まれる人生を送ってきた。




    「さて、そのおきれいな髪を梳かせて頂きますね」
    朝食を下げた小百合は伊織の腰まで流れる髪を一房、手に取った。彼女は来月で18になる。元から大人びた少女だとは思っていたが、歳を経るごとにそれは加速し今では成熟した気品すら感じられる。
    伊織は実に美しい女だった。両親のどちらに似たのか、鼻梁は細く通り唇は白桃のようにみずみずしく、半月のような目には黒曜石が嵌まっているようだ。新雪のような滑らかな肌が光を弾き、見る者に蠱惑的な動悸を与えるのだった。小百合はこの白玉のような美しさを見るにつけ唯一の付き人として輝きを磨かねばならぬと思い、手を尽くして伊織という1つの宝石を作り上げたのだった。
    鏡など存在しない空間なので伊織は己の美貌には全く無頓着だった。知らないものに気を使えという方が無理であろう。
    「何か本でも読まれますか?」
    木製の櫛で彼女の黒絹をけずりながら小百合は声を掛けた。
    「どうも昨日栞を本に挟み忘れたみたいなの。だから読んだか読んでないか分からなくて」
    そう言って伊織は机の上にある一冊を指さした。昨夜は結局なあなあなまま眠ってしまい、読んだ記憶も朧げだ。襟に忍ばせたそれをそっと抜き取っていとおしむ様に眺める。
    これは伊織の最も奥底に眠る大切な記憶の証拠であり、記憶の在り方を示すものだった。






    若々しい葉が生い茂り青の空が澄み渡るような皐月。2002年、呪術界の御三家である五条、加茂、禪院が3年ぶりに揃う定例集会が行われた。これは数年ごとに各家の当主が集い日本の呪術界についての展望を話し合い御三家の意見を擦り合わせることで過度な対立や抗争を引き起こさぬようにと考えられたもので、その歴史は古く江戸時代から始まったとも言われる。無論呪術界の意思決定機関でもある総監部はその脳として絶大な権力を持ち合わせてはいるが、定例集会はまたその目的を異にする。開催場所は毎回変わり、今回は禪院本邸での開催と相成った。


    当時まだ呪力の発現が確認されたばかりの8歳の伊織はその他の者と一緒に客人を迎え入れる準備をした。禪院としてはなるべく早い内に彼女を土蔵へ突っ込んでしまいたかったが、生憎定例集会で猫の手も借りたいほどの忙しさであり、また御三家に怪しまれることは控えるべきと実際に彼女が囚われの身となるのはそれから約一月後のことである。準備のため家中を磨き上げ、庭を掃除し、絢爛な食材を厨房へ運び入れるのを手伝った。さらには家の体裁が知れてしまうと新しい着物が全員に与えられた。下働きには嬉しい支給であったろう。家人が日頃の落ち着きをなくし常日頃何事かを早口で話し合っているところを見ると下の者も触発されるのかいつも以上に仕事に熱が入った。
    当日は、地方に分散した家の者も全てかき集められて禪院の本家・分家が一堂に会し五条、加茂の両家を迎え入れた。立派な門を入るとずらりと両脇に人が立ち並び皆一様に頭を下げている。そうしてある程度の立場を持つ世話人や分家(分家の下っ端が多く、上の者については本家と一緒であった)がまず挨拶を行った後、本家の当主が待つ邸内へと向かう。
    「これはまた立派な庭だ」
    大広間での挨拶の後、縁側を移動する際に当時の加茂家の当主は庭から生命の躍動を感じたのかため息を漏らした。初夏の庭はみずみずしく青が茂り季節の花が美しく色づいている。
    「加茂家の庭も以前拝見したが類まれなる美しさであったよ。雪がひらひらと舞ってね、幻想的だった」
    「家の格式を量る重要な要素ですからな。手は抜けまいて」
    「藤棚も敷地の一角にある。よろしければご覧になってはいかがかな?」
    「おや、禪院の敷地を好きに歩かせて頂けるので?」
    五条の当主がそう言った時、直毘人の目がちらりと光る。しかしそれに彼は気づいていないようだった。
    「ここ数日はお客人のために解放しとるのでなあ。好きになされよ」
    背後を黙々とついてくる従者たちはこの時心中で冷や汗をかいていた。和やかに庭の話題に興じているように見えてその実3人の目は一切笑っていない。お互いを牽制し合い形だけ微笑んだかと思うと次には刺すような視線を向ける。呪術界のエリート集団と呼ばれるこの御三家の仲は甚だ友好的とは言い難かった。特に禪院と五条は江戸に当時の当主が死闘を演じたことからその関係性は悪化の一途を辿っている。血縁を何より重んじる加茂と強さの為なら手段は選ばない禪院と洗練された術式を誇りとする五条。互いが互いの性質を理解出来ず己が1番と信じて憚らない。当代の当主らもその例に漏れず終わることの無い腹の探り合いを繰り広げているのだった。
    「時に・・・」
    直毘人は切り出した。
    「五条家のご子息はとみに素晴らしい才能をお持ちだ」
    五条当主は当然とばかりに微笑んだ。
    「悟は五条の宝です。数百年生まれることのなかった逸材、その父とあらば私も鼻が高いというもの」
    先程の大広間でこちらへ頭を下げた白髪の少年を思い返す。包むように覆い隠した包帯の奥に、特異体質の証とも言うべきあの眼が鎮座しているに違いなかった。
    「いつもは目隠しを?」
    「ええ、あの眼はそのままでは持ち主の身体に障る。故に隠す必要があるのですよ」
    「それでも『視える』のでしょうな?」
    「ええ、それはもう。あの眼はこの世の全てを見通す。隠された真実さえも暴くでしょう」
    それきり三者は黙った。呪術界の均衡を変える存在が生まれたことに対して五条以外はあまりよい感情を持っていない。呪術界の均衡はすなわち御三家の均衡でもあり、現在のバランスを崩すことにもなりかねない。数百年前の当主同士の死闘がそれを如実に物語っていた。



    歓迎会の宴は庭を一望できる大広間が充てがわれた。客人を迎える目的にと、より高価な装飾を施してある。最高級の木材が各所に用いられており、中でも床の間の床柱は檜の一本造であり堂々たる風格を空間に与え、美しい鶴が襖を舞い、松竹梅が精巧に彫られた欄間は一つの芸術作品のようである。その中で客人は季節の食材がふんだんに使われた食事を振る舞われ、銘酒に酔い、芸者が華を添えた。近年は定例集会という名の社交場と化しているようで勿論当主同士において話し合いは持たれるものの後継ぎや家の関係者を他家に紹介するといった側面が目立つ。御三家の紹介に与れるのは家に認められたごく僅かな者だ。家人以外で御三家に尽くす者にとって定例集会に参加するということは一種のステータスでもあった。故に参加者は当主や次期当主に尻尾を振り存在をアピールした。


    伊織は客人の泊まる部屋を整える仕事を手伝っていた。集会は数日にわたって行われるため客人が泊まる部屋を用意する必要がある。普段は閑散とした屋敷内がこの時だけは満室になる。布団の用意や荷物の移動、調度品の準備に余念がなく華やかな宴の裏では世話人たちがあくせくと働いていた。
    やっと人心地付き、休憩を言い渡された頃には日は既に暮れかかっていた。伊織は厨房からコップ一杯の水をもらい、屋敷の裏手の方へ向かう。
    「遅くなっちゃってごめんね」
    裏手の納屋の足元にひっそりと咲く花に彼女は話しかけた。
    一週間ほど前に見つけたばかりの花だが、伊織はそれに愛着が湧いてこうしてたまに水をあげているのだった。雑草なので水をやらずとも生命力を枯らすことはないが、それでも彼女はこの花の世話をしたがった。幼いなりに誰にも知られないような場所で咲くこの花と己を重ね合わせていたのかも知れない。紅葉が痩せ細ったような形の葉が地を這うように映えており、花は直径1センチほどで5つの薄紫の花弁をつけ、中心へ向かうほど色は濃さを増した。日陰でも凛々しく生きるそれを眺めるとどこか落ち着かない心が鎮まる気がするのだった。

    「今日はすごくいそがしかったんだあ。お客さまがたくさんきてね、いろんなことをしたのよ。布団を取り込んだり、お花を生けたり。すっごく立派なお花をさわったのよ。あ、でもわたしはあなたの方がすき。かんちがいしないでね。人が足りなくて、上の人はええと、・・・ええと、なんとかの手も借りたいって言ってたの。・・・なんだったっけな」

    花に一日の出来事を話すのが伊織の日課になっていた。相手は何も返してくれないけれど、彼女の言葉を受け止めて包み込んでくれるような暖かさがその花にはあった。伊織の話は続く。
    「あのね、あと言わないといけないことがあって・・・。わたし、わたしね・・・もうお花さんに会えなくなっちゃうかもしれないの」
    ぽた、と落ちた水には塩気が混じっていた。
    「わたし、へんな力があるんだって。それをお家のために使わないといけないんだって、当主さまからいわれたの。いつおひさまの光をいつ見られるか、わからないって。・・・わたし、なにもしてないのに。そんなのやだあ・・・」
    この定例集会はあくまで延命措置であったことを伊織は理解していた。目まぐるしい生活は彼女の意識を外へ逸らすきっかけにはなったが、それがぷつりと途切れてしまうと途方もない悲しみが心を蝕む。これからどうなってしまうのか、生きていくことはできるのか、なぜこうなってしまったのか。そうした漠然とした不安が永遠に彼女の心に帳を下ろし続けていた。直毘人との会話を思い返して目尻に再び涙が溜まる。体育座りの身体をぎゅっと鞠のように縮めて伊織は嗚咽を漏らした。この歳で彼女は泣き声を抑えることを覚えてしまっていた。

    「あいたいよ・・・・・・おかあさん・・・・・・」


    翌日、彼女は暇を見つけてまた小さき友人へと会いに行った。先がわからないため、少しでも多く会っておこうと心に決めていたからだ。しかし納屋には先客があった。
    (だれ・・・?)
    それは2人の男子だった。伊織よりも数歳年上で、仕立ての良い袴を着ていることから集会の客人の関係者であろう。2人はどこから持ってきたのか拳大の石をボールのようにして蹴り合っていた。大人が主役のこの場では子供はさぞ退屈であろう。挨拶に忙しい親のそばを抜け出してきたものと思われた。彼らはサッカーのように石を取り合っていた。蹴ってはまた移動し夢中になって石と戯れている。
    伊織は物陰からこっそりとその様子を伺っていたが、あることに気がつくとハッと息を飲んだ。2人の遊んでいる場所がちょうど花の咲いている辺りに被っており、先ほどから花が少年たちの脚に踏み潰されそうになっているのだ。あんな勢いで蹴られてはいくら雑草といえど枯れてしまう。唯一の友人がいなくなってしまうと思うと気が気でなくなった。しかし客人の子故下手には出られない。どうしようと迷う間にも花は臨終の瀬戸際にどんどん追い詰められていく。その足が草を踏んだ時、伊織はとうとう前へ出た。

    「あの」
    少年たちは突如現れたみすぼらしい見かけの少女の登場に驚いたようだった。遊びに興じていたところに水を差されたのでその顔が見る見るうちに不機嫌なものへと変わっていく。
    「誰?おまえ」
    「そのお花、わたしが大切にお世話しているんです。どうか、ふまないでくれませんか・・・?」
    伊織の言葉を聞いて少年たちは顔を見合わせたのちにぷっ、と吹き出した。
    「雑草にお世話とかありえねー!」
    「水なんてあげなくても育つに決まってんだろ。バッカじゃねえの?」
    「おねがいですから、べつの場所にしてもらえませんか。大切なものなの」
    そう懇願した伊織を少年は突き飛ばした。なす術もなく倒れた伊織をニヤニヤして見下ろす。
    「おまえ、ここの下働きだろ?客人の俺たちにそんな口聞いていいと思ってんの?」
    「父上に言っちゃおっかな〜、ここの下働きに生意気な態度取られたって」
    「そ、それは・・・!」
    顔が青ざめた伊織の身体を少年は容赦無く蹴りつけた。弱者に対する慈悲など持たぬ彼らは伊織のことをもはや同じ人間として見ていなかった。身体が軋むような痛みに、彼女は歯を食いしばって耐えた。その様子が余計に彼らの気に障ったらしい。
    「下っ端のくせにでしゃばってくんなよ」
    「そんなヤツにはこうししちゃおっかな〜」
    嘲笑した1人が片足を花へ向けた。その意は明らかで咄嗟に伊織の身体が動き花に覆いかぶさる。
    「どけよ!!ジャマだっつってんだろ」
    先ほどとは比べようもない力で腹を思い切り蹴られる。臓腑がひっくり返るような気持ち悪さを覚え、伊織は嘔吐いた。
    「謝れよ。俺らの邪魔してすみませんでしたって」
    「・・・・・・」
    「謝れって言ってんだろ!!!」
    もはや脚の行使をやめて少年たちは拳の制裁に移ろうとしていた。思い切り腕を振りかざして、伊織を従わせようとしたその矢先。

    「何やってんの?」

    別の者の声が響いた。振りかかってくる拳をぎゅっと目を閉じて待ち構えていた伊織は何も起こらないことを訝りそっと目を開けた。
    2人の少年の腕は上がったまま静止していた。いや、少年たちの顔は赤いことから振り下ろそうと躍起になっているのが窺える。しかしそれはびくともしない。力の主は2人の背後に立っていた。
    「・・・!」
    独特な風貌をした少年だった。というよりも目元に包帯が巻かれているので顔の判別のしようがない。白い透明感のある短髪が風に揺れた。袴は藍で染め抜かれており、絹の光沢が少年たちのものよりも段違いである故非常に高級なものだと伊織は一目で察する。このレベルの衣類が許されるのは禪院でもそう多くはない。客人の中でも最上位に位置する者に違いなかった。
    しかしそれを知らぬ少年たちは意気軒昂に叫んだ。
    「誰だよ!離せ!」
    「父上に言いつけるぞ!」
    目に包帯を巻いた少年は無感動に彼らを一瞥したかと思うと前へ移動しその姿を晒した。
    「五条だけど?」
    その瞬間、2人の顔色が変わった。赤かった顔が一気に青ざめて、口を水を求める魚のようにパクパクと開いている。今や立場は逆転していた。高級な和装に身を包んだ少年は形の良い唇を吊り上げた。
    「確か霧島・・・と相田だっけ。顔覚えたから後で『父上に言いつけて』やるよ」
    「そ、そ、それだけは・・・ご勘弁を・・・」
    「お願いします・・・、申し訳ありませんでした!!」
    先の態度が嘘のように伊織を蹴飛ばした少年たちは従順になっていた。それどころか必死に目の前の少年に取り縋っているのである。這いつくばる少年たちに五条と名乗った少年は冷たく言い放った。
    「謝る相手を間違えてる時点でお前らはおわり。んでこの話もおわり。さっさと荷物まとめて帰れば?」
    青を通り越して土気色になった少年たちは転がるように場を後にした。伊織には結局詫びの一つもない。彼女はそっと自分を助けてくれた少年を窺い見た。
    この集会が始まる前、伊織は年上の世話係から御三家なるものの存在を知らされた。由緒ある家系で、この世界においては絶対の存在なのだと。故にこの三家に対しては決して無礼な振る舞いは許されず、最上級の礼を尽くさねばならぬのだと。
    目の前の少年は「五条」と名乗った。つまり御三家のうちの1人。さらに輝かんばかりに美しく仕立てられた袴を見るに当主に近しい関係の者なのだろう。地面に伏していたままの伊織は条件反射で頭を下げた。
    「助けてくださりありがとうございました」
    「ん。別にいいよ。目障りだっただけだし」
    こともなげにそう言った彼はよっこらせと地面に座った。あるまじき行為に伊織は目を丸くした。
    「お、お着物が・・・!」
    「ん・・・ああこれ?気にしないでいいよ」
    「よくないです・・・」
    最高級の絹が砂に塗れていく様を伊織は暗澹たる面持ちで眺めた。価値が貶められてしまうことへの無念よりもそれを手入れする者たちの苦労を想像したためである。その表情がおかしかったのか、隣に座った少年が吹き出す。
    「オレの袴が汚れたところで世界終わんないから。てか普通にしなよ。なんでずっと下見てんの?」
    「御三家の方には特に礼をつくすようにといわれております」
    「オレがいいって言ってんだから普通にすれば。別に気にしないし」
    伊織は一瞬五条の様子を窺ったのち、身体を起こそうとした。が、がくりと体勢を崩した。
    「った・・・!」
    先ほど蹴られた箇所が内出血を起こしているのか、動くと鈍い痛みが彼女を襲った。そのまま地に伏せてしまったのを慌てて少年が支える。
    「そっか、怪我。大丈夫・・・じゃないよな」
    「う・・・」
    「今人呼んでくるから。まってて」
    立ち去りかけた五条の腕を伊織が掴んだ。
    「まってください!」
    「あ?なんだよ」
    「よばなくていいです。人」
    「なんでだよ。怪我してんだから当然だろ」
    彼女は勢いよく首を振った。大事にしては禪院の家名に傷がつくし、ましてや五条の要人を使いっ走りにさせるなど無礼の極地である。そんなことをしては後々よりひどい罰が彼女を待ち受けているに違いなかった。そういったことをたどたどしく伝えると、五条ははあとため息をついた。
    「そんなに家のことが大事?」
    「・・・そうです。でも、それが自分のためになるんです」
    以前盗み食いをして料理長に暴力を奮われていた男子を思い出す。ここは弱者に汚名を着せることをなんら恥としない傾向がある。ゆえに自分の身を守るためには相手を立てることが1番であると最初に学ぶのだ。たとえ仲間を売り飛ばしてでも。
    必死な伊織を見て緩く首を振った後、五条は座る伊織の前に背を向けてしゃがみこんだ。
    「ほら」
    「えっ」
    「おぶってやるって言ってんの。早く」
    「そ、そんなこと」
    いいから、と背中から発される圧力が強まる。それに促されるように伊織は五条に背負われた。気味の悪い浮遊感と要人にこんなことをさせている恐れで伊織は手足をパタパタと動かした。
    「わ、ばか動くなって」
    「やっぱり下ろしてください!」
    「えーむり。軽すぎて全然下ろせないわー。普段何食ってんの?おまえ」
    「いいから・・・!」
    「大丈夫だって、騒ぎを大きくしたりしない。ただ俺の付き人にこっそり来てもらうだけだから。そいつにも口止めはするし。それならいいだろ?」
    抵抗していた手足がやがて静かになった。拘束されている身では何も出来ないと知ったからか、大人しく背負われることにした。臓腑の揺れるような不快感はいつしか消え、とんとんと歩く度に響く心地よい振動と背中から伝わる熱は安堵すらもたらした。誰もが出払った屋敷の中は静まり返っていて聞こえるのは1人分の足音と2人分の呼吸だけだ。
    「おまえ、名前は?」
    「・・・いおり」
    「ふうん。オレは悟」
    さとる、と心の中で音を反芻する。初対面の相手に名前を聞かれたのはごく久しいことだった。これまで知り合った者たちは彼女が下働きであると認識するだけで事足りた。お前とかおいとか、そんな言葉ばかりでまともに名前を呼ばれることをしなかったので彼女自身名前を呼んだり呼ばれたりということに鈍い。だから伊織は彼が名前を聞いてくれたことに純粋な喜びを覚えた。彼女を下働きというひとつの駒としてではなく、1人の人間として扱ってくれる。私の名前はまだ、価値を持っているのだ。だからこそ、相手の名前も同様に大切なものであると分かる。
    「さとる・・・さま」
    「悟でいいって」
    「さとる・・・くん」
    恐る恐る口に出した伊織の声は震えていた。面白く思いながらもよくできました、と年下の子をあやす口調で悟は褒めた。
    目に包帯を巻いているというのにその足取りはしっかりとしていて段差も上れば曲がり角もきちんと曲がる。やがて1つの部屋に着くと悟は伊織をそっと床へ下ろした。そこは客人の中でも最上位に位置する者たちに宛てがわれる部屋だった。それを知っている伊織は自分のような身分の人間が踏み込んでしまったことに子供なりに焦った。用意された布団を適当に敷いてそこへ伊織を寝かせると人を呼ぶためか出ていこうとした。やはり一連の動作に迷いはなく、視力以外の何らかの力で周りが見えているとしか思えない。そんな伊織の考えが伝わったのか、悟は振り返ってとさりと彼女の横たわった隣に腰を下ろした。
    「気になる?なんで普通に歩けるか」
    少し迷った後、彼女ははいと答えた。

    「それはオレが『特別』だからだよ」

    他人のセリフからただ借りただけのように感情の乗らない声だった。目元が隠されている彼が胸の内に何を思うか想像がつかずに、伊織は戸惑う。今の言葉を淡々と発することが出来るのは、また限りない感情でそれを抑え込んでいるからではないか。彼の口から出てきた単語を伊織は理解しきれなかった。『特別』とは一体何が特別なのだろう。
    「分かんないだろ?それでいいんだよ」
    五条 は年頃の子どもでは決してしないような皮肉な笑みを浮かべた。きゅうと心臓が締め付けられるような心地がして、伊織は悲しみを覚えた。この笑い方を彼女は知っている。心の古傷にむりやり絆創膏を貼ったような、膿が出ているのにあえてそれを無視するような、我慢と諦め。何故かと言えば、彼女も自身で守り通したあの花に同じように笑っていたからだった。
    相手の表情の変化に伊織は聡かった。故に五条も傷を持て余している人間なのだと分かる。御三家の1人であれば、伊織よりも重く痛みのあるものを抱えているに違いなかった。もぞ、と伊織は身体が痛むのを堪えて半身を起こした。脇へ座る五条に、小さな手を伸ばす。
    「な、に」
    ぴたりと手のひらが頬に触れる感覚に驚いて伊織の表情を見た時、彼は息が止まるような感覚を覚えた。
    ―――なんでこんなに優しい表情ができる?
    彼女の顔に哀れみはない。しかし目には春の陽光のような暖かさがあり、無条件の肯定を示されている。口は緩やかに弧を描き、彼の目を一心不乱に見つめているのだった。まるで隠した六眼のことなど一切気にしていないように。彼女はその奥にある五条そのものに語りかけているようだった。
    初めて会ってからものの1時間も経っていないというのに彼女は警戒心という壁を無意識のうちに取り払う才能を持っているようだった。ある者は包容力のある親を、ある者は気の置けない友人を、またある者は自分を愛してくれる恋人を彼女の内に描くのではなかろうか。そんな親密性をこの女子は秘めている。
    包帯を取っていないのに、目を覗き込まれている。そんな気がして悟は反射的に身を引いてしまった。なるべく彼女の顔を見ないようにして片膝をつき立ち上がる。
    「まってて」
    それだけ言い残して悟は立ち去った。



    十分ほどして彼が戻ってきた時、その人数は2人に増えていた。それはさほど悟よりも5つほど年上であろうと思われる男だった。黒の短髪に鳶色の目で愛嬌のある顔立ちをしている。どこかその視線は婀娜めいていて見る者の心をざわつかせる。主人ほどではないが彼もそれなりの衣服を与えられていた。世話人ということで女性が来るものと思っていた伊織は驚いて男の顔を見つめた。
    「まったく、坊ちゃんもこの歳にして女の子を連れ込むとは色男ここに極まれり、って感じ?」
    第一声がそれだったので伊織はさらに驚いた。世話人の立場で主人にそんな口を聞いていいものなんだろうか。禪院では確実に死刑ものである。しかし悟は何ら顰蹙を買われた様子はなく、慣れた手つきで男の身体を引っぱたいた。
    「タッ、何するんですか坊ちゃま」
    「まず連れ込んでない、怪我の手当って言ったじゃん。あとその呼び方やめろ」
    「エ〜みんなそう呼んでるじゃないですか。坊ちゃまってさ」
    「お前はいつも名前で呼んでるだろ。こういう時だけおちょくりやがって」
    主従にあるまじき会話を繰り広げる2人に伊織は呆気に取られた。口を開けている彼女を見て悟は笑った。
    「へんなかお」
    「そりゃ悟のせいでしょ。包帯巻いたヘンテコな姿だもの」
    「確実にそんな口聞いてるお前の方がヘンテコだろ!もう早く治せよ」
    「かしこまりました。・・・レディ、失礼致しますよ」
    男は笑うのをやめ、伊織の横に片膝をついた。出会ったことのないタイプだったので彼女は戸惑って後ろの悟へ助けを求めた。が、悟は安心しろとばかり頷くだけである。
    「お初にお目にかかります。わたくしは結城智久と申しまして、五条家に仕える結城家の一員、今は悟様の専属の付き人・・・のような役目を務めさせて頂いております」
    こうしてまともに喋ると雰囲気ががらりと変わる。カフェの気さくな店員が品のあるホテルマンへ様変わりしたようだ。なんとも不思議な男である。
    「禪院にお勤めになっているということは呪術の存在は勿論ご存知ですね?よろしい。それではじっとしていて下さい。なに、一瞬ですよ・・・」
    結城は掌を伊織の腹の上に翳した。そこから白い靄のようなものが広がり彼女の全身を包む。まるでぬるま湯に浸かっているかのように温かく、その心地良さにうっとりと目を閉じる。しかしそれを堪能しきる前に靄は消えてしまった。半ばねだるように結城を見ると、彼はふふと笑い彼女の頭を撫でた。
    「気持ちよかったですか?」
    「はい」
    「それは何より。起き上がってご覧なさい。きっと驚かれますよ」
    伊織は言われるまま布団から身体を起こしてみる。すると、襲ってくるはずの痛みは全くやって来ない。怪我をする前のように四肢は滑らかに動き、腹を捩っても問題はない。仰天して結城の顔を見る。
    「なんで・・・」
    「治っているのか、ですか?術式の中には傷を癒すことの出来る反転術式というものがあります。今お嬢様に施したのはそれです」
    「結城家はウチお抱えの治癒師一家なんだ」
    無下限呪術を相伝とする五条家においても皆がそれを完璧に扱えるわけではない。むしろごく僅かな人数であり、術式の扱いには非常に高い精密性が求められる。つまり一部の者以外は能力的にそこらの術師と変わらない。そこで五条家は長い呪術師の家系である結城家に目をつけた。結城家は反転術式を相伝としており、五条家と同じく実際に術式を受け継ぐ者は少ないもののその力は貴重である。結城は五条に降り、反転術式を継承する者が現れた場合、五条家専属の治癒師として召されることになった。
    「わたくしは特に悟様のみに仕える治癒師なのです」
    まあ近頃はただの使用人に近い立場ですがね、と結城は苦笑いした。五条家が長く待ち望んだ存在、それが悟であった。幼い頃より蝶よ花よと扱われ、過激なまでの慎重さをもって育てられた。何かあってはまずいと彼につけられたのが智久であり、次期当主の傍で治癒師として控えることで悟を守ってきた。が、悟が段々と己の力の扱い方を覚えたのかその出番は少なくなっている。悟の器を見るに、今後自力で反転術式を会得することも可能なように思われたので寂しいやら嬉しいやらだ。
    「結城家の反転術式には必ず付随効果が発生します。人によって違うのですが、例えば私の場合、治療と同時に快楽を与えます。快楽。お嬢さん、その意味をご存知ですか?」
    す、と智久が顔を伊織の方へ近づけた。流した目はどこか艶めいていて人生初の色気に当てられた彼女は訳の分からぬままぽぽぽ、と頬を赤らめた。難しい単語の羅列が理解出来ず戸惑っているとまたもや悟が智久を引っぱたいた。今度は脳天に命中し智久は頭を抱えて畳に崩れ落ちる。
    「タッ、〜〜ッ悟、力の加減を覚えろと何回言ったら分かるんです!?11のくせに馬鹿力が過ぎますよあなた」
    「そりゃこっちのセリフだ、相手の年を考えろって言ってんの」
    智久が激痛に苦しむのを無表情で横目に見てから、悟は伊織に説明した。
    「めちゃくちゃ簡単に言うと、コイツはオレの付き人。怪我も治してくれる。傷を治すときに気持ちいいな、って感じたろ?それは術式の効果」
    な?と言われて彼女は頷いた。語彙の少ない彼女にとってはこちらの方がありがたい。未だ床で蹲る智久と悟に対して伊織は深々と頭を下げた。
    「治してくださり、ありがとうございました」
    「ちょっと今の聞きました!?悟、少しは見習ってください」
    「うっさい」
    彼女は視線を床に落とした。
    「あの、わたし、どうしたらいいですか」
    「「?」」
    「お礼にできること、なにかありますか」
    「別になんも」
    「え」
    「何かしてもらいたくて治したわけじゃねーし」
    智久はあら素直と悟の頭を撫でようとするもぶっきらぼうに振り払われる。そんな主人を微笑ましく思いながら伊織へ笑いかけた。温かな表情だった。
    「悟の言う通りです。対価・・・、お礼を求めて助けたわけではありませんよ」
    「でも、」
    「じゃあお前はあの花を助けたとき同じこと思ったわけ」
    伊織は首を振った。伊織があの花を庇ったのはひとえに花に対する愛情ゆえだ。対価など求められるはずもない。助けたいから助けた、ただそれだけだ。
    「オレも同じ。わかった?」
    禪院で生きてきた伊織には新鮮な感覚だった。普段伊織が頭を下げている人々よりも目の前の少年の立場は明らかに上だというのに人間味があり、自分をモノ扱いしない。私が私であることを許してくれる。頭を下げなくていいと、そう言ってくれる。どうしてだろう。分からないけれど、その性格が心に染み、胸が温かくなって何も言えなくなる。伊織はこの時初めて心が震える経験をしたのだった。
    彼女はありがとう、と小さく返して笑顔を零した。まるで雲間から陽が差したような、そんな表情だった。
    「?」
    どき、と心臓がうねるように跳ねたのを悟は知覚したが意味するところは分からない。不自然な動悸を訝って胸に手を当てる。
    「・・・・・・?」
    狐につつまれたような彼を見て智久は何とか笑いを堪えた。世話人として、主人の心の成長に水を差すことは控えた方がいいだろう。まあただこの少年の顔色がコロコロ変わるのが見たいだけであったが。




    その翌日も伊織は悟に呼び出されて彼女の小さな友人が咲く場所で待ち合わせた。禪院に隠れて人と(それも客人)会っているなんて知れたらとんでもない懲罰ものだが、それでも彼女は悟に会いに行った。初めて抱えた秘密の味は、噛み締めるほどに甘く伊織を夢中にさせた。
    2人は並んで近くの置き石に腰掛け、色々なことを話した。下働きと次期当主。あまりにも立場に差がありすぎる2人だったが、不思議と馬が合う。生い立ちから普段の生活まで、互いが理解できなかったことがほとんどだが心の芯は繋がっているような感覚を覚えるのだった。
    「さとるくん、抜け出してよかったの?」
    悟から敬語禁止令が出されて以降、伊織の口調は砕けたものに変わった。彼は肩を竦めた。
    「あんなつまんないところにずっといらんないよ」
    「ごちそうだってたくさん出るじゃない」
    「別にあれくらいは普通」
    「・・・そっか」
    伊織のどこか寂しげな表情を見て悟はやらかしたと後悔する。自分の立場からばかりものを言う癖がここで悪目立ちしてしまった。昨日智久に注意されたばかりなのだがすぐに直せるわけでもない。彼は慌てて取り繕う。
    「や、好きなもんはみんな食ってきた。うまかった」
    上手いフォローにはならなかったが彼女は気にしない風である。
    「ご当主さまが心配するよ」
    「まあそれはあるけど。智久が何とかしてくれるよ」
    この頃悟の姿が見えないと付き人が騒がしくなったのを智久は「探しておきます」の一言で静めてしまった。無論探す気など毛頭ないのだからデタラメもいいところである。

    「父さんは『五条悟』を連れてきたかったんだ。オレじゃない」

    初夏の風が草花の匂いを運び、2人の髪を揺らす。目の前にいる少年こそが五条悟ではないのか。伊織はそう思うも、本人からすればどこか違うらしい。ほんの一瞬触れた彼の魂の片鱗は晩秋のように物悲しく、彼女は突然彼が風に攫われて消えてしまうのではないかという恐怖に駆られた。その感情に促されて彼女は悟の袖の裾を捕まえる。悟は驚いた素振りを見せたものの安心させるように笑った。

    「そういやこの花、元気そうでよかったな」
    足元に咲くそれを見て悟は言った。伊織が身を呈して庇った花は少し水をあげると翌日には元の愛らしさを取り戻していた。雑草は生命力が強いと知っていながらも彼女は胸を撫で下ろした。
    「うん。よかった」
    ありがとう、と感謝すると別にとそっぽを向かれる。3歳年下の伊織の方がよほど素直なのであった。
    「他にも花あるじゃん。なんでこれなの?」
    花というなら禪院ご自慢の庭の方が名の知れた花が咲いているではないかとそう言いたかった。彼女は瞬きを繰り返した後、花の側へしゃがみこむとそうっと両手で丸を作るように花を囲んだ。
    「お庭の花はいつも誰かにお世話されてるでしょ。でもこの子は1人で成長するの。強くてきれいだからわたしはこっちの方が好き」
    「・・・ふーん?」
    そう説明されてもいまいち悟には響かなかった。人の手で世話されようがされまいが花は見た目が美しい方が価値があるのに。ただの雑草なんてそこら中にいくらでも生えているのだから特段珍しいものでもない。それをなぜこの娘がここまで気に入っているのかが、日頃より手入れされた花を見慣れた彼には分からなかった。
    「この子はひとり。誰にも分からないような所で咲いてるの。・・・わたしもおなじ」
    彼女は実の親を知らず、父親の存在すら明らかにされていない。自分の子供として慈しまれたことはなく、常に誰かのために生きる日々だった。他人の情感には敏感なくせに自分の心に蓋をするのが上手くなり伊織は人に頼らずに成長する術を覚えた。それがこの花への共感に繋がっているのだった。

    「・・・たしかに、この花とお前は似てるよ。けど、どっちもひとりじゃないだろ。花だってお前が見つけたし、その・・・、伊織のことだってオレが見つけたじゃん」

    思わぬ言葉に彼女は悟へ振り向いた。やっぱりどんな顔をしているか分からないけれど、髪に少しだけ隠れた耳は赤く色づいていてその気持ちが窺える。
    「だから1人なんて言うなよ・・・、っておい!?」
    悟がわたわたと慌てて伊織の顔を覗き込んだ。彼女の小さな友人は上からぽとぽと降る雫を浴びる。数日前と違うのは、その成分が喜びで出来ていることだった。
    伊織はこれまでの人生でこれほどの喜びを初めて味わった。自分が自分として他者に認められること、それがどれだけ貴重で幸せなことか。それは奔流のように心に流れ込み、乾いた内面を潤いで満たしたのだった。
    涙が止まらない伊織を前に悟は為す術が無い。気に入らない奴を泣かせたことはあっても好意を持つ相手を泣かせたことは皆無だったからだ。
    「な、泣くなよ・・・」
    そう言ってみるも彼女は無言で首を振ってさらに泣いてしまう。困りきった悟はおそるおそる手を差し伸べて伊織の涙を指先で掬ってやる。目は充血し、唇はこれ以上泣くまいと噛み締められている。そこで彼は気づいた。この少女はこんな時にも泣くのを我慢しようとしているのか。


    意を決した悟は絶対に力をこめないように伊織の身体を内へ引き寄せた。軽い身体は大人しく腕の中に収まる。背中に回した片手がそうっと浮いて、伊織の頭に載せられる。そのままやさしく撫でてやると腕の中の身体は細かく震えて彼の服をきゅ、と掴むのだった。





    出会いも突然であれば別れもまた同じ。
    その翌日、集会はお開きとなり客人たちは次々と禪院邸を後にしていた。特に帰宅時間は決まっておらず、帰りの挨拶を終えた者から帰って行くので未だそうでない家もある。五条は比較的毎回長く居座ることなく午前中に引き揚げていくのだが、今年はどうも違うらしい。
    「はあ・・・?今世紀最大の腹痛?」
    当主の前で報告をする智久はあえて主人と目を合わせることをしなかった。したくてもできなかった。なぜって笑いを噛み殺すのに必死だったからだ。
    「体調不良ならばお前の力で治せるだろう」
    「それはわたくしも申し上げたのですが一向に聞かずに御手洗に閉じこもってしまいまして」
    「一体どうしたというのだ。いつも指を紙で切ったくらいで大騒ぎするのに」
    「それはそうなのですが・・・、そういう訳ですので今しばらくお待ち頂けますと幸いです。私は説得して参りますので」
    笑いを堪えようと震える身体を叱咤激励して智久は立ち上がり、その場を後にした。当主のなんとも言えない顔がまた彼のツボに入るのだった。



    朝食の後片付けをさせられているところに悟が現れたものだから伊織は仰天した。前2日と異なり今日は普通に辺りに人がいるのだ。偶然彼女はその時1人であったからよいものの、誰かと一緒であった場合を考えるとおっかない。
    「来て」
    有無を言わさず伊織を連れ出した悟は人目も気にせず外へ出ようとした。まってと伊織は緑の湯呑みに浸かっていた『それ』を取り出し、布で包んだものを懐へ忍ばせる。緑の茂る中を2人は手を繋いで進んだ。
    「さとるくん・・・!もし誰かに見つかったら、」
    「大丈夫。誰もいないから!」
    彼の言う通り、いくら進もうと確かに誰とも出くわさない。こうして走りきった2人は開けた場所へ出た。そこに現れた景色を見て伊織は大きく目を見張った。
    紫色の美しいカーテンが四方にかかっているようだった。高貴でいてかつ柔らかい色合いのそれは合間から差し込む陽の光で幻想的な風景を作り上げている。時折ひらひらと舞い落ちる小さな花弁が淡雪のようだった。
    悟はくるりと振り向き得意げに笑った。
    「藤棚だよ!すげーきれいだろ!昨日見つけたんだ!」
    こちらに笑いかけてくる彼があまりに美しくて、愛おしくて伊織は喉に引っかかったように何も言えなくなる。客人が今日帰ることは伊織も無論知っていた。『日陰』に放り込まれるのもすぐだろう。この少年にまともに会えるのはきっとこれが最後だ。涙が滲んで、視界に藤の紫がよりぼやけて見える。これはきっと神様が私にくれた唯一の宝物なのだ。これを抱えて風雨に晒されようとあの雑草のように生きろと神はそう言っているに違いない。
    「もう、帰っちゃうのかと思ってた」
    「なんも言わずに帰るやつがいるかよ」
    また泣いてる、と彼は昨日よりも慣れた手つきで涙を拭ってやる。最後まで泣いていてはダメだと、伊織は頑張って笑顔を作った。見つけてくれて、仲良くしてくれてありがとうと。悟は眩しいものを見るように目を眇めた。
    「やっぱりお前は笑ってた方がいい」
    と端正な口元を綻ばせる。目の前で片膝を折って、懐から何かを差し出す。
    「あげる」
    「これ、どうしたの?」
    それはピンクのカーネーションだった。花瓶にでも活けられていたのか茎は15センチほどで切られている。ギザギザの花弁が幾重にも重なってぎっしりと詰まったそれはこれまで触れたどの花よりも重く、意味のあるものだった。悟はまるで柄じゃないと思いつつ花を伊織へ捧げるようにした。小さな指先がそっと、妖精のロッドのようなそれを摘んで受け取る。
    「くれるの?」
    彼女は聞こえるか聞こえないか位の声量でそっと尋ねた。
    悟は何も言わず頷いた。
    神の裏庭の如く静まり返ったここは、全てを秘密にする。垂れ幕のような藤が2人を覆い隠して外の世界を謝絶する。ざあと吹いた風が地面に散らばった藤の花びらを巻き上げて薄紫の螺旋を作る。その中心で悟はまるで忠誠を誓う騎士のように伊織へ傅いた。人に忠節という名の媚びばかり売られていた少年が、初めて自分から心を許した。
    「わたしも、これ」
    包んだ布から取り出したものを見て、悟は瞠目し、次にははと笑った。
    「・・・なんだ、同じこと考えてんじゃん」
    あちこちが薄汚れたボロ切れの上に紫色の小さな花が根元の辺りからぷつんと切られて載せられていた。下の台座ごと受け取った悟は贈り物をじっと見つめた。
    「こんな大事なのもらっていいの。友達だろ」
    「いいの。大切なものを大切な人にあげるの初めてだからすごくうれしい」
    それにもうこの子には会えなくなるから、と伊織は心中で呟いた。この花は彼女の友人であると共に分身だった。その生命を自身で刈り取ったのは花だけでも彼のそばに少しでも長くいてほしかったから。
    「・・・ありがと。大切にする」

    花を持った手が吸い寄せられるように彼の後頭部へ回る。それは彼女の無意識下での欲望であり、それが表出されるのもまた必然であった。この中に五条悟という存在を完成させる何かが眠っているに違いなかった。彼は嫌がる素振りは見せず伊織のされるがままである。

    「・・・オレが『特別』な理由、知りたい?」
    「・・・知りたい・・・」
    「いいよ。みて」
    先が伸びたまあるい爪を、包帯の結び目に引っかける。全てを知っていて悟は伊織に秘密を暴かれることを許した。

    その日、孤高の白銀の獅子がその頭を預けるように、少年は少女に心を預けた。


    包帯がはらりと払われてその瞳が見えた時、伊織の美しいという概念が木っ端微塵になって、物凄い速度で再構成される。
    伊織の背から差し込んだ光が彼の瞳に反射して万華鏡を極限まで高めたような煌めきが映る。その美しさは伊織がこれまでに知るものと大いに異なっていた。春の朧月でもなければ夏の蒼穹でも、秋の黄昏でもなく冬の雪花でもない。なんと形容したものか、限りある語彙しか持たぬ伊織には知りようがなかった。ただそれがどうしようもなく『美しい』何かであるということだけが今の彼女に分かっていた。たとえ未だ見ぬ外の絶景を見たところでこれを上回る衝撃はないだろう。
    彼が己を『特別』だとする理由もなんとなく理解できるような気がした。その瞳は人間を超越した者にのみ許されるような輝きがあり、周囲もそのように扱ってきたのだろう。
    彼女の視線がまともに悟のそれとぶつかり合い、やがてひとつになっていく。不思議な感覚だった。広大な宇宙に呑み込まれるように平衡感覚を失い足元がおぼつかなくなる。藤が碧と混ざり合い、ふらりと伊織は目を回した。その身体を危なげなく悟は抱きとめた。
    「やっぱり呪力に慣れてないヤツにはキツかったか。わりい」
    力なく伊織は首を振った。熱に浮かされたように彼女は呟く。瞳だけではなく彼の顔面を構成する一つ一つのパーツがあまりに整っているので人形師が作り上げた傑作のようだと思った。
    「・・・きれい」
    「この花とどっちがいい?」
    我ながら意地の悪い質問だと悟は思った。この無垢な少女に自分を選んで欲しいという幼いなりの願望が滲む。伊織は両手で彼の頭を包み込んだまま、この場の空気を代弁するように笑った。
    「お花をもったさとるくんがすき」
    「・・・それはずるくね?」
    「ずるくないもん、本当だよ」
    2人はもう一度互いの目を見つめて微笑む。手にした桃色と薄紫の花がふわりとそよ風に靡いた。






    「また昔を思い返しておられるのですか?」
    伊織の髪を梳っていた小百合は彼女の視線が栞から動かなくなったのを見て笑った。栞には押し花がされていた。ピンク色の特徴的な形の花弁がいくつか当時の色合いを保ったまま押されている。
    これは伊織が幼い頃出会った少年からもらった唯一の宝物だった。あの後すぐに伊織は土蔵という名の牢獄に収監され、日の目を見ない人生を歩かされた。彼女が大事に抱えていたそれを見つけてそれなら押し花にしようと提案したのは小百合である。このまま枯らしてしまうより長く残しておけた方が伊織の慰みになるしよいと考えた。それに栞なら嵩張らずに襟に仕込めるので禪院に咎められることもない。
    帰ってきた栞をみた彼女は涙を流した。あの日の思い出が鮮明に思い出された。私を見てくれた初めての人。忘れようがない。藤棚の下で花を渡し合って笑い合った当時よりも幸福な時を彼女は知らない。この記憶があるからこそ伊織は記憶の喪失を拒み、数多くのそれを犠牲にしてきた。これさえ残っていれば自分は自分でいられるという強い確信があった。
    「本当に、大切な思い出は色褪せないわね」
    「なんとかしてその方に連絡を取ることはできないのですか?大切なお方でしょうに」
    小百合はことの経緯を全く知らなかった。伊織は自分から話そうとしなかったし、あえて彼女からも聞くことをしなかった。それがこの娘にとってかけがえのない者だと分かっているだけでよかったのだ。自嘲めいた笑いが伊織の口の端に浮かぶ。
    「覚えてるわけないわ。こうしてしつこく思い出しているのは私だけ。あの人は今頃もっと大きなものと戦っているに違いないから」
    「そうは申しましても・・・」
    「いいのよ。私にはせりがいればそれでいいの。せりがいてくれるから死にたいって思わずにいられるんだから」
    「・・・伊織様・・・」
    小百合は胸が詰まった。日陰で育ったにしては有り余るくらいの健全さを彼女は有している。この美しい花が日の目を見ないで死んでいくということは彼女には考えられなかった。類まれな才気と美貌を兼ね備えたこの娘は幸せになるべきだと願ってやまない。それなのに禪院という名の運命は彼女の痩せた身体に巨石のようにのしかかり人生のレールから幸福を取り外してしまう。
    涙が出そうになるのを小百合はぐっと堪えた。もっとも泣きたいのは伊織であろうが、その彼女が健気に笑っているのを見るとこちらも支えなければと奮い立つのであった。


    直次の息子の直平が義理の妹の噂をききつけて父親に問うも突っぱねられてしまうが、それを見ていた直哉が彼に伊織の存在を教えてしまう。直哉としては直平をけしかけて伊織共々の反応を見て楽しみたいだけでそこに誠意はない。何日の夜にここへ来てみろ、そう言われて足を運んで陰から伊織の移動するところとかを垣間見る。んでその美しさに一目惚れする。なんとかして接触を図るもにべもない態度で返される。募った気持ちが溢れた彼は直哉からいろいろと事情を聞き、彼に土蔵の封印を開けてもらう。実際彼女を近くで見た直平はたまらなくなり、彼女を襲おうとする。伊織は抵抗し、術式を使って記憶の改竄を図るもその代償はかつての悟との記憶しか出てこない。1番大切な記憶を失いたくない、でも失わなければ己の精神が死んでしまう。彼女は仕方なく記憶を手放し、直平を自死させることに成功する(ここで直哉さんが震える伊織に向かって人殺しとか言ったらよき。2人の一連の行動を見てめちゃくちゃ愉悦してる。下衆)。
    あえて直毘人も直次も止めなかった。直毘人は息子とおなじ原理だし直次は自業自得だと思ってたから(好きでもない女との子を慈しむことができなかった、けど伊織も愛しきれない)。人を殺せるほどの呪力をもつ彼女は何時しか禪院の徒花と呼ばれるようになっていた。
    庭の曼珠沙華がすっかり枯れた頃だった。庭師が黙々と禪院の宝を手入れしている横を一人の男が足音もなく通り過ぎていく。やつれた印象が強い中年の男。まだまだ男の盛りである年頃であるはずだが、その表情からは一切の感情が抜け落ちている。男―――直次は当主との会話を終えて自室へ戻るところだった。ふと彼はあるものに目を止めて縁側から庭師に声を掛けた。
    「おい」
    「あ、は、はい。どうされましたか」
    「・・・それは水仙か」
    男の足元に咲くそれを指さして直次は言った。花弁が6枚あり、さらに下に向くようにして口を尖らせたような部位がついている。独特な構造だった。しかしそれ故に見る者はすぐに花の名を思い出すだろう。白や黄色の水仙が冬に向かってぽつぽつとその花を開かせようとしていた。
    直次に問われた庭師は年配の男だった。聞けば長年禪院の庭師を務めているのだという。この家の庭の美しさは彼の腕ひとつで保たれていると言ってもよかった。剪定鋏でぱちぱちと要らぬ枝を切り落とした後にくるりとこちらへ振り返った男は深々と直次へ頭を下げた。
    「直次様でいらっしゃいましたか」
    「ああ」
    「直次様が花について私に聞いてくださるのは、お珍しいことですね」
    幼少期から彼を知っている庭師は微笑みを湛えながらそう言った。直次はつと視線を逸らした。
    「・・・昔を思い出した。黄色の水仙が好きだと、そう言っていた」
    これまで乾きがちであった彼の口調がわずかに湿る。いつか、宝石のような花々を束ねて彼女に贈ったことがあった。色の配分にも気を使い、真ん中には赤い薔薇を忍ばせた。普通の女であれば顔を輝かせるであろうものをあの女はいらないと突っぱねた。私はこっちの方が好きなのと教えてくれたのは、黄色の水仙。
    『白じゃないのがまたミソなのよ』
    そう言って笑った彼女の表情を直次は今でもありありと思い出せる。水仙には毒があるからうっかり食うなよ、そう注意してそこまで馬鹿じゃないと怒られたことも。
    庭師は主語の欠けた直次の言葉に対して追及しなかった。
    「もし違っていたら申し訳ございませんが・・・直次様は水仙がお好きでございましょう?」
    庭師の言葉を聞いた直次は瞠目した。
    「なぜ私が水仙を好きだと?」
    「直次様はいつも庭を愛でて下さることはありませんが、この時期だけ、水仙にだけ、目を向けて下さるものですから。故にあなた様は水仙が好きなものとそう解釈しておりました」
    「・・・・・・」
    そうだったのか、と庭の護り手によって直次は自身の無意識の行為に気付かされた。確かに冬の時期だけ、やけに庭に視線がいくと思っていたのはこの水仙が原因であったらしい。

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    Replies from the creator

    Bee_purple_

    MAIKING最序盤で力尽きた五条夢です。五条夢になるはずでしたが展開が進む前に私の心が折れました。長すぎ。キャラの口調や世界観の認識など何も整理できないままここまで書いてしまったのは後悔・・・。
    オリキャラ8割でお届けしているので地雷な方はほんとにおすすめしません。夢でも読めるよというだけです。五条子供の頃しか出とらんやないか・・・。なにこれ???
    禪院の徒花『禪院に非ずんば術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず』


    これは呪術師の御三家の1つ、禪院家を最も端的に表した言葉だとされている。呪力を持たない者は、その家においては人としての扱いを受けない。生まれた時から落伍者という烙印を押され、死ぬまで卑下されて生きる。


    これは禪院家においてその『落ちこぼれ』にもなれなかった、1人の女の物語である。



    うつらうつらと眠りという名の海で船を漕いでいた女は、ふと目を覚ました。どうやら居眠りをしていたようだと、意識にだるく縋り付いてくる眠気がそう教えていた。
    今は何時だろうか。彼女は時刻を知る術を知らない。起床時と飯時など、決まった時間に女中が訪ねてくることで、女は時間を把握していた。では空の移ろいを見ればいいとも思うが、生憎その部屋には窓がなかった。窓だけではなく、年頃の女であればあろうはずの調度品がその空間からは欠けていた。四畳半ほどの座敷に、慰み程度の手机がひとつ。中は全体的にぼろっちく、じめじめと湿り気を帯びて長時間過ごす気には到底なれない。向かって右側に、手元をわずかに照らすばかりの古ぼけた和紙が張られた手燭が置かれている。それしか明かりの類はないものだから、いつでもその部屋は夜中のように暗い。
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    まんが1について
    設定画等に特にヒスイの人が革製品を使っているとは書いていないですが、キャプテンや集落の人の手袋や鞄は革らしく見えることと、サブウェイマスターのあの靴は革だろうな……という想像から、革の話になっています。でもサブウェイマスターの靴はもっと特殊な素材かもしれないな……二次創作はかもしれない運転だ……。かもしれないけどこういうのもありでしょう運転だ………。
    皮革を生活に使ってるよねという想像は、どうやらシンジュやコンゴウの人たちの暮らしは世界各地の色々な北方民族の暮らしをモデルにしてるのかな?と思ったところから出てきました。フードつきの服を着ていたり、テント風の家に住んでいたり、国立民族学博物館を訪ねた時にモンゴル展示で見たストーブとほぼ同じものが家の中にあったりするので。ポケモンや他の動物(そもそもポケモン以外の動物いるのかもよく知らないですが)を家畜として集落周辺で飼っている気配はないので、狩猟に出たり植物を採集してきたりして暮らしてるんだろうな、罠仕掛けてるみたいだし。突如そういう生活を送ることになったノボリさんは知らないことだらけで生きていこうとするだけでも周りのいろんな人から学ぶことがたくさんあったのでしょうね。
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