没のオクバデ 記憶を持って生まれ、しかも同じく記憶を持ったバデーニと巡りあうという、奇跡のような再会をしたのがおよそ一か月前。衣食住は提供してやるから身を粉にして家事をしろ、とかつてのように大学生の俺を引きずり込んでマンションの一室で共に住むようになったのが、三週間ほど前か。
ただいま帰りました、といつもの調子で玄関を開ければ、立ったまま腕を組んで壁に体重を預け、こちらを睨みつけるほどの眼光で見つめるバデーニさんと目が合う。
何かしてしまっただろうか。怒っている...とも少し違うような。おろおろと様子を窺っていると、それを気にも留めずバデーニは徐に唇を動かして名を呼んだ。
「オクジー君、私と付き合え」
「は、い?……ど、どこにですか」
「は?何処?君、話を聞いていなかったのか」
「…す、すいません……」
「はあ。もう一度だけ言い直してやろう。私と恋仲になれ」
「……こい、…え、?なんで」
こいなか。恋仲。恋人。突如として告げられたそれは想定していた類いの言葉とは大きく異なって、脳は驚きと困惑にフリーズする。なんで、と苦し紛れに返した言葉を当のバデーニは呆れ顔で受け取った。
「何故か?……まァ一応協力を仰ぐのだ、教えてやってもいいか」
「あ、ありがとうございます……?」
「前世ではそれどころでは無かったから結論に至っていなかったが。現世で少し前に気付いたんだ、私はどうやら君に好意を抱いているらしい。その答えに辿り着いた経緯については省略しよう」
「……こうい」
「気付いてから、いや気付く前もか。ふとした時に君のことが頭を過ってどうにも研究に集中しきれない。私ほどの人間がだぞ?」
「……はあ」
「それは非常に問題だ。文献を調べたところ、恋情は相手が自分のものになれば落ち着くらしいからな。君の所為なのだから君に責任をとってもらおうか。それが一番効率的かつ合理的だ」
「……それで、俺と…その、恋仲に?」
「ああ。因みに君に拒否権は無い。私が今言ったこの瞬間から、君は私のものだ。解ったか?」
「え、ちょっと、は、?」
「解ったか?」
「え、?はい......?」
「よし。それでは精々私のことを満足させることだな」
そう言うと気が済んだようで、いつになく饒舌なバデーニはくるりと踵を返してリビングへ消えていく。嵐のようなその弁舌に取り残されたオクジーは瞳を大きく見開いたまま固まっていて、早く風呂に入れと遠くでかけられた言葉に、反射的にはい、と応えることしか出来なかった。
(......いや、え?どういうことだ?)
大学で教授の言葉を書き取りながら、ふと我に返る。同時にあの日の会話を思い出せば、もう講義の内容など耳に入らない。
(...恋仲...?付き合うって、じゃあそういうことだよな)
バデーニから落とされた突然の爆弾発言からもう三日程。あれから特に変わること無く毎日こき使われている。もう慣れたし、彼と過ごすのは結構居心地が良いからそれは別に良いのだけれど。今までと余りにも変わらなすぎる。
君は私のものだ、とは、オクジーは雑用係だということだろうか。それで言うなら前世からそうだが。
(いやいや流石に...というか、好意って...?バデーニさん、俺のこと好きなのか...?)
好き。バデーニさんが、俺を。
考えれば考えるほどそれは現実の彼の態度や人柄からかけ離れていて、最早可笑しい。ありえない。絶対何かしら勘違いをしている。
しかし、オクジーが何か反論しようと、バデーニの中で結論づけられたそれが覆るとは思えない。ただただ機嫌を損ねてやらなくても良い雑用を押し付けられるだけだ。それは避けたい。
(......まあ、今まで通りでバデーニさんが満足しているなら、良いか......)
俺は別に今までと変わりなく過ごせば良いらしいから。
机の上に置いたペンを再び拾い上げて、教授の言葉に耳を傾けた。
今日、月が綺麗で良かったです。
月が明るいと天体観測に向かない。
そうですけど。でも、今日はやっぱり月があって良かった。バデーニさんの顔、よく見えます。
バデーニさんは、俺に感動をくれた人です。
それはかつての......星空や、地動説のことか
そう、なるん...ですかね?
色々なことの意味を知ってみる星空は、確かに今までよりもずっと綺麗でした。でも、今、もっと違う理由がわかって。
バデーニさんとみる星空が、一番綺麗なんです
楽しそうに語る唇も、星明かりに輝く金の髪も、気紛れのようにこっちを向く瞳も。
バデーニさんは感動をくれた人です。...そして今も、俺の心を揺さぶる人です。
…それは、
好きなんです、俺。バデーニさんのこと。...今、気付きました