もがけ 導くはキミ 真っ暗なわけではないのに周囲はもちろん足下さえも何も見えない、なのに確かに足は地面を踏みしめている。そんなありえないが覚えのある感覚にKKはうんざりしたように息を吐いた。
「また面倒なことに」
目覚める前の記憶を辿れば、眠りに就いたのは見慣れたアジトであったはず。先日手に入れた興味深い資料を読み耽るうちにすっかり夜は更け、自宅まで帰るどころか仮眠室に向かうこともなくソファで眠りに身を任せたのだ。翌朝やってくるはずの暁人にお小言をくらうだろう、なんて頭の隅で考えながら。
それが目を覚ましてみればどうだ。どことも知れぬ場所であるし、そもそも感覚として理解しているがここは現実では無いし、この体は実体ではないだろう。ため息も吐きたくなるというものだ。自由に動けて、エーテルを巡らせる感覚もあるだけましと思うべきか。
何が原因かと思い浮かべてみるが、人知を超えた存在に関わり過ぎてどれが明確な原因かは判然としない。近頃、そこまでヤバい案件は無かったと思うが人間の常識や予想に納まりきらない事なんて日常茶飯事だ。
仕方がないと明確な目的は無く歩き出す。こういう異変の場合は同じ空間内にいる元凶を叩くのが一番シンプルかつ確実な手段だ。もしこの空間内に元凶が無いなら現実世界で対応する他ないが、アジトの面々を考えれば憂えることも無いだろう。
足の向くままに進んでいるとその耳が何か物音を捉える。何か遠くから迫ってくるような低く重い音。それは何の音かと考えるより早く腹の底から震わす振動を伴った轟音へと変わった。
何事かと音の方向を見れば青々とした壁が迫っていた。正しくは壁に見えるほど強大な水流。それは見る見るうちに加速して逃げる余地などない。
どうする?と考えるよりも早くひょいと足下を掬われた。
「うお!?」
状況も理解できないうちに背中から何か固い面にぶち当たり、掬われた足も何かに丸め込まれるように窮屈な体勢に。そしてそのまま視界は青で覆われた。
不規則に上下するような揺れを感じながら、状況を把握しようと目を走らせる。
流れに揉まれてはいるが水に濡れてはいない。どうやら障壁に覆われているようで、窮屈な体勢の原因もこれだ。半透明な障壁、戦闘の際に防御のために展開する土のエーテルによく似ている。それが球状に展開され、さながらカプセルトイのような状態だ。
エーテルの障壁はマレビトの攻撃で破られることもあるから、内側から衝撃を加えれば破ることも可能かもしれないがこの水流の中に放り出されるのは得策ではないように思えたのでひとまずカプセルから出ることは置いておいて納まりの良い体勢を探す。と言っても、カプセルはかなり小さく中で立ち上がるどころか背筋を伸ばして座ることも難しい。
膝を抱えて丸まったような窮屈な体勢のままどんぶらこと流されていく。
どれくらいそうしていたか、少しずつ上下する感覚が穏やかになってきたと思うとカプセルはなんとか水面に顔を出したようだ。相変わらず辺りは黒い闇が覆うばかりで何も見当たらない。そうしてだんだんと水位が下がりやがてカプセルだけを残して水は尽きた。
地面に着いた状態にはなったが、カプセルは消える気配はない。水が無くなった今なら破っても問題ないかと内側から殴ってみるが、中途半端な体勢では十分に力が入らず破れそうにもない。ならばこのまま転がってとも思ったが体勢を自由に変えられるスペースも無いので思ったようにいかない。エーテルショットで破壊することも頭をよぎったが、この狭いカプセルの中で跳弾などしたらたまったものではない。
どうしたものかと考えていると、死角の側からコツコツと硬質な音が規則的に聞こえてくる。聞き覚えのあるこの音は、さて何の音かと考えて思い至った可能性に冗談じゃないと思いながら体を捻って音の方を見る。
「っ!」
見やった先にはハイヒール、そこから目線を上げれば典型的なOLの制服に振り上げられた鉈。
どう考えても回避できるわけがない。せめても土のエーテルでガードの姿勢をとった瞬間、鉈が振り下ろされる。
だがその攻撃はKKのガードに当たることは無かった。鉈女の一撃はカプセルだけを捉え一刀両断する。予想だにしなかった事態に一瞬反応が遅れたKKが反撃の姿勢に移るよりも早く鉈女は浄化されるように跡形もなく消えた。
「どうなってんだ?」
もちろんKKが浄化を行ったわけではない。だがマレビトは消えた。
何だったのかといぶかしみつつ立ち上がる。無理やり押し込められていたような姿勢だったので若干節々が痛むがそれ以外はどこも異常は無い。
マレビトが消えた後には何も残らず、また振り出しに戻ったかと思っていると目の前に突然何かが飛び出してきた。
それはピンポン玉ほどの大きさの光球だった。淡い黄色味を帯びた光はどこか神聖さを持ってほわりほわりとKKの目の前を漂っている。
ひとまず悪い気配は感じないそれに手を伸ばしてみると、それはからかうようにKKの手を躱した。そして数メートル離れるとまたふわりふわりと漂う。
「ついて来いってか?」
そうだというように光球は明滅するとゆっくりと進み始めた。
敵意も感じないし、他に頼りにするものが在るわけでもないのでKKは警戒しつつもその後を付いて行くことにした。
光球を頼りにしばらく歩いていくと、前方に何かが見えてきた。それが何かわかった瞬間KKの足がぎくりと止まった。
犬だ。くりっとした目の、キリッとした顔の柴犬。
暁人だったらきっと相好を崩して撫でまわしに行くだろう。
だが言葉にして認めはしないが仲間たちはみんな知っている。KKは犬が苦手だ。世間一般にかわいいと言われるような姿であっても気を抜けば情けない声を上げそうなくらいには。
KKの足が止まったことに気づいたようにKKの元に引き返してきた光球はKKを気遣っているのかはたまた急かしているのか周囲をしばらく飛び回った後、それでもKKの足が進まないのを認めると一人で犬の方へ飛んでいく。
そして犬の鼻先にチョンと触れた。
「ワン!」
嬉しそうに尾を振りながら元気に返事をすると、光球の進むのを追ってトコトコと歩き出した。そして光球がKKの様子を伺うように止まると、犬も振返って「早くしろ」とでも言うように一鳴きしたのだ。
KKは思わず苦虫を嚙みつぶしたような顔する。どうやら、一緒に行くしかないらしい。
またしばらく進むと、今度は大木が見えてきた。
先頭を進む光球とそれに続く犬と、そこから少し距離をとってKKというなんともちぐはぐなメンバーがそこにたどり着くと大木の枝葉の間からガサガサと音がする。今度は何だと身構えるKKの前に小さな影がひょいと跳び出て来た。
ちょうど両手のひらに乗るくらいの緑色のボールから足が生えたような物体。
「なんだ、木霊かよ」
KKは嘆息して構えを解いた。マレビトや妖怪や、はたまた猫やらなんやらの動物でも飛び出てくるのではと警戒したが、木霊は攻撃性が高い妖怪ではなくこちらには好意的な傾向が強い。
ぴょこぴょこと飛び跳ねる木霊にも光球は近づいていくとチョンと触れた。
すると木霊は殊更嬉しそうに飛び跳ねるとKKの肩に跳んできた。大した衝撃もなく飛び乗った体は重さも大したことは無く、それこそ木の葉でも乗っているようだ。
「オマエもついて来るのか?木は放っておいていいのかよ」
KKが声をかけると木霊は大丈夫だというように肩の上でまた小さく跳んだ。
こうしてまた道連れを増やして珍道中は進んでいく。
肩に木霊を乗せたまま、犬の後をついて歩きながらここまで起きたことを考える。
果たしてこれから何が起こるやら、判断するにはまだ要素が足りない。
解決の為にはまだこのちぐはぐなメンバーで進まなくてはいけないらしい。
つらつらと考えていると前方に壁が見えてきた。今度は轟音も無いし迫ってくることも無く、正確に言うなら崖だろうか。真っ直ぐと切り立った崖は手足をかけるような場所も無く登るのは不可能だろう。
何か上に行く手段はと辺りを見回すがワイヤーをかけられそうな岩や木も見当たらない。ならば片手に集中させた力を中空に落としてみれば、崖の上に羽ばたくシルエットが浮かび上がった。見覚えのあるそれに、しめたと思うが崖の縁まで呼び寄せる手段がない。
思わず眉間に皺を寄せたKKの目の前で光球が崖の上に飛んでいった。もう一度霊視の雫を落として行方を追ってみると真っ直ぐ崖の上のシルエットに向かって行き、またチョンと触れた。
すると大型の鳥類のような一鳴きが聞こえて崖の縁に天狗が姿を現した。KKの姿を認めると一鳴きしてこちらに手を伸ばしてきた。いつものグラップルでワイヤーを伸ばし引き上げてもらう。
崖の上に着地すると肩からころりと転がり落ちた木霊がその場で足をバタバタと踏み鳴らしてKKの足に体当たりをしてくる。どうやらご立腹らしい。突然の事に振り落とされたらどうしてくれるんだというところだろうか。
「悪い悪い」
宥め賺して先に進もうとすると、光球が顔の辺りまで飛んできて明滅する。顔の近くを飛び回るのをなんだなんだと払い除けると、崖の縁まで飛んでいく。そして何かを訴えるようにぐるぐる飛び回る。そちらまで戻ってみると崖下で犬がこちらを見上げている。
「うっ…」
さっきは勝手についてきた犬だったが、さすがにこの崖を自力では登れないだろう。ここで置いていくことも考えたが、それを読んだように光球が明滅する。そして、崖下では犬が哀れっぽくふんふんと鼻を鳴らしていた。
「……わかったよ」
グライドを使いながら崖を跳び下りた。
嬉しそうに尾を振りながら犬が近づいて来る。思わず腰が引けるが、覚悟を決めて犬を抱え上げる。
「大人しくしてろよ」
犬に言い聞かせ半分、祈るような気持ち半分で口にしながら再度天狗にワイヤーを伸ばした。
崖上についてすぐに犬を地面に下ろして距離をとろうとしたが、犬は嬉し気にKKにじゃれつこうとする。思わず情けない声が出そうになっていると、光球が犬を宥めてくれた。これほどコイツに感謝したことは無いかもしれない。
こうしてメンバーがそろったことで先に進むお許しがもらえたらしい。光球はまたふわふわと進んでいく。それに続いてKKとその肩に乗った木霊、犬、天狗と続く。
謎の光球が勧誘したお供とどこに行くのかと思ったところで、なんとなく聞き覚えがある気がしてこれまでの事を振り返る。
何だかわからないカプセルに閉じ込められて水に流され、マレビトが現れたと思ったら謎のカプセルだけを両断され、謎の光球に導かれるまま進んできた。そして、光球が勧誘()した犬が加わり、木霊が加わりそうして天狗も加わった。水に流され、カプセルが割られ、球体につられた3匹のお供。
「まさか…」
前方に現れたるは、KKの想像通り…とは少し違った。前方にポツンと佇むのは赫法師。その頭にはちょこんと小さな角のついたカチューシャが着けられている。そしてスーツのジャケットは虎柄だ。
「それは、赤鬼のつもりか?」
この筋書きは日本で生まれ育った人であれば一度は聞いたことがあるだろう昔噺、『桃太郎』だ。いや、かなり強引な気はする。木の精霊である木霊を木に登る猿に例えるのはかなり無理があるし、雉の代わりが天狗とは飛ぶものは全て鳥とでも言うようなものだ。そこに持ってきて、犬だけは本物を連れて来るからなんともちぐはぐに感じられる。
無理はひとまず目を瞑るとして、物語に則って次の展開に進むとすると鬼退治だ。常日頃から襲ってくることもいたずらを仕掛けてくることも無い鬼を倒すというのは非常に気が引けるところだが、マレビトであるなら遠慮することは無い。というか、おそらくきっと不本意であろう雑過ぎるコスプレもどきはとっとと祓ってやるのがせめてもの情けだろう。
KKたちを認識した赫法師が迫ってくるが、マレビト1体ごときKKの敵ではない。お供の手助けなど無くとも、エーテルショットを打ち込みコアを露にさせた。
「これで終いだ」
コアに絡めたワイヤーを力強く引くとパリンという音を立ててあっけなく砕け散った。
そして後に残されたのは宝箱が1つ。念の為と霊視してみるが、中身はうかがい知れなかった。
桃太郎の筋書きに則るなら、鬼を倒した桃太郎はたくさんの金銀財宝を手に入れておじいさんおばあさんの元に帰るのだ。敵を倒して手に入る物なのだからこれが罠だなんていう理不尽は無いだろう。
意を決して宝箱を開けた。
『KK、聞こえるかい?』
聞きなれた電子的な声音が響いた。
「エドか?」
『ようやくこちらからコンタクトがとれるラインまで上がってきたみたいだね』
エドの言葉からしてこれまでの行程もエドたちから捕捉はされていたが、空間の特性か何らかの妨害によってコンタクトは遮断されていたらしい。物語が終盤に差し掛かっているのに比例して、現実へ帰る道もあとわずかと考えて良さそうだ。
『KK、君は今夢の中にいる。君の体はアジトで眠っている状態になっていて、魂だけがそちらに囚われている状態だ』
エドが伝えて来る現状は概ね予想通りだった。
「こっちで元凶をたたけば解決するのか?」
『いや、どうも今回は悪意を持った怪異というよりは浮遊霊の未練などが原因と考えられる。物語を最後まで語り終えることが未練を晴らすことになると予想を立てて進めたことが当たりだったというわけだ』
なるほど、脱出の条件は既にクリアしているらしい。バタバタといろいろな事に巻き込まれている訳だし、これからもう一仕事とならずに済んだことはありがたい。
となればとっとと脱出をと思っていると、突然ザザッというノイズ音が走った。何事かと見回せば先ほどまで一緒にいたお供の姿が消えている。
『まず‥空間のし…がまた深くなってい…K……といっし…早くだっしゅ』
エドの声も乱れがちになったと思うとそのまま途切れた。
脱出の条件をクリアしているならおさらばするだけだが、肝心の出口がわからない。舌打ちがこぼれたKKの視線の端を輝きが掠めた。そちらを見ると、お供たちと一緒に消えたと思っていた光球が急かすようにクルクルと飛び回っている。KKの注目が向いたと判断するとぴょんぴょんと跳ねるように飛んでいく。その後にはぽつりぽつりと光る道筋ができていた。
「今度はヘンゼルとグレーテルかよ」
おもわずこぼれた文句は大目に見てもらいたい。距離が離れ過ぎぬうちにと光球を追って真っ直ぐに走り出した。
走っているうちにも不快なノイズ音は続き、世界の端々に不気味な気配の穴が開いていくのがわかる。どうやら急いだほうが良さそうだ。
光球の作る星座のような道を追って行けば、前方に空間から切り取られた何かが見えてきた。目を凝らしてみると、それはアジトのマンションの玄関扉だ。
「あそこか」
ここまでくればもう見失うことも無い。
前方を行く光球を見れば点々と光る目印を残しながら飛んでいくが、その光はたくさんの絵を描いたクレヨンがその身を削り小さくなっていくように少しずつ小さくなっていく。
スピードを上げたKKは一息に光球に追いつきそっと掬い上げると、そのままアジトの玄関扉に飛び込んだ。
ハッと目を開くと視界に入ったのは見慣れたアジトの天井だった。どうやら昨夜の記憶の通りソファに寝転んでいるようだ。
『無事に戻ってこられたようだね、KK』
投げかけられた電子的な声音に身を起こして目を向ければ、思った通りPCルームのデスクからエドが振り返っていた。
「おかげさまでな。爽快な目覚めだよ」
首や肩を軽く回して体を慣らす。抜け出た魂が体に戻る感覚は何度感じても、何というかおさまりが悪い。
「おい、暁人は?」
室内に目を走らせても姿が見えない相棒の行方を問えば返事よりも早く、廊下に続く扉がガチャリと開いた。
「ちゃんといるよ」
暁人はKK同様に体を慣らすように軽くストレッチをしながら部屋に入ってきた。その姿を頭の先から足元まで確かめるように見たKKはしょうがないというように眉間の皺をわずかに緩めた。
「帰り道を保つためとは言え、無茶しやがって」
「結果的には、僕がKKを助けたんだから褒めてくれてもいいんじゃない?」
「それとこれとは話が別だ。助けに入って二次災害なんてことにならないように退路はきちんと確保しろ」
KKのもっともな言葉に暁人は降参だというように諸手を上げた。
『僕らも次のお話が始まるとは予想していなかったんだ。あそこはさまざまなお話を永遠に楽しむことを目的とした空間なのだろう。心残りを解消して成仏したいという意志はない。その部分は僕らの読みが外れたわけだ』
暁人に助け船を出すようにエドがレコーダーを再生する。別にKKだって暁人の未熟な部分を責めたいわけではなかったから、それでももったいぶってため息を吐いて見せる。
「まぁ、きび団子役よくできました」
桃太郎のお話に人間はおじいさん、おばあさんそして主人公の桃太郎しか出てこない。しかもおじいさんとおばあさんは鬼退治の旅についてきてくれるわけではないし、お供は旅の途中で順々に加わる。ずっと桃太郎と一緒にあるのはきび団子だけだ。だから、KKをあの空間から救出するためのガイド役として、暁人はまさかのきび団子役をすることになったわけである。
「きび団子役って正直意味が分からないよね。僕も初めて聞いた」
「いろんな動物を手なづけるってのはお前にピッタリなんじゃねぇか」
なんとも言えない顔をした暁人をKKが茶化す。
それを隣で聞いていたエドは内心「一匹狼も見事手なづけられているし」と思いつつも口には出さなかった。
「なんだよ。エーテルから生まれたけけ太郎のくせに」
「ブッ」
せっかく内心を飲み込んだが、今度こそは飲み込み損ねてふき出した。額に「K」と書かれたハチマキを巻いた、銜えたばこの40代なんて絶対に子供にウケるわけがない。KKにギロリと睨まれたが、すぐには笑いを収められなかった。
それを見てちょっとばかり気の晴れた暁人は得意気な顔でKKを見た。
「KKを迎えに行くのは慣れてるからね。任せといてよ」
初めて会ったあの夜の数々の実績を思い起こせば、今度はKKが諸手を上げるしかなかった。
とっぴんぱらりのぷぅ