5W1H「────でも糸師さんって束縛激しいんですね。ちょっと嫌かも」
その発言が飛び出したのは現在日本で放送されている人気スポーツ番組のとあるコーナーの収録後。それは売り出し中の若い女性アイドルが全国各地、いや、世界各国に飛び回り、今最も熱い選手に突撃インタビューをするというものであった。スポーツ知識のない素人がインタビュアーとなるので、専門的な話はないが、その分今まで明かされていなかった選手の意外な一面やプライベートを知れるコーナーとして密かに人気を博している。
今回の取材対象はスペインの名門クラブであるレ・アールで現在活躍中の糸師冴────ではなく、同じチームに所属する彼の弟、糸師凛。どうして糸師冴ではなく凛なのか。その理由は単純明快。本人が取材を拒否し、その生贄として凛を差し出したから。凛に伝えれば拒否されるのは明らかだったので冴は当日までインタビューがあることを伏せ、デートと称して凛を連れ出し取材場所として確保していたホテルに凛を一人置いて帰ったのである。珍しく昼間からホテルに行こうと誘われ、意気揚々と兄に着いて行った凛の落胆は計り知れない。
ついでに言うなら、その番組のスポンサーは割とお偉いさんなので選手には断るという選択肢はほぼ無い。自分が出たくないのなら身代わりを探す。その一択だ。先月、凛はその生贄として潔を捧げたばかりだった。まさかそのツケがこんなにも早く自身に回ってくるだなんて夢にも思うまい。つい先程潔から『お前も出てんじゃん!』というメッセージと共に笑っているイルカのスタンプが届いたばかりだった。次会った時に絶対シメる。
ホテルの部屋を開けたら既に番組スタッフとインタビュアーのアイドルがスタンバイしており、帰ろうにも帰れなかった。どういう事なのか状況の説明を求めるより早く兄は「じゃあな」と一言残して帰ってしまうし、スタッフとアイドルは満面の笑みで「今回は貴重なお時間ありがとうございます!」と頭を下げてくるわで、凛は引き攣った笑みを浮かべながら用意されていた椅子に腰掛けるしかなかったのだ。
────好きな食べ物は? 最近のマイブームは? オススメのホラー映画は?
正直そんなの聞いて何になるんだ、と跳ね除けてやりたい気持ちで山々だったが、一応兄に任された仕事なのでやりきるしかなかった。押し付けられたのではない。任されたのだ。
凛が淡々と答えているうちに、質問は徐々に踏み込んだものへと変わっていく。
────好きなタイプは? 何フェチ? もし恋人が他の男性と連絡を取り合っていたらどうする?
ここ数年海外に滞在し、まともに日本の番組なんて見ていない凛は知らなくて当然かもしれないが、このコーナーはなんと言ってもこの類の恋愛話で他局の有象無象のスポーツ番組と一線を画していた。
先月凛によって番組に出演せざるを得なくなった潔は笑顔が好きな人がタイプと答えたので安牌すぎるとSNSでトレンド入りしたばかりだった。
好きなタイプを聞かれて凛の脳裏に過ぎったのは、現在兄弟ではなく恋人として共に過ごしている冴のことだった。なので何となく兄を思い浮かべながら答えていると、流石女の勘とでも言うべきか、収録後に「もしかして付き合ってる人います?」とインタビュアーの女がこっそりと聞いてきた。もうこの女とも此れ切りだ。この手の女に嘘をつく方が面倒だと言うのを何となく知っていた凛は「……まぁ」と一言返した。
「やっぱり!そうだと思ったんです!だって妙に具体的っていうかぁ………あっ、勿論誰にも言いませんよ!」
女は興奮気味に答えた。やっぱりってなんだ。別に好きな相手のタイプが具体的だからと言って恋人の有無には直結しないだろう、と凛は思うのだが、そこら辺はやはり女の勘というやつなのだろう。面倒なので適当に相槌を打つ。
「────でも糸師さんって束縛激しいんですね。ちょっと嫌かも」
そして冒頭の発言に至る。
◇
凛は大いに悩んでいた。発端は先週騙し討ちのような形で受けたとあるテレビ番組のインタビュー。
束縛している気なんて一ミリもなかった。誰かと付き合った経験なんてないので加減もしらず、兄にも指摘されたことがなかったからこれが普通なのだと思い込んでいた。
一体何が駄目なのか。インタビューでの発言を振り返ってみる。
「もし恋人さんが他の男性と連絡を取り合っていたらどうしますか?」
「連絡先を消させます」
「も、もしそれが職場の人でどうしても消せないってなった時は………」
「必要なこと以外連絡して来ないよう俺から連絡を入れます」
「………つ、次の質問いきますね!えーっと……もし恋人さんからなかなか返事が来なかったらどうしますか?」
「何かあったかもしれないので電話をかけますね」
「ちなみにどのくらい経ったら……とか具体的にありますか?特になければ無理にお答えしなくても、」
「一時間」
「え?」
「一時間待っても返信が無かったら電話をかけます。場合によっては迎えにも行きます」
一時間は早すぎただろうか。せめて二時間と答えるべきだったかもしれない。でも仕方ないだろ。兄ちゃんが一時間経っても返信が無い時は大抵パパラッチに足止めを喰らっているか、チームメイトにしつこく食事に誘われているかの二択だ。兄を守るためにも凛が牽制しに行かねばならない。
一応あの日から発言には細心の注意を払っている。極力兄の言動を縛るような真似はしないようにしているつもりだ。でもやっぱり気になる。気になって仕方がない。ついうっかり「で、今日は何時に帰ってくるんだ」と聞きそうになる。
「おい、凛。ちょっと出かけて来る」
「あっ、兄ちゃん」
うだうだと悩んでいると玄関の方から兄の声がして、凛はパタパタとスリッパを鳴らして駆け出す。兄は白のワイシャツに黒のスキニー、そしてお気持ち程度の変装用の眼鏡に身を包んでおり、今日も遺憾無く兄のカッコ良さは発揮されていた。流石兄ちゃん。………ではない。違う。今日は出かける予定なんて無かったはずだ。しかもこんな遅い時間から。聞いてねぇぞ。何処に行くんだよ────と聞こうとしてやめた。開きかけた口を閉じる。
きっと束縛が激しいと言われる所以は分かっている。兄のことが好きだから何をしているか逐一知りたい気持ちはあれど、それが理由で嫌われては元も子もない。
「………凛?」
兄は何かを言いかけて止めた凛の顔を覗き込む。不思議そうにこちらを見つめる顔は何処か幼くて可愛らしい。多分惚れた欲目だ。
「い、いってらっしゃい。あまり遅くならねぇように、な………」
これではまるで幼子に諭すようなものではないか。咄嗟に下手を打った、と思ったが訂正するのも不自然なのでつい押し黙る。
「………兄ちゃん?」
兄はドアノブに手を掛けたきり動こうとしない。どうしたのかと思い、声を掛ければ此方に身体を向き直した兄が凛の方へと迫った。ぎゅむ、と勢いよく両頬を手で挟まれる。
「凛」
「に、兄ちゃ」
「さっきチームメイトに飯に誘われた。夕飯だけ食ったらさっさと帰ってくる」
分かったか、と聞かれたので凛はこくこくと必死に頷いた。兄はその様子を見て満足したのか、「行ってくる」と言い残し玄関の先に消えていく。
「………まじか」
凛の記憶する限り、兄がこうして自分の予定を申告してくるのは初めてのことだった。
もしかして、試されているのだろうか。悶々としたまま凛はとりあえずヨタヨタとソファに腰掛け、検索エンジンで恋人間における束縛の定義を調べ直しのだった。
◇
凛の様子がおかしいことには薄々気付いていた。原因はすぐ思い当たる。先日の番組取材だ。面倒なので凛に押し付けたが、間違ったかもしれない、と冴は一人呟く。
発端は冴が一人で出かける時に聞かれる決まり文句が無くなったこと。最初は場所が聞かれなくなり、次に一緒に出かける相手。最後は時間。いつ何処で誰と何をするのか。これが冴が出掛ける時に聞かれる決まり文句だったはずなのに、パタリと止んだのだ。
いつの間にかいつもしつこい程に来ていた連絡もほぼ途絶えた。一緒に暮らしているのだからそこまで密に連絡を取らなくても、とは思うのだが毎回凛は一時間以内に返信をしないと追い討ちのように連絡を入れてくる。しかし結局、冴の返信が遅い時はしつこいマスコミに足止めを喰らっているなり、チームメイトから食事に誘われていたりなど、凛さえ居れば割と何とかなる場面が多いのでその好意に甘えているわけだ。冴を狙えば凛が出てくるので、一部のマスコミからは凛を撮りたくば兄を狙えと言われている程に。
聞く人が聞けば、しつこいくらいの束縛が収まって良かったじゃないか、と笑うだろう。しかしそんなことはない。決して、だ。
口に出したことはないが、冴は凛の束縛を苦に思ったことなど一度もない。それどころか、その態度に愛されているという安心感すら覚えていた────ので自分から動いてみることにした。たまには良いだろう。
凛の両頬を挟んで聞かれる前に出かける相手と用事、それに早めに帰る旨を伝えれば、凛はパチパチと瞳を瞬かせて呆気に取られていた。まぁこんなもんだろう。
それにもう一つ手は打ってある。
「────あぁ、士道か。俺だ。この前話した例の番組の件なんだが………」
後日、日本で放送されたとあるスポーツ番組にて、珍しく出演に応じた糸師冴が「束縛してくる奴がタイプです」と言い放ったのを凛が知るのはかなり先の話である。