果物 バーでの仕事思えば、妙な間があったなと振り返って檸檬は思う。ペアを組んで仕事をするようになり、そう経っていない頃のことだ。
ある女から情報を引き出す依頼が回ってきて、バーへ行くことになった。女がそこの常連らしく、情報を抜き取った後は、店の人間ごと始末しろということだった。気があるフリをして近づき、席を立つまでに話を引き出す。油断を誘い、口を軽くさせるのに酒の席はうってつけだが、女はそれなりの酒豪だという情報もあり、なかなかに手強そうだった。
依頼としてはそれほど特殊なものでもなく、檸檬と蜜柑はいつもの通り大まかな手順を打ち合わせた。
「あとは配置だな」蜜柑が店の間取りを広げる。
「狭いな」と檸檬は感想を言う。カウンターと、その後ろに机があるが数は多くなく、すぐに満員になりそうだった。
「バーにしては、むしろ広い方だろう。これだけあれば十分動ける」
「そういうもんか」
檸檬も蜜柑も身長が高く、手足が長い。なるべく広い場所の方が動きやすかった。
蜜柑が続ける。
「女の相手はお前の方がいいだろうから、俺はこっちで」
隅の方の席を指す。その言葉を檸檬は遮った。
「あ、俺、アルコール駄目だぜ」
「は」
「一滴でも飲んだらアル中になっちまうからな。大体、こいつの相手だっておまえの方がいいだろうが。俺がこっちで合図が来るの待ってるぜ」
機関車にも人にも、得意不得意がある。無理に合わないことをしても、ろくなことにならないのはトーマス君でよく学んだことだった。今回の件だって、普段こういった依頼で交流役を担うのは大抵蜜柑で、どうして今回は逆を提案したのかは分からないが、いつものようにすれば良い。
「……そうか」
目を伏せ、瞬きをする。声色は変わらなかったが、そこに僅かな戸惑いの色を感じた気がして、引っかかる。
「なんだよ、その顔。こいつが嫌なのか?タイプじゃねえのか」
「そんなことは仕事とは関係ない」
ばっさりと切り捨てる。
「じゃあ、こちらで情報を聞き出せたら合図を送る。そうしたら、店内の人間の始末に入るぞ」
作戦を纏めた蜜柑の表情は、相変わらず感情が読めなかった。
ふらっと店に立ち寄り、いいなと思った人間に声を掛け、お喋りをする。つまりはナンパだが、檸檬はそういった行動にあまり縁がなかった。仕事でも、ターゲットとゆっくりお喋りすることは稀だ。なくはないが、大抵相手は縛られ床に転がった状態にある。普段の様子を見る限り、蜜柑も同様に違いないのだが、上手く接近し今は檸檬と離れたカウンターで標的の女と話していた。
ひゅう、さすが蜜柑やるじゃねえか、やっぱこういうのは甘い奴だよなとテーブル席で待機しながら思う。机の上には、暇なのでなにか食べて待とうと適当に注文した軽食や菓子類が並んでいた。
チョコレートを口に放り投げ、顔を顰める。歯で砕き、舌先で少し溶けた甘さから微かに洋酒の香りがした。世の中には、酒で香り付けされた料理は数多くあり、普段の食事の中でそれらを神経質に排除することはない。それでも、全く、好きな味ではなかった。べっと吐き出し、ジュースを流し込む。チョコレートの中にはペーストが入っていたようだ。器を奥に押しやってフライドポテトに手を伸ばす。体の調子を確かめるように、一つ深呼吸をする。息が少し震えた気がした。
しばらくの間料理に集中していると、あちらは良い雰囲気になってきたようだ。音楽や周囲の雑談にかき消されて会話は聞こえない。もう少し近くの席にすれば良かったかな、と小さく悔やむ。そろそろ飽きてきたが、頬杖をついて背中を眺めるしかない。じっと見ていると、女が蜜柑の手に重ねるように手を伸ばした。触れた、と思ったその刹那。
どん、と女の手をナイフが貫き、机に縫い付けた。
絶叫の背後で、蜜柑が口に手を当てる。嘔吐の声が漏れる。檸檬は、あまりの急展開に口を開いたまま眼前の光景を眺めていた。一瞬静まりかえった店内に騒めきが広がる。蜜柑の表情は、檸檬の居る場所からでは見えない。漸く顔を上げたな、と思うと同時に、小気味よい発砲音が耳に届いた。
「気持ちが悪い」自身の手に目を落として蜜柑は呟いた。「帰りたい」
店内の人間を殲滅した蜜柑は返り血に濡れ、吐瀉物と血は混ざり合い、境目など分からなくなっていた。血塗れなのは、一拍遅れて参戦した檸檬も同様だったが。やはりこの広さでは動きに制限が掛かる。床に膝をついている蜜柑に近づき、声を掛けた。
「蜜柑ちゃん」
「何だ」
「いや、何だって言われると、なんだろうな」
打ち合わせで描かれた展開と随分違う。作戦通りに行かないのは仕事の常とはいえ、今回はイレギュラーに逸れたのがあまりに唐突だった。
「ホウレンソウって大事なんだぜ」
蜜柑も常々言っていることを、とりあえず言ってみる。蜜柑がぎゅっと顔を歪めた。
「そんなに嫌だったのかよ、触られたの」
直前にあったことといえば、そのくらいしか思い出せない。
「そんなに飲んでなかったよな?」
何杯かは空けていたが、見ていたところ無理をしている風でもなかった。
「一滴も飲んでない」
「え」
「店主を買収して、自分の方にはノンアルコールを出させた。向こうには度数の強いものを」
通称、クズの手口である。
「先週殺したヤツがやってたのと、同じ手口じゃねえか」
「うるさい、黙れ」
「でも、ならなんで」
「そこの」カウンターに乗っている、注文していたらしいチョコレートを指差す。「中に入っていた」
これで吐いたのか、じゃあ相当じゃねえか、先に言っとけよ、ホウレンソウって大事なんだぜ。言いたいことが湧いて出るが、終わったことをあれこれ言う気も起こらない。
「いつもはもう少し平気なんだが。緊張していたのかもしれない」
蜜柑が淡々と、少し掠れた声で言う。自身を客観的に分析した言葉なのだと分かったが、緊張という弱味を覗かせるような発言に思わず口元が緩む。普段、蜜柑というよりむしろグレープフルーツのような分厚い皮を纏い、中身を晒さない相方だ。その果実が見えるような気がした時、檸檬は嬉しい気分になった。
「まあ、いいじゃねえか。でも情報まだ取ってねえよな。女は殺しちまったし、どうすっか」
「……情報は、昨日店主から聞き出せた」
思いがけない言葉に、目を丸くする。
「え、じゃあもう仕事終わってるじゃねえか」
「念のため、自分の耳で聞いておきたかった。嘘かもしれないし、情報漏れがある可能性もある」
だが、確認を待たずに全員殺してしまった。とはいえ本人の口から直接情報が聞けなければ、周囲の人間から聞き出すというのは常套手段である。このまま依頼主に成果を報告しても、十分に仕事をしたことにはなるだろう。
「とりあえず、水やるよ」
カウンターの奥から瓶に入った水を2本持ってきて、一本を手渡す。蜜柑が心なし億劫そうに蓋を開けるのを横目に見てから、自分も瓶を傾け一息に飲み干す。
透き通るような味がして、美味しかった。