秋晴の午後雪がちらほら舞い始める時期になると、年に一度の軍旗祭に向けて、兵営内は浮き足立ち始める。どこもかしこもその話題で持ちきりで、連んで食後の煙草をふかす宇佐美と俺も例外ではなかった。
一年前の入営したての二等兵だった頃は、余興では問答無用で雑な女装でお酌をして回らされたが、晴れて上等兵となった今年は好きな様に参加できそうだ。
「演劇は本業が役者の奴がいて稽古が厳しいらしいし、出店や飾りを作るのは大掛かりで面倒だ。あとは仮装か相撲か。」
「お前が相撲に出たらあっという間にやられそうだね。」
「負けてさっさと終われるなら、それはそれで楽だが」
「馬鹿言え、その頃には僕ら昇進してるから嫉妬した古参に怪我させられるのがオチだよ、想像つくだろ?しかも素裸だから寒いし。」
「確かに寒いのは嫌だ」
丁度横を通りがかった男に宇佐美が声をかける。
「お、三島〜お前軍旗祭の余興何すんの?」
「俺は演劇だよ。熱の入った一団に目をつけられちまって」
「あ〜お前舞台映えしそうだもんな。」
「岡田たちは仮装するって言ってたぞ、野間が西郷隆盛」
「あはッそれは似合いそう。あ!ひらめいた!百之助、師団長の仮装したら?絶対ウケると思う」
「黙れ」
宇佐美の脛に力一杯蹴りを入れる。全くこいつには気遣いみたいな感情はねえのか?
「あーじゃあ俺用事あるから」
ほら見ろ、気まずそうな顔をして三島がそそくさと去っていく。
「僕やっぱり女装でお酌しに行こうかな、少尉殿のお近くに居れるし。」
「俺はもう白粉はこりごりだ」
「あれは去年は頭からぶっかけられたからでしょ。普通に塗ればあんなことないよ。山猫とか下らないこと言ってる奴らが震え上がるような女装してやろう」
俺が断り文句にしようとしていた懸念点を、宇佐美が先回りして潰す。震え上がる女装とやらがどんな代物かは全く不明だが。
去年の騒々しい祭りを思い出すだけで気が重く、寒々しい曇天に向かって、白い息と共に紫煙を吐き出す。
「そうだ。去年は冴えない和装押し付けられたから、今年は洋装しようよ。僕、女物の洋装を借りられそうな伝手があるんだよね。」
まだこの辺では珍しい洋装ならば、女装感よりイロモノ感が先に立ちそうだ。
「伝手って何だ、カツアゲでもするのか」
「失礼だなあ。次の休み、一緒に交渉に行こう」
頭をはたかれながらも、興味が沸いて素直に頷いた。
日曜になると宇佐美に連れられるまま、町の中心からすこし外れた所まで歩く。
「どこまで行くんだ」
「もうすぐだよ。お前、失礼の無い様にな」
途中で手土産まで買い込んで、一体どこに連れて行かれるのやら。宇佐美の宣言通り数分後には、立派なお屋敷に到着した。
「ごめんくださーい。奥様は本日はいらっしゃいますか。」
「あらあら宇佐美さん。今日は丁度おりますよ。客間にご案内いたしますね。」
「良かったです。いつも急にすみません、マツさん。あ、こちらつまらないものですがお納めください。」
そつなく女中と思しき中年女性に和菓子の包みを渡す宇佐美は、まるでごく普通の好青年のようで目眩がする。
「ご無沙汰していますが、お変わりありませんか。」
「いつもお気遣い痛み入りますわ。はい、ここは何も変わりませんよ。今日は暖かいけれど、最近めっきり寒くなってきましたね。雪が降ると雪掻きが辛いから、気が滅入ります」
「雪掻きもマツさんがされてるんですか!それは大変だ。僕も手が空いた時はお手伝いにきますね」
通された客間はなめらかな菊の香がほんのり香る和室で、床の間には青いエゾリンドウが品良く飾られている。マツが去ると、早速小声で問いただす。
「お前、この豪邸は何だ?なんでこんな所に顔馴染みがいるんだ?」
「ここには良くお邪魔させてもらってるんだ。豪商の未亡人のお宅」
豪商?未亡人?何の繋がりだ?まさか懇ろな関係とか言うんじゃないだろうな?思わぬ情報にますます混乱しているうちに、軽い足音がすると、襖が開いて気品のある老婦人が現れた。
「こんにちは、宇佐美さん。お久しぶりですね。あら、今日はお友達もいらっしゃったの。」
「ご無沙汰しております、キヨさん。こちらは同僚の尾形です。」
「キヨと申します。今日はよくお越しくださいました。宇佐美さんに負けず劣らず素敵な軍人さんですね。」
「初めまして、尾形です。お邪魔しております。失礼ですが、宇佐美とはどういったご関係で…?」
「おい、お前開口一番に!すみませんキヨさん、こいつに何も説明せずに連れてきちゃって。百之助、僕がよくお世話になっているご婦人だよ。博識で色んな話を教えてくださるんだ。」
「いえいえ、こちらがお話相手になって頂いているの。商売の方はもう娘婿夫婦に任せていて、ずっと退屈をしているから。」
「どこでお知り合いに?」
「私が大通りで倒れた時に宇佐美さんが親切に助けてくださったの。荷物もここまで運んでくださって。」
「あの時は大変でしたね〜」
こいつが親切に人助け?頭痛がしだした所に、先程のマツが暖かいお茶と洒落た紅葉の練り切りを持ってきてくれて、立ち上る湯気の温もりに少し心が落ち着く。
「ところで今日はどうされたんですの?」
「実は僕達困っていまして、キヨさんのお知恵をお借りできないかと思いまして。」
宇佐美が軍旗祭の余興で何をすべきか悩んでいる旨を説明する。
「お二人ともお強そうだから相撲もよろしいんでなくて?」
「相撲は先輩方もいるんで気を遣うんですよね。僕達、先輩方を差し置いて昇進する予定なので気まずくって。」
「まあ、お二人とも優秀でいらっしゃるのね。そうなると仮装かしら」
「仮装って言っても、どんなものが良いのか、皆目見当もつかなくて。キヨさんは昨年の軍旗祭は見に行かれました?」
「いえ、私はご縁が無くて、軍旗祭はついぞ行ったことがないんですの。他の皆さんはどんなことをされているの?」
「うーん、昔の偉人とか、異国の装束を着たりとかですかねぇ。あ、仏頂面で眉毛が太い同僚は西郷隆盛をやるってききましたけど。」
ふふっとキヨが楽しそうに笑う。
「あとは女装は定番ですね」
「あら、女装はお二人共お似合いになりそうね!女装なら私もお手伝いできるかもしれませんわ。」
「本当ですか!去年僕らは問答無用で女装だったんですけど、本当にお粗末で。女物の帯の結び方もろくに知らないから、途中で解けてきちゃったりして。お化粧もどろどろで。ねぇ百之助?」
頷くだけで、口を開く間すら無いほどに二人の会話はのべつ幕なしに続いていく。このご婦人は本当に普段話し相手に飢えているのだろう。
「それはちょっと人前では恥ずかしいですわね。お着物着付けて差し上げましょうか。それか、洋装でも趣があってお祭りによろしいかも。」
「洋装!素敵ですね。でも洋装って、寸法の調整が効かないっていいますよね。僕らに合う寸法の女性の洋服なんてあるのかなぁ。」
「それが、丁度おあつらえ向きのものがうちにありましてよ。」
そうしてトントン拍子に、過去キヨの家に滞在していた大柄な和蘭女性から譲り受けたという、古い洋服を借りる算段をして、お屋敷を辞去したのだった。
「首尾よくいったし、お土産まで貰っちゃって、良かったね百之助」
「お前…こんな善良なご婦人から着物を巻き上げる才能があったんだな…」
「ほんとに失礼だな〜僕がこれまで築いてきた信頼関係あってのものだよ」
こいつが何も無しにそんな労力をかけるタマか?何を企んでやがる?
「キヨさんね、昔のお仕事の繋がりから、世間の動きや外国の事情にも通じてるから、色々情報収集させてもらってるんだよ。軍務に直接は関係なくても何か少尉殿のお役にも立てるかなと思って」
「なるほどな」
人の良い老婦人がこの狡猾な男のせいで危険な目に遭うことはなさそうで、一先ず安堵する。
「それにしても、当日が楽しみだね!ついでに祭りの日に、この間散々殴られた一等兵に仕返しする算段でもつけようよ。」
「そりゃあいいな。」
久々に娑婆の空気に触れたからか、祭り前の浮き足立つ空気に当てられたか、いつになく和やかな気分で帰路に着く。お土産の大福の包みがほんのり暖かく感じた。