冬至の祭り軍旗祭当日、営内には来賓や市民が集まり、大掛かりな飾り付けも相まって、普段の殺伐とした男所帯とは全く違った賑やかな雰囲気だ。栄誉礼や分列行進、模擬戦などをつつがなく終えると、お楽しみの宴会や余興の時間となる。
百之助と急いで兵舎に戻ると、滅多に着ない一装品をさっさと脱ぎ捨て、前日に預かった女物の洋装を広げる。
「おい、汚れるから先に化粧をするよう言われただろう」
「そうだったね。えーっと何からするんだっけ」
借りた化粧道具一式と一緒に渡された丁寧な手順の書付けを二人して覗き込む。
「じゃあ僕が先にお前の化粧やってみるから、顔貸せ」
差し出した僕の掌に大人しく顎を乗せて目を閉じているのが何かの動物みたいで可笑しい。めちゃくちゃな化粧をしてやろうかと思ったけど、こいつの素直さに免じてちゃんと手順通り化粧を施してやる。
色を乗せていくと肌の白さが際立ってどんどん艶やかな顔になる。女装のために髭を落とさせたから年齢より幼く見え、本人が髭無しになるのを相当渋っていたのも納得だ。このどことなくあどけない妖艶さはきっと母親から受け継いだのだろう。
一方で化粧で普段のこいつの父親生き写しの印象はかなり薄れるから、事情を詳しく知らない他所の聯隊の奴らの下衆の勘繰りを避けるには、女装は丁度良かったかもしれない。
「うーん眉が左右ちぐはぐになるなぁ。ま、いっか!」
「良くねえよ、やり直せ」
「お前のこの変な眉なんなの、よくわかんないんだけど」
「お前のまつ毛ほどじゃねえだろ」
眉を消したり描いたりしながら、ふと今日来ているこいつの父親が、過去の女の面影を見かけたらどんな顔するかなと思い当たる。その少し意地悪な好奇心も手伝って、百之助の父親譲りの特徴的な眉や目の印象を抑えるように工夫をしてやった。
意外と器用な百之助に僕の化粧もさせて、着衣に取り掛かる。少し古びているものの、しっかりした生地で、首と腰回りに布をたっぷり使った大量のひだがついていて、物は良さそうだ。落ち着いた深緑色のものと、いかにも若々しい薄い空色の縦縞模様があり、石拳で不服ながら僕が空色となった。中に腹巻き(細すぎて僕らの腹には全く入らず諦めた)や、硬い立体的な骨組みの蹴出しのような物も着こまねばならず、書付けだけを頼りに悪戦苦闘して悪態をつきながら互いの体に布を纏わせていく。思ったより時間が掛かったが、着てみると案外サマになっている気がする。互いの女装姿を見るとなんだか無性に笑えてきて、二人でひとしきりゲラゲラ笑ってから宴会会場に向かった。
足元の大量の布地に何度も躓きそうになりながら、賑わう出店や、巨大な桃太郎と鬼の飾り付けの横を早足に通り過ぎる。道々、市民や兵たちの視線がこちらに向いているのは、厳つい男の女装が奇妙だからか、はたまた案外似合っているからか。
途中で、わざわざ祭りに足を運んでくれたキヨさん達に出会い、衣装を見せると化粧と着付けを少し手直してくれた後に、大層喜んでくれて、ちょっとした親孝行でもした様な気分になった。
会場に着くと宴会は既に始まっており、急いで水屋で炊事当番から酒の瓶を受け取る。隅の方で、入ったばかりの初年兵らしき数名が固まってモダモダしている。
「お前ら、こんな所で何してんの、さっさと酌をしに行けよ」
「はぁ、しかしどこから行っていいのやらわからず…」
「お前らの目は節穴か?他の奴らの動きを見ろ。バラけて会場を回れ」
百之助が先輩風吹かしてるのが新鮮で面白くてにやついてしまう。早速一等兵に、新人達に酌の作法を教えてやれと指示したり、人が少ない所に新人を行かせたりして、いつも通り口は悪いがこいつ意外と面倒見が良い所あるんだな。
その時、ふと視界の端から視線を感じて見遣ると、会場から少し離れた場所を百之助そっくりの男が通り過ぎていく。一瞬だけ足を止めて、忙しく新人を差配する息子の顔をじっと見る。あれはちょっと動揺してる感じがするな。ふーん、師団長殿たるお方でも、やっぱりかつて愛した女やその息子のことは、多少は心に引っかかってるみたいだね。足早に去りゆく男の背中を見ながら、期待した反応が得られて少し愉快な気持ちになった。ま、僕には関係無いけど。
そんなことより少尉殿は…と会場を見渡すと、普段より煌びやかな礼装で、華やかさ際立つ少尉殿がすぐに目に入った。隣のあまり見かけたことのない大尉に酒を呑まされそうになっている。お助けして差し上げねばと思いつつ、呑まされて酔っ払う少尉殿を見てみたい、あわよくば介抱して差し上げたいという欲望も湧き上がり、心が揺れる。
他の所へ酒を運びつつ様子を伺っているうちに、通りがかった和田中尉が間に入ってたしなめ始めた。
「鶴見は酒が弱いもので、これ以上となると大尉殿に粗相をしてしまうかと…」
なんだ、つまんねー。でも少しだけお酒を召して顔を赤らめている篤四郎さんはいつにも増して魅惑的だ…!良い頃合いかと、和田中尉を押し退けてすかさず酒を注ぎに近づく。
「大尉殿、失礼いたします〜お代わりをどうぞ」
「お、貴様洋装とは洒落ているな。鶴見の所の部下か?」
「は!第二十七聯隊の宇佐美上等兵であります!」
「先日昇進したばかりの、自慢の部下です」
自慢の部下!!!少尉殿のお言葉に、嬉しさのあまりぼうっとしてしまう。
「色白で女装が似合っているではないか。私の隣に来い。」
ちぇっ、少尉殿とは反対側に腰を引き寄せられて内心腹立たしいが、いつもの愛想笑いでやり過ごす。
大尉は既にほろ酔いの様で、しばらく僕に絡んだ後はまた少尉殿に突っ掛かり始める。
「鶴見ィお前は酒も飲めんからなかなか昇進もかなわぬのだぞ!日本男児たるもの、酒くらい飲めんでどうする」
大尉の無体に対して、少尉殿は困ったような笑顔を浮かべて、たおやかな仕草で大尉を制止したり、時々少しずつ杯を口に運ぶ。切長の目の深い色をした黒目が酒のせいで少し潤んでいる。篤四郎さんに失礼を働くこの不愉快な奴をぶん殴ってやりたい所だが、少尉殿が離席されずにこの横暴に耐えていらっしゃる様子を見るに、何か酒の席に乗じて工作すべき用件でもあるのだろう。
「大尉殿、私も頂いてもよろしいでしょうか?」
あざとく小首を傾げながら、少尉殿の方に流れそうになる酒を奪ってどんどん杯をあける。しかし少尉殿が真面目なお話を持ちかけていらっしゃる合間にも少尉殿の肩をべたべた触って絡もうとするのが許し難い。
大尉はだんだん呂律も回らなくなってきて、これだけ酔っていたらまともな話もできなさそうだ。少尉殿に目で問いかけると、呆れ顔で頷いたのでこれはもうそろそろ潰してしまっても良さそうだ。横目に百之助を見かけて、もっと酒を持って来いと目で合図すると、あいつは頷いて水屋へ向かっていった。
少尉殿は酔った大尉はもう眼中に無いようで、次の手を考える様に真剣な御顔をしながら、優美な指でくるくる酒の杯を弄んでいる。目を伏せると、少し蒸気したなめらかな頬に長いまつ毛の影が落ちる。綺麗に整えられた口髭に一滴残った透明な酒の雫を、僕が拭って差し上げることができたなら…
「俺の酒が飲めんのか鶴見!」
遂にかなり酔いの回った男は少尉殿の肩に片腕を回して、無理やり杯を口に持っていっている。押し留めようとする少尉殿のお顔に艶やかなお髪が一房はらりと落ちる。
「大尉殿!」
怒りと興奮の余り頭がカッと熱くなり、勢い良く立ち上がった瞬間、突如、固いものがぶつかる鈍い音がして、大尉が前のめりになって卓に突っ伏した。カラカラと飛んできたビール瓶が卓の上に前に転がり、一瞬にして宴席が静まり返る。
「曲者を探せ!」と誰かの怒号で、女装した二等兵たちが着物の裾に躓いたり捲り上げたりしながら瓶が飛んできた方向に駆け出す。
あの馬鹿之助、さては僕の合図を大尉をどうにかしろってことと勘違いしたんだな。まあ正直痛快だけど、と卓の上にすっかり伸びた大尉を見下ろす。
少尉殿の方を向くと、乱れたお髪を撫で付けながら、端正なお顔に一切の動揺をみせずに大尉を見下ろしている。こちらに気づくと少し赤らんだ、悪戯っぽい御顔でこちらに片目を瞬いてみせた。
うわあぁ!不意打ちのあまりのまばゆさに、脈が早まり、目の前はチカチカと光り、しこたま飲んだ酒も手伝って褌を汚してしまった。
結局見つかったのは鹿の足跡のみで、獣が落ちていたビール瓶を蹴飛ばしたのだろうということになり、誰もお咎め無しで早々に宴会は再開された。
鶴見少尉殿は上官と相撲見物へと移動され、僕と百之助もさっさと宴会を抜け出した。くすねたサッポロの麦酒を瓶のまま二人で回し飲む。
「さっきのやるじゃん。あいつ、少尉殿の肩を撫で回しやがって、腹に据えかねてたんだよ」
「俺もケツを撫でられた。まあ正確には腰に巻いた骨組みのケツ部分だが。」
「あはッとんだ色情狂だね。今回のがいい薬だよ」
百之助が綺麗な化粧も台無しのにやつき顔で、ビールを飲み干す。手の甲で口元を拭ったせいで、口紅が切り傷のように頬へと伸びている。
「さて、仮装行列が始まる前に古参の仕返しに行っとくか」
衣装のひだをはためかせて、二人して立ち上がる。
以前僕が百之助に約束した通り、この後みんなが女装の僕らに震え上がって、その日を境に僕たちの兵営生活は格段に快適なものとなったのだった。
「さっきから気になってたんだが…お前なんかにおわないか」
「あ、わかる?さっき少尉殿の目配せで(パオ)しちゃった」
「信じられん…さっさと褌を変えてこい」