【狼耳尻尾のブラネロwithBaby】はじめてのフライドチキン!「あ!ブラッドリー」
「おう」
いつもより少し早い時間。まだ外は明るくて、食堂は人がほとんどいない。
そんな中食堂に入ると、真っ先に目に飛び込んできたのはブラッドリーの狼の耳だった。
ピン、と立っているブラッドリーの耳はとても綺麗で、晶はこっそりお気に入りだ。右耳の途中が三角に切れてしまっているのは、敵に齧られたからですかと割と真面目に聞いたら指先で額を弾かれた。それも、かなり強く。あの衝撃は多分一生忘れないだろう。
んなわけあるか、攻撃魔法がかすってちぎれたんだよ、とあきれ顔で言われたが結局攻撃を受けたという点では変わらないじゃん、と内心いまだに思っている。
彼は軽くこちらに手をあげた。逆の手が小さな身体を抱いていることに気付き、晶はパタパタと駆け寄った。
「ちびちゃんねんねですか?」
「おう、起きねえくせに引きはがそうとしたら泣くからよ。このまま飯食いに来た」
椅子の背もたれの向こうから、わっさわっさと長く美しい毛並みの尻尾が揺れている。
ブラッドリーの尻尾はつやつやで、とても綺麗だ。毛玉もない。
きっと日々の手入れの賜物だ。あの長い毛並みにブラシをあてるのは、きっとやりがいがある作業だろうなと思う。
一度でいいからブラッシングをさせてほしい、と常々思っているのだが、前にネロがそれはそれは楽しそうに、大事そうにブラッシングを施しているのを目撃してしまって以来言い出せずにいる。
ひょっとしたら番同士で、大事な愛情表現とかかもしれないし。
ブラッドリーは、手に抱いている小さな身体をぽんぽん、と撫でた。小さな小さな両手が、しっかりとブラッドリーのシャツを握りしめている。
ブラッドリーにしがみつくように眠っているのは、彼と酷似した色合いと容姿を持つ愛息だ。正確には、ブラッドリーとネロとの間に出来た息子。
と言ってもどちらかが産んだわけではない。魔法は心で使うもの。魔法使いの番が、心を重ねた時、奇跡的に子供が生まれることがあるという。
この小さなブラッドリーそっくりな赤子は、その奇跡的な現象で誕生した。
「今日昼寝しねえなと思ってたら中途半端な時間に寝ちまって参ったよ。ブラッド、おまちどうさん」
「ネロ。そうなんですね、じゃあもう当分起きないかな?」
厨房に通じる扉からひょい、と顔を出したのはネロだ。頭上で髪色と同じ灰青の毛並みの耳がぴくぴくと揺れた。
彼は片手に皿をもってブラッドリーと晶の元へとやってきて、山と盛られたフライドチキンの皿をことりとブラッドリーの前に置いた。それから、愛息の小さな耳の根元をかりかりと撫でる。生まれたばかりの時は肌色が見えていた小さな耳も、いまはもうブラッドリーと同じ色合いの毛が生えそろっている。
よく見ると、おむつでもこもこのお尻からちょろんと覗いた尻尾の根元のリボンは、今日のネロの髪を結っているリボンと同じらしい。
テーブルを挟んで晶は家族の睦まじい様子をニコニコと見守った。
ブラッドリーの尻尾がぶんぶんと激しくふられるのをチラリと見たネロはどこか嬉しそうに目元を緩めた。その背で、ほっそりとしたネロの尻尾も緩く揺れている。
「ちび預かろうか? 食いにくいだろ、抱えたままじゃさ」
「いいよ。さっきから剥がそうとするたびに探知魔法でもかけてんのかってくらいぎょろっと目ぇかっぴらいて泣きやがるからよ。このままくっつけたまま食う。まあ、大丈夫だろ」
まだ忙しい番を思いやってか、ブラッドリーがネロの申し出に首を振った。
ブラッドリーは変わった。子供ができてから、以前よりもネロを見て、彼の考えていることについて理解しようと努めるようになったようだ。
晶から見てもそう思うのだ、きっとネロはもっといろいろ、気付いているだろう。
そっか、ありがとうな、と、以前なら考えられない柔らかな笑みを返して、ネロが賢者さんの分も持ってくるから待っててな、と厨房へと足を向けた。
「おっし食うぜ!いただきます!」
ブラッドリーがにぱ、と全開の笑顔で大好物に手を伸ばす。
普段カトラリーの使い方も完ぺきで、食べる所作が綺麗なブラッドリーだが、フライドチキンを食べる時だけは野生を感じるほど豪快になる。
揚げたてであろうフライドチキンをむんずと掴んだ彼は、大きな口で豪快に齧り付く。
パリッと香ばしい衣が音を立て、ぷりぷりの身が肉汁を垂らしながらちぎれていく様を見ていると、思わず喉が鳴る。こんなに美味しそうに食べられるなら、きっと鶏も本望だ。
ネロがブラッドリーの食いっぷりを見るのが好きな訳もわかる。
「うまい!やっぱりネロのフライドチキン最高だな!」
「出す度に毎回言うなよ、もう」
満更でもなさそうに、でも少し恥ずかしそうにネロが振り返る。尻尾が感情を隠し切れずにぶんぶん振れるのを見ると、こちらまでくすぐったくなっちゃうなと晶は謎の照れに襲われて苦笑した。
と。
「んん~……」
もぞり、と、ブラッドリーにしがみついていた赤ん坊の身体が動いた。
片手でチキンを掴み頬張りながら、ブラッドリーが息子を覗き込む。
「お、息子様のお目覚めか?」
「食いもんの匂いで目覚めるとは、さすがブラッドの息子」
「ちびちゃん、おはよ!」
「あう……とちゃ」
「お?」
くぱ、と小さな口を目いっぱい開けて欠伸をした息子が、ぐりぐりとブラッドリーのシャツに顔をこすりつけた。
ブラッドリーは鶏肉を咀嚼しながら愛息の視線が向くのを見守っている。小さな手がぺたぺたとブラッドリーの顎に触れて、ふんふん、と、息子が伸びあがりブラッドリーの匂いを嗅いだ。
その、次の瞬間。
「あーう!」
「んん!」
おもむろに小さな尻尾を振りながらペロペロとブラッドリーの口元を舐め始めた。
ブラッドリーが笑いながら顔を反らすと、伸びあがって尚も舐めようとするものだから、ネロが慌てて駆け寄って息子を抱きとった。
「おいおいちび、何してんだ。あー、ブラッドべたべただな」
「あー!ま!んーまぁ!」
抱きとられたのが不満なのか、耳を倒して尻尾を尻に沿わせて落としながらも彼は小さな手足をばたつかせてブラッドリーの元に戻せともがく。
おいおいどうしたよ、と軽く口元を拭ったブラッドリーが手にしていたチキンを皿にいったん戻した。
「腹減ったのか? とうちゃんは食いもんじゃねえぞ。ミルク作って来るか」
「おー、でもよネロ、こいつひょっとして」
ブラッドリーにそっくりなピンクのくりくりの目が、ブラッドリーの手の動きを追って歯形が付いたフライドチキンに注がれている。
ブラッドリーが首を傾げながら言葉を続けるより早く、晶はひょっとして、と、思わず呟いていた。
「あの、ひょっとしてちびちゃん、チキン食べたいんじゃ」
「え、チキン?」
「だよな。賢者もそう思うか? 見ろよネロ、俺の食いかけめちゃくちゃ見てるじゃねえか」
「お、おう、言われて見りゃ確かに……ええ、もう食わせていいの?」
「知らねえよ。でもいいんじゃねえか? 咀嚼した奴喰わせるか?」
ブラッドリーがフライドチキンを持っていた指先を息子に近付ける。ふすふすの匂いを嗅いだ彼は、かぷかぷと小さな口でブラッドリーの人差し指に齧りついた。
「いや、それも微妙じゃねえ?癖になったら人がいるところで困るし……まあ、鶏肉なら消化に良いし、大丈夫か? 喰わせるなら、ほぐしたのにしねえ?」
「おう、それもそうか」
用意するよとネロがいったん赤ん坊をブラッドリーに戻す。ブラッドリーは舐められないように赤ん坊を向かい合わせではなく後ろ向きに抱いた。
「あー!」
がっちりと押さえ込まれて小さな脚を平泳ぎの足元のようにバタバタと動かして顔を真っ赤に染めて泣き怒る愛息に、ブラッドリーが笑った。
「おうおう、泣くな泣くな」
ネロはブラッドリーの為のフライドチキンの山から一本、比較的に小さなものを引っ張り出し、手早く衣を剥がした。
肉用のナイフで少し鶏肉を削いで、それを更に手で割いて細かくして、皿の端に載せる。
「ブラッド、お待たせ。ほらちび、肉だぞ」
人間の赤ん坊ならいきなり肉は無理だなあ、と思いながら晶も固唾をのんで見守った。
だが、魔法使いは動物の性質を持って生まれるという。ブラッドリーとネロの息子は、二人と同じ狼だ。だとしたら、いきなり肉もいけるのかもしれない。
「う!う!」
「焦んな焦んな。誰に似たんだ」
「いやどう考えてもあんたじゃん」
腹減らしてる時のあんたそっくりだぜと半眼になったネロに苦笑いして、ブラッドリーが小さく小さくほぐされた肉を指先で摘まんだ。
「おら」
その指先を赤ん坊の口元へ近づける。ふすふすと鼻先を近付けて匂いを嗅いでから、赤ん坊はかぷりと指にしゃぶりついた。
「あ、食った」
「食ったな」
たどたどしく、ではあるが、咀嚼する素振りがある。
それから、息子はにぱー、と全開の笑顔で両親を見上げた。
それは、フライドチキンを前にブラッドリーが見せた笑顔にそっくりで、晶は頬が盛大に緩んでしまうのを感じた。
あまりにも可愛い。
「あん!」
「はは! いい顔すんじゃねえかちび。わかってんな、ネロのチキンは最高だって!」
「とちゃ!あ!」
「おう、お代わり寄越せって? まてまて」
ブラッドリーの背面で忙しなく尻尾が揺れる。お前が食べる暇なくなるじゃん、と心配する素振りを見せつつも、ネロの尻尾も嬉しそうに揺れている。
「あ、ブラッドリー、俺がしばらくちびちゃんの食事手伝いますよ。ブラッドリーは熱々のフライドチキン、せっかくなので熱々の内に食べてください。俺は食事これからだから」
「お? そうか。じゃあ頼む」
「悪いな賢者さん、すぐにあんたの分も作ってくるからさ」
向けられた笑顔の柔らかさに、じわ、と胸の内が温かくなるのを感じて、晶は言葉にならない感動を噛み締めながらはい、と頷いた。
二人の、小さな小さな宝物。
またひとつ、ひとつと成長を重ねる度に、二人の絆がはっきりとわかるくらい、強いものへと変わっていくのを感じる。
それを見守ることができるのが、何とも言えない幸せだなと思った。