【ブラネロ家族】チョコレートに愛をこめて「ネロ!チョコレート溶けてきた!」
張りのある声に呼ばれ、ネロは顔を上げた。
厨房の作業台の前に踏み台を置いて、父親にそっくりの黒と銀の髪を揺らしながら息子が目を輝かせていた。
「ん、ありがとさん。つやつやになったか?」
「なった! 果物つけていい?」
「いいよ。ほら、テーブル行きな、持ってってやるからさ」
「うん!」
父親と同じブラッドリー・ベインの名を貰ったがゆえに、賢者からジュニアと愛称を貰った息子は、好奇心に目を輝かせつつも素直に踏み台からぴょこんと飛び降りた。
賢者がもたらしたバレンタインという風習は、すっかりこの魔法舎に定着している。ネロも、今年は何にするかね、と全員の好みを考えながらあれこれ用意を数日前から始めていた。
若い魔法使い達には、甘くてカラフルな焼き菓子を。
古参の連中には、コーヒーや紅茶に合うものを。
チョコレートは他の食材と違って常備しているものではない。数日前、買い物に街へ出たのだが、その時に買い物についてきた息子が言ったのだ、自分もやりたいと。
「俺もなんか作りたい! そんでとうちゃんにやる! ネリーも一緒に作れるやつがいい!」
「え、ネリーもかあ……なかなか難しいな」
ネリーは、ブラッドリーに預けてきたジュニアの妹だ。こちらはネロの容姿を受け継ぎ、灰青の髪に麦穂の瞳をしている。まだ幼い娘を思い浮かべ、ネロは悩んだ。
ジュニアだけなら割となんでも一緒に作れそうだが、ネリーはまだお喋りも満足にできない、赤ん坊も同然なのだ。
しかも、ブラッドリーは甘いものが不得手ではないが、好んで食べるというわけでもない。以前はそんな彼のために、ビターチョコにラム酒を効かせたブラウニーを作ってやったりしたものだ。
甘すぎず、簡単にできて、子供達が作った! という達成感を得られるもの……。
悩みながら市場を製菓材料を扱う店を目指し歩いていて、ふと果物が目に入った。
「あ、よし、わかった。ネリーも一緒に作れるの、あるかもしれねえぞ、ジュニア」
「ほんと⁈ やった!」
嬉しそうなジュニアが小さくガッツポーズをしたのが可愛らしくて、今思い出しても頬が緩む。
子供達は、ブラッドリーが大好きなのだ。
それが、なんとなくくすぐったくて、嬉しい。
ジュニアが張り切って、クロエに用意してもらったエプロンをつけてそっとかき混ぜていたのはチョコレートだ。
湯煎でゆっくり、とろりと艶が出るように気をつけながら溶かされたチョコレートは、テラテラと輝いている。
甘さ控えめのチョコレートを選んできたから、溶かす前にひと口齧ったジュニアはあんまり甘くない! と目を白黒させていたが、ブラッドリーには丁度いいだろう。
「にちゃ! にーちゃ! こえ!」
「あ! すげえ、紙の鳥???」
テーブルで、晶に抱きかかえられて遊んでいたネリーが頬をほこほこに火照らせて小さな手で突き出して見せたのは紙でできた鳥だった。
晶はそんな上手じゃないけどと笑って頷いた。
「折り紙って言うんだ。正方形の紙を折って作るんだよ」
「え、俺も!俺もつくりたい、今度教えて!」
「いいよ、一緒にやろうね」
「ねりも!」
「うんうん、ネリーも一緒にしようなー!」
晶の隣の椅子に座って、ジュニアが濃いピンクの瞳を優しく細めて妹を撫でる。
んふ、とネリーは満足そうに笑った。
「おまたせ、賢者さん。付き合わせて悪いね」
「いえ、ネリーちゃんと遊べて楽しいですよ。わ、きれいなチョコレート。こんなにつやつやになるんですね」
ネロが持ってきた小さなボウルを覗き込み、晶がほわ、と目を輝かせる。まるで息子のような反応に思わずくは、と噴き出して、ネロはそれを少し遠めの位置に置いた。
ネリーが手を伸ばして倒さないようにだ。
「まってろな、今果物とナッツ持ってくるから」
「うん!」
予め用意しておいた、細くスティック状に切ったオレンジピールとレモンピール、それからドライアプリコット。
あとは、ジュニアが自ら選んだ苺はへたを付けたまま、林檎は薄くスライスして。
それから、酒のつまみにもよく食べるクルミやアーモンドのナッツ類。
皿にそれらを盛り、表面にこびりつき防止の特殊加工がされたバットと共にテーブルの上に置く。
「賢者さん、ネリー代わるよ、賢者さんも一緒によかったら作らねえか?」
ネリーは抱いて補助をしてやらないと危ないからと晶の肩を叩く。あ、そうですかと彼が振り返るより早く、ねよぉ、と小さな両手を差し伸べて娘が甘えた声をあげた。
「はいはい、ネリーは甘えただなぁ」
「きゃあ!」
ひょいっと抱き上げると、娘は嬉しそうに歓声を上げる。
そのまま、ジュニアの正面に移動したネロは目を輝かせて身を乗り出したジュニアにフルーツを摘まんで見せた。
「チョコにフルーツ突っ込んでバットにそっと置いてくれな。全部ドボンすんなよ、半分くらいな」
「わかった! ナッツは?」
「あとからチョコレートを上からかけるからそのまま。賢者さんも一緒にどうぞ」
「はい! わ、ドライフルーツおいしそう。これ、ネロのお手製ですか?」
「そうだよ」
オレンジピールを摘まみ上げた晶が、このままでも絶対美味しい、なんて言うものだから、くすぐったくてネロは口をもぞもぞとさせた。
「うまいよ。少しくらいなら、摘まんでもいいぜ、たっぷり切ってきたから」
「ねりも! ねりも!」
「はいはい、お前はあとから苺切ってやるよ。ほら、兄ちゃんみてみ? あんなふうにできるか?」
「にちゃ」
ジュニアが林檎をトプン、と半分程チョコレートの中に沈めて持ち上げる。
とろとろとボウルに筋を引くチョコレートは、幼い娘の心を射止めたらしい。
ほあ、と夢中になって兄の一挙手一投足を見つめる大きな瞳が、好奇心でキラキラと輝いている。
ジュニアはネリーに見せるようにほら、こうやるんだぜ、と得意げに言って、そっとバットに林檎を置いた。
半分ほどチョコレートの衣装を纏った林檎は、誇らしげにそこに佇んでいる。
「ほら、ネリー簡単だろ? 一緒にやろう!」
「ん!」
小さな手に林檎を握らせて、兄が笑う。
それを、ネロは何とも言えない満たされた心地で眺めていた。
「とーちゃん!」
「お?」
アーサーと双子と共に街へ出かけていたブラッドリーは、エントランスで階段を振り仰いだ。
スノウとホワイトから奉仕活動じゃ!と言われて渋面になったブラッドリーだったが、アーサーから共に街でチョコレートを配ってほしいのだ、と誘われ承諾した。
魔法舎から卸したシュガーを使ってメリトロで作ったチョコレートを女子供達に配るのだと言われて、気が変わったのだ。
子供は柔軟だ。ブラッドリーにも怖がることなく、場合によっては目を輝かせ羨望の眼差しを向けチョコレートを受け取っていった。アーサーと、賢者の魔法使いとしての自分達の活躍もあり、随分中央の人間達も魔法使いに対して柔軟になってきたと聴いていたが、確かにそうらしい。むしろ年が上に行けばいくほど、怯えのようなものが見え隠れする。
それでも、老婆に嬉しそうにありがとうね、お兄さん、と言われた時は思わず苦笑してしまった。
俺が兄ちゃんならあんたは可愛い娘さんだぜ、と言って肩から落としかけていたショールを羽織らせてやったら、あらまあ、と嬉しそうに笑っていた。
甘っちょろくなったな、と自分でも思う。だが、それが退化だとは思わない。
子供ができてからは……家族を成してからは、むしろ強くなった気すらする。
北の矜持を、生き方を、忘れた訳でも、捨てた訳でもないが。
「とーちゃんおかえり!」
「出迎えとは珍しいな、帰ったぜ、ちびども」
階段を自分にそっくりの息子が駆け下り、後ろからネロに抱かれてネロに似た妹が焦れるように身体をばたつかせている。
階段の最後を二段飛ばしで飛び降りたジュニアが突進してくるのを微動だにせず受け止めて、ブラッドリーは小さな頭をガシガシと撫でた。
「スノウ様、ホワイト様もおかえり!アーサーは?」
「ただいまジュニアちゃん! アーサーは城にそのまま向かったのじゃ」
「夜までには戻ると言っておったぞ!」
「そっか!」
「よかったな、ジュニア。帰ってきたら渡そうな」
「ネロ」
うごうごと暴れるネリーを抱いたまま、ネロが乱れたジュニアの髪をちょいちょいと指先で直しながら撫でる。
うん、と嬉しそうに彼を振り返ったジュニアを後目に、ブラッドリーはふと甘い香りにネロの首筋に鼻先を寄せた。
「随分美味そうな匂いさせてんじゃねえか」
「おい嗅ぐなって。今日は朝からずっと甘いもん作ってたからな」
じわ、と恥ずかしそうに目元を染めて一歩引いたネロからネリーを抱きとったブラッドリーは、ぺちぺちと頬を叩く小さな手にも鼻を寄せ、お前も甘い匂いじゃねえか、と優しく目を細めた。
「ほほ、バレンタインデーじゃからな!」
「朝からお菓子作りしてくれてたもんね! お疲れ様じゃな、ネロ。お主にもほれ、シュガー入りのチョコレートをやろうな」
スノウとホワイトが、配り歩いたチョコレートを持ち帰っていたらしい。
ほれ、と差し出された二人の手に、ポポポンと二つのチョコレートの包み。
「ジュニアにもやろうな。ネリーちゃんはまだちょっと早いかな?」
「俺のやつちょっとだけあげるのはだめ?」
「優しいのうお兄ちゃん!いいよ!」
ちょっとだけならいいでしょと甘えた声でおねだりをする愛息に、さすがブラッドの息子……とネロは舌を巻く。
甘え上手なのだ、この齢ですでに。将来が恐ろしいほどに。
案の定、ニコニコと双子は頷きながら彼の頭を撫でた。
「で? なんでわざわざお出迎えなんだ?」
「あ! そうだ! とーちゃん、とうちゃんにこれ!」
「お?」
ポン、と、ジュニアが空間から小さな包みを取り出した。
この齢にして、小さな物の近距離転移魔法を覚えたのは、さすがとしか言いようがない。
初めて発動させたのは一年前。最初は出来たり出来なかったり、かなりむらがあった。
最近は、かなりの確率で成功させることができるようになってきた。こっそり特訓をしていたのを、実はブラッドリーも知っている。
と言っても、まだ掌に乗るくらいのものに限られるが。
「これ! 俺とネリーで作った!とーちゃんに!」
「とちゃに!」
ネリーが兄の真似をして叫んで万歳をして見せる。
ジュニアが差し出した小さな包みには、半分チョコがかかったドライフルーツが並べられていた。
「苺と林檎もあるぜ、ほら」
ネロが笑ってポン、と手の上に小さなデザート皿を出現させる。
その上には、苺と林檎にチョコレートがかかったものと、ナッツがチョコで固められたものが並んでいた。
ブラッドリーはそれを見て、すげえじゃねえかと破顔した。
「お前とネリーが作ったのかよ?」
「そう! 本当の本当に俺とネリーがつくったんだぜ! すげえ?」
「すげえすげえ。うまそうだ! ありがとよ」
さっそく口に入れてくれよとしゃがみ込んだブラッドリーに、ジュニアは頬を紅潮させて嬉しそうに包みを開いた。
「よかったな、ジュニア。喜んでくれたな」
「うん!」
ジュニアが差し出したオレンジピールに齧りつくブラッドリーを見ながら、ネロが柔らかく微笑んだ。
それをブラッドリーが、何とも言えずとろりと甘い眼差しで息子越しに見上げていた。