ルームメイト・フレグランス「あー!」
学業もアルバイトも休日の昼下がり。うつらうつらと昼寝をしていた尚文の耳へ突然入ってきた叫び声に、何事かと彼はうっすら目を覚ます。
叫び声の主は、尚文より一つ年上で同居人の元康だ。いわゆるルームシェアで生活を共にしている。
だだだっとこちらに向かってくる足音が止まったと思えば、頭に高く一本結った金髪のしっぽが揺れ終わる間も待たずに、思いっきり息を吸って元康は喚いた。
「尚文いいい! ごめん! お前のバイト服、一緒に洗濯しちまった!」
後ろでは無情にも給水を終えた洗濯機が、ごうんごうんと洗いを始めている。こうなればもう濯ぎと脱水を待つしかない。
干す前の乾燥もしてくれたならば完璧だな、なんて思いながら、尚文は癖毛が目立つ黒髪と共に寝起きの頭を搔く。
「そうか……むぅ、そんなに騒ぐことでも無いと思うんだが……?」
「え、だって尚文って俺とは別の柔軟剤分けて使ってんじゃん……嫌なのかなって」
「それは俺とお前で好みが違うからだ。俺は消臭、お前は芳香性重視だろ」
「……方向性の違いなだけに?」
「そうだよ……あっ! くそ……ッ」
くだらない親父ギャグについ反応をしてしまった。尚文はぷいっとはぐらかすように顔を背ける。よっぽど恥ずかしいのか、黒髪に被さる耳からTシャツに覗く首筋まで紅く染っているのが良くわかる。
その様子に、血相を変えて飛んでやってきた元康の表情は和らぎ、そして少し吹き出してしまったのは想像にかたくない。
そう、この二人、同居だが各々洗濯洗剤や柔軟剤を分けて使っているのである。
尚文は果物香るグリーン系、元康は甘めのフローラル系。好みが違うのだから単に分けているのであって、そこに他意は無いとは尚文の主張だ。それに。
「別に元康が使っている柔軟剤も悪くないと思う。が、俺のバイト先は飲食なんでな。あんまり匂っても困る」
「く、臭くはないだろ?!」
「まあな。人受けは良いんじゃないのか? お前の雰囲気にあってる」
「な……、なおふみぃ~! へへへっ」
その言葉を聞いて、元康はつり気味の目尻をふにゃりと下げる。
元康のバイト先であるアパレル系ブランドを配慮したのであろう、尚文は元康が好む匂いにそれとなくフォローを入れたのだ。
機嫌を良くした元康は、ニコニコしたまま尚文の隣に腰掛ける。
「嫌いじゃないなら安心した! お詫びと言っちゃなんだけどさ、夕飯は俺が作るから! だから今回は俺の匂いで、勘弁して欲しいな~なんて」
「勘弁も何も悪くないって言ってるだろ。あ、コラ引っ付くな。お前はいつもスキンシップ過多だな!」
「んふふ~尚文くんは照れ屋さんですな~」
「うっせ」
「そこも良いのですぞ♡」
「チッ、うぜえ……そういうの、いいから」
「酷いですぞ~」
何だか含みのある言い方だったと勘付きつつも、からかわれたと思い、尚文はまたもや顔を紅くしながら背ける。何ともウブな反応を返してくれるものだと、元康は嬉しげに喉をくつくつと鳴らした。
「ははっ、ごめんごめん。昼寝の邪魔して悪かったな。夕飯食べたらさ、一緒にゲームしようぜ!」
「ああ、いいなそれ。……ふああ」
「おやすみ尚文」
「ん、おやすみ」
元康に髪をくしゃりと撫でられた気持ち良さに逆らわず、尚文は重たくなってきた瞼をそっと閉じて眠りについた。
後日。
「八番テーブル、オーダー入りましたー」
「あーい了解。岩谷くん、厨房行ける?」
「はい! ただいま行きます」
ぱたぱたぱたぱた。バイトに勤しむ尚文は指示を受けて、ホールから厨房へと急ぎ足で移動する。
洗濯したての制服からは、華やかな匂いがふわりと彼が駆けていった後に舞う。
「……なんか、今日の岩谷違くね?」
「どうしてでしょうか……違うんですよねえ……」
「なんてーか、においに華があるというか?」
「っまさかあいつ彼女が?!」
「でも岩谷さん、彼女居ないって言ってましたよ!」
フロアのピークとはまた別にざわめくスタッフ達を横目に、尚文はエプロンをつけ直しながら厨房に着く。
(動く度に元康の匂いがして落ち着かないな……フロアのみんなの視線が何だか変な気もするし、やっぱり甘すぎたか? この匂い)
不安になりながら己の制服をすんっ、と匂うと鼻腔に広がるのは元康が使っている柔軟剤の甘い香りと、自分の汗の匂い。
「…………」
やはり悪くないと思えてしまうのは、贔屓目だろうか。
バイト上がりまで残り数時間、尚文はいつもと違う香りを楽しみながら腕を奮った。
一方、元康はというと。
「もしかして俺って尚文にマーキングとかしちゃった感じー?!」
などと一人悶えていたのはまた別のお話。