ここイーデン校に入学して、11年生としてスタートし、ひと月が経過した。
学内に植えられた銀杏などの落葉樹が色づき、澄んだ秋晴れの青い空との美しいコントラストが目に眩しいこの日。
「~♪ ~♪」
昼休みを迎えて、アーニャ・フォージャーは、小振りのバッグを携えて、小さくご機嫌に鼻歌を奏でながら構内の銀杏並木を裏庭に向かって歩いていた。
(今週はいいお天気が続いて良かったー)
歩きながら空を見上げる。今週は金曜日である今日まで晴天に恵まれて助かった。
(アーニャさんの日頃の行いが良かったからだな)
雨だと裏庭に行けないし、曇りだと寒いし。ラッキーだったと思う。
ご機嫌な足取りのまま、銀杏並木から小路に逸れて進む。それから程なくして目的の場所に到着した。そこは裏庭の一角にある四阿だった。
今週1週間、親友のベッキーは学校を休んでいる。昨年から数ヶ月に1回ペースで休むようになった。家の事情が理由とだけで詳しく明かしてくれないが、悪い事情ではないようなのでアーニャは特に心配していない。
今回のようにベッキーが休みの日、アーニャは昼休みをここで過ごすと決めていた。ここには人が滅多に来ないからだ。現に今もアーニャ以外には誰もおらず、遠くに聞こえる生徒達の喧騒より、風が抜けて木々がざわめく音の方が大きい。
他人の思念が頭に流れ込んでくる能力のせいで、人が多い場所は今でも苦手だ。ここ数年である程度遮断出来るようになったが、遮断する事を意識していないとならない(例えるなら、勝手に開いてしまうシャッターをずっと押さえ込んでいるような感覚に近い)ので、どっちにしろ人混みは疲れる。
昼休みの食堂もアーニャが苦手とする場所の1つだが、親友のベッキーが一緒の時は食堂で過ごすようにしている。遮断する疲労感より、彼女と会話をしながら食堂の美味しいオムライスを食べる楽しさの方が何倍も上だからだ。
だから、ベッキーいないなら食堂に行く必要性が薄れる。彼女以外の友人もいるが、申し訳ないと思いつつ断って、この裏庭のガゼボで昼食を摂る事にしていた。
無人のガゼボに入ると早速白塗りの長椅子に座り、これまた白塗りのテーブルの上にバッグを置いて、中身を取り出した。
お弁当箱が2つと、小さな水筒が1つ。お弁当箱を開けると、綺麗に詰め込まれたサンドイッチが姿を現した。片方の箱はハムサンドなどの塩っぱい系、もう片方は大好きなピーナッツクリームが塗られた甘い系と分けて入れられている。いずれも“ちち”の手作りだ。
そして、水筒を開けてフタ兼コップへ水筒を傾ければ、微かに湯気が立ち上るココアが注がれた。こっちは“はは”が作ってくれた。保温性がない水筒だけど、家で熱々に淹れてくれたそれは、昼休みを迎える頃には猫舌のアーニャには丁度いい温さになっているのだ。
「では、いただきます!」
◆◇◆
食堂で昼食を手早く済ませて、ダミアン・デズモンドは、小脇に1冊の本を携えて、口を引き結んで無言で裏庭に向かって歩いていた。
(――いた)
裏庭のガゼボで目的の人物を見つけて足を止め、一呼吸置いて今度は通常の歩幅で歩きだした。
目的の人物――アーニャ・フォージャーは、テーブルの上に弁当らしき物を広げて食べている。
彼女は親友のブラックベルが休みの日、いつもの食堂ではなくここで1人食べている事を、ダミアンは知っていた。
彼女から直接聞いたわけではない。食堂に来ない日があると気付いて、その日と彼女の身の回りに起こった事を照合した結果判明したわけだ。同じクラスだからこそ分かる手法である。
思い起こしてみれば、彼女は昔から人が大勢集まる場所が苦手らしい節がある。そんな彼女には、人が殆ど来ないここがうってつけなのだろう。ダミアン自身も、大勢の人に囲まれる機会が多くて息が詰まる事があるのでよく分かるつもりだ。
自分が家柄のせいで注目を浴びがちなのは承知していたが、数年前に皇帝の学徒になってからは更に目立ち、囲まれる事が増えた。特に女子生徒。媚びるような甘ったるい声、むせるような香水の臭い。それらに毎日苛まれて、ダミアンは嫌気が差していた。だが負の感情は一切見せずに紳士に振る舞わないといけない。デズモンド家の人間だから。
しかし――
「よぉ」
ガゼボの前で一旦立ち止まり、声を掛ける。呼ばれた彼女は咀嚼していた物をごくんと飲み込んで応じた。
「今日も来たかじなん」
「悪いか」
「別にー」
いくら長年のクラスメイトと言えど、デズモンド家の自分に対してこんな態度を取る女子はブラックベルとコイツだけだ。
ダミアンはガゼボの入口をくぐって、彼女とテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろした。
「今日も親父さんの手作りか」
「うん、ちちの料理、絶品」
言って、サンドイッチにかじりつく。余程美味しいのか幸せそうな表情になる。
フォージャー家の料理は今も父親が担当しているらしいが、最近は彼女も料理を覚え始めたと言う。
「ヨルさんの料理は相変わらずなのか?」
「うん、ははの料理、絶望」
思い出したのか、眉間に皺を寄せて地獄を見たような表情に変わる。どんだけ不味いのだろうか。
「ねぇじなん、良かったら食べるか? アーニャ、お腹いっぱいで食べきれる自信ない」
言って、2つある弁当箱のうち1つを差し出してきた。そこには美味しそうなサンドイッチが一切れ残っている。
さっき食堂で食べたばかりでお腹は満たされているが、彼女が食べきれないと言うのなら、
「……んじゃもらうわ」
勿体ないので頂くことにした。切り口を見ると、ハムとレタスが見えていて、美味しそうだ。
「いただきます」
一口かじる。
「どう?」
「ん? あぁ、美味いよ」
「へへん、ちちの作るサンドイッチは世界一!」
それは流石に言い過ぎじゃないかと思うが、美味しいのは間違いなかった。というか絶品だ。
「……トマト、入っていないんだな」
「トマトは水分が多いから、作ってすぐに食べないお弁当には向かないってちち言ってた」
「あぁなるほど」
そういう知識も持ち合わせているあの人もなかなか謎の人だと思う。何者なんだろう?
などと思いに耽けながらゆっくり食べている一方、アーニャはもう1つの弁当箱から最後の一切れを取り出して、一気に頬張った。「ピーナッツクリームサンドうまぁ…」と蕩けるような表情に、一瞬ダミアンの心音が高鳴った。だがおくびにも出さず、口の中にあったサンドイッチを飲み込んだ。
「ごっそさん」
「アーニャもごちそうさま!」
「美味かったよ。親父さんに礼を言ってくれ」
「うぃ!」
11年生になっても抜けない独特の言葉での返事。そんな幼い面もありながら、
(不意打ちであんな顔するんじゃねーよっ)
どこか蠱惑的だったさっきのとろけるような表情とのギャップに、ダミアンは乱されてしまう。