闇夜のどこかの懐かしい友人を「じなん! じなん」
受話器の向こうのダミアンへアーニャが必死に呼び掛けていると、
「どうしたアーニャ?」
アーニャの叫びを聞きつけたのか、自室にいたはずのロイドがリビングへやって来た。
「ちち……! じなんが、じなんがおかしいの!」
「ん? 電話の相手はダミアン君なのか?」
「そうなんだけど、何か変! 何か……死んじゃいそうな声なの! 大怪我してるみたいな感じで……!」
「……何だと?」
「あ! ねぇちち、あれやって! ボンドマンがやってる、電話がどこからか掛かってきてるか分かるやつ!」
「逆探知の事か?」
「それ! ちち、そういうの出来る機械持ってるでしょ」
「持ってるが……」
「お願いちち! それやってじなんの居場所調べて! 公衆電話だって言ってたから、早くしないと切れちゃう! 切れちゃったら――」
「分かった。待ってろ」
急いでロイドは自室に引き返し、10秒経たずして黒いバッグを手に戻って来た。バッグを開けて機材を取り出し、それを電話機の横に置いて手早くセッティングしていく。ヘッドフォンを装着し、機械本体にいくつも付いたツマミを微妙に調整しつつ計器類と地図を逐一見比べる――。ボンドマンの実写版で観た逆探知のやり方とは随分違うようだ。
やがて、ロイドが小さく「よし」と呟くのが聞こえて、ヘッドフォンを外しながらアーニャを見た。
「場所分かったぞ。ドッグランがある公園の近くだ」
「分かった行ってくる!」
「待てアーニャ! 歩いて行くつもりか 車出してやるから乗れ」
「! ありがとうちち!」
慌ただしくしていると、私室からネグリジェ姿のヨルが顔を出した。
「ロイドさん、アーニャさん、どうしました」
「すみませんヨルさん、一刻を争うので説明は帰ってからします。急ぐぞアーニャ!」
「ははごめん! 行ってくるます!」
「分かりました! お気を付けて!」
詮索せずにヨルは送り出してくれた。
◆◇◆
ロイドが運転するトラバントの助手席から、アーニャは目を皿にして公衆電話を探す。
「この辺のはずだ、見落とすなよアーニャ」
「分かってる! ……あ! 車止めて!」
「見つけたか」
「ううん、まだだけど、『声』が一瞬聴こえた気がした」
普段は超能力を抑えているが、今は開放してダミアンの居場所を探っていた。時間帯と場所のお陰か『雑音』が少ないのが幸いだ。ダミアンが気を失っていたら『思念』は拾えないが、『気配』なら感じ取れるかもしれない、とアーニャは一縷の望みをかけていたわけだが――
(――……てぇ……んな事に……なら……――)
「! 聴こえた!」
「アーニャ!」
ロイドの制止を振り切って、アーニャは車を飛び出した。公園の外周に沿って走る。アーニャ達がいた表通りではなく、裏通りの方を目指して。
「どこ じなん 『声』聴かせて! じなん!」
(――……ォージャーの声……がする……)
「!」
全速力でアーニャは駆け抜ける。お願いじなん、意識を保ってて! すぐに見つけるから!
「……いた!」
ポツンと街灯に照らされた電話ボックス。そこに座り込んでいる人影を捉えた。
間近まで辿り着いて――アーニャは「ひっ」と上がっていた息を呑んだ。
5年振りに見るが、目の前の男性は間違いなくダミアン・デズモンドだった。ダークグレーの三揃いのスーツを着込んでいて彼らしい服装だが――右脇腹にナイフが刺さっており、そこからおびただしい量の血が流れ出ていた。その赤黒い血液は、彼のスーツだけならず、電話ボックスの壁や床、床から滴って路上までをも染めていた。
素人のアーニャから見ても、この出血量は――!
「ち、ちち! じなん見つけた!」
震えそうになる声を張り上げて、ボストンバッグを提げて追ってくるロイドを呼ぶ。そして、ダミアンの横に膝をついて、
「じなん! じなん!」
「――……あれ……フォー、ジャー……?」
呼び掛けに、ダミアンが薄く応じた。虚ろな目、酷い脂汗、真っ白な顔色、唇もチアノーゼが見て取れる。
「うんそうだよ! しっかりして!」
「ここか!」
ここでロイドが駆け付けた。腰を落とすやバッグを地面に置いて全開にする。中には包帯や薬などの様々なメディカルキットが詰まっていた。
「ダミアン君、僕はアーニャの父のロイド・フォージャーだ。今から君の応急処置をするね。
アーニャ、救急車を!」
「うん!」
立ち上がったが、
「まっ、て、くれ……」
ダミアンから絞り出すように発せられた制する声に、アーニャは思わず止まった。
「え」
「ダミアン君」
「救急車、は、マズ、い……」
「何で」
「病、院、に……アイツら、の……息、が、掛かった……ヤツが、いた、ら……」
途切れ途切れに紡がれる言葉。何やら只事でない事情がありそうだ。だが、一刻も早く然るべき処置をしないと――
「〜っ、ちちぃ!」
どうすればいいか分からず、アーニャは縋る思いでロイドを見た。彼は考え込むような様子を見せてから、
「……アーニャ、周辺に誰か潜んでいるとか、こっちを伺っているような怪しい気配はあるか?」
問われて一瞬戸惑うも、閉じていた超能力を即座に再び開放し、言われた通り周辺を探った。およそ半径50メートルに及ぶ広範囲。幼い頃のアーニャだったら鼻血を出して倒れていただろうが、数年前ロイドに能力の事を打ち明けて、ロイドとアーニャの二人三脚で模索しながら訓練した結果、能力の効率的な使い方を得た。今回はそれの発揮時。目を閉じて、自分の意識を範囲内に薄く拡げていくような感覚で――
「……ないと思う」
「よし、じゃあここで応急処置をしたら、信頼の置ける所で本格的な処置をする。その後はうちにダミアン君を連れて帰ろう」
「『信頼の置ける所』?」
疑問を口にすると、ロイドは目配せをして、心の中で答えてくれた。
(普通の小さな町医者だが、WISEと協力関係にある)
「! あ、うん!」
「ダミアン君、少しの間我慢してくれ」
「は、い……」
「アーニャ、ここにいる間、周りを警戒しているんだ。少しでも怪しい気配を感じたら知らせろ」
「分かった!」