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    悪魔を拾った少年と、少年に拾われた悪魔の不幸で幸せな物語。
    (もしポチタがチェンソーマンのままデンジと出会っていたら)

    ※ポチデン
    ※原作程度の暴力、流血表現
    ※一部モブデン有

    #ポチデン
    pottyDen

    幸福論(犬と呼ばれた少年の話)


     犬は良い。薄汚れて肋骨の浮いた臭くて哀れな野良犬でも、腹を見せて人間に媚びへつらえば気まぐれに餌を与えられる事がある。忠実に、従順に、そして賢く愚かに生きる野良犬は、ただひたすらに自分が死なない方法さえ考えれば、その日一日が終わるのだ。
     しかし、少年は人間だった。人間は余計な事を考えてしまう。
     腹が減った事、借金は減らない事、孔の空いた右目が時折痛んで疼く事、夜は寒くて暗くてどうしようも無くひとりぼっちの孤独が押し寄せる事。
     だから少年は夢を見た。ただひたすらに自分が幸せになる事を夢に見た。そうした中で出会ったモノは、まるで暗闇に差し込む一筋の光のように見えた。淡い期待を抱いてしまった。嵌まった泥沼から抜け出したくてか細い糸のような光を掴もうと手を伸ばしてしまった。
     何かが変わるかも知れない。そう、思ったのに。

    「何だよオマエ、俺に力を貸す話はどこ行っちまったんだよ。今の所クソの役にも立ってねーぜ。……ま、いいや。いってきま~す」

     背丈に不釣り合いな大振りの斧を担いで、少年は残った左目を小屋の隅に向ける。生活をする為に寄せ集めた物達を退かした一角、背景と同化するように物言わず座り込む赤橙色のチェンソー。
     少年が拾った悪魔は今日も、小屋の中のガラクタだった。





     ◇




     これまで少年が歩んで来た人生は、一言で言ってしまえば不幸だった。
     物心がつく前に死んだ母親が少年に遺した物は、心臓の病と母の温もりを知らぬ孤独感。自殺した父親が少年に遺した物は、無学で非力でその身一つしかない少年には愕然とするほど膨大に思える借金。そして悪い大人との繋がりだった。
     いよいよどん底に陥った事を知らせる土砂降りの雨が少年のくすんだ金髪を容赦無く濡らす。ななじゅうまん、明日までに。父親の墓を前に悪い大人から言われた言葉だった。じゃなけりゃ殺す、だけどどうしろって言うんだ。稼ぐ方法は知る由も無い。
     途方に暮れた少年は町に出てみた。傘も差さずにふらふらと歩く薄汚い子どもを通行人達は一目見て通り過ぎた。大人は誰も救いの手を伸ばさなかった。きっと自分が声をかけなくても他の誰かが助けるだろう、残酷な集団心理は少年を突き放して見捨てたのだ。雨粒が肺に入って溺れてしまったような、そんな息もできない世界で少年はゴミを漁る二匹の野良犬を見た。ああ、いいなあアイツらは。借金が無い、自分が不幸だって事に気付いていない、ただひたすらに毎日生きる事とメシの事だけ考えているじゃないか。

     ――そっか。じゃあ俺も犬になればいいんだ。

     少年は死にたくなかった。糞詰まった便所の底に突き落とされたとしても、どうにか顔を出してもがきたかったのだ。
     だから少年は悪い大人の犬になった。
     命令されれば何でも従った、何でもやった。ガキの臓器は貴重なのだと言われれば体を切り分けて金に換えた。目が片方だけになった。悪い大人達の慰み者になった。ぽっかりと空いた孔は暗闇しか映さなくなったが、片方だけでも物が見えるならそれで十分だと少年は思った。どうせ元々世界は真っ暗闇のどん詰まりだったのだ、視野が狭くなったところで今更色が変わる事は無かった。
     少年の背が伸びて擦れた目つきが様になってきた頃、悪い大人達はこう言うようになった。「おい、犬。悪魔を殺して来い。死体を流せば金になる」――与えられた武器は斧一本だったが、非力な少年は非力なりに死ぬ気で悪魔と戦った。生傷が絶えない体はいつも痛んだが、それでも良かった。少年の心臓はまだ、生きる為の鼓動を刻んでいたから。
     ただ毎日飯の事だけを考え、他者に従うだけで生きていく事ができる。あの日ゴミ捨て場で見た野良犬のような存在に、少年は為り果てていた。

     それでも少年はどうしたって人間だから、夜が来れば夢を見る。




     その日は父親が死んだ日のように、雨粒が頬を打つ寒い夜だったと思う。
     今日の悪魔は四十万で売れた。そこから膨れ上がった借金と利子を引いて十七万、それから仲介手数料が――ああ、やめよう。考えると腹が空く。今日も今日とて少年は悪い大人達の犬だった。
     体が痛いし腕からは血が出ているし、最悪だ、一張羅のコートが悪魔の返り血だらけじゃないか。もう何も考えたくない。考えたくないからさっさと食パンを食って寝ちまおう。そう考えた少年は痛む体を引きずって、いつもの物置のような住処に帰って来た。そこで、少年を取り巻くクソみたいな日常とは異なる光景を目撃した。
    「……血だ」
     小屋の扉に、べったりと赤黒い血が付着していたのだ。

     怪我をした山の獣が入り込んだのだろうか。そんな訳は無い、だって扉はちゃんと閉まっていたから。それなら人間?……悪魔?
     警戒する心臓がどくどくと波打って斧を握る指先に緊張を伝える。ざあざあと降っていた筈の雨音は次第に遠退き、雲の切れ間から月が顔を覗かせ始めた。自分の息遣いを聞きながら耳を澄ませる。
     感じる、自分以外の気配。この中に何かがいる。
     ゆっくりと、音を立てないようにドアノブに手を伸ばした。

     ――開けちゃダメだ。

     そうして指が触れた時、何故だかそんな危険信号が赤くランプを点して脳内に流れ込んだ気がした。

     何故だろう。開けるのが物凄く怖い。
     指先が震える。吐き出す自分の息が乱れていく理由が分からない。
     おとうさん。……“おとうさん”って何だ?大丈夫だ、落ち着け。
     怖い。怖いけど、開けないと扉の向こう側が確かめられない。

     鳴り響く無意味な言葉の羅列を深呼吸で落ち着かせながら、ギイ、と錆びついた音を立てて扉を開くと、そこには、月明かりに照らされた朱殷の悪魔が一体転がっていた。



    「マジか。お……まえ、どこから来たんだよ。ここ、オレんちだぜ。な、なあ」
     思わず少年の声は上擦った。だって今までこんな悪魔と対峙した事は無かったから。
     優に二メートルを超す巨大な図体、甲冑のように硬い何かで覆われた皮膚と首に巻かれる腹から突き出た内臓。充満する血の匂いは少年を後退りさせるには十分で、しかし落としかけた斧の柄を握り込んで少年は必死に動揺を抑え込もうとしていた。
     悪魔の頭部から生えるところどころ棘が欠けたチェンソーは、時折ヴゥンと動いては弱りかけの心電図のように動と静を繰り返している。いち、にい、さん、しい。合計五本。今はそのどれもが上手く機能していないようだった。
    「……あ……」
     薄暗がりの中で良く見ると、大きな体の下からジワジワと血溜まりが広がっていた。垂れ下がるように伸びた長い舌。死に近い事を知らせる光景。死ぬ。コイツはもう間も無く死んじまうんだ。凄惨な状況に空気が張り詰める。
     怖い、と言うよりは恐ろしく、この状況に陥る『何か』があったのだろうと想像してしまう事が何よりも恐ろしかった。背筋にゾッと冷たいものが走る。少年は慌てて扉を閉めて小屋の中に閉じ籠った。少年と悪魔。一人と一体。今の所それ以外の気配は感じられない事に少しだけ安堵する。
     とは言え、異質な光景は少年の喉に上手く唾液を落としてくれなかった。いつの間にかカラカラに乾いた喉に触れて、少年は顔を顰めて悪魔を見た。まるで全身が石になったように、瀕死の悪魔から目が離せない。
     ――殺す?トドメ刺して死体をアイツらに差し出す?そうすれば金んなる。でも、

    「お前、死ぬのか?」
     気が付いたら口を衝いて出ていた。

     悪魔が哀れになったのかも知れない。小屋に逃げ込んだのはきっと、怪我を負いながらも死に物狂いで生きようとしたからだ。泥水を啜ってそれでも必死に生きようともがいた自分。犬のような人生。ゴミ箱を漁って必死に生きようとしていた犬。そうだ、あの野良犬。
     野良犬は結局冬が訪れる前に死んでしまった。それでも折り重なるようにして死んだ二匹の野良犬を見た時に、もしかしたら温もりを共有したそのひとときだけでも彼等は幸せだったかも知れないと少年は思った。その姿が今一瞬、悪魔と自分に重なった気がした。
     今まで何体もの悪魔と戦って来た少年は、不思議と目の前の命を刈り取る気にはなれなかった。
     じくじくと痛む腕の傷が頭を冷静にさせていく。
    「何でここを死に場所に選んじまったんだよ。こんな……クソッ」
     目の前で今にも命が消えようとしている。もう放ってはおけなかった。少年はコートを脱いで悪魔の前に片腕を差し出した。そして吠えたのだ。
    「噛め!」と。
     悪魔の牙は長く鋭かったが少年の腕は既に痛いのだ、傷が増えても構わなかった。もしかしたら噛みちぎられるかも知れないとも一瞬思った。けれども身を削る事には慣れていたから利き腕さえ残ればそれで良かった。
     腕の一本程度コイツにくれてやる。咄嗟の判断は自己犠牲を投げつけた。
     それと同時に仄かな打算が影を落とした。昔、悪い大人から聞いた事がある。デビルハンターの中には悪魔と契約してその力を借りる者達がいるのだと。代償を差し出せば悪魔は人間に力を与える。
     それならもし取引の条件が、悪魔の命そのものだったら?

     助けてやりたい。コイツを利用してやる。何かが変わるかも知れない。利用価値が無くなったら殺せばいい。
     純粋な心と腐りきった大人達に育てられた歪んだ思考が、少年の中を渦巻いた。

    「お前のコト助けてやる、だから俺に力を貸せ! これは契約だ!」

     こうして少年は、悪魔と契約を結んだ。
     ところが悪魔は、物言わぬガラクタだったのだ。





     ◇




    「なあ、……なあ。ハラ減らねーの?」
     今日の悪魔は三十五万で売れた。そこから膨れ上がった借金と利子を引いて――うん、止めよう。考える事を止めて思考停止状態でマイナスを重ねた中から残った小銭を握り締めた。そうして購入した食パンを齧りながら、少年は引き篭もり悪魔を眺めていた。
     引き篭もり。コイツは正真正銘の引き篭もりだ。何故なら数日経っても悪魔は同じ場所でじっと膝を抱えて座り続けていたからだ。小屋の隅で縮こまってくれる分にはまあまあ狭い空間の圧迫感が減るし腕のチェンソーにうっかり足が引っかかって流血大惨事、なんて事も免れるのでまあ良かったのだが、朝も晩も寝る時も起きた時も全く同じ姿勢の悪魔と目が合ってしまうのは大変居心地が悪かった。いや、目ぇどこだコイツ。
     少年は目を眇めてじっと悪魔を見つめてみた。片方しか無い視界がより一層と狭くなった。
    「はああ~~……お前さあ、なんか嫌なコトでもあったのか? つうか何であんな怪我してたんだ? 誰にやられた? どっから来た?」
     大きな溜息を吐き出してまた食パンを一齧りする。食べ慣れた小麦の味は暫く咀嚼を続けているとふんわりとした甘みを返してくれるから好きだった。少年の毎日は食パンと斧と小屋の中に集めたガラクタ達でできている。そこに最近、一体の悪魔が加わった。
    「くそぉ……人形に話しかけてる気分だぜ」
     独り言ちる少年は腕のボロ布に軽く触れた。悪魔は結局、少年の腕を噛みちぎる事はしなかったのだ。
     差し出された腕を浅く噛んで、肌から溢れた血の筋を数口舐めて、それで終わり。見た目は凶悪な癖にまるで生まれたての子犬のような仕草。こちらは片腕を失くす事を覚悟していたというのに何とも拍子抜けする話。それでも牙の先端は数ミリほど肉に埋まったし、鉄の処女に挟まれたようなグロテスクな噛み痕が腕の裏表にいくつも残った。だから簡易的に手当てをした。

     少年の思惑通り、悪魔は死を免れたようだった。
     少量の血を糧に体内のどこからか突如エンジン音のようなものを鳴らすと、血溜まりの中から起き上がった。
     そこまでは良かった。
     悪魔は暫く少年を見下ろしていたかと思えば、のっそりと移動して今の定位置に納まってしまった。引き篭もり悪魔の完成である。



    「おい」
     少年は呼びかける。悪魔は何も答えない。
    「おーい」
     少年は呼びかける。悪魔はうんともすんとも言わない。

    「…………テメェせめて『うん』とかさァ! なんか言えよ! 一方的に喋ってる俺が馬鹿みてぇじゃねーか!」

     少年はキレた。キレた勢いで丸めた食パンを悪魔に向かって投げつけた。
    「あ、」
     しまった、今日の貴重な食糧が。
     すると悪魔は口を開いて長い舌で食パンをキャッチした。少年の食べかけをぺろりと平らげてしまったのだ。
    「……食った」
     瞠目する少年を残して悪魔は再び動かなくなる。一気に怒気が削がれた気がした。なんというか、まあいいや、という気分にさせられた。「ハア~……」と何度目かの溜息を吐き出して少年はゴミ捨て場で拾ったマットレスの上に大の字で寝転がる。眼帯で覆われた右目に手を置きながら足りない頭で考えた。
     悪魔が人間に力を貸すだなんて嘘じゃん、詐欺じゃん。結局何も変わらなかった。拾い集めたガラクタが小屋の中にひとつ増えただけだった。それでも。
    「オマエ、生き延びて良かったな。ったく、俺に感謝しろよな~」

     例え価値が無い物でも、ただそこに在るだけで何故だか酷く安心する時がある。
     少年は悪魔を殺す気などとっくに失せていた。




     ひとりぼっちだった生活の中に「いってきます」と「ただいま」が増えた。
     数日経って、少年は「おはよう」と「おやすみ」を呟いてみる事にした。
     相変わらず悪魔は何も答えなかったが、一方的な挨拶でも他者の存在を感じられる事がそこはかとなく嬉しかった。
     少年が食パンを放り投げると悪魔は舌を使って器用に受け取る。
     いつもの安くて薄い食パンの半量は悪魔の腹の中に消えるようになったが、命を繋いでいる気がして悪い気はしなかった。
     少年の心臓は病に侵されながらも必死に動き続けていた。悪魔もきっと、その体の内側では規則的な音が血液を循環させている筈だ。相変わらず頭部の鈍色は欠けているし物言わぬ引き篭もりだったが、赤黒い血を垂れ流していた体の傷はすっかり塞がったようだった。
     少年も悪魔も、まだ生きている。



     夜になると少年は時々、自分の夢を語るようになった。
    「普通、食パンにゃジャム塗って食うらしいぜ。お前、ジャムって見た事あるか? 俺はあるよ。ゴミ捨て場んところに瓶が転がっててさ。中身が少しだけ残ってたんだ……でも食えなかった。カビだらけでよ〜これ食ったら確実に腹ぁ下す! って思って食うのは諦めたんだ」
     窓から差し込む淡い光を頼りに悪魔を見る。埃っぽい小屋の中はいつだってガラクタに溢れていて、でも、最近はガラクタじゃなくなった物がひとつ増えたような気がする。
     赤橙色、鈍色、内臓の肉色、生命の色。初めはなんでそんなグロテスクな物を首に巻いているんだろうと思っていた。けれど、ある時ふと腹から飛び出る内臓を凝視してみた時に、それがまるで呼吸のようにひっそりと脈動している事に気付いたから。生きているならまあ良いか、なんて。最近は肉色のマフラーがほんの少しだけかわいい生き物のように見え始めた事はここだけの話だ。
     ゆっくりと瞬きをして、そうしてから少年はマットレスの上で丸くなって目を閉じる。
    「俺がホンモノの野良犬だったら食っちまってたかも」
     小さな声は静寂にさざ波を打っては消えてゆく。
    「……アイツらには犬って呼ばれてるけど……オレ、本当は名前があるんだ。いつかお前にも教えてやるよ」
     空腹を訴える腹は背中とくっついてしまいそうで、現実を見ろと無粋な野次を飛ばしていた。だから今日はもう寝てしまう事にした。夢の中なら犬だって普通の生活ができる。

    「決めた、今日寝たら見る夢――」





     幸せを夢見る夢の中で、何かを見た気がした。
     それはゆっくりと近付いて来て、少年に触れようと手を伸ばす。
     でも躊躇うようにその手が止まったから、少年は何だか悲しくなって口を開いた。

    「―――、……」

     名前を呼ぼうとして、気が付いた。
     まだそれを呼ぶ名前が無かった。
     そうだ、名前を付けてやらないと。
     名前があればきっと、幸せになれる。

     目覚める直前まではそう思っていたのに、起きた時にはそれを忘れてしまった。
     だって自分は、『犬』としか呼ばれた事がない。




     ◇




     「犬、仕事だ。悪魔が出た」
     犬と呼ばれる日には心を空っぽにして過ごさなければいけない。空っぽならどれだけ悪意にまみれたナイフを向けられようとも、少年の心が傷つく事は無いからだ。

     今日の仕事現場は山奥の古ぼけた民家だった。住民は既に悪魔の腹の中。そうして廃れた民家の庭にトマトの悪魔が住み着いたらしい。
     にやつく顔とミラー越しに目が合う。『犬よぉ、テメェさっきは何をぶつぶつと喋ってたんだ? 犬が犬でも飼ったか?』揶揄する大人は下品な嘲笑を車内に響かせた。つい癖で悪魔に、いってきます、と話しかける声を聞かれたのだ。少年は視線を逸らさずへらりと笑う。
    「え? ただの独り言っすよ。ハラぁ減り過ぎて幻覚が見えちまったんすかね~。小屋ん中にはオレしかいねーのに誰かがいたような気がして」
     笑いたくなくても愚鈍を演じて笑顔を浮かべるのは少年が身に着けた処世術だ。相変わらず薄気味悪いガキだと言われたが、それで飯が食える訳ではない。飯になるのは今から戦う悪魔の死体で、刈り取った命は金に変わって、そうして稼いだ金は食パンとなって少年と悪魔の腹を満たしてくれる。一時間後にまた来る、それまでに悪魔の死体をこしらえろ。そう言い残して悪い大人は去って行った。




    「……今日も無事生き残れますように~っと」
     一人残された民家の庭で瓦礫に隠れながら斧を担ぐ。標的はそこにいた。すぐ目の前だ。人間の腕を模した八本足にぎょろぎょろと動く複数の血走った眼。空腹なのか縦に割れた口端からは泡立った涎を垂らしながら獲物を探している。食い荒らされた庭は瓦礫だらけで身を隠すには丁度良かった。神は信じていないので愛用の斧に祈りを捧げて少年は片目で標的を捉える。
    「腹空かせてんのか、オレも同じだぜ。……でもさあ、テメ~をぶっ殺さねぇと明日のメシが買えねぇんだ!」
     ザッ、と地を踏み締める音を立て少年は勢い良く飛び出した。
     振り下ろす先は悪魔の足だ。まずは一発、重い刃が肉と骨を捕らえる。ザシュッと斧を斜めに振り抜くと腕のような足の一本が上下に分離し、血飛沫と悪魔の絶叫が同時に上がった。

     ギャアアアアアアアアアッ!

     悪魔はバランスを崩したようだった。倒れる寸前で動きが止まったので足元を確認すると数本の足が、指が、がりがりと地面を引っ掻いている。ぎょろりと動く眼の殆どと目が合った。己を狩ろうとする存在を認識したらしい。咆哮を轟かせながら迫り来る悪魔を見て、しかし少年の中に恐怖は無かった。こっちも食う為に必死なんだ。斧を振り上げて、もう一撃。
    「がッ!?」
     斧が肉に食い込む感触は確かに手の中にあった。しかし、衝撃と共に視界が一変した。一瞬見えた嘘のように広がる綺麗な青空に、横っ面を殴られて体が吹き飛んだのだと分かった。痛い。いてぇ。畜生。クッション性皆無な硬い瓦礫の壁に呼吸を奪われてどこもかしこもズキズキと痛む。跳ね返って落ちた先は地面、手をついた横へポタと一滴の血が落ちた。大丈夫だ。焦るな、大丈夫。肺に酸素を取り込んでふらふらと立ち上がる。吐血なんて今更慣れっこだ。
    「くそぉぉお……俺ぁてめーのコト結構好きなのに」
     ふう、と呼吸を吐き出して少年は悪魔を睨みつけた。
     悪魔を狩るようになってから分かった事が一つある。悪魔は人間の恐怖が大好きだ。だから痛みに怯える暇など少年には無いのだ。薄気味悪くて結構、イカれたガキで結構。マトモな頭ではこの世界は生き残れない。
     斧を掴む手に力を篭める。獰猛な悪魔の口は目前に迫っていた。
    「カビさえ生えてなきゃ食えるもんなァ! ゴミ箱ん中のトマト!」
     まるで薪を割るように“足の甲”を地面に縫い留めた。細かい骨がグシャリと歪み斧の重い刃先が悪魔の足の末端を枝分かれにさせる。耳障りな奇声を上げて怯む悪魔はそれでも尚獲物を捕食しようとしているようで、腕のような足が左右から数本伸びて来た。
     焦りながらも冷静に、少年は悪魔の真下を見据えた。――逃げ道。悪魔の足ごと地面に突き刺さった斧を引き抜いて蠢く足の隙間を縫うように体を滑り込ませる。最初に切断した足一本分の空間が視界を開けさせ、そうして向こう側に脱出した。急いで起き上がって民家の縁側に土足で駆け上がった。
     障子を蹴破って内部に浸入した少年は、振り返って庭の悪魔を見る。するとどうだろう、悪魔は獲物を求めて後を追って来た。
     低い屋根を避けるように、地を這いながら。

     ブチュ、と球体を潰す音が辺りに響く。斧が届いた悪魔の眼球からはどろりと体液と内臓が溢れ出し、周囲の球体はぐるぐると忙しなく黒目を動かしていた。悪魔の巨体が嵌まった鴨居と柱はミシミシと悲鳴を上げて木目に亀裂を走らせている。
     トマトの悪魔は民家に頭部を突っ込むような形で暴れていた。
     急所が丸見えだ。
     少年は斧を握り直した。ヘタのような物が生える脳天に向かって、力強い一発。

     ギイイイイイイイイイ!

     深く肉をかち割る感触。断末魔の悲鳴が上がった。躊躇わず重い斧を振り下ろす度に噴き出す返り血が少年の服と頬に飛ぶ。
     やがて悲鳴は小さくなり、トマトの悪魔がこと切れた事を少年に知らせた。




     少年は今日も生き延びた。
    「痛ぇ〜……トマト……トマトの悪魔の血はトマトジュースじゃねえんだ」
     飛び散った返り血を腕で拭い、ズキズキと痛む全身に溜息を吐き出して悪魔の死体を前にしゃがみ込んだ。流れる血の匂いは青臭く、それでいて錆びついた鉄のような匂い。鼻腔を擽ってはなんとも言えない気分にさせる。どうせコイツは悪い悪魔だったんだ、殺したところで心は痛まない。
     痛まない筈なのに、ぽっかりと胸に穴が空いた気分で無性にむしゃくしゃとした。
     自分には何かが足りない気がする。でもその何かが少年には分からない。抜け落ちてしまった何かは少年の心をじわじわと冷やしていく。体はその何かを渇望している筈なのに、正体不明な雲を掴もうと足掻いているような気分だった。
     ああもう面倒だ。思考停止。頭がごちゃついた時の得意技だ。少年は死体を眺めながらぼんやりと明日の飯の事だけを考えた。
     この悪魔の死体は一体いくらで売れるだろうか。どうせ差っ引かれた金は小銭しか残らないだろうが、たまには食パン以外の物を食ってみたい。
    「……どうせなら肉がいいな」
     そうだ、腐ってないハンバーガーがいい。トマト、レタス、チーズ、パン。主役はハンバーグと呼ばれる肉の塊。どれも欠片や腐ったものしか見た事は無いが、一回で良いから食べてみたい物のひとつだった。
     SALEと書かれた小さなブラウン管の中で人がハンバーガーを食べるCMを見た事がある。家族で食べようファミリーバーガー。明るい音楽と貼りつけたような笑顔は少し不気味で、けれども『家族』という単語にどうしようもなく心が掻き立てられ、逃げるように耳を塞いだ嫌な記憶。
     今ならきっと、美味しく感じられるんじゃないか?
     そうして手に入れたら二人で分け合うんだ。
     小屋の中で引き篭もるアイツと。




     突如、少年の体がふわりと宙に浮いた。

    「え、」

     柘榴のように割れたトマトの悪魔の肉体から緑色の蔓が無数に伸びるのが見えた。その一本が少年の足首を捕らえて勢い良く持ち上げたのだ。
    「あッ!?」 
     手の中から斧が離れる。しまった、と思った時にはもう遅かった。ひっくり返った景色の中で、割れた肉体の内側から新たな悪魔が出現するのを見た。

     そうだ、トマトの悪魔は“種から復活する”

     忘れていた。この系統の悪魔は知能が低い割に復活が早い。だから仕事が終わったら種を焼き尽くす必要があった。種から伸びた蔓はパッと大きな黄色い花を咲かせたかと思えば、もう丸い果実をぶら下げている。心臓のように歪に脈打つ果実の表面はやがて真っ赤に染まり、ぼこぼこと眼球が浮き出た。
     目が、合った。咄嗟に斧へ伸ばした手はもう届かない。
     民家の天井をぶち破った巨大なトマトの悪魔が大口を開けて少年を待ち構えていた。


     ああ、そうか。今日が終わりの日だったんだ。

     死に向かう少年の心からは喜怒哀楽の全てが抜け落ちていた。
     無感情。無表情。何の色も映し出さない虚ろな眼孔が露わになる。

     夢、結局叶えられなかったな。ただ普通の生活を夢見るだけで良かったのに。産まれてから今まで良い事は何一つなかった。

     ああでも、最近は少しだけ良い事があった気がする。

     初めて誰かに自分の夢を語ってみた。今まで恥ずかしくて誰にも言えなかった内緒の夢だ。その誰かは何も答えなかったが、少年の話を嘲笑う事はけしてしなかった。
     ただいま、と告げても殴られなくなった。「いってきます」も「ただいま」も「おはよう」も「おやすみ」も、いつからか大切な言葉になっていた。
     初めて誰かと食パンを分け合った。腹は満たされなくても、心が満たされるような気がした。
     誰かが傍にいる安堵を知った。
     訪れる夜は、もう寂しくない。
     

     ――死にたくない。
     少年の心臓が強く鼓動を打つ。
     

     全部全部初めてだったんだ。それなら死ぬ前にこの言葉を言っても良いかもしれない。今まで何度も叫んだ。父親が死んだあの日に声が枯れるまで何度も叫んだ。でも誰にも伝わらなかった。だからたった四文字の言葉は頭の中から消えてしまった。でも、もしかしたら伝わるかもしれない。
     今なら、誰かに、伝わるかもしれない。



    「たすけて!」



     刹那、瓦礫が吹き飛ぶスローモーションの世界で赤橙色と鈍色が鋭く光った。
     激しいエンジン音が轟々と鳴り響き、トマトの悪魔の体が真っ二つに割れる。
     家も何もかも全てを一瞬で薙ぎ払う刃は高速回転しながらも少年の体だけは守り抜こうとしているようで、小腸の先が足首をしっかりと捕まえて持ち上げていた。絡みつく肉色のマフラーは、ここ最近毎日見ていた、あの悪魔の。
     だらりと逆さ吊りになったまま目を丸くさせる少年と、機械的な悪魔の顔が対面する。

     チェンソーの悪魔が、そこにいた。

    「……何だよオマエ、実はつえーんじゃん」

     そう言って笑う少年の目尻から、ぽろ、と一滴の涙が零れる。
     少年の声は、初めて誰かに届いた。

     何かが変わる音がした。





     ◇





    「おい悪魔、……悪魔! 仕事に行くぜ!」
     雪解けの水が川に流れ込んで春の草木が芽吹くように、目まぐるしく過ぎる日々は心をゆっくりと成長させていく。あれから少年と悪魔は少しずつ距離を縮めていた。
     あの狭い小屋の中で一緒に暮らすようになってから、いくつか分かった事がある。
    「……ア~……そっか、ええと……木を切るのを、“たすけて”欲しい」

     一、悪魔は『助けて』の声に反応する。
     気恥ずかしさを隠すように視線を逸らしながら慣れない言葉を絞り出せば、悪魔は立ち上がって小屋の外へ向かった。その後を追うと、丁度悪魔が並ぶ木々に向かって腕のチェンソーを振り上げる所が見えた。
    「おお!」
     ブゥン、と一振り。辺り一帯の木々が軒並みドミノのように倒れた。地震と見紛うばかりの振動と衝撃音が地面を伝って少年の足に届く。
    「おあああアアア!?」

     二、悪魔は意外といい性格をしている。
    「テメ~! 確かにお願いしたのは俺だけど加減っつーモンを考えやがれ! テメェの存在が他ん奴にバレたらどうする気だア!?」
     少年は説教した。悪魔を座らせてめちゃくちゃ説教した。ところが悪魔は胡坐状態で欠伸をかまし、あまつさえ挑発するように舌を出して来た。「コイツ……!」と悔しそうに唸って地団太を踏む少年の事などお構い無しのようで、けれども悪魔は少年の事が嫌いという訳でも無いらしい。
    「悪魔はなあ! 居場所がバレたら他のデビルハンターにぶっ殺されちまうんだぜ! 俺もデビルハンターとして一応ヤクザに雇われてっけど! ……お前は殺したくねえんだ、だって一緒に暮らすの楽しいもん」
     ぽつりと呟くと悪魔は慌てだして伸ばした舌をすぐに引っ込めた。その様子が何だかおかしくて破顔してしまう。
    「まあでも……助かった。ありがとよ。俺一人の力と斧一本じゃ日が暮れちまいそうだったからよ~……。折角真っ当な仕事を手に入れたんだ。少しでも金を手に入れて早く借金を減らさねぇと」
     木を切って月収六万。普通の仕事がしたいと頼み込んで手に入れた仕事だ。チェンソーで木を切り倒し、少年の斧で細かな枝を伐採する。地道で骨の折れる仕事だが共同作業は中々悪くはなかった。
    「……なあ」
     少年は屈み込んでじっと悪魔の顔を覗き込んだ。機械的な顔は相変わらず目がどこにあるのか区別がつかないし、牙は凶悪だし、肩は棘だらけで触ったら痛そうだったが、時々こうして叱られた子犬のような反応をする所がどこか愛しいような、そんな感情が沸き起こる時がある。踏み躙られて一度枯れてしまった感情の芽吹きに名前を付けるとしたら、これはきっと友情のようなもので、家族愛のようなもの。悪魔の心の内はさっぱり分からないが、もし同じ感情を抱いてくれていたらそれは幸福と呼べるんじゃないかと僅かな期待を込めて目を細めれば、手を伸ばしてそっと悪魔の頭を撫でてやった。
    「お前のコト、俺は案外気に入ってる。助けてくれたのもマジで嬉しかった。でも、もう悪魔狩りの現場には来るなよ。大丈夫、俺は一人でもやれるから」

     三、悪魔は助けを呼ばなくても時々勝手にやって来る。
     あれは民家での一件があってから数日後の話だ。種を焼き尽くした悪魔の死体を持って行った悪い大人達は、今度はアジトの一つである廃墟に悪魔が住み着いたようだという話を持ってきた。様子を見に行った奴が行方不明になった、だから今度はお前が一人で確認して来いと。要するに犬死にしても構わない存在を送り込もうとしたのだ。報酬は悪魔を殺せたら数十万、生きて逃げ帰って来れたら数千円。今回は情報を持ち帰る事が少年の仕事だった。お前、犬が悪魔に食われるかそれとも生き延びて帰って来るかどっちに賭ける?そう言って笑いながら賭け事を始めた大人達に、少年は愛想笑いを浮かべる瞳の奥で心が冷え切っていた。
     コイツらは人間じゃねえ、人間の皮を被った悪魔だ。でもその悪魔に犬として飼われる選択をしたのは自分だ。それなら犬は犬として与えられた命令を全うしなきゃならねぇ。
     一人廃墟に踏み込んだ少年は、人を喰らう蝙蝠の悪魔と対峙した。
     ところが蝙蝠の悪魔は少年を見た瞬間酷く怯えだしたのだ。正しくは、少年の後ろに聳え立っていた“存在”を見て。
     そこからは本当に一瞬だった。体を覆うように足元から伸びる影を見て、えっ、と思う暇も無く、瞬きをしたほんの短い間に蝙蝠のシルエットが中間から斜めにずれた。後に残ったのはおびただしい量の血、内臓、肉の塊となった元蝙蝠の悪魔。振り返るとそこには、チェンソーの悪魔がいた。
     案の定、悪い大人達は不審がった。『こりゃあたまげた。一体全体どうやってこの悪魔を殺した?』少年は誤魔化すのに必死だった。『えっと~……オレも良く覚えてねぇんすけど、なんかぁ、来た時には既にこうなってたんすよ。悪魔同士で縄張り争いでもしたんすかね』大人達はひそひそと何かを話し合っていたが、それ以上の追及は飛んで来なかった。約束の報酬はたったの千円。悪魔の死体を闇市に流したおこぼれだった。
     その千円を握り締めて一つだけ購入したハンバーガーを悪魔と二人で分け合って食べた。初めて食べた腐っていないハンバーガーはバンズが薄くて、肉も薄くて。何だこんなもんか、と頭に浮かんだのは陳腐な感想。しかし、新鮮な野菜の瑞々しさとトマトの甘味、どことなく嬉しそうに舌を出す悪魔の表情が少年の心と腹を満たした。

    「聞いてんのか聞いてねぇのかいまいち良く分かんねぇんだよな~……。オレん事を心配……してくれてんだろうなっつー事だけは分かるぜ。オマエは優しいヤツだ。俺ぁ優しい悪魔にゃ死んで欲しくねぇんだよ。分かるか? 分かんねぇかなあ~……」
     頭を撫でると悪魔は微動だにしなくなる。それが体に生えるチェンソーで少年を傷付けない為だと分かったのは、つい最近の事だ。その証拠に、普段はツンツンと上を向いている体の棘がこの時ばかりは先端を寝かせて少年の手を受け入れていた。物言わぬ悪魔のやさしさに口許が緩む。
    「明日は小麦粉に砂糖をぶち込んでケーキみてぇなのを作ってやるよ。……何でかって? 明日は俺の誕生日なんだ!」
     それは十回と足して数回目の誕生日だった。
     正しい年齢なんてものはとっくに忘れてしまったが、明日は朝起きたら小麦粉を買いに町へ出かけよう。ケーキの作り方なんてさっぱり知らないが、薪で火を起こして焼けばきっとそれらしくなる筈だ。昔、ただ水で小麦粉を溶かした物に砂糖を入れて飲んだ時がある。その時は腹痛を起こして最悪なひとりぼっちのクリスマスになった。でも今は二人だから。二人ならきっとご馳走だ。
    「楽しみだな、ケーキ!」
     年相応に幼さが残る顔つきで声を弾ませる少年は、明日の夢を思い描いていた。
     どうかこの不幸でも幸せで穏やかな日々がずっと続きますように、と。




     幸せを夢見る夢の中で、また何かを見た気がした。
     これまでに何度も見た夢だ。
     ゆっくりと近付いて来た手は、少年に触れる前にいつも遠ざかる。
     それが悲しくて手を伸ばすけど、届かない指先はいつも空気を掴むばかりだった。

    「―――、……」

     名前、名前、そうだ、早く名前を呼ばないと。

     目覚めた時、少年は自分の頬を伝う熱い何かに気付いた。
    「……今、何の夢を見てたんだっけ」
     もう思い出せない。




     ◇


     
     山の上から見下ろす夜景はまるで色とりどりの硝子を砕いて散りばめたようだった。外の空気は少し肌寒く、吐く息は白く霞んで空気に溶けていく。夜中に目覚めた時はこうして夜の町を眺めるのが密かな楽しみだった。手が届かない場所、手が届かない普通の生活。けれども今目に映る光景は万人に与えられた、不幸な少年でも見る事が許された一つの絵画のようで。煌きは心に熱を生み出す。まるで火のついた蝋燭を前にした子どもような浮かれた気分で、小さく、小さく呟いてみた。
    「ハッピーバースデー、俺」
     アイツはなーんも言わねぇからなあ、それじゃ俺が代わりに俺を祝うしかねーじゃん。なんて思って呟いた台詞だったが、頬と夜風の温度差が少しだけ広がった気がした。この感情は、つまり、照れ臭い。
     ずっとひとりだった。でも最近はひとりがふたりになった。普通の生活を夢見る事は相変わらずやめてはいないがどん底からは一歩進んだ気がして、悪魔の事を思う時はまるで何かに包まれているようにいつも心がふわふわと暖かくなる。
    「……寝るか」
     もう一度夢を見て、朝目覚めたらまたいつもの生活が始まる。しかし、今日は特別な日だ。デビルハンターは儲かるけど殺す仕事は嫌だな。せめて今日くらいは。
     そう思いながら少年が小屋に戻ろうとしたその時――冷水を浴びせ掛けたように指先が冷たくなった。ゾワゾワと背筋に嫌な緊張が走っていく。聞こえてしまったからだ。犬よぉ、また独り言か?と。大人の声が、暗がりの中から。

    「あ……?」
     見ると、少年を犬と呼ぶ連中の一人がそこにいた。何で。どうして。仕事の依頼か?こんな時間に?――違う、そいつの手には酒瓶が握られていた。アルコールの臭いが鼻について嫌悪感が沸き起こる。開けられたくない扉を無理矢理抉じ開けられるような、そんな錯覚が胸を押し潰して呼吸が浅くなる。少年は動揺を隠すように、へら、とぎこちない笑みを浮かべて一歩下がった。
    「……どーも。……もしかして酔っ払ってます? あんまり近付いて欲しくねぇんすけど……えっ、てか何でここに?」
     大人は何かをぶつぶつと呟いているようだった。聞こえた単語は不穏な物ばかりで頭の中に危険信号が鳴り響く。やがて服に伸びる手を見た。この光景には見覚えがあった。この先起こる事も、少年は知っている。
    「あ、マジか。そういう事……いや無理無理! 俺ぁもうそういう事はしないって! そういう稼ぎ方はしねーって言った筈――いッ!?」
     動揺が足を縺れさせ硬い地面に背中がぶつかった。片方の視界に入った宝石のように光輝く夜空は、影を落とす下卑た顔で容赦無く塗り潰される。酒瓶、大人、アルコールの匂い、夜、胃が気持ち悪くて眩暈がした。暴れる体を抑え込むように顔を殴られて頭がぐるぐるしてくる。何だっけ。何かを忘れているような。ごつごつと骨張った手が服の内側に忍び込んできた。もう駄目だ。もう何も考えたくない。肌を撫でる生温かい指先に寒気と嫌悪感が同時に押し寄せた。ああ。
     コイツを殺せる力が俺にあったら良かったのに。

    「――――」

     浮かんだ四文字の単語は声に出る前に悲鳴で塗り潰された。ぼやける視界で見上げた先には、赤橙色と鈍色のコントラスト。『ひいいっチェンソーの悪魔! やっぱりガキが囲ってやがった!』喚く大人の声で我に返る。
     駄目だ。
     少年は目を見開いて手を伸ばし、叫んだ。
    「やめろ!!!」
     それは静止の声と同時に、まるで玩具のように大人の頭が首から弾け飛んだ。ビシャビシャとかかる血の雨とチェンソーの刃が掠った腕の痛みに、息をするのも忘れてしまったかのように体が硬直する。奇妙な既視感、いっそ懐かしさすら感じる血の温もり。自分の喉に触れれば、殺してやる、と誰かの声が頭の中で響き渡った。残酷に殺意を持った生温かな手が食い込んだあの夜。
    「……なん、だよ……これ……なんで……」
     忘れていた記憶が濁流のような激しさを伴って頭の中に流れ込んだ。




    『親の頭を殴りやがってこのクソガキ! 殺してやる!』
     そうだ。あの時、寒くて怖くて痛かったあの夜。父親の頭を酒瓶で殴った。酔っ払った拳でこれ以上殴られるのは耐えられなかったからだ。ただ「ただいま」って言っただけなのに。扉を開けただけだったのに。
     でも父親は酒瓶の一発じゃ死ななかった。
     それで、殺されそうになって。

    『……ヒデェなこりゃ。ガキ、これで借金がチャラになっただなんて思うなよ。良いか、テメェの糞親父は自殺した。自殺したんだよ。今月の分も払わねぇ内に死にやがって……首でも吊った事にするか』
     違う、首なんて吊ってない。
     誰かが助けてくれたんだ。
     だって頭が、首が、血まみれで。

    『テメェみてぇな薄汚いガキをよぉ……助けた奴がいる? 馬鹿言え、幻覚でも見てたんだろうさ。これは自殺だ、自殺。おい、死体を片付けろ。ミンチにして海にばら撒く。骨は一つだけガキにくれてやれ』
     幻覚じゃない。幻覚じゃない。
     だって鈍色が、綺麗な鈍色に顔が反射して、一瞬で赤く染まったんだ。
     それも幻覚?……自殺?

    『それにしてもこの死体、解体して隠蔽でもしようとしたか? 綺麗に切断してやがる。まるでチェンソーでぶった切ったような――――』




    「……あ」
     酒瓶、大人、アルコールの匂い、夜、暴力、顔の痛み、死体、赤色、チェンソー。フラッシュバックする映像は容赦無く現実を突きつけて大人の嘘と子どもの脳が改竄した記憶を掻き消した。
     非力な自分の代わりに父親を殺してくれた存在。扉に鍵をかけて閉じ込めていた記憶の数々。そうだ、何で今まで忘れていたんだろう。声はずっと前に届いていた。初めてなんかじゃなかったのに。
    「……俺、たすけてなんて……お前にそんな事させるつもりじゃ……」
     声が震える。血が滲む腕が熱くて痛くて寒かった。腹の上に重く圧し掛かる首の無い死体にトラウマを刺激されて恐ろしくて怖かった。何とか下から這い出て体を起こすと、ふと、こちらに伸びる手が見えた。びく、と震えてしまった。体が、勝手に。
     それを見た悪魔は一歩下がって、そうして瞬きをした次には姿が消えていた。
    「なんで……待って、おいて行くなよ! 俺とお前はずっと一緒だって……! なあ、」
     
     叫ぼうとして少年は気付いた。
     周囲の大人達から『ガキ』『犬』と呼ばれ続けた少年は、その事に慣れ過ぎて今までずっと思い至らなかったのだ。

     呼べる名前が、まだ無かった。
     悪魔を引き留める為の、大切な名前が。








    (チェンソーマンと呼ばれた悪魔の話)


     命は平等に軽いこの世界で救いを求める声に誘われ出会ったものは、あまりにも軽く触れれば一瞬で潰れてしまいそうな小さな命だったから。まるでそれが硝子細工のように見えて壊す気にはなれず、震える小さな命を残し背を向けて立ち去ったのは今から数年前の朧げな記憶。
     崇拝者から地獄のヒーロー、チェンソーマンなどと呼ばれ殺し殺され殺し殺されを繰り返した末に垂れ流し過ぎた血は皮肉にも傲慢と気力を奪い、代わりに植え付けられた理性は余計な感情を生み出すばかりで戦う事も生きる事ももはや全てが面倒臭く、このままエンジンを吹かせる事は止めてしまおうかと思った矢先にあの懐かしい匂いがふっと鼻先を掠めて。逃げ込んだ先はガラクタだらけの小屋の中。気が付いたら再会を果たしていた硝子細工は燃える太陽を閉じ込めたような赤く透き通った瞳が一つ欠け、人間達から犬と呼ばれる一層と軽い命に成り下がったようで。けれども、誰よりも強く日々を必死に生きながら夢を語る姿は、余計だとばかり思っていた感情の奥深くを揺さ振ったのだ。
     薄汚れてくたびれた服、栄養が足りずに痩せ細った体、本来守られるべき存在の年端も行かない子どもは今まで血反吐を吐きながら生きてきたと言った。売り払った物は数知れず、不幸を可視化したような人生。しかし、誰を憎むでも無く、擦れた目つきの奥に純朴な心を抱いたままでいた小さな命は、多くは望まない、ただ普通でいられるだけで幸せなのだと語った。
     壊してしまう事を恐れて閉じ籠ったガラクタに夢を語った少年のあどけなさ。優しい声と、人の手の温もり。
     もしこのカラダが犬のように小さかったら、感情の起伏を示す尻尾がぶら下がっていたら、チェンソーを生やした腕ではなく丸みを帯びた可愛らしい前足だったら、少年は少しは普通の幸せというものを感じてくれたのだろうか。もしこの声帯から恐ろしい悪魔の声ではなく犬の鳴き声のようなものが出たら、少年の心を癒す小さな存在でいられたら、犬に憧れた哀れな悪魔をまるで愛しむような仕草で抱き締めてはくれただろうか。
     人間に媚びへつらい従う野良犬も、愛情を与えられなければいずれ心が痩せ細って死んでいく。ならば何時の日にか町中で見た、ポチタと呼ばれ小さな人間とその家族から可愛がられていたあの犬のように、小さな人間に愛情を示して笑顔を引き出していたあの犬のように、野良犬と呼ばれ蔑まれた少年の相棒になりたいと願うようになっていた。
     その願いも、ひっそりと抱いていた夢も、結局叶いはしなかったが。

    「――――」
     夢は所詮夢なのだと嘲笑うように声帯から絞り出された声は空気を低く震わせた。驚いた烏が逃げ出した空の下には、チェンソーの刃が触れ瓦礫となった建物、叫ぶ人々、地獄絵図。
     ケーキという食べ物を求めて降り立った町では向けられた悲鳴と罵倒の煩わしさに気が付いたら店の半分が消失していた。ならばハンバーガーを持ち帰ろうと思ったが、中々どうして上手くいかない。ジャムも、ゲームも、人肌の温もりも、チェンソーの刃を持つ悪魔が少年に与えられる物は何一つ無かった。少年の夢を叶える為に一つ行動しては人々が逃げ惑う。脳裏に過る少年の顔と言葉以外、無感情に、無機質に、強過ぎるチェンソーが全てを薙ぎ払っていた事に気付いたのはとっくに建物が崩壊した後で。
     最後に見た絶望的な顔が頭から離れなくて破壊尽くされた瓦礫の山から立ち去れば、川の水面を覗き込んだ。そこに映し出された姿はどうしようもなく機械的で、暴力的で、少年と過ごしている内に忘れてしまっていた己の姿。
    「…………」
     涙の代わりにチェンソーがカラカラと回って寂しい音を奏でた。一度昇った太陽はまた沈み、周囲を暗闇で包み込んでいく。心臓が締め付けられるような思いだった。こんな感覚は初めてだった。
     誰かに抱き締めて貰いたかった。この身で温もりを知ってみたかった。しかし、それはあの少年が語った夢と同じように、普通の事のようでとても難しい事。
     だからきっと惹かれたのだろう。友情のようで家族愛のようで、そこには確かに何かの形があった。
     あの少年とずっと一緒にいたいと思ってしまった。


     最後に一目だけ会いたいと衝動的に小屋へ向かえば、そこは既に蛻の殻だった。きっと逃げ出したのだろう。それもそうだ、悪魔はどうしたって人間の敵だから。けれども残り香を感じる度にどうしようも無く独りぼっちの孤独が押し寄せて部屋の隅で膝を抱えた。
     この小屋の持ち主は幾度の夜をこうして乗り越えて来たのだろうか。
     小さな命を想いながらただただ一人で泣けない心臓の痛みを抱えていると、不意に小屋の扉が開いた。
    「……ヴァ」
     ガラクタに戻った悪魔を優しく迎える月明かり。
     そこら中を駆けずり回ったのだろう、息を弾ませる小さな命の大きな目からぽろぽろと零れる水滴が綺麗だと思ったのは二度目だった。
     愛される存在には似ても似つかぬ己の声。しかし、悪魔の声も牙もチェンソーも一切恐れぬ子どもは、泣き腫らした目元を拭うと駆け出して腕の中に飛び込んできた。そうして顔を上げて、ぐしゃぐしゃになった顔で笑ったのだ。
    「ただいま。……それと、おかえり」




     ◇





    「俺ぁよ~……アイツら全員ぶっ殺せば借金はパアだなって思った事もあったんだぜ。……それとクソ親父も。……だから……うん、俺達二人で殺したんだ」
     共犯者だな。そう言って目を細め歯を見せる少年の爪の間には洗いきれなかった土汚れが挟まっていた。たった一人で全てを無かった事にしたのだろう。腕に巻かれたボロ布に滲んでいる血を眺めている内に堪らない気持ちに駆られて頬を舐めると、擽ったそうに笑う彼の手が頭部に触れた。添えられた手は、やはり優しくて愛おしくて。
     飛び込んできた体を受け止めようとしたが、両の腕に二本ずつ生えるチェンソーがやわらかな肌を傷付けてしまう事を恐れて動けなかった。少年はそれを見て暫く不思議そうな顔をしていたが、理解したのか今は隣に寄り添ってくれている。
     昔の事、閉じ込めていた記憶の事、それからの事、二人で過ごした日々の事。少年は物語を聞かせるようにゆっくりと今までの事を語った。その話に耳を傾けながら“アイツら”を全員殺してしまおうか、と悪魔が思えば、それに気付いた少年が、もしかして今物騒な事考えてねえか?そりゃ最終手段だぜ、最終手段!なんて、まるで心を読んだように待ったをかけてきたから。渋々頷いておいたが全てお見通しだったようで、これだから悪魔はよ~、と呆れながらも顔を綻ばせる姿はまるで花のようだと思った。

    「……なあ、今日が終わったら一緒に逃げちゃわねえ?」
     その顔から不意に笑顔が消えて、ひっそりと静まり返った小屋で少年が耳打つ。
    「朝陽が昇る前に荷物持ってさ、この町を出てどこか遠くへ行くんだ。死ぬまで借金返し終わる気しねーし、それに……アイツら、ヤクザのヤツら……最近様子がおかしかったんだ。何かを探してるみたいで、デケー悪魔を見つけた時は連絡しろって。その悪魔の心臓は金になる、って……なあ、それって」
     目を伏せる少年の睫毛は僅かに震えていた。
    「オレ、知ってたよ。知っててアイツらに黙ってた。このゴミ溜めみてーな狭い家ん中に匿ってお前は俺が守るんだって、ちっぽけなガキなりに本気でそう思ってたよ。……だってお前は、初めてできた俺のダチだったから」

     ダチ、友達、相棒。
     友達。

    「ヴァン!」
     その響きは悪魔の心を弾ませた。思わず大きな返答をすれば、瞠目した少年が途端に険しい顔をして騒ぎ出す。
    「えっ? ……つうかテメ~~~! さっきも思ったけど喋れんじゃねえか! 俺ぁ今までずっと独り言してるみてぇで寂しかったってのによぉ!」
    「ヴァンヴァンッ!」
    「喋……いや、鳴き声? あはは、何だそりゃ……犬みてーじゃん、かわいい」
    「ヴァ~……」
    「何だよ……あはは、あ、やべ、涙出てきた。クソ~……目玉が一個しかねえからきっと二個分の涙がこっちから出てんだ。あんま見るなよ、恥ずかしいから」
     人間は嬉しい時にも涙を流す。器の中に蓄積する感情が溢れ返った時に、それはキラキラと光を反射しながら零れ落ちるのだ。それなら地獄の生き物の感情表現は一体何だ、と考えていると、ゆら、と動く何かを目端に捉えた。腹から突き出た小腸の先がゆらゆらと、まるで尻尾のように喜を示していたので悪魔と少年は顔を見合わせた。シュッと内臓を体内に隠して知らん振りを試みる。「それ収納できたのかよ……!?」驚く少年が腕を揺さ振ってきたが、ひたすら無視を決め込む。悪魔にだって感情はある。
    「都合が悪い時だけガラクタになりやがって~!」
     喜怒哀楽の表現が豊かな少年は見ていて飽きなかった。一頻り騒ぐと気が済んだのか、今度は悪魔の真似をして膝を抱えながら肩に凭れかかる少年が呟いた。
    「そうだお前……オマエ、名前つけてやるよ。いつまでもお前とか悪魔って呼ぶのもあれだし。知ってるか? 友達同士って名前で呼び合うんだって。俺ぁトモダチいねーから知らなかったけどよ~……オレん名前もまだ教えてなかったよな」
     顔を見上げて、無邪気に笑って、それから楽しそうに。
    「どんな名前がいい? 猫ならきっとニャーコだろ? 犬ならシロ、タロウ、“ポチタ”……」
    「ヴァ!」
    「あ?」
     それはあの日見た、小さな人間の相棒と同じ名前。
    「ヴォイヴァ」
    「ボ……?」
    「ヴォ! ヴィィィ! ヴァ!」
     身振り手振りを交えて必死に伝える。
    「……ポチタ? ポチタがいいのか? でもこれ、犬ん名前だぜ?」
     やがて悪魔の言葉は少年に届いた。そうだ、その名前がいい。ポチタ、ポチタ。相棒の名前。嬉しくなって顔を舐めると擽ったそうにする少年が逃げ惑い、そして呆れた顔にまた花を咲かせて立ち上がった。
    「ぎゃあぉああ……! べろべろすんなあ! は〜……ま、いっか。それじゃお前は今日からポチタだ。お返しに俺の名前も教えてやるよ。デンジ。俺はデンジって言うんだ」

     よろしくな、ポチタ!
     そう告げるデンジに、ポチタは「ヴァン!」と大きく鳴いた。








    (ポチタとデンジ)


     その日、ポチタは初めてヒトの温もりを知った。
     最初は首を振って頑なに嫌がっていたポチタも、「今日は俺の誕生日だ。主役の言うコトは絶対なんだぜ!」という言葉には勝てなかったのだ。狭い小屋の中で精一杯身を縮める悪魔の体に躊躇無く回されるヒトの両腕の柔らかさ。ポチタはもう気が気じゃなくてチェンソーが飛び出る顔は上を向き、刃が生えた腕はだらりとぶら下げ、マフラーのような小腸は体内に隠したまま一寸たりとも微動だにしなかったが、デンジはまるで子犬を愛しむようにその大きな体を抱き締めた。
     機械的な顔に子ども特有のやわらかな頬が寄せられる。成長途中のてのひらがペタペタと体に触れて、そうしてデンジはポチタの心臓に耳を当てた。とくん、とくん、と動く心臓は少しだけ早鐘を打つ。俺と同じいきものの音だ、と呟くデンジは顔を見上げてそれが堪らなく嬉しいのだと教えてくれた。
     体温に誘われ恐る恐るデンジの背中に手を伸ばせば、やっと観念したかよ、と呆れたような声が腕の中から聞こえてきて。沸き起こったのは心が蕩けるような幸福感。ずっと探していたものはここにあった。
     デンジの温もりは、とてもやさしくあたたかい。




     願いはひとつ叶って、またひとつ増えた。

     ――もしこの少年の灯火が消えかけたら、今度は少年の心臓になりたい。
     そうして夢を叶えて欲しい。私に夢を、見せて欲しい。




    『速報です。本日■時頃、■■区■■町に悪魔が出現しました。重症者■人、負傷者■人、死者は今の所確認されておらず、一部地域では建物が半壊状態との情報が――』
     町では不幸を知らせるニュースが飛び交っている。しかし、それが耳に入る事はない。ラジオもテレビも、二人の世界には存在しなかった。
     外の世界から隔離された山の上の小屋で、デンジはポチタを抱き締めながら夢を語る。

     いつか食パンにジャムを塗るんだ。クリスマスにはケーキを食べて、チキンを食べて、サンタがやって来たらとっ捕まえてプレゼントを全部奪ってやる。そんでポチタといっしょに遊びながら楽しく暮らすんだ。ああでも、全部奪っちまったら他の子どもが泣いちまうかも。
     だからさ、しかたねーからサンタから奪うのは一個だけにしようぜ。
     俺とポチタのふたりで一個。ふたりでひとつも悪くないだろ?

     無邪気に笑うデンジに、ポチタは大きな口を開けて舌を出す。
     その顔は、まるで笑っているようだった。
     かつてチェンソーマンと呼ばれた悪魔は、デンジの夢を聞くのが大好きだった。


    幸福論

     少年の幸福は、悪魔と共に。
     悪魔の幸福は、小さな少年の腕の中。
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