クラシックがお気に入り大学内が酷くざわめいた。背の小さい子供が高級車から降りてきたと思えば、学園のマドンナであるアリアを迎えに来たと言ったからだ。それだけでざわめく理由には十分だが、よく見るとその子は車の運転席から降りてきていた。まさか、この小さな子が車が運転出来るほどの年齢だというのだろうか。ざわめきが止まらない周りを気にせずに、小さな子はアリアを囲む親衛隊の元へ、ひいてはアリアを目指して歩き出す。親衛隊がアリアを守るかのように固まった。中心にいるアリアから「雪」と名前が呟かれるが親衛隊の耳には入らない。雪と呼ばれた小さな子は、親衛隊を前に鬱陶しげにため息をついて親衛隊の1人を押し退けた。
「きゃあ!」
悲鳴が上がる。今度は別の意味で周りがザワついた。押された子は隣の子に支えてもらったお陰でなんとか立てている。仲間を押し退けた雪を、親衛隊のほとんどが睨みつけた。敵意溢れるその視線を雪は気にもとめない。邪魔をする親衛隊を強制的に退かせて、雪はアリアの元へたどり着いた。無表情のまま「アリア」と彼女の名を呼ぶ。
「迎えに来たよ」
「ありがとう雪、嬉しいわ。でも何も言わずに押し退けるなんて皆が可哀想よ」
「邪魔だったんだもん。さ、帰ろ」
「ええ」
いつもと変わらない凛とした笑顔でアリアは雪に笑いかける。親衛隊にした行為について、口ではダメだと言っているが、その実アリアは余り気にしてはいない。雪が自分を迎えに来てくれた。その事実が何より嬉しいのだ。先程まで会話を弾ませていた親衛隊に別れを告げて、アリアは雪の隣へ移動する。アリアの知人に親衛隊は下手に口を出せず、雪へ不満げな視線を投げつつも何も言えなかった。が、親衛隊じゃなければ話は別である。遠くから一連の流れを見ていた人達は、次々とあることないことを喋り出す。あの子はヤクザの娘じゃないか、本当にアリアの友人なのだろうか、そもそも彼女は人間ではないのではないか。あらぬ方向に飛んでいっている噂たちをまとめた結果、雪という人物はヤクザの娘で、人間を何人も殺したことのある冷酷無比な子だという話が固まりつつある。勿論アリアと雪の耳にもその話は入ってきているが、周りからの印象など2人にとってはどうでもいい。無視して早く帰ろうとしていた2人の前に、1人の男が立ち塞がる。ヨレヨレの服を雑に着て、ボサボサの髪にボロボロの肌。はて、こんな小汚い人間が私たちになんの用だろうか。雪__狐雪は周りにとことん興味が無いので、そんな失礼なことを考えていた。アリアもその人物に覚えがなく何用だろうと首を傾げている。男は2人の様子を気にすることなく、だらしない口元を隠さずに問いかけた。
「その子ってまさかアリアちゃんの隠し子的な?すました顔して彼氏と盛り放題じゃんwwとゆうか子供に車の運転とかさせちゃだめだよwwちゃんと教育しろってw」
「……」
上機嫌だったアリアが下唇を噛んだ。言いたいことを必死に飲み込んだその動作を見て、狐雪はアリアの手を握る。指と指を絡ませて、決して離さないように。狐雪の行動にアリアは呆気に取られていた。狐雪は空いている片方の手で自分の鞄を漁り、1つの免許証を取りだした。運転免許証と黒字ではっきりと書かれている。
「私、狐雪って言うの。年齢は言えないけど、少なくとも貴方たちより年上だし、ちゃんと免許も持ってるよ。お願いだからあんまり私の恋人が悲しむ事を言わないで」
「ちょっと雪……!?」
ちゅ、と可愛い音が鳴った。狐雪がアリアの手の甲に1つ、キスを落としたからだ。静まり返っていた場が一気に湧き上がる。写真を撮るもの、噂話に拍車をかけるもの、顔を真っ赤にして俯くもの、倒れ込むもの、他者多様である。当の本人である狐雪はさっきから変わらない無表情で、アリアは複雑そうな顔をしていた。立ち塞がっていた男は何も出来ずに立ち尽くしている。アリアに暴言を吐き、傷つけた。そんな男を親衛隊が放っておくはずがない。いつの間にか男は親衛隊に囲まれていた。親衛隊のことなど大っ嫌いな狐雪だが、今は彼女たちに男の処分を任せておくことにする。きっとそれなりにやってくれるだろう。騒ぎから抜け出すかのように、少し早足で狐雪は車へ向かう。アリアを助手席に乗せて、狐雪は車を走らせた。大学がみるみるうちに遠ざかっていく。信号待ち中に、狐雪は車内に流れる音楽をクラシックから洋楽に変えた。くすりと笑うアリアに気づいて、バツが悪そうに顔を斜めにずらす。
「そんなに機嫌が悪いの?雪」
「……なんのこと」
「洋楽にする機嫌が悪い時でしょう?貴女の恋人だもの。それくらい気づくわ」
「耳がいいんだね」
「洋楽が好きなのよ」
皆のいるシェアハウスまでそう遠くは無い。駅にして3駅とちょっとの距離だ。車だとすぐについてしまう。そんな短い時間だから、アリアは少しだけ弱くなれる。
「……私ね、とっても嫌だったわ。貴女を見る皆の好奇の目も、低俗な噂話も。私のことを悪く言われたのも悲しかったけれど、それ以上に貴女が面白がられるのがすごく嫌だったの」
「私も嫌だったよ。皆アリアのことちゃんと見てくれてないんだもん」
「…雪は私の事、どう思ってるの?」
「綺麗で意外と天然な私の可愛い恋人」
「…恋人以外全部大外れね」
シェアハウスが見えた。駐車場に車を止めてエンジンを切れば、当然の如く洋楽も途切れる。車から降りよう。そう思っているのにアリアの体は動かない。暫く動けないでいると、エンジンがかかって洋楽がかかり出す。シートベルト、と狐雪が単語だけ言って、また車が動いた。アリアが驚いて狐雪の顔を見るけれど、いつもの無表情だった。
「花屋に寄るつもりだったのにすっかり忘れてた。教室にね、花を置こうと思って。ねえアリア、付き合ってよ」
「…紫陽花は花瓶には飾れないわよね?」
「店員さんに頼めば何とかなるかもよ」
音楽が洋楽からいつものクラシックに変わる。アリアは窓に寄りかかった。気付かない内に結構な時間が経っていたのか、夕日は落ちかけていた。