ネーヴェが刺される話「ネーヴェくんが刺された!」
大学できゃあきゃあ喚く女子たちがそう言ってまわっていた。ネーヴェが刺された。誰に、どこで、今あいつは?色んな疑問が浮かんで、でもわざわざ僕が見に行ってやる義理なんて。葛藤している間にも自然と足は人の集まる場所に向かっていた。大勢の人をかき分けて、最前線でその姿を拝む。蹲るネーヴェと、血に濡れた刃物を持った女。服装も見た目も普通の女が、ネーヴェを見下ろしている。血にまみれるネーヴェを認識したからか、目をかっぴらいた。
「王子様……あ、え?なんで…?お、王子様?なんで」
「お前が刺したからでしょ」
「そ、んな、わけ、、」
「じゃあその刃物は?なんで血に濡れてんだよ」
「ち、が、あ……あ、ああ、!?」
ぶるぶると手を震わせて、女は喚いた。刺したのは間違いなくこの女なのに、どうやら本人は分かっていないらしい。わけも分からず刃物を振り回しながらこっちに向かってくるから、思わず蹴ってしまった。手に持っていた刃物は宙を舞って、からんからんと床に落ちた。女は地面に倒れて動かない。意識を失ったらしい。真っ青になった顔は、隈も相まって相当気色の悪いものになっている。
「……ねえネーヴェ、唸ってないでなにか言いなよ」
「……たすけ、て」
「もう既にお前の取り巻きが救急車なりなんなり呼んでるでしょ。そんな言葉が聞きたいわけじゃない」
「あ、…りが…」
「それも聞きたくない」
分かっているだろうに言わないネーヴェに腹が立つ。蹲ったネーヴェにわざわざ目線を合わせるために片膝をついて、顎を掴む。血の気のない青白い顔は見慣れない。虚ろな瞳がこちらを呆然と見ていた。
「何言えばいいか、わかるでしょ」
わざと微笑んでやれば、唇を噛んで目をそらす。言いたくない、なんて理由で逃がしてやるものか。顎を掴む力を強くすれば、眉をしかめながらまたこちらを見る。はく、と口が何度か動いて、長い沈黙が続いた。
「……………………ごめ、ん」
「なんだ、ちゃんと謝れるじゃん」
弱々しい声だった。これだけ近くにいても聴き逃してしまいそう。ぱっ、とネーヴェから手を離した。ポケットから折りたたみのナイフを取り出して、ネーヴェに切っ先を向ける。きゃあ、なんて声が上がったが周りの反応などどうでもいい。気になるのはネーヴェの反応だけだ。ネーヴェはうろたえることも無く真っ直ぐ僕を見る。向けられているナイフと僕を交互に見て、ため息をついた。
「刺、し、たい?」
「そりゃあね。でも今回は我慢してあげる」
「は、、優しい」
「ちゃんと感謝しろよ」
小さなサイレンの音が聞こえてくる。救急車やらなんやらがやっと来たのだろう。それがネーヴェにも聞こえたのか、明らかに安心した顔をした。力が抜けたのか、へたりと後ろに倒れ込む。そのおかげで、ようやく刺された場所がわかった。胸よりは低く、腹よりはちょっと高い場所。腰あたりから血がひろがっている。真ん中より左によった場所。内臓への損傷はなさそうだし、すぐ治る傷だろう。だけど、許せるわけが無い。
「僕は自分のおもちゃを他人に貸したりしない」
「う、ん」
「他人に盗られたり、壊されたりなんて以ての外」
「そ、だろう、ね」
「だから、結構怒ってるんだよ」
ナイフの切っ先を少しだけ当てて、ネーヴェの頬をなぞる。つぅ、と赤い線ができた。こんな傷より痛む場所があるからか、反応はない。それにも腹が立つ。ナイフを折りたたんでポケットにしまった。不思議そうにこちらを見るネーヴェは意味がわかってないらしい。どうでもいい事には気づくくせに、なんでこうゆうのには鈍いんだ。
「お前は僕のおもちゃなんだから、傷つけていいのは僕だけだし、壊していいのも僕だけなんだよ。ちゃんと自覚しろ」
「…あ、はは、りょー、かい」
綺麗な笑顔を見せて、ネーヴェは気を失った。サイレンの音が徐々に大きくなって、救急車とパトカーが校内に乗り込んでくる。白い服に包まれた人間が何人かこっちにきて、担架にネーヴェが乗せられ運ばれていった。同行するか尋ねられたが断った。付き合ってやる道理などない。サイレンはそのままに、救急車は病院へと帰って行った。気絶した女は手錠を掛けられてパトカーに担ぎ込まれた。野次馬たちは一安心したのか散っていった。残ったのは僕だけ。さてこれからどうしようか。思考を巡らせていたらスマホが振動した。見てみれば狐雪からディナーのお誘い。のるつもりはなかったけど、奢りと食べ放題の文字につられて、大学とだけ返事をした。すぐに迎えがくるだろう。今日はこの後やけ食いするという予定が立てられた。
数分後に狐雪が来た。狐雪も僕が大学にいるのを予想してたらしい。周りを見渡してから僕を見る。
「ネーヴェは連れていかないの?」
「あいつなら刺されて病院だよ」
「あらら。じゃあ今日は帰れないか。アリアに伝えとかないと」
後部座席のドアを開けて車に乗り込んだ。車内には当たり障りのないクラシックが流れている。僕が乗ったのを確認して、狐雪がエンジンをかけた。景色が高速で流れていく。外はまだまだ明るかった。