♯キスの日思えば若かったあの日。初めて会った時、なんと簡単に触れてしまったのだろう。
もう一度その髪に触れてみたい、そう思い始めてから成就するまでには、随分と時を要した。
休日の人気のない小さな公園での逢瀬だった。散策の合間の休憩にと噴水の縁に隣り合って腰掛けて、ふたりの馴れ初めを思い起こす。
細かいしぶきを浴びている冷たそうな今日のその髪や肌の感触を確かめてみたい。
美しい恋人を眺めながらそう考えていると、不意にリュミエールの白い手が伸びてきて指先が自らの頬に当てられた。
嘘だろうと驚きつつも、思わせぶりなその手を握り返し、体を寄せて華奢な唇へ軽いキスを返す。
オスカーにとってそれは殆ど条件反射のようなものだった訳だが。
キスの後にリュミエールがそっと肩にもたれてきた。それでようやく、自らの対処が正解だったと確信して内心安堵する。
「おい、珍しいじゃないか。どういう風の吹き回しだ」
訊ねずにはいられなかった。
珍しいなどというものではない。恋人からキスをねだられるのなんて初めてだった。ましてや、誰が目にするかも分からない場所で、そのまま体を預けてくるというのだから。
色事において百戦錬磨を気取るオスカーだからこそ、楚々とした恋人から示される素直な愛情表現には弱い。そんな自覚はあった。
「何となく……」
リュミエールは呟くように言った。
「もしかして、俺に惚れ直したか?」
「さあ……?どうでしょう」
言葉は曖昧に誤魔化されてしまっていて、全く腑に落ちない。
それともこれは恋の駆け引きのつもりなのだろうか。そんなものは恋人の性格とはあまりにかけ離れた行為だが、しかし思わせぶりな口調などは正にそうだろう。
変に意識してみれば、おかしな態度になってしまいそうで、オスカーは表情を作って切り返す。
「駆け引きか?だが俺を翻弄するには十年早いぜ」
リュミエールは顔を上げると、オスカーを見て微笑んだ。余裕に満ちたその表情は、初めて逢った十七歳の彼が見せた笑みを、痛切に思い起こした。
「ではいずれ、という事ですね」
ああ、やはり敵わない。
十年後が楽しみだ。
了