モザイクの魔術師 5中編3☆
「ガサツですねぇ」
米をといでる横から、メジロさんの呆れたような声が飛んできた。目の届くところにいてくれるのは助かるが、小姑の真似をしろとは頼んでない。
「そんな力任せにお米をといだら割れちゃいますよ」
「悪りぃな、米のセットなんて久しぶりなもんで」
いつもなら、かりんの仕事だ。
だが今日、こんな時に二階から引きずり下ろしてやらせるようなことでもない。たぶん本人も忘れているだろう。それでいい。
「今も銘柄はキララですか? 最近の新品種に鞍替えしないんですね」
「海猫支部長が、新しいのは美味すぎてあわねぇってよ」
「?」
「イカの旨さが霞むってさ」
隣で、ウシガエルがスキップしながら鳴いてるような低音が響いた。ご機嫌で何よりだ。
さっきまでの、この世の終わりみたいな顔でいられるよりはマシである。
屋根の上でメジロさんは、例の薬を乱暴に飲み込んだ。笑っちゃいるが真っ青だ。
こんな機会だから聞いてみた。
「あんた、石耳だろ。ヘッドホンつけろよ。情報過多で倒れるぞ」
「イヤーマフです。『盗み聞き』できることは僕の強みなんですよ。中途半端な能力も使いようです」
確かに、鼓膜と内耳に見える結晶は、ピパさんやハタさんのに比べたらかなり薄い。にしたって。
「それも、刑罰の一種か」
「…そうかもしれません」
「MSP発症しても、助けらんねぇぞ」
「MSPは心配ないですよ、せいぜい立てなくなって耳掻きむしる程度です。そっちより…」
「リュウグウの血が暴走したら、か?」
「はい。絶対そうならないようにはしますが」
「だろうな。なんでか知らねぇが、鏑矢の奴にゃ見せらんねぇんだろ、その素顔」
メジロさんの笑顔が瞬間冷凍され、ムリヤリじわっと解氷された。
「…だからイヤなんですよ、石目は。どこで気が付きましたか」
答える前に、2人が戻る合図が来た。
米をセットし終わってから、上の様子をちょっとだけ確認する。ヒメジさんは心配な様子ではあったが、俺らが出張っても何もできない。
麦茶を用意して卓袱台に陣取った。
「さぁ、話してもらおうか!」
メジロさんも、上に耳をちょっと向けてから「いいでしょう」と髪をかき上げた。
瞬間、髪の色が白くなった。変身を解いたのだ。
男か女かわからないと噂だった、例の顔立ち。俺は写真でしか知らないが、それでもすぐ誰だかわかった。
「どこで気が付きましたか」
顔に似合わぬ低い声には、感情を必死に押し殺してる圧力があった。草生の喋りに似ている。
「かりんの様子がおかしくなった時、ビックリして一瞬目元の変身が解けたろ」
「…これだから石目は」
メジロさんの足元に、くつくつがすり寄った。普段から具合悪い人にしか寄ってこない奴だが、こんな友好的な態度は見たことがない。
「僕のこと覚えててくれたの…ありがとう」
普段のですます調が消えた。おそらく本来の喋り方なんだろう。
鏑矢雅之ことメジロさんは、愛おしそうに老猫を抱き上げた。
「…ってコトは、やっぱりあの履歴書はデタラメなんだな」
「いいえ。あれは『浩さん』の履歴なんですよ。こちらの」
メジロさんはそう言って変身した。その途端、くつくつが光の速さで逃げていった。この顔を主とは認めないらしい。
くつくつを細い目で見送りながら、メジロさんは履歴書をザックリまとめた。
「この人は本当に、金目当てに親に売り飛ばされて、粗悪な石の実験台にされたのです」
「同じように実験台にされる動物が沢山いたそうですが、一匹、仲のいい黒猫がいたんですって。その彼女がある日、子を産んで…一匹だけ、こっそり逃すことができたそうです。
…僕が、あの日あの病院で、殺されかけた時に思い出した、くつくつが…その時の子猫なんじゃないかって。足の先が白い黒猫。間違いないって。
たったそれだけのことで、あの人は僕を殺すのをやめました」
メジロさんは、くつくつが去った先をまだ見ていた。
「浩さんは、くつくつのことを聞きたがりました。僕は出来るだけ伝えました。地獄のような病院で、僕らは猫の話をしてたんです」
石耳同士だ、実際には今のようにベラベラ喋ってなんかいないだろう。そもそも、富良野のアジトで逃した子猫が、箱果で拾われるものだろうか。が、野暮なツッコミはやめて先を促した。
「浩さんは、くつくつに会いたがってました。この人は、自分のやったことも、されたことも、美味しい食事も、箱果がどこかも知りませんでしたが、きっと会いに行くと。
けど…仲間の破壊に巻き込まれました」
台所から、くつくつが顔を出した。
「浩さんは、僕の石耳を奪おうとしましたが、間に合いませんでした。
だから僕が彼の石耳を奪いました。今際のきわの願いを叶える方法が、他になかった」
「随分とお人好しじゃねぇか。結局殺されかけたってのに、叶えてやる必要あったのか?」
メジロさんは薄く笑った。
「ピンとこないですよね。剥き出しの本心を聞き合える石耳は、強い念に引きずられることがあるんです。その時の僕がそうでした。命懸けの感情を至近距離で浴びてしまった。冷静じゃなかったと思います。だからって許されるわけでもありませんが」
理解はできなかったが、それ以上聞くのはやめた。
きっと、石耳ではない俺に全部はわからないだろう。
台所から、くつくつがこっちにやってきて、メジロさんに背中を向けて座った。
猫ができる最大限に不機嫌な顔をしていたが、メジロさんが(浩さんの顔なのに)背中に触れても逃げなかった。話を聞いていたのかもしれない。
「貴女は優しいですね」
「貴方も、言いたいことがあるなら、我慢しなくてもいいですよ」
猫らしからぬ我慢をしているくつくつを撫でながら、メジロさんは言った。多分、俺に言ったんだろう。
確かに色々気になることはあった。が、とりあえず自分のことから片付けることにした。
「石耳だろ、言わなくても聞こえてんじゃねぇのか」
「ある程度は。ただ言葉にしてもらう方が楽ですね」
「ふん。そんなでも、俺が本当に重婚も違法石所持もしてないってことくらいは、もう聞いてわかってんだよな?」
メジロさんは細い目をコッチに向けて口の端を上げた。
「なら1週間も、ここで何を調べる気だよ?」
「これだから石目は」
メジロさんが雅之の姿に戻ると、くつくつが飛びついた。
「何でも見てるくせに自分の手元は見えてない。
あなたも疑問に思ってるんでしょ? ハタさんや僕が、どうして貴方に襲いかからないか。
そのことですよ」
「なっ……⁈ わかるのか?」
「わかってはいますよ。貴方より美味しそうな石を持ってる人がそばにいますので」
「⁈」
「けど、どうしてそんなことになってるかまでは…どうやらご本人もわかってないようなので、そこを調べる必要があります」
「……なんだと⁈」