黄泉竈食ふっと目を開けると、知らない誰かの腕の中に居た。
暖かいとか冷たいとかは無くて、一瞬で自分を抱いているのは人ではないと気付く。
「起きてしまったのかい?寝ていた方が良かったのに」
人じゃない誰かが、優しく俺の顔を撫でる。
まだ寝てなさいと言いながら、目蓋を閉じるように撫でられた。
誰と聞こうと開こうとした口に、指を当てられてシーッと言われる。
「ここの連中は狂暴だからね、君が話すと忽ち臓腑を食い荒らしに来るよ」
怖くてぶるりと震えると、人じゃない誰かはふっと笑う。
可笑しな事を言ったのかと思って見上げると、大丈夫だと言われた。
「君はまだ四つだからね。神様のモノだから、簡単には手を出せないよ。勿論、私もだけど」
不思議な事を言われて、尚更分からなくなって首を傾げる。
「おーい、おーい、史彦ちゃーん」
お婆ちゃんの声がして、腕の中から顔を上げようとしたら止められた。
何でと視線を向けると、今まで笑っていたのに怖い顔をしていた。
怒られたんだと察して、指で胸にごめんなさいと文字を書く。
すると、擽ったかったのか声を出して笑われた。
「君さぁ。ははっ、本当に面白いな。まだ私のモノに出来ないのは残念だけど、待つのは嫌いじゃないよ。それより先に、有象無象を蹴散らしておくかな」
歩くリズムが変わったと思ったら、後ろから呼んでいたお婆ちゃんの声が恐ろしい化け物の声に変わる。
悲鳴にも似た断末魔に、声が出そうになって口を塞ぐ。
「もう少しだから、我慢してね」
ぎゅっと強く抱き締められて、歩くスピードが上がって走っている事に気付いた。
大丈夫なのか不安になってしがみつくと、真っ暗だった場所に光が射し始める。
「よし。もう大丈夫だよ。振り向かないで、前だけ見てお行き。七つを過ぎたら、また君に会いに行くからね」
そう言われて、気付けば家族が俺を抱き締めて泣いていた。
遊んでいた時に、突然俺だけが居なくなってしまったとの事だった。
俺は前後の記憶が曖昧で、要領を得ない話に大人の方から打ち切られてしまったのだ。
でも、俺はあの人じゃない誰かの事が忘れられなかった。
そんな話を友達の羂索にすると、羂索はそうなんだと言って静かに笑った。
「史彦の話、私は信じるよ」
「マジ?誰も信じてくれなかったから、嬉しいかも」
羂索に信じて貰えて嬉しくて、にやける顔を必死に抑える。
「そうだ。史彦、これ食べる?」
「何これ?」
「柘榴だよ。珍しい果物だけど、美味しいよ」
「美味しいなら食べてみる。俺の食レポ聞いておけよ!」
「はいはい。面白かったらね?」
期待していない羂索から柘榴を受け取って、一口食べてからふと気付く。
俺と羂索は、一体何処で知り合ったのだろうか。
学校にも、近所にも羂索は居なかった気がする。
それなら、羂索とは何なのだろうか。
さらりと揺れる黒髪と、うっすらと覚えている額の縫い目。
「あ……」
食べ掛けの柘榴が手から落ちて、カタカタと体が震え出す。
「どうしたの、史彦。食レポは?」
「だ、だれ……お前っ、何なんだよ!?」
「あぁ、思い出したのかな?君が黄泉の国に迷い込んだ時の事」
俺を抱いて、逃がしてくれた人じゃない誰か。
伸ばされた手から逃れたいのに、体が動かなくて目に涙が溜まっていく。
「泣かないでおくれ、史彦。ずっと私は待っていたんだよ、千年を越えて君だけを」
冷たい手が俺の頬を包んで、綺麗な笑みを浮かべた羂索が俺を優しく見つめていた。
「千を越えた辺りから数えるのを止めたんだけどね、あぁ。史彦、髙羽。やっと君が神の手から離れたんだ。私の元に漸く、漸く連れて逝ける」
うっとりとした様に話す羂索に、首を横に振ると羂索が喉奥でくくっと笑う。
「黄泉竈食をしたんだから、もう君は還れないよ。大丈夫さ、私が亡者共から守ってあげるから。嗚呼、愛しているよ史彦」
嫌だと叫んだ俺の声は誰にも届く事無く、黄泉の国へと消えて逝ったのだった。