お酒は楽しく飲むのが一番だと豪語するマスターの意向は、俺は賛同出来て好きだった。
芸になる職を探していてと素直に面接で言ったら、笑った後に色々と大変である事を教えられた。
それと同時に、このバーは酒を提供して楽しんで貰う場所であり、犯罪や悲しい事を作り出す場ではないとマスターが語った。
芸人にも通ずる所があったから、バイトするならここでと決めてバーテンダーになった。
練習は大変だったけど、覚えてしまえば簡単だった。
「何より隠し芸大会で御披露目しても、恥ずかしくないしな!」
「髙羽の場合は、バーでバイトしてるの有名だから隠し芸でもないだろ」
「いや、先輩ー!そこは内緒にしてくださいよぉ」
「髙羽、バーテンダー似合ってるし、このまま本職にしちゃえば?芸人よりかは食っているぞ?」
「それはないです。芸人やりたいし」
元々芸人を続ける為に、やり始めたバイトだった。
だからバーテンダーを本職にするつもりはないが、ちゃんと任された事だけはやろうと思う。
それに、まだ俺はこいつだと思える相方にも出会えていない気がする。
ずっとコンビを組んでやって来たけど、何処かで違うと思っては解散を繰り返してした。
最後の相方と解散してからは、今はピンでやっているけど駄目だった。
「そっか。俺は応援してるぞ?じゃ、次のバイトだから」
「お疲れ様でーす、先輩!」
最後のグラスを拭き終わった先輩は、俺に手を上げてバックヤードに向かっていった。
昔はバンドマンだった先輩も、気付けばバンドを辞めてバーテンダーを本業にしたらしい。
今は店を持つ為に、バイトを何個か掛け持ちしているらしく忙しそうだった。
「……諦めたくはないんだ」
どんな奴と組んでも、何処か違うと思って擦れ違いを毎回起こして解散していた。
ずっと誰かを探している気がしたけど、それが誰かは俺には分からない。
「あ、店開けないと」
ドアを開けて、札を返してからカウンターへと立つ。
人が来るまでは、ゆったりとした時間が流れていく。
俺はこのゆったりとした時間も好きで、頭の中でこれだと言うネタを練る時間にも使っていた。
カランとドアが開く音がして、頭をバーテンダーに切り替えながら入ってきた客に挨拶する。
「いらっしゃい」
一番目の客は、塩顔のイケメンだった。
ほぼ常連客になっているこの男は、何故か俺が居る時だけ現れるらしい。
先輩がそう言ってるだけだが、多分気のせいだと思う。
「考えてくれた?」
「へ?」
「君さぁ、ホーセズネックの意味を知らないとか言うの?バーテンダーとして、それはどうかと思うよ。カクテルには、色々味や種類もある。思案者の考えも、そのカクテルが作られた背景もね。それを客に説明出来ずに、提供するのはどうかと思うよ。いい雰囲気になった所で、空気の読めないカクテルを注文されたら、こっそりと変えてあげたりするのが君達の仕事じゃないの?」
「は、はい」
ホーセズネックについては、この男が帰った後に意味をこっそりと調べた。
カクテル言葉と言って、一部のカクテルにはそう言った言葉があるらしい。
イケメンだから、卒なくそう言った事が出来るのだろう。
俺はレシピと作り方を覚えるのに必死で、そっちは次に覚える項目だった。
言い訳がましい事を考えて、ネタのダメ出しされた事を思い出して少し泣きそうになりそうだった。
泣いたら駄目だと堪えていたら、男が溜め息をついた。
「泣かせたい訳じゃないんだけど。考える暇を与えた私の責任だし、コンビ組もうか。あ、君には拒否権はないよ。あと、忙しくなるようだしマスターにはシフト減らすように伝えているから」
「え?は?ん??何でマスター?」
「あぁ、マスターとは親しくてね。それで、髙羽。返事は?」
「は、はい」
有無を言わせぬ圧で、俺は男の提案に首を縦に振るしかなかった。
「私は羂索。次からは名前で呼んでくれるよね?注文は、君からの返事がいいな」
「か、カクテルの言葉。調べながらでもいい?」
「……お疲れ様でしたって言われたい?」
泣きそうになりつつも、必死にカクテルの言葉の意味を調べてから男。羂索へ返答のカクテルを作った。
「ご注文のお品です」
「ブランデー・クラスタ。………ははっ、本当に君って。面白いね」
カクテル言葉は、時よ止まれ。
何となく、羂索にはこれを渡すのが正解な気がしてこのカクテルを作って出した。
すると羂索は、俺の作ったブランデー・クラスタを見ながらふっと笑ってグラスに口を付ける。
カクテルを飲む姿すら様になる姿に見惚れながら、後ろからドアが開く音がして客へ声を掛けた。
◆◆◆
羂索は、カクテルを飲みながら少し離れた席に座っている男女を見ていた。
このバーのコンセプトは、カクテルを楽しむ場であってナンパをする場所ではない。
「バーは初めてって言ってたし、俺が頼むね?」
「あ、有り難うございます」
あからさまに困った様子の女の子に、状況を察して男が頼む酒の種類に注視した。
男に呼ばれて近くに向かうと、男はノンアルカクテルを注文していたが、女の子には別の物を渡すように告げられた。
「俺はサラトガ・クーラーで、この子にはブルーマルガリータを」
頼まれたカクテルは、テキーラを使うアルコール度数の高い物だった。
羂索も注文内容が聞こえたのか、俺の方を見ていたがこれはご法度だ。
酔った女の子に手を出しかねない男の所業に、顔には出さずに了承してから女の子には別の物を用意する事にした。
ブルーキュソーを使うカクテルは、男が女の子に注文する場合は見極めが必要だった。
睡眠薬を入れられる可能性もあったし、何よりブルーキュソーを使うカクテルは度数が二十を越える物も多い。
だから、別のアルコールが入っていないカクテルに変えた。
「お待たせいたしました。シャーリーテンプルです」
「え、注文されたのは」
「お客様には、こちらがお似合いかと思いまして」
女の子に渡したのは、ノンアルで女の子に人気のノンアルカクテルだ。
男はムッとした様に俺を睨みながら、でかい声を上げる。
「客が頼んだのと別の出すなんて、どんなバーテンダーだよ!折角のムードが台無しだろ!」
「お客様。他のお客様も居るので、お静かに」
シーと指を口に当てて、静かにするように注意をした。
「お前っ!」
「きゃっ!」
席を立った瞬間、羂索が男の肩に腕を回して無理矢理座らせる。
突然の事にポカンと呆けていると、羂索は怯えている女の子に指を指していた。
一先ず、怯えている女の子にシャーリーテンプルを差し出しながらカクテルの意味を教える。
「バーテンダーの俺が言うのもあれだけど、お酒を飲む相手には用心深くね?そんなの余計なお世Wi-Fi!!」
持ちネタを披露すると、女の子は一瞬理解出来なかったのか真顔で固まっていた。
スベったと思ったら、女の子はぷっと吹き出して笑ってくれた。
「面白いですね、バーテンダーさん。これ、いただきます」
「味には自信あるから」
女の子が一口飲んだ時に気付いたけど、連れの男が羂索と消えていた。
何処に行ったのかと思えば、ドアが開く音が再び鳴って視線を向けると羂索が店に入ってきた。
「あれ?」
「あぁ、彼かい?急用を思い出したらしくて帰ったよ。それと彼女に、タクシー代って」
そっと女の子にお金を手渡して、自分の座っていた席へと戻る。
さっきまで俺のギャグで笑っていた女の子は、羂索へと釘付けになっていた。
しかし羂索の視線は俺に向いていて、気まずい雰囲気になりそうになったのを自分で作ったサラトガ・クーラーを飲み干した。