愛玩動物旅人に招かれた摩訶不思議な居住空間、塵歌壺。璃月仙人の力で作られたこの場所には旅人と縁あるものが招かれている。仙人といえば伝説上の存在だが、実際に仙術で構築された空間を体験すればアルハイゼンとて疑う余地は無かった。
「ああ~、可愛い~」
そんな塵歌壺で、間抜けな顔と声を晒しながら猫と戯れる成人男性が一名。
「猫、いいなあ、癒される……なあ、アルハイゼン」
「本を汚されたくない。世話も躾も面倒だ。第一、俺の家には既に酒代のかさむペットがいる。これ以上は飼えない」
提案が言葉になる前に却下すると、子犬のようにきゃんきゃんと文句を言い始めた。やはり、小うるさいペットをこれ以上増やすわけにはいかない。
「君は猫と和解すべきだ。見なよ、このうつくしい毛並みにしなやかな尻尾。猫という生き物が生存競争に勝ったのは、人間に愛されたからだという説もある。僕は間違っていないと思うよ」
「では君も俺に愛される身なりと態度を意識したらどうだ?」
カーヴェは数秒固まった後、ひくひくと口元をひきつらせた。彼の手に抱かれていた猫が液体のように地面へ滑り落ちる。
「……急に気色の悪い冗談を言わないでくれ」
「養われているものとして、猫を見習うようアドバイスするのはおかしいか? 君こそ生存競争の勝者に倣うべきだろう」
滑り落ちた猫はこちらの足元に駆け寄り、ブーツに身体を擦り付ける。毛の掃除が面倒だ。
「ほら、そんな性格の悪い男の脚に擦り寄ってないで、こっちへおいで」
カーヴェはちょいちょいと手まねきしたが、猫は反応しない。試しにこちらが手を差し伸べてみると、するりと腕の中に納まった。腕の中の毛玉はごろごろと喉を鳴らし、満足そうに目を瞑っている。
「成程、どちらが自分を養える人間なのか判別ができるのか。賢い猫だ、評価を改めよう」
「君ねえ……! っ、ああもう、それなら僕の代わりにその子を飼えばいいんじゃないか」
カーヴェの声に驚いたのか、腕の中の猫は目を開けた。澄んだ青色の瞳は確かに、美しい。
「飼われている自覚はあったんだな。結構なことだ」
「決めた。僕はもう喋らないぞ。どんな言葉を返しても詰ろうとしてくる相手と会話なんかできっこないからね」
「事実を述べただけだが?」
完全に機嫌を損ねたようで、カーヴェは無言を貫き住居の方へ歩き出した。揺れる外套に気を取られたのか、猫は再び腕から滑り落ち、カーヴェの後を追う。
「あっ、こら、くすぐったい……君、アルハイゼンの方が良いんじゃなかったのか?」
みゃうみゃうと鳴く白猫と格闘する男を眺める。猫は愛されたから生き残ったという説に関して、実のところアルハイゼンも同意していた。金もかかる。世話も焼ける。そのくせ、死ぬほど役立つというわけでもなし。それでも傍に置きたいと思うのは――
「(……)」
その言葉は心の中ですら口にするのを憚られる程甘ったるくて、アルハイゼンは静かに目を閉じた。