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    yushio_gnsn

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    yushio_gnsn

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    アルカヴェ
    カーヴェにおやつを作ってもらって昔を思い出すアルハイゼンの話です。

    ハニートゥルンバの香る午後昼食を食べ終わると、自分の部屋に戻って仮眠をとる。三十分ほど意識を落とした後、目覚めたら窓際の椅子で本の続きを読む。黙々とページを捲っていると、決まった時間に祖母の声がして、それを合図にいったん本を閉じる。今日のおやつが何であるかは、キッチンからリビングに流れ込む甘い香りですぐにわかった。
    牛乳で煮出したコーヒーと、手作りの甘いお菓子。読書の間に挟まれた優しい時間。
    それがアルハイゼンの、ささやかで、かけがえのない楽しみであった。

    ***

     目を閉じていたら、いつものように甘い香りが鼻孔をくすぐる。部屋まで香りが漂ってくるということは、扉を開けっぱなしにしていたのかもしれない。今日のおやつは何だろうかと半分眠った頭で考える。鼻先に意識を集中すると、深みのある香りの中にスメールローズを感じた。
    「(あぁ、ハニートゥルンバか)」
     目を閉じたまま確信し、ふふ、と口元が緩んだ。蜂蜜は、蜜をとった植物の種類で風味が大きく異なる。用途によって違う蜂蜜を使うのが祖母のこだわりであり、ハニートゥルンバに使うのはいつもスメールローズ由来のものだった。シロップの香りがするということは、もうすぐ出来上がるということ。そろそろ名前を呼ばれる頃だろうかと思ったとき、予想通り部屋の外から声がする。

    「アルハイゼン、おやつを作ったんだけど、君も食べるかい?」

     ぱちん、と夢の泡ははじけて、まどろみから引き上げられる。ドアの隙間からひょっこりと顔を出したのは祖母ではなく、カーヴェであった。
    「……………………」
     今見たものを夢というべきか、過去の記憶の断片というべきか、判別がつかない。未だ現実が追い付かず、思考は止まったまま。なぜなら、ついさっきまで、自分は祖母がおやつを作ってくれているものだと本気で信じていたのだから。
    「……すまない、寝てたか?」
    「いや」
    沈黙したまま虚空を見つめる様子を不機嫌と捉えられたのかもしれない。エプロン姿のカーヴェは眉を下げて、おずおずと次の言葉を待っている。学院祭の後、若干態度が軟化したこの男だが、ここまで素直に謝るのは珍しい。そんな控えめな態度と、先程の夢があいまって、腑抜けた態度をずるずると引きずってしまった。
    「で、ハニートゥルンバ、いる?」
    「うん」
     覚醒しきっていない頭で即答した。なぜかぎょっとした様子のカーヴェをぼんやりと眺める。食べるか、と聞かれたから返事をしただけなのに。
    「あ……あぁ、そう……じゃあ、向こうで待っててくれ。今コーヒーを淹れるから」
    「牛乳で煮出したやつ」
    「……は?」
    「今日は牛乳入りが飲みたい気分だ」
    「別にいいけど……砂糖は?」
    「いらない」
     相変わらず頭は回らず、そのくせ反射的に口から言葉が飛び出す。
    カーヴェは首を傾げつつもキッチンに戻ると、言われた通りに牛乳を火にかけた。蜂蜜の香りに、温められたミルクの優しさが混じる。カウチに座って天井を眺めると、見慣れた証悟材の木目が映った。
    当たり前のことだが、ここは祖母と居た家ではない。祖母はとっくの昔に亡くなっていて、葬儀は自分の手で手配したし、その後引っ越しもした。
    「おまたせ。味は保証するよ」
     目の前にハニートゥルンバの盛られた皿とコーヒーが置かれる。それから、手を拭くためのおしぼりと、口直し用の水。
    「……アルハイゼン?」
     いつまで経っても手を付けないのを疑問に思ったのか、ルームメイトはこちらの顔を覗き込んだ。そう、目の前に居て、声をかけてきたのはカーヴェであって、祖母ではない。わかっている。とっくに夢からも覚めている。
    「なんでもない」
    黄金色の欠片をひとつ口に含む。当然ながら、祖母の作ったものとは味か違う。それでも今この空間が、ささやかでかけがえのなかった楽しみを思い起こさせる。
     人の死はあとからやってくる、と誰かが言っていたけれど、自分にとってはまさにその通りだった。祖母がいなくなったことを自覚したのは、ベッドで看取ったときでも、葬儀をしたときでもない。本の解釈を訪ねに部屋の扉を開けても誰も居ない。家の中の、何気ない雑音が聞こえない。そして休日の午後、昼寝の後におやつができたと呼ぶ声がしなくなったとき、あの人はもう居ないのだと悟ったのだ。
    一人の生活が苦ではなくとも、家族と過ごした穏やかな時間が戻らないと自覚したとき、酷く胸が苦しかった。試しに自分でお菓子を作ってみたけれど、どれだけ砂糖を入れたって心はちっとも満たされない。
    お菓子とコーヒーの香りが漂う、穏やかな午後。あれは過ぎ去ったもの、二度と経験することはできない優しい時間。
    そんな、絶対に叶わないはずの〝もう一度〟が今ここにある。
    「君、疲れてるのか? それとも眠い?」
    「いや…………」
     まだ頭がぽやぽやしている。ハニートゥルンバは美味しい。ミルクで煮出したコーヒーは口当たりがよく、甘いお菓子とよく合っている。ひとつ、またひとつと口に含むと、頭の中で懐かしい声がした。

    『――アルハイゼン、美味しい?』

    あの人は、苦手なものを無理に食べさせようとしなかった。新しい料理を出すときや、味付けを変えたとき、決まって味の感想を求めた。
    「うん、美味しい」
     だから、つい、昔と同じように返事をした。でも間違ったことは言っていないので訂正はしない。祖母の味とは異なるが、カーヴェの作ったハニートゥルンバはとても美味しい。
    「……ッ⁉ きみ、これそんなに好きだったっけ」
    「美味しいから美味しいと言った」
    なぜだか、頭の中には簡単な言葉しか出てこなかった。けれど今は小難しいことを言う気分でもなく、最早話をするのも億劫だ。甘いものを食べて、ミルクで煮出したコーヒーを飲んで、なんでもない時間を続けていたい。お皿が空っぽになるのは惜しいのに、食べるのをやめたくない。
    「……また作ってほしい」
     思ったままを口に出すと、目の前でカーヴェはコーヒーをこぼした。熱いだの服が汚れただの、慌ただしくしている。
    「ううぅ、君ってやつは、どうして急に歳下らしいことを……」
    「俺は最初から歳下だ」
    「わかってるよ!」
     口調を荒げつつも頬が赤いのを隠せていない。嫌ではないようだから、今後も休日の午後にはコーヒーと一緒に手作りのハニートゥルンバが出てくるのだろう。べつに、バクラヴァでもナツメヤシキャンディでもいいのだけれど。
    それはとても嬉しいことだと気づいてしまった。シロップにひたされたかのように、心が甘く満ちていく。カーヴェは生きていて、一緒の家に住んでいる。借金を返し終われば出ていくというけれど、彼がいなくなったらこの時間もまた無くなってしまうのだろうか。
    「(それは……惜しいな)」
     ならば、カーヴェをずっと傍に置けばいいのでは?
    だんだんとクリアになっていく頭で、静かに思い至った。どうやって、と考えを巡らせれば、簡単に答えは出る。学術家庭はだめでも、普通の家庭なら良いのではないか、と。現に、今この時間が証明している。研究成果などいらない。議論を重ねて答えに至らずとも良い。ただ寄り添うだけでこんなにも満たされている。
    「そ……そんなに気に入ったなら、おかわりを作ろうか……?」
    「いや、いい。夕飯が入らなくなる」
    歯車が連鎖して、次々と回り始める。彼を正式に家族にするなら一筋縄ではいかない。価値観が真逆なのだから今後もぶつかり合うのだろう。それでも構わないと思えてしまうのだからもう止められない。
    思い立ったが吉日、という稲妻のことわざがあるが、とても気に入っている。いくら思考を重ねようと、最後に必要なのは行動だ。動かなければ、何も成しえない。やるべきことがわかっているのであれば、とっとと行動を起こすべきである。例えばそう、彼がこちらの言葉を歪曲して受け取らないよう、至極明快な言葉で話をするなど。
    「カーヴェ、俺は君の料理をとても気に入っている」
    「はぁ? いきなりなんだよ……まあ、美味しいなら作った者としては嬉しいけど」
    「だから、今後も期待しているよ」
    「うぇ⁉ あ、う……そう、なのか? 君、そんなに僕の料理を……」
    「夕飯はステーキがいい」
     最後の言葉を言い終わると、そわそわと髪を触っていた彼がいつものぷんぷん風スライムになった。彼の理念に反することを言って機嫌を損ねたならまだしも、食べたいものを告げただけで怒られるなど心外である。
    「君ってやつは、それが目的か!」
    「俺は何も嘘を言っていない。君の料理を気に入っているし、夕飯はステーキが食べたい。ただそれだけだ」
    「駄々っ子か? 親をおだてて好物をねだる子供みたいなことをして!」
    「君の料理が美味しいんだから、仕方ないだろう」
    「ぐぅううう……!」
     カーヴェはしばらく何かぶつぶつと呟いていたが、溜息をついた後「しょうがないなあ」を口にした。とりあえず、目標に一歩近づけたようだ。
    「ったく……肉を切らしてるから、今から買い物に行くぞ。荷物は君が持て!」
    「食材なら構わない。ただし酒瓶は君が持て」
     空っぽになった皿を片付け、外套を手に取る。カーヴェは既に準備を済ませ、食材以外の買い足すべきものをメモしていた。
    彼に家のこまごました仕事を任せたのは彼に余計な罪悪感を抱かせないための口実だったのだけれど、今思えば、過去の自分はとても良い提案をしたのだと思う。カーヴェは確実に、この場所を仮の宿ではなく、自分の家として認識し始めている。
    「ほら行くぞ。今日の君は何やらぼーっとしてるみたいだけど、これ以上は日が暮れる」
     鍵を手に、彼の背を追う。誰かと一緒に出掛けて、同じ家に戻ってくる。これもまた得難い体験なのだろう。
    そしてその〝誰か〟は、絶対に、カーヴェでなくてはならないのだった。

     後日、料理に精を出したカーヴェは悪癖のお人好しで屋台を手伝い、うっかり売上を十倍にした結果辞めないで欲しいと懇願されて困り果てた。
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