本当にあった怖い話忍術学園の医務室は、夏の午後の柔らかな光に照らされ、乾燥させた薬草の匂いがほのかに漂っていた。
匂いの元となった薬草が乗った干し籠から、保健委員会の良い子達が慣れた手つきで選り分け、手が空いた子は包帯の巻き直しに勤しむ中、私は忙しい任務の合間をぬってふらりと立ち寄った。
伊作くんが恋人になってから、この医務室を訪れる機会が増えた。
いや、正確には少しでもいいから恋人の顔を見たくて、足が自然と向いてしまうのだ。
こうして付き合う前は、伊作くんからの熱烈な告白を断り、迫られても逃げ続けた身としては現金な限りだが、手を取ったからには伊作くんとの関係を心から大切にする事にしたのだ。
しかし今日はそんな穏やかな気分を少し裏切る展開になった。
私が訪れた途端、伏木蔵が目をキラキラさせながら話しかけてきた。
どうやら先日話していた百物語の準備だとかで、又怖い話を聞きたいらしい。
「前して下さったお話は作り話だったんですよね?今度はちゃんとこなもんなさんが本当に体験されたスリルたっぷりな怖い話が聞きたいです〜!」
伊作くんが隣で少し困った顔をしているのが目に入るが、伏木蔵共々、良い子達からの期待に満ちた目が応えるのも悪くない。
しかし怖い話か…タソガレドキ忍軍に配属されてから今迄、戦場での経験ならいくらでもある。
この子達も将来は一人前の忍者になるのだからと、少し考えて私は話しだした。
「怖い話、怖い話ねぇ…これは私が又タソガレドキ忍軍に配属されて間もない頃の話で、月のない夜だったかな。任務遂行中に敵の忍者隊に囲まれてしまってね。丁度同期にあたる味方と二人で必死に逃げる中、遅れがちになった味方の腕を掴んだら、それが思いの外軽くて…咄嗟に夜目を凝らして見たら肘から先がなかった事かなあ……?」
瞬間、保健室がしんと静まり返った。
おやと思い周囲に目をやれば、伏木蔵以外の保健委員会の良い子達が、一斉に白目を剥いて固まっていた。
しまった、やりすぎたか。
本当に体験した怖い話と言われ、任務での生々しい記憶を、ついそのまま口にしてしまった。
途端、伊作くんが慌てて立ち上がって、私に詰め寄ってくる。
「雑渡さんっっ!怖すぎますよ!怖い話なんて、ちょっとした日常の話でいいんですよ!!周りをよく見て下さい!伏木蔵以外、みんな白目剥いてますよ!?」
伊作くんの咎めるような瞳に、私は思わず苦笑いした。
不謹慎だが、伊作くんのこういう真剣な顔は、堪らなく魅力的だった。
だが、確かにやりすぎたのは事実だ。
乱太郎くんに左近くん、数馬くんと言った保健委員会の良い子達の怯えた顔を見て、悪い事をした気分になる。
「ごめんごめん…つい真面目に答えちゃって…」
「ええ〜こなもんさん、それ本当に本当なんですか〜?流石にスリルでサスペンスが過ぎますよお〜!」
そんな中でも伏木蔵くんだけは、怖がりつつも目を輝かせて食いついてくる。
この子は本当に肝が据わっているねぇ。
それに気を良くした私は、つい調子に乗って話を続けてしまった。
「いや伏木蔵、これは本当だよ?あの時は流石に私も肝が冷えてねぇ…あれはきっと敵の投げた暗器でスッパリと切り落とさ…「雑渡さん!!!」…ごめん…ね?」
伊作くんの鋭い叫びに、私は慌てて口を閉じた。
彼の顔は真っ赤で、恋人として過去過酷な任務をこなした私への心配と、後輩達を守る保健委員長としての責任感が混ざった表情だった。
嗚呼、本当に堪らなく愛おしいな。
ついそんな事を思いながら、怯える下級生達を宥める伊作くんを眺めた。
良い子達はまだ白目を剥きながら、そっと私から距離を取っている。
悪い曲者の私には、こういう反応も仕方ないかと思ったが、その後、伊作くんから滾々と叱られてしまった。
「雑渡さん、乞われたからってそんな怖い話しちゃダメですよ!みんなまだまだ子どもなんですから!」と、そのまっすぐな瞳に射抜かれると、流石の私も反省せざるを得ない。
だがしかし、その叱る姿がやはりあまりにも愛おしくて、ついニヤニヤしてしまった。
すると伊作くんは頬を膨らませ「もうっ、雑渡さん、ちゃんと聞いて下さい!」と更に声を上げる。
ふふ、伊作くんには敵わないなあ。
結局、それから暫くの間、私は保健委員会の良い子達からは普段以上に距離を置かれてしまった。
医務室で会っても、いつも以上にビクッと驚かれ、遠巻きに挨拶される始末だ。
だが伊作くんはそんな中でも変わらず私の傍にいてくれた。
医務室で薬草を整理しながら「雑渡さん、今度と言う今度は、作り話でも実体験でも、医務室での怖い話禁止ですよ?」と真剣に言う伊作くんの顔に、これ以上悪巫山戯はしまいと、神妙に頷くのだった。
しかしながら、あんな話をしても後輩達を慮って怒りはするが、私の傍から離れる素振りを見せず、変わらずに居てくれる伊作くん。
タソガレドキ忍軍の組頭として生きてきた私が、こんな幸せを感じていいのか、時々まだ迷う事もあるが、そんな考えすらどうでもよくなる程だった。
お前は私の闇すら、こんな風に軽く受け流してくれるのかと、私は改めて彼に心を寄せるのだった。