呼び声夏も終わりに近付き、木々が黄昏の茜色に染まる。
昨今、組頭として戦場や任務に追われる日々だが、何とか時間を捻出すると、恋仲となった伊作くんの顔を見に、忍術学園に立ち寄った。
だが私が医務室に着くと、伏木蔵くん達保健委員会の後輩から、伊作くんが一人で裏裏裏山に薬草摘みに出かけたと聞かされた。
聞けば伊作くんの不運体質のせいで、保健委員会の日干し中の薬草が強風に飛ばされ、予算が足りず買い直せない為、自ら薬草を採りに行ったらしい。
まあ、伊作くんらしいねぇ。
自分の不運を背負い込んで、猪突猛進で解決しようとするその姿に感心する反面、心配も募る。
あの子の不運は、時にただのドジでは済まない危険を招くからだ。
「そうか、じゃあ私も手伝いに行こうかな?」
保健委員会の良い子達にそう告げると、私は一路裏裏裏山へと向かった。
山道を駆け抜け裏裏裏山に着くと、木々の間から虫の声が響き、夕暮れの空気が肌を冷やす。
山道を辿りながら伊作くんの姿を探していると、遠くで見慣れた伊作くんの背負籠が見えた。
だが、どうにも様子がおかしい。
伊作くんが何もない斜面に向かって、一直線に走っているのだ。
「伊作くん!」
こちらが声をかけても反応がない。
伊作くんが向かう先には、岩肌に開いた大きな裂け目が見える。
心臓が締め付けられるような予感に、私は力の限り追いかけた。
すると、木々の陰から不気味な声が響いた。
「伊作くん…」
その声は私のものに似ているのに、どこか粘つくような、冷たい響きを持っていた。
物の怪だ。
山の古い霊が、恰好の獲物を見つけて呼び寄せたのか、見れば伊作くんは裂け目の縁で立ち止まり、怪訝な顔で遠くを見ていた。
視線の先を見れば、木々の間にぼんやりと私の姿に似た影が揺れる。
だがその顔は黒く塗りつぶされ、まるで闇そのものだ。
「危ない伊作くん!!」
咄嗟に私が叫んだ瞬間、伊作くんが裂け目の縁で足を踏み外し、真逆さまに滑落していく姿が見えた。
物の怪が、今度は嘲るような声で「伊作くん」と発した。
私は全力で地面を蹴ると、一足で裂け目に到着し、滑落しようとする伊作くんに手を伸ばした。
「伊作くん!!」
私が声を掛けると、ここでようやく伊作くんが私を見た。
「雑渡さん!!」
落ちて行く伊作くんが必死に手を伸ばし、伸ばしと私の手を取る。
私は力を込めて彼を抱き寄せると、そのまま近くの岩肌を蹴り上げ、安全な場所に着地した。
時間にして数刻の出来事だったが、私の心臓はまだ激しく鳴っている。
「心配させないでよ伊作くん…間に合わないかと思ったよ…」
腕の中の伊作くん、確かめるようにぎゅっと抱き締めながら、私はそう言った。
最初、伊作くんの体は小さく震えていたが、暫くすると、私の腕の中で安堵の息をついた。
「ご心配をおかけしました…」
その優しい声と温もりに、私の緊張がようやく解ける。
そこで伊作くんが事の顛末を話し始めた。
薬草を摘んでいると、滅多にお目にかかれない珍しい薬草を見つけ、そのまま浮足立って山奥に入り、気が付けば黄昏時になっていたそうだ。
そこで不意に、私の声がして、目をやると私がいて「伊作くん」と呼びかけてきたそうだ。
何事かと急いで駆け寄ったが、距離が縮まらず、怪訝に思って立ち止まった所で、黒い影(物の怪)だと気づいたが、時既に遅く、足を滑らせ裂け目に落ちたのだと言う。
「まあ山は古来物の怪や神仏が住まう場所だからねぇ…そう言う事もあるかもね」
私は納得しつつ、伊作くんが無事だった事に、心から安堵した。
だがしかし、いくら私の声や姿を模されたからと言って、よく確認せずに危険に飛び込むのは心配で堪らない。
世の中には物の怪に留まらず、変装の名人だってごまんといるのだ。
「私を心配しての行動だと思うと咎められないけれど、今度からは気をつけるんだよ」
そう私が念を押して言うと「はい…気をつけます」と伊作くんが素直に頷いた。
腕の中で落ち込む顔を一撫ですると、夕闇の中で再度伊作くんを抱き締めた。
腕の中の温かな温もりを堪能しながら、ふと周囲を見れば、もうすっかり日が暮れていた。
「もう遅いし、このまま送るよ?」
そう言うと、私は彼の手を取った。
すると伊作くんははにかむような笑顔で「ありがとうございます」と言った。
その笑顔に笑い返しながら私達は歩き出した。
「荷物はそれだけ?少ないね?」
伊作くんの背負籠に目をやると、伊作くんが怪訝な顔をした。
「え?少ないですか?」
そう言いながら伊作くんは背中の背負籠を確認すると、愕然する。
どうやら先程の滑落の衝撃で、折角集めた薬草が半分以下に目減りしたそうだ。
「ふ、不運だ……」
涙目になる伊作くんに、私は思わず吹き出した。
「ふはははは…まあ物の怪に絡まれて、尚且つあんな滑落にあっても無傷だったんだし、いいじゃないか」
「よくないですよ〜何の為にここ迄遠出したのか…」
悔しがる伊作くんに、私は提案した。
「ごめんごめん。わかった。今度又、私も手伝って薬草を摘みにこよう?」
「え?そんな、いいんですか?」
伊作くんが途端に色めき立つ。
その反応があまりにも純粋で、私は又笑った。
「お前から目を離していると、不安でしょうがないからね…?」
「もう!」
頬を膨らます伊作くんを見て、私は又笑った。
私は拗ねる伊作くんを宥めながら、彼の手を取り、二人で暗い夜の山を下り始めた。
繋がれた手から伝わる温もりで、暗い夜道でも、私の心は温かく満たされた。