「手紙」ひらり、と束の間宙を舞って床の上に白い何かが着地するのが視界の端に映る。
顔を向けると床に落ちたのは、白い紙きれであることが分かり、つい今しがたそこを通っていった人物の姿はすでに其処に無なかった。
他にその落とし物に気付いた者はいないようで、ゆっくりと歩いてその白い紙切れを拾いあげる。真っ白な封筒には何も記されておらず、それが逆に好奇心を刺激してくる。受け取る者によっては不気味だと感じるかもしれない差出人不明のその手紙は、落としていった人物を知っていればその内容には凡その検討はつく。
封緘の施されたその手紙を束の間眺めた後、呪文を口ずさんで躊躇いなく封を切る。小さく風を切る音と同時に、ばたばたと煩い足音が此方へと近付いてくるのを聞きながら、ゆっくりと封筒の中身を引き抜く。
「待て!オーエン!」
乾いた音をたてて綺麗に折り畳まれた紙を開くと、そこには丁寧で華奢な文字が綴られていた。
ブラッドリーがこの男のことを『中央の色男』と揶揄う理由が、今まさにここにあった。
「ふふ、お慕いしております、だって。こんなに迂闊で薄情な騎士様の、一体何を見ていたらそんな気持ちになれるんだろうね」
控えめな文面とは裏腹に、手紙から微かに香る甘い香りが自分の存在を主張しているようだった。灯りに透かすようにして目の前に翳すと、しっかりとした手触りの白い便せんの中央に何かの印章が浮かび上がる。
「俺が迂闊なのは認めるが、その手紙を書いた人を貶めるのは俺が許さない」
文末には時間と場所が記されていて、この男が魔法舎に戻ってきたのはその時刻をとうに過ぎてからだった事実に短い笑いが漏れた。そんな自分の態度に柳眉を釣り上げ、手紙を取り戻そうと伸びてきた手からひらりと身を躱す。
「許さないから、何?手紙を読まずに捨てるお前に比べたら、読んであげた僕のほうがずっと優しいと思うけど」
「……」
きつく吊り上がった眦が微かに戸惑うように緩みかけ、すぐに迷いを振り払うように唇を噛むのが見えた。
「今頃この人間はどうしているかな。もう諦めて帰ったかな?それとも諦め切れずに、まだ待ちぼうけをくらっているのかな?ねぇ、どっちだと思う?」
後ろめたさを隠しきれずに落ちた視線に何故か苛立ちを感じる。
「……帰るのを見届けてから、戻った。もういいだろ、返してくれ」
僅かな沈黙の後、再度伸びてきた手と一緒に向けられた瞳はただ静かに自分を見据えている。そこには、先ほどまで浮かんでいた筈の迷いも義憤も見当たらなかった。
触れた者以外を見ることができないこの男が見届けた、ということは、恐らく部下か誰かを遣ったのだろう。封を切る事すらしなかった手紙の主への仕打ちとしては、いっそ裏切りにも近い行為だということを、分かっていてこの男はやっている。
清廉を絵に描いたような騎士である筈のこの男の新たな一面を知り、無意識に口角が吊り上がる。
「人間のくせに、生意気」
自らの意志を挫くことなく、騎士たらんと在ろうとするこの男に、紙切れ一つでそんな行為を強いた。その事実に、じりじりと爪先を焦がされていくような苛立ちが募っていく。
「……オーエン?」
訝る声から距離を取り、手紙を手にしたままふわりと宙へと浮き上がる。
「これは僕が拾ったんだから、僕のものだ」
戸惑いを浮かべた色違いの双眸が自分を見詰めている様子を一瞥し、再び手紙に視線を落とす。一時でも、この男に苦悩を強いた見知らぬ誰かへと苛立ちをぶつけるように呟いて、オーエンは姿を消した。