キニクワナイ キニシテナイ!正しい他人との距離とはどんなものだったろうか。
そもそも魔術師はあまり積極的に他人と関わることが少ない。関わりを多く持つほどに、守らなければならないものが増えるからだ。守るものが増える、と言えば聞こえがいいかもしれないが、魔術師が守るものとは血筋や神秘、伝統などであり、つまりは他者が介在する余地を与えたくないものだ。
名家の出ではない僕にも代々受け継いできたものはあるし、価値はどうあれ簡単に他者に明け渡すのは抵抗がある。そんな意識がどこかで働くのだろう、魔術師は無意識に他者との距離を保つものだと思っていた。
今まで生きていく中でそれを不自由に感じたことは無いし、もともと他人とのコミュニケーションが僕は苦手だった。他愛のない会話に応じることはあっても、それを楽しむという感覚が分からなかった。
時計塔に入ってからその傾向はますます強くなり、口を開く程に鬱屈とした感情が蓄積するような空気を吸い続けて、僕の口はますます重たくなっていった。
しかし転機というものは想定外のところにあるもので、カルデアにマスター候補として呼ばれ、そこで出会った魔術師が偏りかけていた僕の価値観を変えていく。
マリスビリーは絵に描いたような天才だったが、それを鼻にかけることもなく、多少世間ずれしていることを覗けば普通に会話のできる人物だった。
オフェリアは物静かだが、嫌味の無い人物だった。
デイビットは何を考えているのか分からない、底の読めない恐ろしさがどこかあるが、一緒に居て不快になることは無かった。
ペペロンチーノは今迄会ったことのないタイプの人間で、軽快なトークに圧倒されることはあったが、彼と話すようになって会話を楽しむことを憶えたような気がする。
今考えれば、それまでの僕は会話を楽しむ余裕が無かったのだと分かるが、それにしたってものには限度というものがあるのではないだろうか、とじろりと隣を睨みつける。
「おい」
肩に乗っかる黒髪の頭は、僕の不機嫌な声すら子守歌に聞こえているようで、すぅすぅと気持ちよさそうな寝息をたてている。
「おい、いい加減にしろよ、おまえ」
「…んんー…あと、ごふん…」
「なんでこの状況で寝れるんだ⁈」
素材回収中にエネミーと遭遇したまではいつものことだったが、相性不利な敵性生物を相手にした戦闘は混乱を極めた。気が付けば同行していたサーヴァントと逸れた矢先の突然の雷雨に、黒髪の青年は焦る事も無く雨宿りできる場所を探そうと提案してきた。
無暗に雨の中を動き回り下手に体力を消耗することは得策では無いので、その提案に従って少し森の中を歩いて見付けた洞孔で雨を凌ぐことにしたのが一時間程前のこと。念のために獣除けの結界を張り、振り返り見付けた顔が思いのほか白いことに気付く。
「休むなら今のうちだ。僕が見張っててやる」
「あー、じゃあ少し休もうかな」
もともと魔術師でもなんでもないただの一般人だった藤丸の魔術回路はお世辞にも良質とは言えない。カルデアを介しているとは言え、一度に複数のサーヴァントを使役する負担は相当なものだと思うし、先ほどのような乱戦になると躊躇う暇すらないだろう。かつて味わった一度に急激に魔力をもっていかれる感覚は、文字通り生命力を奪われていくようだった。見極めを間違えば、生死に関わることが身体の感覚として分かる。サーヴァントの使役にはそれ相応の代償が必要なのだとあの時は思っていたが、それにしても藤丸の戦い方は非常識だ。
青白いのは雨に打たれたせいなのだろうか。へにゃりと力なく下がった眉を見て、次に藤丸が何を言うのか気付いた瞬間、苛立ちが生まれる。
「ありがとう、カドック」
衒いのない笑顔にふん、と短く鼻を鳴らして背を向け、洞窟の入り口へと足を向ける。けれどもその足は背後から伸びてきた手によってそれ以上進むことを妨げられた。
「おい、一体何のつもりだ」
藤丸がこういう行動をとる時は、大抵ロクでもないことを思いついた時だ。温厚なようでいて、案外強引なところのある青年をじろりと見下ろす。
「カドックも休みなよ」
「は?」
「また寝てないんだろ?休むなら今のうち」
思いがけない言葉に一瞬反応が遅れる。藤丸が指摘しているのはこれ以上薄くならないだろう目元の隈のことでは無いのだと、何故か分かった。
「一緒にサボろう」
悪戯っぽく眇めた青い双眸に見上げられ、胸の中に沸き起こった反発心が急激に勢いを失ってもやもやとして感情にすり替わっていく。
藤丸の感情表現は素直だ。カルデアに命を助けられたとは言え、敵だった奴に背中を預けることなど、僕なら考えられない。最初の頃こそ警戒心の滲んでいたその瞳が、僕の前でもくるくると表情を変えるのに時間はかからなかったように思う。
一度そのことを指摘したら返された「カドックって案外細かいよね」という一言は一生忘れないだろう。
僕からすればおまえが図太いのだと言い返し、軽い口論になったことを思い出していると、ぽつり、とかぼそい声が聞こえた。
「それに、一緒にいてくれたほうが、安心できるんだ」
また何か企んでいるのだろうかと訝しむと、いつの間にか俯いていた藤丸の表情は見えなかった。
外から響いてくる雨音は強まる一方で、未だ弱まる気配は無かった。
あちこちに跳ねた黒髪を見下ろし、溜息を吐いて藤丸の隣へと腰を下ろした。
「5分だ」
隣からこれでもかという程に見詰めてくる視線を感じながら、ぶっきらぼうに返して気配遮断の魔術を行使する。結界を張り終えた途端、肩に感じた重みに調子にのるなと抗議するつもりだった口が、はくりと声にならない音を漏らす。
青白い顔が雨に濡れて血の気が失われているのに、濡れた肌がやけに艶めかった。閉じた瞼を彩る睫が影を落として、細い鼻梁を際立たせている。小さな小鼻の下には、ふっくらとした唇が薄く開いていて、穏やかな寝息が聞こえた。
静かな寝息を耳にしてはっと我に返る。反射的に目を背けた理由に頭を抱えて、懺悔のような溜息を漏らした。
たった5分。時計があればまだかまだかと睨みつけていただろう。
肩口に触れる体温が、じんわりと伝わってくる感覚を忌々しく感じながら耐え忍ぶこときっちり300秒。
短く呼び掛けた声は決して小さくは無いのに、ぴくりともしないどころか、5分間しっかりと藤丸は僕の肩を枕替わりに使っていた。
苛立ち紛れに礼装の首根っこを掴んで無理矢理はがすと、仮眠を延長しようとする寝汚い姿に5分前に芽生えかけた感情を遠くへ放り投げてやりたくなる。
「いい加減にしろ!この能天気野郎!」
手加減無く真横へ引っ張られた頬の痛みに藤丸が叫び声を上げる。青白かった頬が抓られて赤くなったのに溜飲を下げたのも束の間、サーヴァント達に見付けて貰うまで僕と藤丸は不毛な言い争いを続けることになった。