言質 同僚で後輩の杉元と飯に行くことになっていた。二人で受け持っていたプロジェクトを無事遂行し終えた打ち上げとして飯に行く約束をしていて、俺の奢りだ。今回は杉元の頑張りにだいぶ助けられていて、それを讃えて労いたいと俺の方から申し出て約束を取り付けた。現金しか使えない店を選ばれても大丈夫なように予め数万円を銀行から下ろしてきて財布に入れてきていたし、一応カードもある。社食や飲み会で見た杉元の食いっぷりからして、焼き肉やステーキ店に行きたいと云われたら、それなりに払うことになるだろうが、約束をしたからには遠慮せずに好きなだけ食えと言ってやろうと思っている。そもそも自分は金のかかる趣味などもない独り者だし、可愛らしく煙草も博打もやらない慎ましい生活を送っているので有り難いことに金には困っていない。旨いと云って後輩が嬉しそうに飯を食ってくれる姿を見るのもそれはそれで悪くないと思えた。
どうする、いつにする、と訊いてやると、じゃあ、今度の土曜の昼飯を奢ってもらっても良いですか、と遠慮がちに杉元が云ってきて、それで今、こうして待ち合わせ場所でひとり到着を待っている。夜ではなく昼飯か。そういえば、何を食いたいのかどこへ行きたいのかは未だ訊いてなかった。
待ち合わせ時間ちょうどに私服姿の男前が前方からやってきて、挨拶代わりに手を軽くあげてやる。いつもスーツ姿だから新鮮だ。杉元はTシャツ、デニム、スニーカーにキャップを被っていてスーツよりも似合っていると思った。
あ、あの、本当に今日は俺の行きたいところで良いんですか。
杉元、今日は無礼講だからタメ口でいい。仕事中でも熱くなったり、酒に酔ったりするとお前タメ口きいてくるだろう、あれでいい、社外だし、気を遣うな。お互い気を遣っていたら、折角旨いもん食っていても味がしてこないだろう? それで、今日はお前、どこに行きたいんだ?
あの、行きたいところは、その、ケ、ケーキバイキングについてきて欲しぃなぁ~、なんて思ってて。
もじもじと云いにくそうに顔も軽く赤らめて頬を指先で掻きながら云われた場所を聞いて一瞬、固まる。ケーキバイキング。俺と?
俺と?
尾形さんと。
どこの?
ここから直ぐ近くのホテルでやっている。
ケーキバイキングに?
うん。
肉とかじゃないのか?
うん、その、ケーキバイキングに行きたい、です。
それは、デザートじゃないんだろ?
メインでです。
昼飯に甘いもの、か。
あ、その、甘いものが好きじゃなかったら、いい、です。いや、飯に甘いものなんておかしいですよね、焼肉屋でいいです、忘れて下さい、肉でいいです、あの、本当に、すみません、肉行きましょう。
うっすらと涙目で、かぁっとさっきよりも顔を真っ赤に染め、手もぶんぶんと訂正するように振って杉元が横を向いて俯く。そんなに行きたかったのか。
杉元、行こうか、ケーキバイキング。
良いの?
俺の言葉を聞くなり、ぱっと勢いよく顔を上げて嬉しそうに眼を丸める。それを見て飼ったことはないが、散歩行くか? と声を掛けた時の犬もこんな顔をしているんだろうなと思った。
お前が行きたいのなら、そこで構わない。店は、ホテルか、そこに案内しろよ。
バイキングといえば、好きなだけ料理を取ってきて食う、あれだろう。ということは、ケーキばかりをひたすら腹が膨れるまで食うのだろうか。甘いものは普通には食うが、まさか昼飯がそれとは。約束通り、好きな物を食わしてやりたいと思っていたが、ケーキとは。肩透かしを食らった気分にもなりながらも先を行く杉元の後をついていく。
泊まったことはないが、名前と建物は知っている有名な大手ホテルに着き、相反するはずのきらびやかさと清楚さが感じられるロビーを横切って行く。ふと、こんな場所へ来るにはこれではラフだったのではないかと自分の着ている物に視線を落とす。俺もTシャツにブラックデニム姿だ。
あー、もう結構、並んじゃってるなぁ。
俯いて自分の身形を見ながら歩いていて気付かず、そう呟くと同時に急に立ち止まった杉元の背中に勢いよくぶつかってしまい、悪い、と謝りながら顔を上げる。
視界に入ってきたのはホテルの廊下いっぱいに多くの女性客が並んでいる光景だった。男性客の姿もなくはないが、そのケーキバイキング会場前に列をなして並んでいる客は圧倒的に女性客の方が多かった。それを見て急に恥ずかしくなってくる。そこはあまり嬉々として自分から入って行きたいと思える空間ではなかった。上手く説明出来ないが、自分は妙齢の女性は少し苦手だ。職場では割り切って接することが出来るが、あの化粧品や香水の匂いも得意ではなく、無意識に身構えてしまう。
杉元が振り向いて俺に苦笑ぎみに話し掛けてくる。
今やっているメニューは人気有名パティシエも監修に入っているとかで、告知されていたケーキの写真を見て俺もすげぇ旨そうだなって思って食ってみたかったんですけど、人多いですよね。やっぱ止めときましょうか。
食いたかったんだろ?
食いたいですけど、だいぶ待たなきゃっぽいですよ。
待てば良いだろ。
確かにその、尾形さんと二人で来たかったんですけど、こういう場所、本当は苦手で、今ちょっと恥ずかしいんじゃないですか? その、顔が少し赤いから、無理して俺に合わせようとしてくれているんじゃないかなって。色白だから、すぐ、解る。
指摘されて口元に軽く手の甲を当てる。確かに恥ずかしい。出来ることなら、違う店に行きたい。少し考えて手を外して口を開く。
でもお前が食いたいのなら、俺は付き合ってやるよ。
あっ、今の、もう一回、聞きたい、もう一回云って。
お前が食いたいのなら、付き合ってやる。
じゃあ、その、俺と付き合ってくれますか。
ああ。
食っていいの?
食いたいんだろ。
食いたい。
じゃあ、そうすればいい。
うん。
急にへらへらとした笑顔になった杉元が列の最後尾に並ぶ。ついていって自分も隣に並ぶ。あんなに嬉しそうにするのなら、ケーキバイキングも奢りがいがある。
顔のいい男なので、先に並んでいた二人組の女性客がちらちらと振り返っては杉元の顔を見てくる。ついでのように俺の方も見る。それでこそこそと小声で何か話し合っている。杉元はそういった視線を浴びることに慣れているのか全くいつも通りで、俺はなんとなく落ち着かず居たたまれない。
尾形はケーキどんなのが好きなの?
尾形?
あ、まだ、さんづけの方が良かったかな。
まあいいか、社外だし、呼び捨てでも。歳もたいして違わないし好きに呼べ。ケーキか、普通の苺の乗っかったショートケーキが今まで一番食ってるかな。どちらかというと和菓子の方が好きかもしれないな。
へぇ、和菓子派なんだ。
杉元が甘党とは思わなかったな。
意外だった?
ゴリラみたいな体躯しているからな。昔事故に遭って出来たって云っていたか、その傷痕も凄いよな。お前タフだな。
ゴリラは嫌い? タフなのは嫌い?
別に何とも思わんな。むしろタフなのは良いことじゃないのか。
へへへへへ。
急にフランクになったと思えば、上機嫌に笑い出して、どうかしたのか。
え、だって今、俺のことを褒めてくれたでしょ?
今の、俺は褒めていたか?
嬉しかったから褒められてると思った、俺、頑張るし。
頑張るって何をだ? 近々始まる、例の新しいプロジェクトのことを云っているのか。
ううん、ケーキ食べ終わったらのこと。
夜も、食うのか?
夜の方がメインになったかも。
じゃあ夜は肉食か。
いや、そこまで肉食じゃあないけど。
食う場所は決まっているのか?
ここの上はどう? その分は俺に支払わせて。あ、明日の予定とか大丈夫?
明日は、予定は何も入ってないが。
そっか、へへへへへ、良かった。
この上に食える場所なんか入っているのか。
やだなあ、ホテルはそういう場所でしょ。
どうもさっきからなんとなく杉元と会話が噛み合っていない気がして、「ホテルはそういう場所でしょ」という杉元の言葉を咀嚼してみる。続いて、交わしてきた会話全部を頭の中で思い出して再生してみる。フランクになった前後はどこだったかを考えてみる。待てよ。不味いかもしれない。
杉元、俺はその。
大丈夫、優しくするから。
杉元、待て。まず、この行列の中でそのヴォリュームで喋り続けるのはやめろ。
恥ずかしい? 俺は気にしないけど。
色んな意味で、待て。
うん。内緒話する?
は、するかよ。お前、さっきどさくさに紛れてなんか云いやがったな。
え、や、だって。
「お前が食いたいのなら、付き合ってやる」「じゃあ、その、俺と付き合ってくれますか」「ああ」はお前の意と俺の意とで違うだろ。俺はケーキバイキングのことを言っていたってお前、解っていたんじゃないのか。
う。
う、じゃねぇ。感心しないな、杉元。
うう。本当は、ケーキバイキング、食べ終わったら告白するつもりで。
二人が交わしている会話が聞こえているのだろう、前に並んでいる女性客がまたそっとこちらを振り返る。ちっ、と小さく舌打ちをし、杉元の腕を掴んで並んでいた列から離れ、来た道を戻る。引っ張りながら話を続けようと思った。杉元が情けない声を出す。
ああん、ケーキィ。
ケーキィ、じゃねぇだろ。いいから来い。
せっかく並んでいたのに。
ケーキと俺と話すのとどっちが大事なんだ。
尾形と話す方。
即答しやがって。お前、解っているんだろ。
さっきは調子に乗ってすみませんでした。
卑怯者だな、もっと筋の通った男かと思っていたのに、ああいう逃げた狡いやり方をするとは残念だな。
残念なの?
そう杉元に訊かれて足を止める。掴んでいた腕も離した。
残念だな。
告白するつもりはしていたんだけど、いざ顔を見たら怖くなってきちゃって。あんなのは狡いって解っていたけど、あの時、ああ云ったって言いくるめてしまえば、尾形のこと何とかならないかなって思ってしまった、ごめんなさい。
残念だ。
ごめんなさい。あの、一緒に仕事をしているうちに、なんか好いなって、なんか好きになってて食いたいです、俺と付き合ってくれますか。
その食いたいって文言は入れないと駄目なのか。
触りたくて仕方がないから。
もう狡い真似はしないのなら、許してはやる。
身体を?
てめぇ、いっぺん死んでくるか。人が真剣に答えているのを玩びやがって。
今のは本気でそう思ったから、ごめん。
杉元、お前とは噛み合いそうにない。
俺は尾形と噛み合いたい。
お前、それ行為のことの方を云っているよな。
好意があるから行為をしたいんだよ。
だから言葉遊びか。
言葉遊びも何でも手段を選んでられねぇくらい何とかしたくて、機会を引き寄せたくて、社外での尾形のこと、もっと知りたい。和菓子派ってことしか今日はまだ新しく知れてねえし。俺は俺でケーキ好きなこととか尾形が好きなこととか知って欲しかった。
だったら最初からそう云ってこいよ。
だからごめんって言ってる。
はあ。とりあえず、なんか、食うか。腹が減っていてはまともに思考も巡らせられない。ケーキ、列に戻って並ぶか。
そこの喫茶店のケーキでいい。そこ、何度か来たことあるし、ランチも旨いから。一緒に食いたい。
じゃあ、もう杉元の奢りな。
奢るから、一緒に昼飯食って下さい。それで俺のこと好きになって下さい。
だから別々に云えって言っているだろ。一つずつ注意して答えないといけなくて面倒だ。昼飯は食う。好きになれるかは、お前次第。熱意は伝わった。
食うのは。
何を。
尾形。
と、なのか、を、なのか最後まで云え。
へへへへ。やっぱもう引っ掛からないか。今日はもう止めとく。ランチ食いましょう。ここナポリタン旨いっすよ。行きましょう。
縦並びに歩き、話していた喫茶店に着き、入り口のドアを引く。ドアの上端に提げられているベルが大きくチリリリンと鳴り響く。
でも、絶対、食うからな。
懲りずにまたどさくさに紛れて杉元が俺の耳元でそう囁いた。